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勇気ってどこから湧いてくるんだろう?覚悟ってどうやって決まるんだろう?勇気も覚悟も無ければどうすればいいのだろう?
何度も何度も浮かび上がってくる疑問もまゆこはまた中途半端に放り出した。
空が暗い。今にも降り出しそうな厚い雲が覆っている。
まゆこも肌で感じていた。ここ最近の気配がかわっていること、何かが動きだしたこと、その何かが自分にも近づいてきていること。
東宮御所の結界は相変わらず張り直しの要請を何度か受けたし、撫子の入院も続いていた、そして新聞やテレビを騒がす異常な通り魔や集団自殺。小さな地震が各地で起こり、集中豪雨で何人かが亡くなった。少しずつ世界が壊れていくようなといったら言い過ぎなのだろうかと思っていた。
「ちょっとだけ我慢してね、すぐおうちに帰れるから」
まゆこは小さな女の子を抱き上げて渾身の力で取り囲む男達の間を何とか上手にすり抜けて走り出した。追い詰められるように、誘うように、人気のないほうへ。まゆこに抱かれた幼女は恐怖に叫ぶこともできずに震えている。まゆこと幼女の後ろを先程まで取り囲んでいた数人の男達が追いかける。
男達に囲まれていた幼女を助けようと男達の囲いの中に飛び込んだ。といっても、幼女に少女をプラスされたところで男達の敵にはならず、獲物が増えただけだった。
人気がなくなったところでまゆこは幼女に素早く簡単な結界を張って腕から降ろした。
そして周りを取り囲む男達をくるりと見て、右手を大きく振り上げ大きな結界を作り出し、男達に向かって投げつける。
ビュッという音を立てて結界は男達に当たり、男達の肉を切り裂く。
男たちは苦痛に顔を歪めながらも、皆にやりと笑った。
その時、まゆこの目には信じられない出来事が起こった。
男たちの傷がみるみる治っていくのだ。
「悪魔!」
焦ったまゆこはずっとすぐそばに気配を感じている悪魔を呼んだ。
「はい」
悪魔はスッとまゆこの前に出る。まゆこは少し悔しそうに唇を噛んだ。
「吸血鬼を退治するには、心臓に杭を打つ・銀の銃弾で打つ、その他色々言われていますが……」
取り囲んだ男達の口の端からは牙がチラチラ見えていた。
「面倒臭いので、首を切り落としてしまいますね」
悪魔が右手を軽く上げると、一瞬で吸血鬼達の首が胴体から離れていく。
「すご……」
恐怖を上回る力の強さにまゆこは見惚れた。
「まぁ、彼らは吸血鬼ではなく、普通の人間が吸血鬼によって吸血鬼化しただなので、簡単ですよ」
悪魔はこともなげに言って静かにまゆこを振り返る。
「悪魔、私解かったかも」
目の前で起こった現実の恐怖で気を失った幼女をまゆこは抱き上げた。その体は小さく温かい、そしてしっかり命の重さがある。
「この子を守るため、私はこんなになっても生かされて、戦っているんだと思う。撫子さんに聞かれてからずっと考えてた、私が戦う理由、私みたいにおびえる子を作りたくない、悪魔付きもね。それから誰かの役に立ちたい」
力を少し取り戻したようにまゆこは悪魔に向かって笑った。
どこかから切り取って貼り付けたような言葉だったが、まゆこの目は今まで定まらなかった焦点が定まったかのように、しっかり前を見据えていた。悪魔はそれに気づき、目の奥で愉快そうに笑った。大した力もないくせに、誰かに守られている身でありながらという真実は口に出さなかった。
悪魔がついてからも、危険が迫ったとき以外はすぐそばで気配を感じながらも悪魔のことなど無視を決め込むかのように生活するまゆこが笑顔を向けたことが悪魔には少し意外だった。
「とっても、正しいよ。まゆたん」
まゆこから見えない位置で一部始終を見ていた星港が、楽しげに残酷に囁いた。そして長居は無用とばかりに消えた。
「たかとー、今日はなでしこちんのお見舞いいかないの?」
人通りの多い道を、一切他の人間の動きなど気にする様子もなく楽しげにスキップする星港。細くて薄い体、長い手足、この体で何かができるとは思えなかった。
「お前の追跡中だ」
スーツの下には確かな筋肉が隠れている高遠がスキップする星港の後ろを歩く。
