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⑨大切な人

「イリス、どれだけ無謀なことをしたのか分かっているのかっ!」

 『光の帝国』東端の地区にある城。そこに戻ったわたしたちを迎えたのはマジギレしたサティ王子だった。

「装備も整えずに砂漠に繰り出し、盗賊に出会ったときの備えもなし。『呪の自治区』との戦争だって終わってはいないんだ! どうして僕に一言言ってくれなかったんだ?」

「だって、言ったら絶対に許可しないじゃない?」

「当たり前だ! そもそもナナミさんと合流できたからよかったものの、途中ではぐれていたら、砂漠の真ん中でどうするつもりだったんだい? 勝手に兵士に志願してきたときもそうだ。僕や小父さん、小母さんが心配するってことも少しは考えてほしい!」

 しこたま怒られたイリスは、今回ばかりはしょんぼりしながら部屋に入っていく。一緒に部屋に戻ったものの、どう声をかけたらいいのか分からなかった。

 イリスが体ごとベッドに飛び込み、枕に顔をうずめて呟いた。

「あたし、嫌われたかな……」

 イリスの言ったそれはあまりにも的外れで、だから「イリスって馬鹿?」と尋ねる。

「馬鹿って何よ?」

「えー。だって今のは馬鹿じゃん……っと。やったわね!」枕が飛んできたので、それをイリスに投げ返す。「たぶんこの部屋、イリスのために用意したんだと思うよ?」

「投げ返すんじゃないわよ。ってか、なにそれ? どういうことよ?」

 再び枕が飛んできたので、今度はそれに加えて、自分の分の枕も手に取る。

「次、二ついくよーっ! イリスが兵士なんかに志願してきたから、秘書として引き抜こうとしたんじゃないの?」

「確かにそんなことも言われたけど……ってか二つ同時は無理っ!」

「あはは……サティ王子は頭はいいかもだけど、すっごい分かりやすい人だと思うわよ? イリスを戦場とか危ないところに行かせたくないんでしょ? ……うにゃっ!」

 ひとつの枕はキャッチしたものの、もうひとつが顔面を直撃する。

「ほら、あんたも二つ同時なんて無理じゃない?」

「あはは、そうかも」

 わたしはイリスの分の枕を投げて渡すと、それから「ちょっと考えてほしいんだけど」と前置いて言う。

「サティ王子は、やっぱりイリスのことを大切に思ってるよ。さっきのは、そのことをイリスに気づいてほしかったんじゃないかな?」

「そうかな?」

「大切な人を守れなかったりするのって、とっても悔しいんだと思う。女のわたしがそう思うんだから、男の人はたぶんもっとだよね。自分が嫌われたとしても守りたいって、そう思うこともあるんじゃないのかな?」

 イリスがベッドから立ち上がる。

「どうしたの?」

「うん。サティにちゃんと謝ってくる……素直に言えるか自身ないけど」

「そっか。がんばってね」

「べ、別にナナミに言われたから行くんじゃないんだからねっ! ……じゃなくて、いまの嘘。ありがと、ナナミ」

 扉を乱暴に開けて、イリスが逃げるように部屋から飛び出していく。わたしは開けっ放しになっている扉を閉めると、壁に背を預けて座った。

 ひとつ困っていることがあったのだが、それはイリスが戻ったら相談することにしよう。



「服が無い?」

「うん。最初にイリスに貰った一着しかなくて。でもこの国のお金も持ってないの。本当は『月の国』の使用人の服もあるんだけど、それを着るわけにもいかないし」

「なるほどね。あたしの服でよかったら、別に貸してあげるわよ?」

 サティ王子と仲直りできてご機嫌のイリスは、クローゼットの中ならいくつかを見繕って、「これとこれと、これも着ていいわよ」なんて感じで服を見せてくれる。クローゼットがひとつしかないので、わたしが着ていいものは左端に集めてもらった。

