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その城は、正しく白亜の城と呼ぶに相応しい城だった。湖の上に立てられたそれは、湖面に鏡のように映され、一枚の絵のように美しい。高くそびえたつ五つほどある尖閣の屋根の色は朱色で、それが城壁の白さと相まって美しく目に映った。
冬のキン、とした空気が身も心も引き締められ、ヘレンは自身も知らないうちに肩に力が入った。
「ここがカロリアン王城、カッサムート。四季折々で表情を変えるカロリアンでも有数の名所だ」
「……とても、美しいですね」
「そうだろう。かつての戦の名残で湖の真ん中に構えているんだ。唯一の橋以外でこの城に侵入する術はない。カロリアンの者であれば誰もが一度は訪れたいと思う場所であり、我々の心の拠り所でもある」
「そうなんですか」
ヘレンは、ノアに連れられて話の有った五日後、予定通りに城へと見学へやって来ていた。城へと続く唯一の橋は石造りで重厚な印象を受ける。そして城の門前には屈強な兵士が立っていた。
「恐れ入りますがお名前を」
「ノア・ヴィノーチェ。申請したとおりにヘレン・マイヤーを見学させに来た」
「少しお待ちください……はい、確認が取れております。念のため身体確認をさせていただきます。ご令嬢はこちらにどうぞ」
「わかりました」
ヘレンが通された部屋には女性の兵士がいた。そういった配慮がされていることに内心で驚きながらもヘレンは大人しく確認を受ける。
「……はい、問題ありません。ご協力ありがとうございました」
「こちらこそありがとうございます」
そうしてヘレンとノアはカッサムート城へと足を踏み入れた。
「ここが文官たちが主に仕事をしている部屋だ。それぞれの部門ごとに分かれている」
ノアに連れられたヘレンは、長い回廊にあるたくさんの部屋を見て、息を呑んだ。扉の上の方にはそれぞれの部署名が書かれた板が吊るされている。開かれた扉からは何人もの人が出入りをしている。
そしてヘレンは一つのことに気づいた。
「あの、ノア様」
「何だ?」
「皆様が着ている服の色に意味があるのでしょうか?」
「あぁ、説明していなかったな」
カッサムートの文官の服にはそれぞれ役割がある。部門で一番責任のあるものは青色、そしてその次席が、薄花色、一般は薄浅葱、そして見習いは青白磁と決まっている。つまり濃い色を着ているものが偉い。
ちなみに青系にしているのは目に優しいかららしい。
「多少年齢も関係してくるが、文官の試験がある。見習いは一年から、一般は三年ほど経験してから試験を受けられる。例外として上司や推薦でその試験を受けられることもあるが、試験自体とても難しい。さらに言うのであれば、青と薄花は試験に合格しても周りからの評価なども確認される」
「なるほど……」
どんなに能力があったとしても協調性がなければ昇進できないということだ。独裁を防ぐためのものだろうとヘレンは考える。
「文官の総人数の内、男性は六割で女性が四割だ。ちなみに武官では男性が八割、女性が二割。城仕えは男性が三割で女性が七割といったところだな」
「やはり男女での割合はそうなるのですね」
「そうだな。特に武官は女性では厳しいものがある。身体に傷を負う確率が高くなってしまうからな。それに貴族階級が多いのも確かだ。これでも昔に比べれば平民出の割合が増えている、が。それでもまだまだだと陛下はお考えだ」
「そうなんですか?」
「あぁ。カロリアンは能力主義だ。それでみんなが切磋琢磨することによってより良い国造りを目指している」
話には聞いていたが、実際に見るとなると圧倒されるものだとヘレンは思った。確かに歩き回る人々の表情を見れば、誰もが生き生きとしているように感じられる。時折見習い同士が意見を交わし合っている様子も見受けられ、逆に一般の人たちが一塊になって歩きながら会話をしている。
互いが互いの意見を言い合い、そして自分にはない考えを吸収していく。
なんて素晴らしい仕組みなのだろうとヘレンは思った。
「ヘレン、こっちだ。今日は予め医療課の次席官に時間をとってもらっている」
「! はい!」
ヘレンはノアに呼ばれて慌てて小走りでそのあとをついて行った。
「失礼、本日次席官殿に面会の予約を入れていたノア・ヴィノーチェだが……」
「ひぃあ!? あっ、失礼しました! 少しお待ちください!!」
見習いの青年に声をかけると、彼はひどく驚いて飛び跳ねた。そして慌てて部屋の中へと入っていく。ヘレンとノアは扉の前で待っていたが、中から聞こえてくる声に段々と不安になってきていた。
「マリア次席官!! 今日来客があるって言ってたじゃないですかぁっ」
「ん? あぁ、ヴィノーチェの方ですね。通してください」
「ちょ、こんなところに!? 先日からちゃんと綺麗にしてくださいって言ってたのに!? 僕頑張って整頓したのにどうしてすぐに書類ばらまくんですか!?」
「ばらまいていません。私がわかりやすいようにしているんです」
「で・す・か・ら!! マリア次席官だけが理解しても意味ないんですってば~~!」
「……さっきから叫んでばかりで辛くないのですか、キース」