「やだ、オレったら。なでしこちんにもたかとーにも愛されちゃってどーしよー」
「ふざけたフリはいい加減に」
「しないよ」
「は?」
「ふざけないでどうしろって言うの?」
にっと笑う星港の目に強い狂気のようなものがゆらりと見えて、高遠はごくりと唾を飲み込んだ。
「そーいえば!今日のニュース見た?高校生の集団リンチで殺害、怖いよね~」
「お前も似たようなことをやっていただろう」
「ひどいなぁ、あんなのと一緒にしないでよ。なんかもー根性の入り具合が違うんだよね。赤信号みんなで渡れば怖くないと、赤信号誰かを脅して渡らせて交通事故をこっそり観察して楽しむとじゃ」
「吐き気がするほど、タチが悪いな」
「褒められたー」
一見不毛な会話を星港は続ける。
「『天皇直属機密調査室室長』ね。たかとーはマジメな官僚か政治家になるものかと思っていたよ。室長も一応カンリョー?」
外れた予想を楽しげに星港は語った。
「どんなことをして手に入れたわけ?」
「血の滲むほどの努力と少しの運だ」
「『運』とは自分の力で引き寄せるものだよ」
「そうだな」
「『天皇直属機密調査室』不吉な名前だね」
星港の綺麗な形の目の奥で何かがキラリと光る。
「天皇、『日本国象徴であり日本国民統合の象徴』、なんとも不思議な存在だ」
高遠は核心へと一歩進める為に星港に訊ねかけた。
「お前は一体どうやってその力を手に入れたんだ?最後に会った時は、まだ人間だったよな」
「んー、たかとーには教えてあげない」
星港はその質問をひらりとかわす。
「事件が続いているよね、集団リンチがここ一週間で十七件、集団自殺が九件、無差別通り魔事件がなでしこちんのも併せて二十三件。そして、警察やマスコミに見つからなかった事件が数百件。怖いよね、一人で街なんか歩けないよね、誰かと歩いて盾にでもなってもらわなきゃ」
淡々と楽しげに話す星港。
「これは一体何の影響だろうね、人を簡単に操れる宝物さんかな?それとも、火を操る陰陽師さんの陰謀かな……」
高遠の顔がわずかに歪む。
「そーだ!たかとー知ってる?菩薩様ってさぁ、悟りを開けるのに開かないんだよ。人と仏の架け橋になるために……」
新しい遊びを見つけた子どものような声を出す星港。
「箱舟の中に入れるのに入らない。それってかなりの偽善だよねー」
まるで『彼女』を嘲るように愛でるように星港は目を細める。
「君の婚約者、山下可憐は一体どっちなんだろうね、箱舟の中の人間か、外に残る人間か」
高遠の心を見透かすように静かに星港は微笑む。高遠の顔がはっきりと歪む。
「可憐に何をするつもりだ!」
前を歩きながらも、星港は高遠の顔の歪みをしっかり把握した。
「たかとーも実験してるんでしょ?オレと一緒!古の結界に厳重に守られた街で、正確な反復により、山下可憐だけは変わらない。変わらないものなんてあってはいけないのに。変わることを嫌う街で、世界に存在しちゃいけないものを作り出そうとして、たかとーは世界を支配しようとしているのかな?」
すれ違うカップルの彼女が高遠の方にぶつかって謝った。
「憐れむ可し、ねぇ……。本当に素敵だよ。山下可憐とまゆたんは似てるね。守ろうとしてくれてるかは別にして、安全に作ってくれた箱庭の中から一生懸命逃げ出そうとしているんだから。馬鹿だよね。箱庭にいれるなら、少しでも長くそこにいればいいのに。人間はみ~んな無知のままではいられないということかな?」
高遠は星港においていかれないように少しスピードを上げる。
「何も起こらない世界なんてものを、たかとーが、例え山下可憐の周りだけでも本当に作り出しているのならば、オレはたかとーの上に人工衛星をぶちかましても勝ち目が見えない」
「……」
「ねー、変わらないものってヒノモトでは天皇だけでなければいけないんじゃないの?」
星港は高遠の核心を呟いた。高遠の表情が少しだけピクリと動くのを横目でしっかり星港は確認した。
「あれ、図星―!いいねー、高遠!わくわくするよ」
人通りの少ない道に反れるように星港は歩き、高遠はそれを追いかける。
他の人間が誰もいない、建物と建物との間にわずかな隙間を作り出している暗い小道に入ったところで、くるりと星港が高遠を振り返った。
