■第8話:最後の日まで、いつも通りに
健太が六十五歳で長年勤めた会社を定年退職した日、帰宅した彼の手には、会社の経費で買われたであろうありきたりな花束と、記念品の置き時計があった。
「お疲れ様。長年ご苦労様でした」
夕食の席で、佐知子がスーパーの少しだけ高い寿司パックと、普段は買わないヱビスビールを並べて労った。健太は「ああ、これで満員電車に乗らなくて済む」とだけ言い、ビールのグラスを傾けた。涙ぐむような感動もなく、明日から何をして生きようかという壮大な夢もなかった。
その翌年、大樹に長女が生まれた。二人にとっての初孫だった。
お盆や正月に大樹一家が顔を出すと、家の中は数十年ぶりに子供の高い声で満たされた。しかし、孫は文句なしに可愛いものの、六十代後半に差し掛かった二人の体力では、半日も一緒にいればどっと疲労が押し寄せた。
「帰ったわね。……嵐みたいだった」
散らかったおもちゃを片付けながら佐知子がため息をつくと、健太も肩を揉みながら「ああ。孫は来てよし、帰ってよしだな」と苦笑いした。
七十代に入ると、二人の生活圏は極端に狭くなった。
最寄りのスーパー、かかりつけの内科医院、そして時折行く駅前の美容室と床屋。それ以外の場所へ出かけることはほとんどなくなった。会話の半分以上は、膝の痛みや血圧の数値、そして「あの俳優、最近見ないわね」「ああ、こないだ亡くなっただろ」といった、老いと死にまつわるものになった。
劇的な出来事など何もないまま、ただ静かにカレンダーがめくられていく。このまま、どちらかが少しずつボケていくか、寝たきりになるまで、この平坦な日々が続くのだと二人は思っていた。
しかし、終わりは案外、あっけなく訪れた。
健太が七十八歳の冬。ただの風邪だと思っていた咳が長引き、あっという間に肺炎をこじらせて入院した。
白い壁と、規則正しい機械音が響く無機質な病室。数日後には一般病棟に移れると聞いていた佐知子は、着替えのタオルと下着を持って面会に訪れた。
「……健太? 起きてる?」
ベッドの傍らで声をかけたが、返事はなかった。酸素マスクをつけた健太の胸は、ゆっくりと、しかし微弱に上下しているだけだった。
看護師を呼び、医師が駆けつけ、大樹に連絡を入れる。その一連の動きの中で、佐知子はひどく冷静だった。ドラマのように医師の胸ぐらをつかむことも、泣き叫ぶこともなかった。ただ、ベッドの脇で健太の少しだけカサついた手を両手で包み込んでいた。
その日の深夜、健太の呼吸は静かに止まった。
「……お疲れ様。ゆっくり休んでね」
まだ温かい健太の手を握ったまま、佐知子はぽつりと言った。目から一滴だけ涙がこぼれ落ちたが、それは嗚咽に変わることはなかった。
葬儀は家族とごく親しい親族だけの、小さな家族葬だった。
喪主の挨拶で大樹が少しだけ言葉を詰まらせたが、滞りなく式は終わった。煙突から立ち上る煙を見上げながら、佐知子は「ああ、本当にいなくなってしまったんだな」と、他人事のように思った。
それから数年。
佐知子は、長年住み続けた2LDKのマンションで一人暮らしを続けていた。
健太の遺品はあっさりと整理し、仏壇も置かず、リビングの棚に小さな遺影と骨壷を置いているだけだ。
朝起きて、一人分のトーストを焼き、テレビを見る。
時折、大樹から「元気か? 必要なものはないか?」と短いメッセージが届く。それに「大丈夫、何もないわよ」と返す。
夕方、スーパーの特売品を買いに行き、一人分の簡単な夕食を作る。
ふとした瞬間――たとえば、テレビで健太が好きだった野球の中継が流れた時や、スーパーで彼の好きだった銘柄の発泡酒を見かけた時。
「ああ、そうだ。もういないんだった」
と、小さな空洞のような寂しさを感じることはある。しかし、それは決して耐えがたい絶望ではなく、すでに生活の一部として馴染んだ「静かな喪失感」だった。
八十五歳を迎えた春。
佐知子は、いつものようにリビングのソファでうたた寝をし、そのまま目を覚ますことはなかった。心不全という、高齢者にはありふれた死因だった。
発見したのは、週末の様子見に訪れた大樹だった。苦しんだ様子もなく、ただ穏やかな寝顔だったという。
遺品整理の際、大樹は寝室の引き出しから、古い折りたたみ式の携帯電話を見つけた。充電器もとうの昔に失われ、二度と電源が入ることはない黒い塊。それは、2000年の春、大学の飲み会で健太と佐知子が初めて連絡先を交換した時のものだった。
特別な才能も、世界を救うような使命も、後世に語り継がれるようなドラマも、彼らの人生には何一つなかった。
ただ出会い、働き、子を育て、老いて、死んでいった。
何億という人間が繰り返してきた、ありふれていて、つまらなくて、取るに足らない人生。
けれど、鈴木健太と佐藤佐知子にとって、それは確かに、かけがえのないすべてだった。




