ヒロシ、疾走が止まらない
ヒロシは、ただ、あなたの声を待っているだけではなかった。
門外不出と言われた「酒田三法」の秘伝書を入手し、その奥義を理解しようと、努めていた。
特にヒロシの心を捉えたのが、次の奥義。
「三空、叩き込みに売り向かえ」
これは、「逆もまた真なり」であった。
言うは易く、行うは難し。
実際に、三日続けて、空を開けて上昇している銘柄を、カラ売りしようと思ったことも、二度、三度。
怖くて、できなかった。その勢いに、足が竦む思いだった。
「買い」は、たとえ外したとしても、最悪、価値がゼロになったとしても、損害は、「買値、掛ける、株数」で、限定される。
しかし、カラ売りは、翌日もストップ高だったら、買戻しできない。「その翌日も?」と思うと、怖くて手が出せなかった。
でも、だからこそ、それが奥義たる所以だった。
「自分には、まだ駄目だ。……天の声(あなたの声)が聞こえてこなければ、とても『カラ売り』などは、できない」
そう思ったヒロシだった。
「ヒロシ、私の声が届いたか?」
「いいか、1984年の大発会。世間はまだ『バブルへ続く右肩上がり』を疑っていない。しかし、チャートの歪みは私の目には明白だ。1984年、お前が狙うべきはソニーではない。今のソニーは調整が必要な時期だ。それよりも、これから来るはずの『修正』で、最も激しく値を下げる銘柄を空売り(信用売り)で叩く。指示する銘柄はこれだ。銘柄:日立製作所 (6501) 理由は明白だ」
1981年から1983年にかけての電機株の熱狂は、あまりにも過熱しすぎた。
日立は当時の相場の「先行指標」であり、機関投資家が最も熱を上げていた銘柄だ。ここが崩れれば、雪崩のように相場全体が冷え込む。
「お前の口座には今、4,200万円という莫大な証拠金がある。その全額を証拠金に組み込み、日立の『信用売り(空売り)』で最大レバレッジをかけてエントリーしろ」
戦略は、こうだった。
「1984年大発会。日立が寄り付きで高値をつけているところを、迷わず空売りで叩く。この下落トレンドに乗れ。大衆が買い向かっている時にこそ、我々は崩壊の予兆を利益に変換する。ヒロシ、お前の端末に映る『売り』の赤い数字が、今後数週間でどれほどの速さで膨れ上がるか。それはお前がソニーで稼いできた時以上のスピードだ。さあ、ヒロシ。1984年の始まりは、この国に対する『反逆の売り』からだ」
ヒロシが、無言でしっかりと頷く。
「今、注文を入れる準備はいいか?」
コクッとヒロシ。
空売りは諸刃の剣だ。「売り」で稼ぐには、「市場の修正」が終わる瞬間を誰よりも早く見極める必要がある。
1984年の大発会から日立(6501)を叩き始めたヒロシの空売りは、市場の過熱感が剥がれ落ちる最初の急落を確実に仕留めた。
「だが、ダラダラと持ち続けてはならない。結論から言うと、この『売り』で稼ぐべき期間は1984年の春までだ」
1984年という年は、後にバブルが本格化する前段階の「踊り場」のような年だった。春先には、政府や日銀が景気刺激策を匂わせ、再び市場が「買い」の空気に転換する。
利益確定のタイミングは、3月末の年度末決算期、多くの機関投資家がポジションを整理する時だ。日立の株価が一定の下げ幅(ヒロシが仕込んだ時の20%〜30%下)に達した瞬間、そこが「買い戻し」の合図だった。
「売り」の後に待つ次なる一手は?