「まぁ、今日のところは見逃してよ」
言葉とは反対に高圧的で冷たい声で星港は高遠に言う。
その言葉が言い終わる前に、高遠の手から真っ直ぐ星港に向った炎が放たれた。
「おー、怖い怖い」
高遠の放った炎が星港の前髪にかする直前に星港は身を翻して避けて全然怖くなさそうな声で呟く。
「すごいねー、完璧に火を操れるんだ。どういう仕組み?」
「答えろ!何が目的だ?」
「別にぃ。ってか、そんな無意味な質問をするたかとーが信じられない。たかとーも頭悪いの?普通さ、たかとーが何かを計画してて、『何をするつもりだ!』ってオレに聞かれて、答える?」
その時、高遠たちがいる小道が突き抜けた道を、幼女を抱えたまゆこが走って行くのが高遠の目の端に映った。まゆこの後を男達が追いかけていく姿も。
高遠の気が一瞬そちらに逸れた瞬間、星港は高遠の前から消えた。
まゆこは気を失った幼女を抱えていた。周りには血の海がと胴体と頭の離れた死体と悪魔。なかなかの地獄絵図だ。
全てが終わった後やってきた高遠にまゆこは確認をしなければならないことがあった。
「室長は言いましたよね。初めて会った日に『天皇直属機密調査室の一員となって悪と戦って欲しい。仲間になってくれるなら、君の身の安全は保障できないが自分の出来る限りで守ってやる』って」
力が抜けたような声でまゆこは言った。
「あぁ」
「悪と戦えというならば、室長は正義なのですね?」
「そういうことになるな」
「その言葉信じますから」
「……」
「室長の同級生さんと室長を比べてみたら、わずかに室長の方がマシかなと思ったんです。だから、私は室長についていきます」
高遠は心の中でクスッと笑った。どうやらまゆこに足らなかった覚悟が定まったようだ。
高遠も生前を知る結界師の孫でしかも悪魔付きの少女。敵に回られたら厄介なので味方に引きずり込んだだけの彼女には戦う覚悟が足りなかった。何のために戦うのかという物がないのだから、覚悟なんて生まれるはずもなかった。高遠は彼女が敵にさえまわらなければよかったので特にそれでも不服はなかった。
その彼女が覚悟を決めた目をして自分を見つめてきた。
自分にもあったのだろうか、こんなふうに覚悟が決まる瞬間が。
ならばこちらも、本気でこの少女を引きずり込まなければいけないらしい。
「東宮が女で一番嫌がっているのは誰だと思う?」
唐突な高遠の質問にまゆこはうんざりと眉をしかめた。
「室長の同級生さんも室長も質問ばっかりですね」
「あんな男と一緒にされるのは何であっても不愉快だ」
「似てるのに」
「私はあそこまで軽くはなれない」
「そうですか。それでは話の続きをどうぞ」
「三種の神器だ」
「家電ですか?」
「馬鹿か?」
「だって」
「天孫降臨の時に天照大神から授けられた八咫鏡・草薙の剣・八坂瓊曲玉のことだ。天皇が継承するべき宝物だ」
「その、宝物が嫌がってるんすか?」
「ああ」
「物でしょ?」
「本気でただの物だと思ってるのか?」
「つくもがみですか?」
「おっ、そんな難しい言葉知っているんだな?」
「馬鹿にしないでください」
「馬鹿だろう?」
「そうですけど……」
「三種の神器をつくもがみと一緒にしたなんて知られたら、三種の神器の標的がお前になるぞ」
「えっ?」
「そんなに暇じゃないだろうけど」
「で、その三種の神器に何ができるっていうんですか?」
「だから、お前が張った東宮御所の結界を壊している」
「物のくせに私よりも強いんだ」
「最近動きが目立っているのは、君のばーさんが張った結界は強力で壊すのに時間がかかったみたいだが、お前の結界は簡単に壊れるからだろうな」
「それで、私には何ができますか?」
「まぁ、せいぜい彼らの遊び相手になってやって、頼りない結界を張り続けることだな」
「なんか、やる気の全くでない命令ですね」
取り敢えず今のところはこれぐらい情報を与えれば彼女は動いてくれるだろうと高遠は頭を現実に切り替えた。
「まぁ、それはそれとして。今は、」
「えっ?」
「吸血鬼の企みを潰す事に全力を挙げなければな」
高遠の目が今までに見たこともないぐらい、鋭く、研ぎ澄まされて、光った。
「さあ、行くぞ」
高遠は幼女を抱いたままのまゆこに声をかけた。