第48話…彼女は男の子に勇気と名付けた
クラージュの放った矢は、ベアトリスに短剣を振り下ろそうとした傭兵の頭を射貫いた。
「くそっ!」
ベアトリスの腕を抑えていた傭兵が短剣を抜こうと片手を放した一瞬に、ベアトリスは必死で暴れ拘束から抜け出す。
「ちくしょう!大人しく死ねーっ!!」
拘束を抜け出しても無力な少女が傭兵の短剣から逃げられるはずもない。
だが…
「お前が死ね…」
その言葉と共にゲルタは、ベアトリスを殺そうとした傭兵の腕を掴む。
それだけで傭兵の身体は燃え上がり、傭兵は悲鳴を上げて焼け死ぬ。
ベアトリスは腰が抜けたまま立ち上がる事も出来ずに後退る。
そのベアトリスと傭兵たちの間に立つのは炎の女魔人。
「くそっ!くそっ!くそっ!」
指揮官クラスの年配の傭兵が悪態をつく。
近づくだけで焼き尽くされる化け物がベアトリスを守り立ち塞がっている。
小柄の男と蜥蜴人の戦士が矢を射ってくる。
クラージュと蜥蜴人ガガの弓矢だけならば、傭兵たちはベアトリスを殺す余裕があっただろう。
1人や2人が矢に貫かれ倒れてもベアトリスにトドメを刺す事は出来ただろう。
しかし、炎の女魔人ゲルタが傭兵の前に立ち塞がっているならば、ベアトリスの首をとるのは簡単では無い。
クラージュの手柄のために切り札を曝したゲルタの判断がベアトリスを守ったと言えるだろう。
年配の傭兵の目に、さらに援軍の冒険者たちが駆けてくるのも見えた。
この場に居たのが傭兵ではなく、ゴードン男爵に忠誠心を持つ騎士だったなら、相討ち覚悟でベアトリスの首を狙っただろう。
だが、彼らは忠誠心など皆無の傭兵たち。
金で雇われた彼らは仕事より自分の命の方が大事だった。
さらに、この場を撤退してもベアトリスに逃げ道は無く、毒蛇傭兵団には100人を越える兵と切り札があった。
一度撤退し体勢を立て直すのは当然の選択だったのだ。
「退くぞ!」
年配の傭兵が叫ぶと傭兵たちは全てを捨てて逃げ出した。
中には重い武器を投げ捨てて逃げ出す者まで居る始末だった。
しかし、撤退のための道は一本道。
それは増援の冒険者が走ってくる道。
「うぇひっ?!」
短弓を構えていたクラージュは変な声を出す。
逃げ出した傭兵の撤退ルート上に立ちはだかる形になってしまったクラージュに、年配の傭兵は長剣を振るう。
「クラージュ!?」
「クラージュさん?!」
クラージュの後ろから走ってきていたエリとルゥが悲鳴のような声を上げ、長剣で斬られたクラージュの首の辺りから派手に血が吹き出した。
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失った…失った…失った…失った…失った…失った…失った…失った…
仲間を…血族を…未来を…
全てを失った…
そんな彼女に残る最後の希望。
貧民窟の汚い路地裏で、飢えと寒さに震えていた小さな男の子。
その姿が自分と似ていた気がしたから…
「貴方は独りぼっちなの?
じゃあ、お姉さんと一緒に行こうか?」
その言葉で救われたのは、きっと彼女の方…
勇気。
そう彼女が名付けた男の子。
でも、彼女は男の子に姓を与えなかった。
本当に弟だと思っていたなら、彼女と同じ姓を名乗らせたはずなのに…
他者と一緒の食事の美味しさも、他者と一緒にベッドで眠る安らぎも、他者に抱きしめられる喜びも、全て勇気が思い出させてくれた。
何もかも失くした彼女にとって、勇気だけが全てだった。
勇気と一緒に居る時、勇気の事を想う時だけが、狂気と絶望に囚われた彼女の心を救ってくれた。
だからシシリィ・アナスタージア・ルオナヴェーラが勇気 を愛したのは仕方ない事だった。
彼を愛し、彼に抱かれ、彼の子供を産みたいと願ったのは仕方ない事だった。
その彼女に残された最後の希望が血を流し倒れるのが見えた。
許せない…許せない…許せない…許せない…許せない…許せない…許せない…許せない…許せない…
それを許せるはずが無い。
何もかも失った彼女に残された、たった1つの希望を奴らは傷つけた。
怖かっただろう…
痛かっただろう…
苦しかっただろう…
彼女は瞳を閉じる。
涙が溢れた瞳を彼女は、ゆっくりと開ける。
その瞳に倒れた勇気に女司祭が駆け寄り治癒魔法を使うのが見えた。
勇気が、大丈夫だと手を振るのが見えた。
それでも殺意に彩られた瞳のまま…
彼女は走り出した。
彼女の最後の希望を傷つけ彼女の逆鱗に触れた愚か者たちを滅ぼすために…