 それが夕方ごろの話。それからすぐに部屋に夕飯が運ばれてきて、それを食べた。夕飯の食器を厨房に持っていくと、他の使用人から「渡しに行くところだったのよ」なんて感じで、秘書用の服を貰ってしまう。

「……イリス。秘書って何すればいいの?」

「そりゃぁもう、あれよ。あれ……スケジュール管理とか?」

「それだけ?」

「あとは、お茶汲み? 掃除?」

「それは使用人のときにやってたけど、そんなのでいいのかな?」

 結局、考えても答えはでなかった。

 部屋に戻るとサティ王子がちょうど訪ねてきていて、「イリス、それからナナミさんも、明日から働いてもらいます。朝七時に僕の部屋に来てください」とだけ言って去っていった。よく分からないけど、こういうのってわたしたちが王子の部屋に赴くのが正しいあり方なのではないのだろうか?

 まぁでもとりあえず、明日からは王子様付きの秘書になるのだ。どんな仕事が回ってきてもしっかりと気を引き締めて頑張ろうと心に決めて、この日は眠りに着いた。



 で、秘書の仕事だけれど。

 結局、翌日になっても分からないままだった。

 サティ王子は、八時から朝食、その後、執務室にて事務仕事(政治関係っぽくてよく分からない)。十時に謁見室にて五人の来訪者と順番に対談。十一時半頃にそれが終わり、

「じゃぁ少し早いけど昼食にしましょうか」

 サティ王子にそう言われるまで、朝からずっとわたしとイリスは壁際に立ち尽くしているだけだった。わたしの手元には、サティ王子が自分で作った、一日の予定の書かれたメモ。わたしたちがスケジュール管理なんてするまでも無く、サティ王子は予定を完全に把握している。何かしたと言ったら、紅茶を一杯淹れたことぐらいしか思いつかなかったりするのだ。

 手際もよければ自己管理なんかも完璧。この人に秘書なんて必要ないのではないだろうか?

「……サティ王子、質問なのですが。秘書って何をすればいいのでしょうか?」

「そうよ。あたしもそれ聞きたいんだけど」

 イリスも同意する。けれどサティ王子も、「言い出してはみたものの、実は僕もよく分かっていないんですよ」なんて首を傾げたりしている。

「とりあえず僕専属の使用人って感じでどうでしょう?」

 なんかどこかで聞いたような仕事内容だ。でもそれ、絶対に秘書とは別物だと思うんだけど。

「それと、イリスは人前だけでも、僕に敬語を使ってもらおうかな」

「うっ……」イリスが言葉に詰まる。「人前だけでいいのよね?」

「ああ。いいよ、普段はいつもどおりで。だけど、お客さんが来ているときにいつもの口調だと、ただでさえ無い僕の威厳が落ちるところまで落ちてしまうからね」

「やってみる……じゃなくて、善処します」

 サティ王子が「よろしく」と笑う。傍からすると、イリスが真剣に悩んでいるのを、サティ王子がからかっているようにしか見えない絵図だ。

 まぁでも、使用人として振舞っていいというのならば、わたしとしては勝手知ったるというものだ。

「では、厨房から食事を運んできますね。イリス、行こ!」

 わたしはイリスの手を引いて走り出す。

 そして直後、王子に「はしたない」と叱られた。



 十二月。秘書の仕事を始めて二週間が経った頃。

 サティ王子から、特別な謁見者が来るから同席してほしいと言われた。「イリスは?」と聞くと、「この相手には会わせたくない」とサティ王子は答えた。

 その日の午後。十人の兵士が控える謁見室で、サティ王子は玉座のような椅子に座る。そのすぐ横にわたしは立ち、いつも以上に気を張りつめさせていた。

 そして二時――約束の時間ちょうどに、部屋の扉が開く。兵士に案内されて現れたのは、三人の男だ。長い髪をした知的な雰囲気の青年に、背が高く筋肉質な男性、それから小柄だが目つきの鋭い少年だ。そしてその三人ともが、小麦色の肌に対称的な銀色の髪をしていて、何より片目に紅い瞳を宿していた。

