【29】 混乱
周囲の状況を考慮して、即時に判断を下したオーギュスト様は首を横に振った。
叫び声と剣戟音は、だんだんと大きくなりながら迫ってきている。
会場は混乱を極める一歩手前だった。
「危険です。私が行きます。ルナ様はマリエルと……身を隠して待っていてください」
そんなことを言われても。
周囲を見回しても、隠れられるような場所はどこにもない。
せいぜいが窓の脇の厚いカーテンの陰くらいだ。子どものかくれんぼ遊びにすらならないだろう。
オーギュスト様もそれは解っているらしい。
視線を廻らせて、マリエルと二人で隠れられる場所を探してくれている。
でも……。
「オーギュスト様、ここにいても同じことです。だったらご一緒したほうが……なにかのお役に立てるかもしれません!」
「そうよ! お兄様と一緒に行く!」
「しかし……」
マリエルとわたしを交互に見つめながら、緑色の瞳を思案気に揺らめかせるオーギュスト様。
ふと、その視線が途中で止まる。揺れていた緑色の瞳がそのまま見開かれると――。
「大丈夫ですよ。私がお護りいたします」
背後から聞こえたその声に、思わず振り向く。
!!
目の前には、晴天の冬の空の色のドレスを纏い、金色の長い髪をなびかせた青い瞳の美人さんがいた。
涼やかな目元には下がり気味に濃くラインを描き、左目の目じりのほくろは消している。長い睫毛をくるりと巻いて、薄い唇は元の形よりもかなり厚めに紅をひいていた。お化粧のせいでだいぶ顔の印象が違う。
だけど。
立ち姿だけでも間違えるはずはない。やっぱり……!
「ノア様!」
「遅くなって申し訳ありません。ルナ様、お怪我はありませんか? 皆様も?」
ノア様はいつも通りに青い目を細めると、唇を少し上げた。
「ノア様?」
マリエルが怪訝そうに見上げる。ノア様は麗しく微笑んで肯いた。
いつもの黒髪も素敵だけど。
濃いお化粧を施した金色の髪のノア様は、間近で見ると迫力が違う。
女神様のようで……いや、ノア様の場合は妖精王、サリファ―ルというべきかも……なんて美しい。そして、なんと艶やかなのか。
いつまでも、ゆっくりと見蕩れていたい、けど。
訊きたいこともたくさん、たくさんある、けど。
だけど、残念ながら今はそんな悠長なことをしている場合ではないのだ。
「わたしたちなら大丈夫です。あの、テオ殿下は……」
「セオドア殿下なら心配はないでしょう。殿下の左腕の、信頼のおける騎士もついております」
そう言って深く肯く。
確信を持つようにも、安心をさせるようにも取れるノア様の言葉。
今はそれを……信じるしかない。
「さあ、あまりのんびりとはしていられませんね」
ノア様に促されると、なんだか呆けたようにじっとノア様を見つめたままだったオーギュスト様が、はっとしたように自分の頬を両手でパンと叩いて、頭を左右に振った。
? オーギュスト様?
そして。
「よし、行きましょう」
覚悟を決めたようだった。
フロアも人で埋まりだしている。
会場にいた大半の貴族や給仕たちが奥に流れようとしていた。奥側もだいぶ人が詰まってきているようだった。
避難する人々に巻き込まれないように、オーギュスト様はマリエルの肩をしっかりと抱いて、川を渡るように人々の間を横切って進む。
ノア様に肩を抱えられるようにして、そのあとに続いた。
王太子殿下もオリヴィア王女様も、ルドア殿下もフラン伯爵親子も、クリスタもアーバン子爵様さえも見当たらなかった。
この人込みに紛れてしまい、見つけられないだけなのか。それとも、すでにどこかに避難したのだろうか。
もしかすると、ルドア殿下たちはするりと逃げて、高見の見物をしているのかもしれない。
人の川を抜けると大扉の前に出た。
大扉周辺では、楽団の団員たちが落ち着きなく、どうしたものかと右往左往としている。
団員たちは持ち出せる大きさの楽器を、それぞれに大事に胸に抱えていた。
オーギュスト様が前に進み出て、指揮棒を持った楽団の指揮者に声をかける。
「皆さん、会場から出るために、この大扉を開きましょう!」
「しかし……」
指揮者は戸惑いの表情を浮かべた。
「……こちらの扉は王族方の専用なのだよ」
楽団員たちは平民出身者も多い。やはり、不敬罪ということが鎖のように引っかかっているのだろう。
貴族だって不敬罪には敏感だ(クリスタを除いては)。当然の反応かもしれない。
「そんなことを言っている場合では……!」
「うおおおおおぉぉぉおおお!!!」
突然、三人の黒装束の侵入者たちが後方から飛び出してきた。
大扉の前に立つオーギュスト様に、剣を大きく振り上げて切りかかる。
「ちっ……!」
頭上から振り下ろされた一太刀を、オーギュスト様は身を捩ってかろうじて躱す。
剣の太刀がオーギュスト様のコートの腕を掠って、ジャリっと表面の飾り布が削ぎ切られる音が聞こえた。
ノア様の動きは迅速だった。




