五話(一)
その夜、ロムアルドは地下の食料庫で、忘れ去られた大きな麻袋を見つけた。それは保存用の小麦が入っていたもので、彼が求める充分な大きさと頑丈さを有していた。
ロムアルドはそれを手に、そっと使用人部屋へと潜り込んだ。かつて彼のものであったベッドに横たわる、昨日までロムアルドと呼ばれていた屍体を袋に押し込んだ。だがそれは、とんでもない苦行であった。屍体はロムアルドよりも大きいのだ。父親に殴られたせいなのか、重さはずいぶんと目減りしていたが、それでも両親を起こさないように静かに作業を行うのは、とてもとても骨が折れる仕事であった。
彼はその袋を慎重に引きずって、裏口から狭い通路に出た。舗装などない裸道ではあるが、彼はここに手押し車が放置されていることを知っていた。誰かに持ち去られているのではないかと彼は危惧したが、それは杞憂で済んだ。手押し車はいつもの場所に、変わらぬ姿で佇んでいた。
全身に汗をかきながら、ロムアルドは屍体を車の上に押しやった。落ちないようにバランスを見ながら、手押し車を押し進める。道は砂利だらけの粗悪な代物だ。少し進むだけで、彼の肩や腕が悲鳴を上げた。それでも彼は、己の意志を曲げる気にはならなかった。
大きく破れた市壁を通り抜け、水のない堀を越え、彼はようやく街の外へと出た。そしてそこで、立ち竦んだ。
ロムアルドの目の前に広がるのは、何もない空き地だ。かつて存在していた畑は、所有者がペストを恐れ逃げ出した後に略奪に遭ったのだろう、もはや荒れ地と化していた。
ロムアルドは彼の屍体を土に埋めてやるつもりであった。それが正しい人間の死後の在り方だと思ったからだ。けれども、屍体を運び出すことだけに気を取られ、そのための道具にまでは考えが至らなかった。遠くからはオオカミの声までもが聞こえてきた。こんなところに放置などすれば、この屍体は喰われてしまうのだろう。そんなのは、嫌、であった。
彼は力を振り絞って、手押し車を押した。堀を突破した際に、車は大きな衝撃を受け、今ではすっかり壊れる寸前にまで追い詰められている。けれどその事実には気が付かない振りをして、彼は進む。空き地の向こうには、黒々とした森が見えていた。森ならば彼を隠す場所だってあるかもしれない。そこにロムアルドは、一縷の望みをかけた。
僅かな起伏すら、今の彼と彼の手押し車には致命的となり得た。何度目かの攻撃で、ついに車輪が折れた。前のめりに彼と彼の屍体が転げる。それでも彼は諦めなかった。屍体の入った袋を抱きしめるようにして、引きずるようにして、歩く。必死に一歩一歩と脚を前に出し続ければ、いつしか荒れ地は終わり、森への境界を越えた。森の柔らかな湿気と、意地悪な木の根が彼らを迎える。数え切れない転倒の末、彼が辿り着いたのは、頭上に切り立つ崖の足下に穿たれた、大きな洞穴。
ロムアルドは入り口から、そっと中を覗き込んだ。洞窟の高さは彼の身長の二倍ほど、奥行きは見通せない。緊張に息を抑えながら、彼は中に侵入する。そこは湿り気と暗闇が支配する空間であった。ここなら希望通りかもしれない、と彼は考える。洞窟は安全そうで、そして静かであった。この場所なら、彼も安心して眠れるだろう。
ロムアルドは最後の力を振り絞って、彼の屍体を洞窟の奥へと引きずった。少しでも入り口から遠い方が、オオカミやその他の恐ろしい生き物に襲われないだろうと考えたのだ。心なしか出発の頃よりも更に軽くなった彼を、ロムアルドは奥へ奥へと連れて行く。
洞窟に蹲る黒は、どこまでも重かった。それは光から見捨てられた地の底を連想させる。まだ幼いロムアルドに、強烈な恐怖が襲いかかった。店、いや家か、を出て来たのが随分遠い昔のように少年には思える。
それでも彼は、ただひたすらに彼の屍体を運び続けた。疲労が恐怖の上にのしかかる。くじけそうになる己を叱咤しながら、角を曲がった彼は息を呑んだ。最初は疲労のせいかと思った。次には恐怖のせいかと。けれどもそれは、幻などではなかった。確かに存在していた。ロムアルドの手から、大切な荷が落ちる。その鈍い音すら、彼の耳には届かなかった。
それは、白と黒の過去。彼が唯一愛した記憶。