 リアちゃんと同じ特徴。そして『月の国』を出てからも、この特徴を持った人たちとは一度会っていた。

「『呪の自治区』……」

「その使者だと聞いています」

 つまり『光の帝国』にとっては、戦争をしている敵国の使者ということだ。しかも、『呪の自治区』は特別な能力を持った兵士を多数抱えているので、目の前の三人のうち誰かが能力者ということも十分に考えられる。つまりわたしは、秘書と言うより護衛の一人としてこの場に呼ばれたのだろう。

 以前、『呪の自治区』について訊ねたとき、サティ王子は『軍事力ならかつての三大国に匹敵する』と答えた。

 『呪の自治区』は、『月の国』の近隣の国のうちのひとつだ。『水面の国』と『箱の国』に属していた二つの地区が合併、独立してできた国らしい。かつては『光の帝国』、『穂の国』、『鉄の国』という三つの国が『三大国』と呼ばれ、近隣諸国を纏めていた。しかし、『呪の自治区』の成立とほぼ時を同じくして、『鉄の国』が『鋼の国』と『剣の国』に分裂しその勢いを衰えさせる。『鋼の国』と『穂の国』は平和主義であり、好戦的だった『剣の国』も滅亡した今となっては、『光の帝国』にとっての一番の脅威は『呪の自治区』だと、サティ王子は言っていた。

「僕にとっては、ここが正念場です。『呪の自治区』さえどうにかできれば、『光の帝国』に挑もうとする国さえ無くなる――この国から戦争が無くなるんです」

 そうわたしに小声で言うと、サティ王子は椅子から立ち上がった。

 『呪の自治区』の使者と名乗った三人は、サティ王子の前まで来ると、膝を着き、頭を下げた。

「俺は『呪の自治区』の兵士長で、名をティーズといいます」長い髪の青年が名乗る。「この度は拝謁に応じていただき、有り難く存じます。後ろの二人は、大柄なほうがラース、小さいほうがミース、共に俺の信頼する部下です」

 小さいと言われた少年がティーズを睨むが、ティーズは至って真面目な表情だ。

「こちらこそ、ご足労ありがとうございます」サティ王子が丁寧に返す。「どうぞ顔を上げてください。込み入った事情があるようにお見受けしますが、よろしければ机と椅子のある別室で、落ち着いて話をしましょうか?」

 サティ王子のその言葉に、ティーズは意外そうな顔をする。

「何故、そのようなことがお分かりになられたのですか?」

「勘です。僕の勘は当たるんですよ。それとも間違っていましたか?」

「いえ、仰るとおりです」

「ではすぐに準備をさせます」

 それからサティ王子は、わたしの耳元で小さく「何があるか分からないから、絶対に気を抜かないでください」と言った。サティ王子も、全く無警戒というわけではないようだ。

 移動した先は、小さな応接用の部屋だった。大きな角卓にティーズたち三人とサティ王子が向かい合って座る。部屋の端には兵士も控えている。わたしの立ち位置はサティ王子の左後ろだ。

「この度は、サティ王子にお願いがあって参りました」

 話を切り出したのは、ティーズのほうだった。ティーズは「まずはこれを見て頂きたいのです」と、右手を自分の左胸に重ねる。そこから、あたかも掴み出したかのようにしてティーズが見せてきたのは、血のように赤く輝く歪な形の結晶。まるで皮膚や服をすり抜けて現れたようで、現にティーズの服には破れた跡も無かった。その結晶はティーズの右手の上でふわふわと浮いていて、しかしわたしは別の理由で息を呑んだ。

 結晶が現れたことでサティ王子も驚いている様子だったが、大切なのはそこではない。ティーズの手の上の結晶は、リアちゃんが能力を使うときに見せたそれと全く同じものだったからだ。

