一話(一)
マリーアの葬儀の後、参列者たちは宿屋兼飯屋で会食をした。その後は一晩中呑めや歌えやの大騒ぎだ。
葬儀の後に行われるこの宴会の如き風習は、今日では教会を筆頭に不謹慎だと指弾されるようになりつつあるが、ツァハリーアスはこれはこれで良いと思っていた。
騒ぐことで親しい相手の死の衝撃を和らげ、それと同時に己がまだ生きていることを実感するのだ。故人とて、ひたすらに悲しまれるよりも、ずっと気楽だろう。
ようやっと眠り始めた皆を置いて、ツァハリーアスとヴィクターは先に宿を出た。
辺りはまだ暗い。夜明けまでは時間があるのだ。
ツァハリーアスは馬上から未だ陽の差さぬ、暗い街を見た。誰もいない。当然だ。ペストの蔓延を恐れた彼が、不必要な外出を禁じているのだから。
あれほどにペストの流行を否定していた住人たちにも、変化が現れ始めていた。
日々生み出される死者たちが、彼らに疫病流行の現実を認めさせつつあるのだ。その動きは特に裕福層に顕著だ。今や彼らの一部には、日持ちのする食料を大量に買い込み、自宅に籠城を始める者まで出始めたのだった。
おかげで食料の値段は、ツァハリーアスの予想以上に高騰しつつある。その是正もまた、彼の仕事だ。
思わず溜め息が出た。いつ終わるとも知れず、効果も見えない数多の政策を続けることに、果たして意味があるのだろうか。現に街は死に瀕している。それが現実だ。
ツァハリーアスは苦悩する。彼はこの街を治める領主として生まれたのに、それなのに己に課された存在理由を履行出来ないでいた。
「彼女、来なかったな」
ヴィクターの言葉に、ツァハリーアスの思考は中断された。
彼が言っている彼女とは、とツァハリーアスは考える。アーデルハイトのことだろう。
確かに彼女は来なかった。日が暮れても、日付が変わっても。ツァハリーアスは彼女にきちんと場所を伝えたのに、それでも来なかったのだ。
「無理もないさ」
ツァハリーアスが言った。
マリーアはずっと、アーデルハイトの専任だったのだ。それなりに親しくなっていたのだろうし、それに例えそう親しくなくとも、身近な人間の死は衝撃だ。まだ年若い娘には特に堪えるだろう。
それも、セラピオンに続いての二人目の死者、そして被害者なのだから。
会話が途切れた。二人の間に沈黙が落ちる。馬の蹄の音だけが、ただ鼓膜を揺らし続ける。
ツァハリーアスは、ヴィクターもまた自分と同じ事を考えているのだと感じていた。
それは、二人を殺したのは誰なのかとの疑問。何故、二人は殺されなければならなかったのかとの問い。
ツァハリーアスは深い息を吐いた。それは直ぐに白く凝る。冬はもうすぐそこだ。
分からないことばかりだ、と彼は思う。いや、分かることなど本当は一つもないのかもしれない。分かったつもりになっていることは、きっとたくさんあるだろうけれど。
帰り着いた邸はあまりにも静かで、まるで他人の家のようにツァハリーアスには思えた。
往診に行く前に少し眠ると言うヴィクターと別れた彼は、アーデルハイトの部屋へと足を向けることにした。時刻はまだ夜明け前だ。だから彼女は起きているだろうと考えたのだ。
だが、ツァハリーアスの予想は外れた。部屋はもぬけの殻であった。
彼女にしては酷く珍しいことに、窓が開けられたままだ。外からの風に、ゆるくカーテンが揺れている。この部屋の状態を見る限り、邸の外に出かけたわけではなさそうだけれど。
そう考えながら部屋に入った彼は、床に零れる赤い液体を見つけた。いくつもいくつも落ちている円いそれは、血液だ。
彼の脳裏に嫌な想像が駆け巡った。
どうして、とツァハリーアスは今更ながらに思う。どうして彼女を、一人にしたのだろう。この空っぽの邸に一人置いておくだなんて、正気の沙汰ではない。既に二人も殺されているのに。
開け放たれた窓の向こうから、カラスの断末魔の悲鳴が飛び込んで来た。




