秋の幽霊桜
馬鹿みたいな話をしよう。
ヘラヘラと馬鹿みたいな笑みを浮かべた同級生の男の子は、とんとん、とコップの縁に指を滑らせた。
いつも馬鹿みたいな話ばかりをしていると抗議すれば、彼はそれもそうだと言うように格好つけて頷いて、飲み物を口に運ぶ。
夜の学校に忍び込んで、悪さをするわけでもなくただ屋上にいるだけなんて、無駄にリスクを負っているだけで意味のない行いだ。
そんな馬鹿なことをしているからだろう。
この場だけなら、この人とだけなら馬鹿な話をすることが出来た。
秋の幽霊桜。
って、知っているか? そんなありきたりな出だしから始まった彼の話はありきたりなものだった。
「去年の秋のことだ。 だいたい今と同じような時期かな。
友達の友達の話なんだけど、今と同じような時間にこの屋上にいたんだ」
「根っこっから信じられない話ですね」
「そういうなよ。ここに忍び込む酔狂な人間も案外いるもんだ」
「あなたに友達なんていないでしょう」
「そこかよ! いるよ、いるさ」
少し落ち込んだ様子の彼はコップに注いだ紅茶を飲みもせずに、その場に置いた。
何処か感動を孕んだ息を少し強い秋の風に流す、その様子は嫌に様になっていて、なんとなく自分の知っている彼から遠いように見えてしまう。
「まあ、桜の花びらがこんな風に置いていたコップの上に乗ったってだけの話なんだけどな」
「……秋に桜は咲きませんよ」
「そんな可哀想な奴を見る目をするんじゃねえよ。 当然のことなら話さないからな」
「桜はこんなに高くまで伸びませんよ」
「知ってるわ。 だから不思議な話として成り立つんだろ」
急に真っ赤な桜が咲いて、真っ赤な花弁を散らした。
そんな馬鹿な話があるかと思う。 この辺りはビル街で近くにあるのは街路樹ばかりで、森なんて遠くに見えるぐらいだ。
けれど真面目に考えてしまうのは、ここが馬鹿なありえないことが許される場なのだと思っているからだ。
彼は赤い紅茶がもっと赤くなったのだと言う。
意地の悪そうな顔をしている彼が試すような目でこちらを見ていて、むっと表情を顰めてやりながら考える。
否定するのは簡単だ。 頭が良かったらいくらでも出来るけれど、今は馬鹿になりにここに来ている。
頭が良いフリをするのなど、負けたような気がして、全力で馬鹿な発想を出来るように考える。
秋に桜などあり得るか。 そもそもこんな高いところに花が散るはずもないと、頭が良い考えがもたげてきてしまう。
「……こんな暗い中で、色が分かる?」
紅茶の色も判断出来ないし、彼の顔もよくは見えないぐらいの位置で桜の花びらの色なんて分かるはずもないと思う。
だから作り話。 そう考えるのは無しにして、愚直にそれを信じて見る。
月明かりなんかでよく見えるはずがない。 だったら……それは発光していた、とか。
赤い紅茶より赤いとなれば、赤とは火の色だろうか。
「例えば……」
荒唐無稽な話をする。 誰にも笑われるようなめちゃくちゃな話だけれど、ここでなら話せる。
笑われない確信があるどころか、馬鹿だと笑われるはずなのに不思議な感覚だ。
「例えば、火が降ってきた。 乾いた秋の強い風があっちの山から落ち葉を運び出して、ビルの間を通って強くなって、くるりくるりと竜巻いて」
ニヤニヤと笑みを浮かべて馬鹿にしたような顔の彼を見ながら嫌と思わずに続ける。
「何処かから、例えばタバコの燃えかすから着火した落ち葉がとなりの落ち葉に燃え移って燃え移ってと繰り返しながら竜巻みたいな風に乗って、この学校の屋上ぐらいの高さの高さまである火の渦が出来た、とか」
あり得ない。 などと誰も言わず、彼はパチパチと手を叩いた。
「大正解」
「そんなわけないですよ。 そもそもこんな高くまで落ち葉が飛んでくるとは思えませんし、馬鹿なことを言ってみただけです」
無駄話も終わりの時間だろうか。 秋風が吹き、伸ばした髪が目の近くに引っ付いて目を閉じる。
それを手で退かせば、風が止み、ヤケに暗いと見上げれば、月に紅葉の影が出来ていた。
ひらひらと紅葉がはためいて、ゆっくりと揺れて彼の紅茶の浮かぶ。
彼は退かすこともせずにその紅茶を風情もなく飲み干して、ヘラヘラと笑う。
「どう?」
「……こんな良い月夜だと、世界まで馬鹿になるみたいですね」
適当に食べたり飲んだりとしたものを片付けて、遠くから飛んできた紅葉を手に取る。
全く不思議なものだ。 屋上にある黒い焼け跡は不良が吸ったタバコの跡かと思っていたけれど、まるで桜の花びらのような焼け跡を見つけてみれば、彼の言葉が本当のような気がした。
馬鹿みたいな話を、また聞きに来よう。