「ティーズさん。あなた、能力者ですか?」

 わたしは何が起こっても対処できるように、気持ちを張り詰めさせる。

「ええ。ラースとミースもです。更に言えば、約七万人いる国民の全てがそうです」

「国民全てが?」

「そうです。『呪の自治区』では、十歳を迎えた子供全ての左胸にこの赤い結晶を埋め込みます。そうですね……まずはこれに触ってみていただいてもよいですか?」

 サティ王子が手を伸ばそうとしたが、「危険です」と、わたしはそれを遮る。ティーズがどんな能力を持っていて、どのような思惑をもっているかも確かでないうちにそれは、あまりにも無防備に思ったからだ。

「わたしが触っても?」

 ティーズに聞く。ティーズは頷き、わたしに赤い結晶を差し出してきた。

「まずはこの結晶のように見える物体の、異常性を理解していただきたい。宙に浮いているこれは、目に見えているはずなのに、普通の人間には触れることが出来ないのです。掴もうとしても指をすり抜けてしまうんです」

 わたしは恐る恐る、結晶に手を伸ばす。

「ですから、特別な人間でなければ、この結晶に触れることは出来ません。私の知る限り、『呪の自治区』でも触れることの出来る人間は、ラースとミースの二名のみです」

「あ、意外と柔らかいんですね」

「はい。こんな得体の知れない結晶を俺たちは……ん? 柔らかい?」

「ええ、ぷにぷにですけど……」

 ティーズが目を丸くしていて、思わず結晶をつついて遊んでいた指を止める。周りを見回すと、兵士たちもどうしていいのか分からないと言わんばかりで、助けを求めて顔を向けても一様に目を逸らされた。

「ラース、ミース……正直に答えてくれ」ティーズが訊く。「俺達の胸の中のこれは、ぷにぷになのか?」

「申し訳ありません、兵士長」大柄なラースが頭を下げる。「ぷにぷにです! 国長も兵士長も『結晶』と呼ぶものですから、俺達、どうしても寒天のように柔らかいなんて言い出せなかったのです。すみませんでしたぁ!」

「僕は、これを『結晶』って呼ぶ人が無様でおもしろかったので黙っていました」ミースが言う。最悪だこのチビ。「……嘘ですよ兵士長。睨まないでくださいよ」

「この罪は死んでお詫びを……」

 ラースが本当に剣を抜いて自分の首に当てかけたので、みんなで必死に止める。さすがのミースもこれには慌てたようで、最終的に剣をラースの手から捥ぎ取ったのはミースだった。

「つまらない真似しないでくださいよ先輩。そんなことしたって楽しくないじゃないですか? 真面目すぎはよくないです。もっと楽しく生きましょうよ」

 ミースがまともなことを言う。意外に思って、わたしはすこし驚いた。

「まぁ僕は、そんな真面目すぎて滑稽な兵士長と先輩を間近で見るのが楽しみなんですが」

 前言撤回。やっぱりこいつは最悪のチビだ。

 このあと、再びティーズに結晶(?)を出してもらった。懲りずにサティ王子が結晶に触りたそうにしていたが、それより先に兵士の一人が手を伸ばす。その兵士の手は結晶をすり抜け、何度やっても触れることはできなかった。どうやら本当に、この結晶はわたしたちの知っている常識からは外れた物のようだ。

「『呪の自治区』の国民は、能力を使えるようになるために、強制的にこの得体の知れないものを体に埋め込まれます。国長はこんなものを『奇跡の種』などと呼んでいますが」

「もしこの『貴石の種』を握りつぶしたりして、壊しちゃったらどうなるんです?」

「能力者から普通の人間に戻ります。数日で髪や肌の色も元に戻ります。もっとも、ほとんどの者は取り出すことは出来ても、自分の結晶にさえ触ることが出来ません。現状では、ラースかミース、そしてあなたに『奇跡の種』を壊してもらう以外に、普通の人間に戻る方法はありません。以前はもう一人いたのですが…… とにかく、とんだ奇跡もあったもんですよ」

