第30話 守られた器
前回までのあらすじ
要塞島で戦闘が続く中、イブキは精神世界で女王アスラからアナンダ文明の滅亡と、両親との出会いを聞いた。1歳を迎える頃、イブキは原因不明の高熱で生死をさまよい、アスラは自らの繭の一部をイブキの体内に移植する決断を下した。
◇
鈍色の空の下で、イブキは想像もつかなかった自分の身の上話を聞かされ、目の前にあるカップをただ呆然と見つめていた。
アスラは立ち上がってイブキの肩にそっと手を置くと、回廊の奥へ歩き出した。
「そなたに見せるものがある」
イブキは声を発しようとしたが、うまく言葉が出なかった。導かれるように立ち上がると、アスラの後を追った。
一定の距離を保ちながら、二人の足音だけが響く回廊。その両脇を白い柱が立ち並んでいる様は、永遠に続くような錯覚をイブキに与えていた。
次第に薄暗くなってきた回廊の先に、光が見えてきた。その光を目指しながら進むと、それは一枚の窓だった。アスラは立ち止まって窓を指差した。
「窓の外を見るがよい」
言われるがままに窓を覗いたイブキは眉根を寄せたあと、アスラの方を見た。
「何よこれ……外の景色?」
窓の向こうでは、荒れ狂う波が幾度となく岩礁にぶつかり、大きな飛沫を上げていた。さらに、暗雲を突き刺すほどの竜巻が発生し、海水を空高く舞い上げていた。
「なんか凄いことになってるんだけど……」
続けて喋ろうとした瞬間――暗雲の隙間を縫うように閃光が走った。そして、空気を震わせる落雷の音が響き渡った。
「きゃぁぁぁぁ――!!」
思わずイブキは耳を覆ってしゃがみ込んだ。ビリビリと伝わる窓枠の揺れが、落雷の威力の大きさを感じさせた。
「さっきまで穏やかだったのに、この嵐はなに!?」
見せたかったのはこれなの? と目で訴えたイブキ。
アスラはイブキに向かって頷くと、窓の外に目を向けた。
「これはあの日の夜……。幼き頃の、そなたの魂の状態だ」
周りの空間が色を失い、あの日の記憶へと沈み込んでいく――。
◇
ルナの指に嵌められた指輪――アスラの魂の器である『繭』――の輝く光が一点に収束していく。光は宙に浮き、指輪と分離した。
『繭の一部をイブキに移植する』
光は集中治療室のイブキの元へ吸い込まれるように飛んでいった。と同時に指輪から輝きがなくなった。
「アスラ、イブキの方へ移ったのか?」
シンは呼びかけたが、指輪からは反応がない。シンとルナは、祈る想いでアスラに託した。
◇
延々と降り続く大雨と吹き荒れる暴風、そして稲光が絶え間なく暗雲を裂いていた。
稲光で照らされた小さな建物が、暴風雨にさらされていた。建物には扉がなく、風が容赦なく吹き込み、柱や壁には細かい亀裂が入って、今にも崩れそうだった。
建物の中から幼子の泣き声が聞こえていた。その声に導かれるように、入口の前にアスラが立っていた。
「イブキの魂の器がこんなにも……。待っておれ、今すぐ修復してやろう」
アスラが何かをつぶやき始めると、瞳が白銀の光を放ち始めた。そして、柱に手を当てると、建物の壁に沿って青緑の文字が流れ出した。
文字が流れた場所から亀裂がなくなっていく。順調にいくかと思っていると――バキッ!!――別の場所が割れ始めた。アスラの施す修復が追いつかない。
アスラの額に汗が滲む――魂だけの身では、カルマの力には限りがある。このままでは長くは持たないだろうと……。
だが――。
「もう少しの辛抱だ。……我に任せておけ」
アスラは全身から白銀の輝きを放ち、カルマ『侵理』より紡ぎ出される文字も白銀の輝きへと変貌させていった。
白銀の文字が螺旋状に上昇していくと、何重にも広がっていった。無数の文字が海を、雷を、雨を、空を覆い尽くしていった。
全身を覆う白銀の輝きが放射状に広がり、イブキの魂の領域を照らした。
「静まれ!!」
アスラの放った言葉を皮切りに、白銀の文字列の動く速度が急速に上がっていく。やがて、文字と判別できないほどの速度になると、洗い流すように雨を消し、雷を遠ざけ、荒れていた海は波ひとつ立たなくなった。
先ほどまでの嵐が嘘だったかのように、辺りは静まり返った。そして、小さな建物を覆う白いオーラが漂っていた。
「はぁ、はぁ……」
アスラはその場で跪くと、しばらく動くことができなかった――。
◇
静かな病棟――集中治療室の手前の席で、シンとルナの二人はアスラからの交信を待っていた。
どれほど時間が経ったのか……時間の感覚が鈍るほど、二人にとって重苦しい時間が過ぎていた。この間、ルナは集中治療室の方を見ながら、ひたすらイブキの回復を祈っていた。シンは腕を組んだまま、じっと待っていた。
その時、ルナの指に嵌まっていた指輪が淡い光を放った。
『……聞こえるか? ……二人とも』
いつもの張りがある声ではなかった。
「アスラ!」
ルナは、かじりつくように指輪に顔を寄せた。
『案ずるな……ひとまず峠は越えた』
その言葉にルナは、胸に手を当ててホッと息を吐いた。
