13 思い込みの思考
「おお、こういう場所初めて来た」
月城が気になっていたというのは小さな看板で宣伝され、ひっそりと行われていた個展の会場だった。
公園を出てからの俺は大雨のせいで余裕がなく、個展の看板にすらも気づかなかった。
再度、雨の中を走って来たので二人して体に付いた水滴をタオルで落としながらも、ざっと中の様子を観察した。
お世辞にも大きくない会場だが、絵だけでなく彫刻やよくわからないガラクタの塊みたいな物まであり、かなり見ごたえがありそうだ。
白い壁がずっと続き、優しいライトアップがされている会場を進む。他にお客さんは見られず俺と月城の貸し切りみたいな状態になっている。途中でこの個展の名称みたいなのを見つけたので思わず足を止めた。
「個展のテーマは『幻想の多角視点』ってなってるね。どういった意味なのか全然わからないけど」
「こういうのは結構いい加減に付ける場合もあるので、気にしなくてもいいと思います」
「月城さん、結構身も蓋もないこと言うね」
意外と辛辣なことを言う月城に苦笑いしながらも、二人して会場を進んでいく。
会場の展示物は美しいとか綺麗と思わせる物よりも、どこからインスピレーションが湧いたのかと疑問に思わせるような奇怪な物が多い。
逆さに生えているチューリップの絵、大量の割りばしを大量のボンドで固めたよくわからない物体など、どれだけ頑張っても俺の頭からは一生誕生しない物ばかりだ。
「えっと、これはタイトル『あなたの脳内』ってこれまたよくわからない」
なんかよくわからない色彩で、ごちゃごちゃしたものが描いてある。
俺はこれを理解しようとして凝視する。たぶん、何か意味があるんだろうと。
すると、しばらくして俺は――閃いた。
「これ、よく見てみるとおばあさんみたいな人いない?」
「そうなんですか? 私は猫がいるように見えます」
「えっ、嘘っ、どこらへん?」
「この辺りにこう、ここが耳になって、しっぽがあって――」
月城が指さしたところをよく見てみる。確かに言われてみると納得できるような、できないような。
「なんかロールシャッハテストを連想させますね。でも、どちらかというと騙し絵?」
「ロールシャ? なんて言った?」
「ロールシャッハテストです。左右対称のインクのシミを見せて何に見えるかっていうのを答えてもらう心理検査ですね。確かカウンセリングとかで使われることがあるとか、何かで読んだ覚えがあります」
随分と難しいことを言っている気がする。
時々、月城が何を言っているのかわからない時がある。
「へぇ、でもインクのシミを見せて何がわかるんだろ?」
「そうですね。朝倉君は壁のシミとか見て、これ人の顔に見えるみたいな感覚はわかりますか?」
「あっ、それはわかる。田舎にいるおじいちゃんの家が結構古くて、人の顔に見える壁があるんだよね。うちの妹、小さいときはそれが怖かったみたいで急に泣き出したこともあったし」
「パレイドリア現象と言われるやつで、人間は何もないものに意味を見つけたがるらしいです。雲の形が人の顔や動物に見えたりするのも、そうですね。心霊体験の多くもこれが原因だと聞きます」
また難しい言葉が出てきた。それに連動するように俺も必然的に難しい顔になる。
そんな俺の心情を察したのか、彼女は更に付け加える。
「人間は脳内で見たものが勝手に補正されて、連想された答えが浮かび上がるってことだと思います。連想されるものはその人の経験や記憶、他には感性で変わる。だから、人によっては見え方が違うし、出力される答えが違う」
「な、なるほどね。なんとなくイメージでだけど、そのロールなんとかのことは分かった気はする」
漠然とした感じではあるが、それでもだいぶ理解に近づいた。
「要するに、人間は結構思い込みが激しいってこと?」
「簡単に言ってしまえば、そうかもしれません」
そう答えた月城の顔はやはり無表情ではあるが、退屈そうには見えない。
むしろ彼女は表情に出ないだけで、色々な物に興味を示す。
だから俺は――きっと助けられている。
そう、非常に今のデートを楽しめている自分がいる。
でも同時に、自分の不甲斐なさに引っかかる。
きっと、俺がここに一人で来たところで今みたいに楽しめてなかっただろう。
目の前の絵画を見ても、訳が分からないと思考を放棄してきっと何も思わない。
でも、ここで月城が違う視点で感想を述べて、持ってる知識で意見を言って、俺の世界を広げてくれる。
でも、俺は――彼女に何も貢献していない。
月城みたいに頭も良くないから気の利いた言葉も出せない。
「俺は、駄目だなぁ」
小さな声で思わず漏らす。
実験とはいえ恋人になった。
役割を果たそうと自分なりに頑張ったつもりだったが、デートは何もかも上手くいかない。
おまけに新しい行き先を月城に決めてもらい、その先でも彼女に楽しみを提供してもらっている。
「朝倉君、どうかしましたか?」
すると、俺は落ち込んでいるのを表に出してしまっていたのか、月城が話しかけてきた。
こうやって気を遣わせている時点で、本当に俺は彼氏失格だと思う。
「えっ、いや、なんでもないよ」
「本当ですか? 朝倉君は感情が顔に出やすいので、あまりその言葉は信じられませんが」
「えっ、そうなの? 俺ってそんなに顔に出る?」
「はい。友達の家にいるゴールデンレトリバーと同じぐらいわかりやすいです」
犬と同じかぁ。
なんか複雑な心境だ。
月城のことだから別に貶すつもりとかは全くないんだろうけど。
「朝倉君、今私たちは彼氏彼女やってるんですから、何か思ったことは言った方がいいです。その方が私も嬉しいですし、場合によっては改善点が見えてきます」
月城はじっと俺の顔を見つめてくる。
本当は彼女にこんな弱気な発言を伝えたくない。
ただ、付き合っているという関係上、俺が思ったことを素直に言った方がいいというのも月城の言う通りだと思った。
でも、言いたくないなぁ。
でも、言わないとたぶん――違うよなぁ。
「えっと、なんか月城さんに申し訳なくなって」
「何がですか?」
「いや、俺が彼氏として駄目だなぁと」
「何で、ですか?」
「えっと、俺は一応彼氏やらしてもらってるのに。デートもろくに実行できないし、こうして月城さんにその尻ぬぐいをしてもらっている上に、色々説明して楽しませてもらっていて――正直、釣り合いがとれてないというか、俺ばっかり良い思いをさせてもらってると感じていて」
「――ん? んん?」
すると、月城の首が少しばかり傾き、ほんの微かに眉間が動いた。
そして俺だけかもしれないが、彼女の頭に『?』が見える。
もしかしたら、今までで一番彼女の表情が表に出ているんじゃないか?