 ティーズが皮肉げに言う。それにサティ王子は首を傾げた。

「その『奇跡の種』のおかげ……失礼。影響で、『呪の自治区』の人たちは人知を超えた力を手にしましたよね。生活の幅が広がり、国力も上がったことでしょう。あなたたちは、それを是とはしないのですか?」

「それは……」

 ティーズが言い渋る。当然だ。あの能力は、人に誇れる類のものではないのだから。だからわたしは「待ってください」と、二人の会話を遮った。

「サティ王子。それをティーズさんの口から言わせるのは少々、酷かと思います」

 それからわたしはティーズ達に近づいて、自分の瞳を指差した。同じように赤いわたしの瞳に気付いて、三人は驚いたようだった。

「サティ王子。わたしたちの持つ能力は、そんなに華やかなものではないんです。自分のありのままの姿を保つ力を失ったせいで、変身能力を身に着けた人。生命エネルギーを体に保てなくなったせいで、物を腐らせる能力を持たされた人。自分の生きている時間軸の感覚が曖昧になったせいで、未来が見えるようになってしまった人。そして遠くのものを動かせるようになったわたしは、どこまでが自分の体なのか、その境界が曖昧になってしまいました。人間として当然持っているはずのものが、欠落しているんです。時々思います、わたしはまだ人間なのかなって。根本は欠落なんです。そうして得た能力なんて、誇れるはずが無いじゃないですか」

 わたしはティーズに振り返り、「こんな感じでいかがでしょう?」と聞く。ティーズはわたしに頷くと、それからサティ王子に言う。

「秘書の方の仰るとおりです。ましてや、本当に有用な能力が出てくるなど僅かです。その一握りの人間にも、自分の能力を誇っている人など殆どいません。生活することさえ困難になった者もいれば、『種』を植えた途端に能力が暴走して死んだ子供もいます。呪いに縛られたような生活に国民は苦しんでいるんです」

「状況は理解しました」

 そう言ったサティ王子の目は、どこかいつもより鋭いように見えた。

「ティーズ兵士長。あなた、謀反でも起こすつもりですか?」

 サティ王子の問いに、ティーズが頷く。謀反――つまりはクーデターだ。ティーズは国長に対して反乱を起こし、国長を政権から退けようとしているのだ。

「全ての国民を普通の人間に戻すとこの場で誓います。近隣諸国を脅かすことでしか成り立たない能力者の国から、健全な国に変えたいのです。そのためにはサティ王子、あなたの協力が不可欠です。一時休戦と、現国長の失脚後に『呪の自治区』の代表者を通して同盟関係を結んでいただける約束がほしいのです」

 ふと違和感。確かではないが、ティーズが自分の名ではなく、あえて『代表者』という言葉を選んだように感じた。

 それからティーズは改めてサティ王子に頭を下げる。確かにそれで、『呪の自治区』は上手く回るだろう。『光の帝国』と同盟関係にあれば、易々と他国が攻め込むことも出来ない。国民が能力を持つ必要の無い体制が作れるということなのだろう。だが、ほんの数週間前にも戦争をしたばかりの『呪の自治区』の兵士長が、自国を救うためにそれを言うのだ。それは、あまりにも虫が良すぎるのではないだろうか。

 そう思ったのはわたしだけではなかったようで、「ふざけんな!」と、兵士の一人がティーズに掴みかかる。「先月は百八人、その前の月も九十人が戦争で死んだ。俺の仲間もその中にいた。それなのに虫の良い話だな。テメェらの都合なんか知ったことかよ!」その兵士の言葉に、周囲のほかの兵士も言葉を重ねる。飛び交う罵声。反撃しようとするラースとミースをティーズが制止した。白熱してどこまでも止められないと思ってしまうほどの、兵士達の熱狂は、