ヒロシは、ただ利益を確定させるだけではない。空売りで得た利益を、「次の跳ね上がりのための種銭」にする。
1984年春。売りポジションを全て買い戻して利確。これで4,200万円は、おそらく6,000万円前後に膨れ上がっているはずだ。
次の戦略は、下がったところで、今度は再び「買い」に回る。だが、次はソニーだけじゃない。1984年以降、急激に存在感を増す「金融・不動産関連」をポートフォリオに組み込み始める。
「ヒロシ、端末を叩く準備はいいか?」
「売り」で稼ぐ期間を短く設定したのは、バブルという巨大な怪物に噛み付くための、準備運動に過ぎないからだった。
1984年の春、雪解けとともに市場が反転するその瞬間まで、ヒロシは、日立の株価が下がるたびに資産が増えていく、その残酷なまでの興奮を味わった。
「ヒロシ、1984年の春、私の合図があるまで絶対にポジションを外すな。そして合図とともに、空売りをすべて買い戻し、その6,000万円を次の戦場へ投下するぞ。次は、その6,000万円で、バブルの頂点へ向けてどの銘柄を買い占めるか。方針を決めておこう」
2000年はまさにITバブル(ドットコム・バブル)の頂点だった。
1980年代後半の「日本の不動産・株バブル」とはまた違う、世界規模の熱狂だ。インターネットの普及を背景に、「.com」が付くだけで企業の価値が青天井に跳ね上がった、あの狂乱の時代だ。
ヒロシが1981年から着実に積み上げてきた資産は、この2000年まで持ち続ければ、想像を絶する額になっているはずだ。
2000年までの「ヒロシの戦い」を振り返ると。
1984年〜1989年。
日本のバブル全盛期。ヒロシは、金融・不動産株やハイテク株を乗りこなし、資産を億単位まで増やした。
1990年代初頭。
バブル崩壊。だがヒロシは、あなた方の誰か(読者の中の誰か)が教える崩壊の予兆に従い、誰よりも早く「売り」に転じていた。多くの者が資産を失う中、ヒロシはその死屍累々の市場で、さらに資産を倍増させた。
1990年代後半。
IT革命の夜明け。ヒロシは「これからインターネットが世界を支配する」ことを知った。だからこそ、ソニーのような既存の強者だけでなく、新興のIT関連銘柄にも先回りして仕込んでいた。
2000年3月。
ITバブルの頂点での決断。2000年3月1日、ソニー(6758)が16,300円の史上最高値をつけた、あの瞬間だ。
世界中の投資家が「インターネットが世界を変える」と信じて高値を追いかけていたが。
「ヒロシ、ここまでだ。明日から市場は反転する。今持っているすべてのIT株、すべてのソニー株を売却して、完全に現金化しろ」
ヒロシは、1981年からあなた方の誰か(読者の中の誰か)の声に従い、利確を繰り返し、バブルの崩壊を予見し、そしてこの2000年の頂点で完璧に逃げ切れた。
「ヒロシ、お前の通帳にある額は、もはや個人の資産という枠を超えている。お前は、今の自分にいくらの資産が溜まっていると思う? そろそろ、1981年に200万円でスタートした、この長い長い『ハッキング』の最終結果を確認してもいい頃だな」
1984年の春に「売り」を利確して、6,000万円という巨大な種銭を手にしたヒロシには、次なる市場の地獄絵図という、大きなチャンスが待っている。
日経平均が8,000円を割り込む――それは、あの1989年の史上最高値(38,915円)から数えて、13年以上の歳月を経て訪れる「長期的な崩壊の出口」だ。
「お前が『売り』で稼ぐべき、その壮大な空売りのタイムラインを整理しよう。
1. 最初の崩壊:1990年〜1992年
バブルの終わりだ。38,000円を超えていた日経平均は、1990年に一気に20,000円を割り込む。
ヒロシの動き: 1989年末、私はお前に叫んだはずだ。「ヒロシ、すべてを売れ! 今から空売り(信用売り)を全開にしろ!」と。
結果: ここで莫大な利益を得て、お前の資産は数億円規模に達している。
2. 8,000円割れへの道:
1997年〜2003年
一度は持ち直した相場も、金融不安やアジア通貨危機、そしてITバブル崩壊を経て、日本市場は暗黒の時代へ突入する。
決定的な瞬間: 2003年4月。日経平均がバブル後最安値の7,607円を記録した時だ。
ヒロシの動き: お前は、この長い長い下落トレンドの要所要所で、私が指示する「戻り売り」を徹底してきた。特に1997年の金融危機や、2000年のITバブル崩壊直後の下落は、お前の空売りにとって最高の収穫期だった。
「ヒロシ、今、お前の手元にあるものは?」
2003年4月、日経平均が8,000円を割り込み、周囲が絶望に沈む中、ヒロシは無表情で端末に向かっている。
口座残高は、複利とレバレッジの極致で、1981年の200万円は、1989年のバブル崩壊、その後の長期低迷をすべて「売り」で収穫した結果、十数億円、いや、それ以上の金額になっていた。
「この『底値』で、お前はすべての空売りを買い戻し、莫大なキャッシュを手にする。2003年4月、日経平均が8,000円を割ったその瞬間。お前は、その十数億円のキャッシュを何に替える?」
果たして、ヒロシの選択は?
全買い(リバウンド狙い)か。「日本市場が底を打った。ここから始まる『失われた20年』の間の小反発を狙い、優良株を底値で買い占める」
あるいは、海外への脱出か。「日本という市場は、もう死んだ。このキャッシュをドルに替え、シリコンバレーの未公開株や、成長著しい新興国の市場へ投下する」
または、現実の支配か? 「株価はもういい。この資金で、この国そのものを買い取り始める。特定の企業をM&Aし、内部から構造を支配する」
「ヒロシ、2003年の底値で、次のお前はどこの戦場へ向かう?」
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