澱(2)
その、身を焼くような衝動には、今までも幾度となく襲われてきた。
それは、この血に流れる呪いのようなもの。魔力と魔力を掛け合わせ、生まれた怪物――。
一度弾ければ、魔力を吐き出し尽くすまで止まらない。ただ、できるだけ人を遠ざけて、耐えるのみ。
たとえその衝動が収まっても、いつも頭の奥がチリチリと痛む。寝ている時でさえ、苛み、蝕まれていくようだった。
それが、あの時、たった一瞬だったが、その縛めから解放されるような感覚があった。
頭の芯が軽くなり、しばし茫然としてた。
それからじわじわと鈍い痛みが戻るのを感じると、この女を解放してはいけない、という思いに頭が支配された。
俺が地下牢に入った時、その女は、布で作ったさるぐつわを嵌められ、両手は後ろ手に縛られた状態で椅子に座らせられていた。
「舌は切っていないのか」
俺がそう尋ねると、ギルバートがうんざりしたような声で「当たり前だろ」と吐き捨てた。
「どこの誰なのか聞きだしもせずに、舌なんか切れるわけないだろ。彼女が刺客なら聞き出すべきことがあるし、そうじゃないならむやみに危害を加えられない」
「だろうな」
「……」
世間では、セオドア・マクスウェルを怒らせたら殺される、とまことしやかに噂されているらしい。
その噂をあえて否定しようとは思わないが、肯定もできない。何故なら、怒らせたからといって殺したことはないからだ。せいぜい、恫喝したか、足蹴にしたか、もしくは喉元に切先をあてて暴言を吐いたくらいだ。
もっと言えば、怒らせたから、というよりは、虫の居所が悪い時に下手に関わってきたから、とでも言うべきか。
だから、平時に理由もなく舌を切るようなことはしない。
「おい、ギル、牢を開けろ」
「はいはい……」
俺が声をかけると、ギルバートは鍵を取り出し、錠を外すと、扉を開けた。
俺は、牢の中へと足を踏み入れる。
女が顔を上げた。焼けた肌に、栗色のミディアムヘア、深い緑色の瞳。身に着けた白いシャツは、スタンドカラーと呼ぶべきか、その立襟は首の大部分を隠していた。カーキのズボンの左の膝は擦り切れている。おそらく、俺が突き飛ばした時に地面に打ち付けたのだろう。
俺は、その女の目をじっと見つめた。女もまた、俺の目を見つめていた。
その目に浮かんだ感情が何なのか、わからなかった。見慣れた感情とは異なるもの。怯えでも、憎しみでもない。口元が隠れているせいで、一層感情が読み取りづらかった。
「さっきのを、もう一度やってみろ」
俺が女に言った。女は、しばしの後、何も言わずこくりと頷いた。いや、頷いたというよりも顎を引くといったような仕草だった。
近付けとと言うことだろうか。
俺は女の爪先から拳一つ分の距離まで近づいた。右手を差し出すと、女はその手の甲に額を寄せた。
それは、湖で感じたものとは比べ物にならない感覚だった。黒煙を上げて燃える劫火が鎮火したような、全身に刺さった針がすっと抜けたような感覚。
俺は、ぼーっとその女を見ていた。女は額を離し、そっと顔を上げた。
「今のはいったい……」
初めに声を上げたのは、ギルバートだった。その、困惑したような声を聞いて、我に返る。
「……」
俺は棒になりかけていた右腕に力を戻し、そして、女の立襟のボタンに手を伸ばした。後ろで「えっちょっ」と驚きの声が聞こえた。それを無視して、鎖骨が見える程度に襟を開き、右の掌を女の喉元にあてる。まるで絞め殺すかのように。
「お前がこれを続ける限り、お前の最低限の生活は保障する。だが、お前が声を出したら殺す」
そう言って、魔法を発動させた。女の喉元に、沈黙の呪いの紋が発現した。