「――黙れ」

 サティ王子の一声で、凍りついたように一瞬で静まり返った。

 サティ王子が兵士達の態度についてティーズたちに詫びると、それからいつもどおりの口調で、今度は兵士達に向けて言った。

「ティーズ兵士長の言葉は、こう言う見方もできるんです。『このまま戦争が続けばもっと死人が出る。戦争を終わらせる方法があるから自分に乗らないか』と。これはこちらにも利益のある取引です。加えて、『光の帝国』としては彼らが失敗しても失うものは何も無い。損害無くガレス国長を引き摺り下ろせるかもしれないんです。納得のいかない気持ちも今は堪えてください。既に失われてしまった命と今生きている命、どちらがより大切かは考えるまでも無いでしょう」

 その言葉に反論する兵士はいなかった。

 このあと、ティーズが作戦を説明する。その内容にわたしは少し違和感を感じて隣を見ると、サティ王子も始終、渋い顔をしていた。

 詳しい話を聞いたあと、サティ王子は「考える時間をいただきたい」とだけ返答した。



 三人を町の宿屋に泊まらせるわけにもいかないので、サティ王子は客間をひとつ用意して、そこに泊まるよう勧めた。ティーズたちにとってここは敵国になるからだ。

 ティーズたちを客間に案内したあと、わたしはサティ王子の執務室に向かった。それから三時間、もうすぐ夕食だというのに、サティ王子はずっと難しい顔をしたままだった。ずっと『呪の自治区』のことについて考えているのだろう。途中でイリスが部屋に入ってきたときに心配そうに聞いてきたが、サティ王子に口止めされていたこともあり、はぐらかすしかなかった。イリスは今、サティ王子に買出しを命じられて外出中だ。

 サティ王子の手元のカップが空になったので、「失礼します」と言って新しい紅茶を注ぐ。顔も上げずにサティ王子が「ありがとうございます」と言う。机の端には何冊もの本と『呪の自治区』の載った地図が開かれていて、何度もその上に指を走らせては、また頭を抱えている。

 ランスと似ていた。『月の国』を必死で守ろうとしていた彼の姿に――それと同じ姿をしたバケモノの表情に。自然と握る拳に力が入る。思案の邪魔してしまうので思いとどまろうとも考えたが、それでも不安が抑え切れなくて、だからわたしは聞いた。

「もしかしてまた、戦争になるのですか?」

 サティ王子が顔を上げる。 

「どうしてそう思うんです?」

「分からないですけど、難しい顔をしているから」

「心配をお掛けしてしまったみたいですね、すみません。戦争にならないよう、今考えているところです」

 そうだ。ランスもきっとそうしたんだろう。わたしと出会うもっともっと前の、まだバケモノになってしまう前のランスは。けれど戦争以外の方法が見つからなくて、だからランスはもうどこにもいなくなってしまった。わたしは今のランス王子を認めない。あのバケモノは絶対に殺す。

「戦争は嫌いです。わたしから何もかも奪い去っていったから」

「私もですよ。ですが、これでは……」

 サティ王子が指差したのは、ティーズが言っていた策を書いたメモだ。

 内容は、至って普通なクーデターらしい。国長を捕らえて政権を奪い、『奇跡の種』を作っている研究施設を破壊。その後、地区ごとに順番に、全ての国民の『奇跡の種』をラースとミースが砕いて回るそうだ。『呪いの自治区』は小さな国だ。五日と経たずに全国民を普通の人間に戻すことが出来るとティーズは言っていた。

「ティーズさんたちの策って、王子から見てどうなんですか?」

「正直なところ、杜撰ですね。国家を転覆させるだけなら、想定外の要因が無ければ可能だと思います。ですが、肝心のその後のことが考えられていない。それに、『呪の自治区』の国長が少々厄介です。国長であるガレス・シャーマンという男は、民衆の支持を得ていないわけでは無いんですよ」

「ん? 悪い人じゃないんです?」

「ですね。けれど、建国時から今日まで国を引っ張ってきた英雄でもあるんです」

 それからサティ王子が話し出したのは『呪の自治区』の成り立ちについてだった。もともとは『水面の国』と『箱の国』の、それぞれ迫害を受けていた地域だったらしい。たまたま隣り合っていた二つの地区が手を取り合って、それぞれの国から独立してできた自治区。その独立の主導者が、国長ガレスだというのだ。だからこそ、『奇跡の種』について大多数の国民が疑問を持っていつつも、ガレスが言うならと受け入れているのが現状らしい。