俺はとんでもない光景を目撃しているかもしれない。
「何故?」
「いや、こっちが何故だよ。そんなに悩むことある?」
「むしろ、私が朝倉君に助けられてばかりですから」
「えっ、何故?」
俺と月城で何故が止まらない。
きっと俺は月城以上に眉間へとしわが寄っている。
「俺が月城さんの助けになったことってないと思うんだけど?」
「しいて言うなら、最初の図書館のデートは助けられてます。私の意向で図書館に行ったので、朝倉君のことは全く考えていない身勝手なデート内容です。朝倉君が面白いかもわからないのに、駄目元で行ったわけですから」
「えっ、でも図書館普通に良かったけど。なんならまた行きたいぐらいだし」
「でも、それはたまたま朝倉君の好みに合ったから良かっただけで、本来だったらお通夜みたいなデートになってる可能性もあります。そこでまず私は助けられてます」
「そ、そうかなぁ。なんか違う気がするけど」
やはり俺は釈然としない。
そんなこと言われても自ら彼氏を遂行できていない事実は変わらない。
「でも、俺は、今日のデートは大失敗だったし」
「はぁ、そもそも今日の状況なら仕方ないのでは? むしろ私は記憶に残るデートになってると思います」
「それ、悪い意味で記憶に残ってない?」
「いえ、そもそも私たちは実験で付き合ってます。そして実験に失敗はつきものです。何も気に病むことはないと思います。むしろ想定されていることです。先ほど言いましたが最初の図書館は失敗前提で行ったのに、朝倉君のおかげで偶然上手くいっただけですよ?」
「でも、それは――俺は楽しかったから、別にいいというか」
「それなら、今の私は楽しいですよ?」
お世辞を微塵も言わなそうな無表情が俺に告げる。
こんなの反論に詰まる。
反論をごまかすように、俺は別の展示物へ視線を逃がした。
月城も同じように付いて来る。
「彼氏としてはもっとちゃんとしたいって思うんだ。ほら、男ってのは、意地を張りたい生き物だから。なのに、今日なんか月城さんに助けてもらってばかりだし」
「そうですか。でも今日は、前回以上に私は助けられてますが?」
「一生懸命やろうとした結果、空回りして何も成してないけど」
半ばやけになって俺は自分を落とす発言をしている。
それでも彼女はやっぱり無表情できっと心中は穏やかだ。
しばらく黙って同じ展示物を見ていた月城が口を開く。
「今の私たちの関係は、私が半ば強引に結んだものです。だから、朝倉君は仕方なく恋人をやってるんじゃないかと。白状すると、朝倉君なら渋々やってくれる可能性が高いのを見越して、実験に誘いましたから」
「えっ、そうなの?」
「先生の頼まれごととか断れなさそうな様子を見て、この人ならいけるんじゃないかって。かなり打算が入っています」
今、明かされた衝撃の真実。
俺って他人からそんな風に見られてるのか。
全然格好良くない自分に呆れながらも、俺は展示物から視線を移す。
月城もこちらを見ていて、ちょうど視線が重なった。
「だからこそ、そんな利己的な私のために、ここまで真剣に彼氏をしようとしてくれる朝倉君に感謝するしかないです。これ以上なく、助けられてます。これ以上のことはないと思うのですが、何か異論はありますか?」
月城が理詰めの末に詰めてくる。
異論がなさすぎて、さっきまでの鬱憤がどこかに消えてしまった。
「いや、異論はないです。ただ、思う所は――」
俺はまるで苦し紛れのように付け加える。
「本当に人間っていうのは思い込みが激しいなって」
「そうですね。私も朝倉君がそんな気にしてたなんて思わなかったですし、お互いまだまだ勉強が足りませんね」
そう言って今度は月城が先に進んだ。
俺はそんな彼女の背中を無意識に追いかける。
「でも、逆に朝倉君にとって今回のことは良かったのでは?」
月城雫は振り返る。
微かに彼女が笑っているようにも見えた。
「本当に好きな人とデートする前に失敗を体験できた。これは朝倉君にとってかなりのメリットだと思います」




