第8話 村人たちの驚きと感謝
「ま、まさか……旅の方、あんた……水源で、一体何をしたんだね!?」
村長は俺の肩を掴み、真剣な表情で問い詰めてきた。
その目には、疑いと、それ以上に強い期待の色が浮かんでいる。
「え? 何をしたかって……言われても……」
俺は突然の剣幕にたじろいだ。
「水源の岩に、なんか変な灰色の苔みたいなのがたくさんこびりついてて……それが、なんとなく気になったから、擦って落としただけですけど……。そしたら、水がたくさん出るようになったみたいで」
俺は正直に、ありのままを話した。
特別なことをしたつもりは全くない。
ただ、汚れているように見えたから綺麗にした、それだけのことだ。
しかし、俺のその言葉を聞いた瞬間、村長の顔色が変わった。
驚きと、信じられないという表情、そして、込み上げてくる歓喜。
様々な感情が入り混じり、彼の顔の上で渦巻いている。
「灰色の……苔……? それを、落とした……?」
村長は震える声で繰り返した。
「ああ……そうか、そうだったのか……! あの苔こそが、この土地を蝕んでいた元凶だったのかもしれん……! あれが水源を塞ぎ、土地の精気を淀ませていた……!」
村長は何かに気づいたように、天を仰いだ。
「長年、我々は何をやってもダメだった……。それが、あんたが、ただ苔を落としただけで……!」
「えっと……村長さん? 何を言って……」
俺が戸惑っていると、村長は俺の手を強く握りしめてきた。
「旅の方! いや……恩人様! あんたは、この村の救い主だ!」
「……へ? きゅ、救い主!?」
あまりにも突拍子もない言葉に、俺は目を白黒させた。
「そうだ! あんたのおかげで、この村は救われたんだ! 見てくれ、この畑を! 昨日までとは比べ物にならんほど、土が、作物が元気を取り戻している!」
村長は興奮気味に畑を指差した。
周りに集まっていた他の村人たちも、村長の言葉にざわめき始める。
「村長、本当か!?」
「この旅の人が、本当に……?」
「信じられん……だが、畑が元気になったのは事実だ……」
村人たちは半信半疑ながらも、俺と畑、そして水源のある方向を見比べ、徐々に村長の言葉が真実であると理解し始めたようだ。
彼らの俺を見る目が、みるみるうちに変わっていく。
昨日までの無関心や警戒心は消え去り、驚きと、畏敬と、そして溢れんばかりの感謝の色が浮かんでいた。
「おお……! ありがたい……!」
「本当に、ありがとうございます、旅の方!」
「まさか、こんな奇跡が起こるなんて……!」
村人たちが次々と俺に駆け寄り、感謝の言葉を口にする。
中には、感極まって涙を流す老婆もいる。
「え、あ、いや、あの……俺は本当に何も……」
俺は突然の状況に完全に混乱していた。
感謝されるのは悪い気はしないが、なぜこんなに感謝されているのか、全く理解できない。
「何もしていないなんて、そんなことはない! あんたがあの水源の苔を落としてくれたから、この土地の呪いが解けたんだ!」
村長が力強く言った。
「呪い……? いや、でも、俺はただ苔を落としただけで……魔法とか使ったわけじゃ……」
「それが、我々にはできなかったことなんだ! あんたは、我々には見えなかった問題の根源を、こともなげに解決してくれたんだ!」
村人たちも口々に同意する。
「そうだそうだ!」
「あんたは特別な力を持っているに違いない!」
「神様が遣わしてくださったんだ!」
「いやいやいや! 違いますって! 俺は本当に普通の人間で、力なんてないです! ただの偶然ですよ、きっと!」
俺は必死に否定するが、興奮した村人たちには全く届かない。
彼らにとって、長年の苦しみから解放されたことは、まさに奇跡以外の何物でもなかった。
そして、その奇跡をもたらした俺は、特別な存在に見えているのだろう。
「まあまあ、恩人様。そんなに謙遜なさらずとも。ささやかですが、村を挙げてお礼をさせてください!」
「そうだ、ご馳走を用意しないと!」
「うちの一番良い部屋を使ってくだされ!」
村人たちは口々に言い、俺をもてなそうと準備を始めた。
俺は完全に置いてけぼりだ。
(えええ……どういうことだってば……? 俺、なんかすごいことしちゃったの……? いや、でも、苔を擦っただけだよな……? それで呪いが解けるって……そんなことある……?)
頭の中が疑問符でいっぱいになる。
村人たちの熱狂的な感謝と、俺自身の「何もしていない」という認識との間には、あまりにも大きなギャップがあった。
これが、俺の『普通』と、世間の『常識』とのズレなのだろうか。
もしそうだとしたら、俺のこの力は、一体何なんだろう……。
村人たちの歓待を受けながらも、俺はそんなことをぼんやりと考えていた。
村の広場では、ささやかな宴の準備が進められている。
昨日までの沈んだ雰囲気は嘘のように消え去り、村には久しぶりに明るい笑顔と活気が戻っていた。
その様子を見て、悪い気はしない。
むしろ、少し嬉しい気持ちもある。
たとえ理由がわからなくても、結果的に人が喜んでくれるのは良いことだ。
(まあ、いっか。よくわかんないけど、村の人たちが喜んでるなら、それで)
俺は深く考えるのをやめ、村人たちの好意に甘えることにした。
ただ、村長の心の隅に、「長年続いた呪いが、本当にただ苔を落としただけで解けるものだろうか……? 何か、別の要因が……?」という、ほんの小さな疑問の種が蒔かれたことには、俺も村人たちも、まだ誰も気づいていなかった。