「アスラは大丈夫なのか? 声が苦しそうだ」
シンは心配そうに問いかけた。
『カルマの暴走を抑え込むのに、かなりの力を使ってしまった……』
重苦しい空気が漂う。
『一時的に抑え込んだ状態だ。いつまた暴走を起こすか分からぬ』
アスラの力をもってしても、根本的な解決に至らないことにルナは顔を覆った。それを見たシンは、ルナの肩を抱き寄せた。
「アスラはこの指輪とイブキの間を行き来できるのか?」
『……大丈夫だ。分離したとて、繭が完全に消滅しないかぎり、我は自由に移動できる』
ひとまず、アスラの無事を確認した二人はほっと胸を撫で下ろす。
『あの子に多くの力を割かねばならぬ……。しばらくの間は、そなたらとの交信は難しくなるであろう』
「しばらくの間とは、いつまでなんだ?」
シンの問いかけに、指輪の輝きが弱まる。
『……分からぬ。今は抑え込む方法しか思いつかぬのだ』
さらに長い沈黙が続く――。
しばらくすると、指輪から淡い光が灯りだした。
『……一つだけ、心当たりがある』
アスラの声に、張りが戻ってきた。
『我が亜空間に転送したアナンダの首都には、あの時代の技術と、カルマの研究書がそのまま残っておる』
シンとルナは黙って、アスラの言葉を待つ。
『それを調べることができれば、もしや解決方法が見つかるやもしれぬ』
「アナンダの首都……」
ルナが呟く。
「……首都を見つける方法はあるのかい?」
『亜空間の入口を見つけ、首都が存在する座標が分かれば可能だ。だが……』
アスラの声がすこし沈む。
『魂の身となった我では、その入口を見つけることは難しいのだ。亜空間への干渉は、入口の『鍵』となる肉体がなければ開くことができぬ。それに……あの子の暴走を抑え込めるのは我しかおらぬ。ゆえに――』
指輪から輝きが増していく。
『確証のない話だ。見つかる可能性も低い。だが、そなたらに探し当ててもらうしかないのだ』
「……わかった。僕はやるよ」
躊躇なくシンが応えた。
「私も行くわ」
ルナは顔を上げた。目は赤く、少し腫れていたが声は揺れてはいなかった。
「イブキを何としても守る。そのためなら……なんだってするわ!」
『……すまぬ。そなたらがいない間は、我が必ず守る』
その言葉を最後に、指輪の輝きがゆっくりと消えていった。
ルナは指輪を抱きかかえ、イブキの方を見た。
「待っててねイブキ。お父さんとお母さんが必ず助けるからね」
イブキと繋がった機械のモニターに表示された、体温の数字が一つ下がった。
◇
周りの空間が色を取り戻し始めると、口元を押さえるイブキがいた。
嗚咽を繰り返し、溢れる涙が頬を伝って止まらなかった。
何度も旅に出ていた両親は、実は自分を助けるために動いていたのだ。
当時、物心がつき始めた頃は寂しく、時には反抗したこともあった。
それでも……。
両親が帰ってきた時は、ここぞとばかりに一緒に遊んでくれた。
どれだけ自分のことを想ってくれていたか――そう思うと、イブキは胸が締め付けられそうになった。
「……見よ。あれほど荒れておった景色が、今はこの静けさだ」
イブキは顔を上げると、窓の外を見た。鈍色の空と動かない海が広がっているだけだった。
「そして、あれほど小さく壊れかけていた、そなたの魂の器も今ではここまで成長した」
アスラに促されて、イブキはこの白い建物をもう一度よく見た。
「あれ? この建物って……もしかして!」
白い回廊の床の模様や、柱の意匠に見覚えがあると気づいたイブキは、思わず立ち上がった。
「これって、お母さんが旅の途中で撮った写真に写っていた外国の建物だ……」
白く幻想的な建物に見惚れたイブキは、ルナにせがんで写真をもらったのだ。
「なるほど……。魂の形というのは不思議なものだな」
アスラはイブキの肩にそっと手を置いた。
「そなたはシンとルナの愛情のおかげでここまで成長できた。それを感じていたからこそ、今の建物になったのだろう」
イブキはアスラの言葉を聞き、建物を見渡した。
自然と笑顔が溢れたイブキは思った。両親を信じる心と、信じない心との葛藤が終わったのだと……。
◇
バルコニーに戻ったイブキとアスラは、向き合うかたちで椅子に座っていた。
「さて……そなたが問うた二つの出来事。すでに分かっていると思うが、すべてはカルマの暴走から生じた現象だ」
「カルマの暴走……。私はまだ、その……治ってないってことだね」
イブキは今までのことを思い起こしながら、アスラに問い返した。
「そのとおりだが、少しずつ克服しつつある。現にそなたは今、カルマを使いこなしておるだろう?」
たしかにそのとおりだ――とイブキが思ったと同時に不思議にも感じていた。なぜ、カルマを行使することができているのか……。
その時だった。空間が捻れ、周りの風景が少しぼやけ始めた。
「……どうやら、誰かがそなたを起こそうとしているようだな」
イブキは、現実の世界に戻ろうとしていた。