「叫ばせているの次席官んんんん!!」
「……」
「……」
ヘレンとノアは顔を見合わせた。次席官ということは人望があり能力が高いはずなのだが、大丈夫なのだろうか。そして先ほど驚いた彼の顔色が悪いのは、仕事からくるものだったのだろうか。
「もういいです!! とりあえずこちらには通せません!」
「何故です」
「こんな場所が次席官の部屋だと思われたくありません!!」
「何を言っているのです、キース。私は立派な次席官です」
「他の次席官の方々の部屋を見習ってくださいっ……」
「彼らは彼ら、私は私です」
「……もうやだ…」
「とりあえず、お待たせしているのでしょう? さっさと案内してください」
「……ほんとなんで朝には掃除したのに……知りませんからねっ!!」
男女二人の話し合い…は終わったらしく、先ほどより草臥れた様子の男性が笑みを引きつらせながら出てくる。
「あの、大変、申し訳ございません、その、次席官の部屋なのですが、あの、その、ちょっと…いや、大分…酷く、雑多としておりまして……本来であれば、綺麗にしてお招きするのですが、その、何分、お忙しくて…」
冷や汗だろうか。キースと呼ばれた男性は目をうろうろとさせながらしどろもどろにフォローをしようとしている。あまり意味を成しているようには聞こえないが。
「構わない。無理を言っているのはこちらだからな」
「!! そう仰っていただけると! 大変! 助かります!!」
ノアの言葉に男性の目に生気が戻ってくる。そして鬼気迫る様子で本当に荒れていますからね!? ちゃんと言いましたからね!? と念押しをしてきた。
……そこまで言わせるほどの部屋とはどんなものだろうかと逆に興味を引く。そして部屋に入った二人は、想像以上に雑多としている部屋に唖然とした。
「ようこそ、医療課次席官のマリアです。キース、椅子の上の書類をどかせて」
「ちょっ…! それくらいしてくれても…! 申し訳ございません、申し訳ございません、すぐにどかしますから、少しだけお待ちください」
部屋は広かった。ノアの執務室ほどはある。だが、何故か狭く感じる…何故か、ではない。資料や色々な道具が所狭しと言わんばかりに置かれているせいだ。
「狭苦しい場所ですみません。ですが仕事がたくさんあるのでこちらで失礼させていただきました」
そして執務机に座っていた女性が立ち上がってヘレンとノアに挨拶をした。手をかければ燦然と輝いていたであろう金髪は無造作に纏められ、黒い縁の眼鏡の奥にはヘレンの瞳よりも明るい青の瞳が理知的に光っている。化粧をし、ドレスを着れば美人の部類であろう。しかしマリアには一切の化粧っ気はなく、仕事一筋だという印象を二人に持たせた。
「お初にお目にかかる。私はノア・ヴィノーチェ。そしてこちらはヘレン・マイヤーだ」
「お初にお目にかかります、次席官マリア様」
「こちらこそ。堅苦しい話はここまでにしましょう。それで、私に面会というのは?」
「こちらのヘレンが城で働く文官に興味をもっている。興味本位で来たわけでなく、彼女に貴女の仕事のことを簡単にでも構わないから話をしてほしい」
「あぁ、なるほど…ヘレン嬢はカロリアンの人ではないのですね。それに貴族の方、でしょうか」
「っ、どうして…」
マリアの冷静な分析に、ヘレンは驚きからつい声を上げてしまう。そんなヘレンにマリアは簡単なことです、といわんばかりに説明を始めた。
「まず、ヴィノーチェ家の方がお連れになるという時点である程度能力があるのは分かります。そして私たちの仕事について話してほしいというのでカロリアンの国民ではないのでしょう。ということは他国からカロリアンに移住し、そしてヴィノーチェ家の方の目に留まった。つまりベースはちゃんとできている可能性が高い、他国で平民にヴィノーチェ家が認めるほどの教育を施している国があるとは聞いていません。ということは教育がしっかりとされる階級…つまり貴族ではないのかと」
「……その通りです」
「そうですか。キース、紅茶を」
「はい」
ようやくキースが椅子の上と来客用の机の上の書類を片付けたのを見たマリアは、ヘレンとノアに席をすすめる。
「それで、私に何をお聞きになりたいので?」
マリアの問いに、ヘレンは何を聞けばいいのか一瞬分からなかった。頭が真っ白になる。ノアを見れば、彼は自分で質問するようにと言わんばかりに沈黙を保っていた。
「……その、次席官様は」
「マリアで結構ですよ」
「マリア、様は、どうして文官になられたのでしょうか?」
「どうして、ですか…まぁ、単純に好きだからです」
「好き、だから…?」
「はい。私は末端貴族の末娘でしてね。父は文官として城に勤めておりました。そんな父の後姿が、娘ながらにとても誇らしく思っておりました。幸いにして勉強は嫌いではなかったのでね。父の後を追いたいと考えたのですよ」
「お父様の……」
マリアは苦笑を零した。
「母には反対されました。結婚は、子供はどうするのかと。城勤めになれば仕事ばかりになってしまいがちです。父が実際にそうでした。でも私は、どうしても父のようになりたかったのです」
それは、ヘレンがかつて似たような思いを持っていたことを思い起こさせた。