「だから、ティーズ兵士長が主導で国家転覆なんて真似をしたら、それこそ国内が滅茶苦茶になります。国が半分に割れて対立しあうでしょうね」

「そっか。ティーズさんを支持する人とガレス国長派で内乱になるかもしれないんですね」

「ええ。相当の死者が出るでしょう。最悪の場合、『光の帝国』が関与したとなれば、矛先がこっちに向かないとも限りません」

「それだと戦争になってしまうんですね」

 となると、この作戦で国長とティーズが対立してはいけない。謀反をするとしても、表向きの主導者がティーズではいけない。ティーズさんが国長を裏切ったと知られると、内乱が起きてしまうから……

 しかし、わたしはふと思いつく。

「じゃぁ知られなきゃいい? バレなきゃいいのかも……」

「どうかしましたか?」

「サティ王子……ちょっと聞いてもらってもいいです?」

 単なる思いつきだが、何かのヒントになればと思って話そうとしたときだった。

 扉がノックされ、「失礼します」とイリスが入ってくる。息を切らしていて、只事ではないようだった。

「イリス、どうしたんだい?」

 サティ王子が訊くが、イリスは首を横に振る。「違うの、サティじゃなくて……」息を整えると、イリスはわたしに向いてこう続けた。

「ナナミちゃん! あんた、妹っている? あんたの双子の妹って人が、市場で姉を探してるのよ!」

「えっ?」

「ナナミちゃん、家族が全員死んじゃったって言ってたでしょ? だけど、もしかしたらって思って……」

 何かを言おうとして、けれど言葉が出なかった。

 わたしに妹なんていない。記憶の中の家族はお父さんとナナお母さん、ミミお母さんの三人だけだ。生まれてくるはずだった兄弟は、誰とも顔を合わせる前に死んでしまったはずだ。ましてや、双子なんて……

 けれどそれでも、居ても立ってもいられなかった。サティ王子が「イリス、案内してあげて」と後押ししてくれて、わたしは部屋を出る。脇目も振らず全力で走った。一緒に来てくれていたイリスは途中で足が上がらなくなり、「市場に入ってすぐのところにいるから」というイリスの言葉を頼りにわたしは駆けた。

 市場が見えてくる。すでに陽は落ちていて、それでも入り口のところで佇んでいる人影が見て取れた。この時間に道を通る人は多くは無かったが、その人たち全員に声をかけているようだった。

「双子の姉を探しています。わたしと同じ顔の人をご存知ありませんか?」

 静寂の中、ようやく言葉が聞き取れる距離にきた。

 その声は、わたしにとてもよく聞き覚えのある声だった。

「双子の姉を探しています。姉の名前はナナミといいます。わたしと同じ顔の人を……」

 進む足が、途端に重くなる。

 確かにわたしの姉妹だとも言えなくもない。そう呼んでくれたのなら、素直にそれは嬉しいと思う。けれどどう声をかけていいのか、何を話せばいいのかわからない。

 ただ、それでも逃げ出してはいけないと思った。

 わたしと同じ、白い肌に長い黒髪の少女。

 かつては、黄色がかった肌に茶色い髪をしていた少女。

「ここにいるわよ」

 声をかける。少女が振り向き目が合った。いままで優しさを繕っていた目が鋭く睨んでくる。わたしは唾を呑むと、もう一度言う。

「わたしはここにいるわよ。ミリア」

「お久しぶりです、ナナミちゃん」

 ミリアの顔が、元の黄色がかった肌、茶色い髪に戻っていく。無理矢理に微笑むミリアの右手が、強く握られているのを見た。

 ミリアの中では、わたしがランスに戦争を無理強いしていた張本人だ。そう思わせるよう芝居をすると決めたときから、こうなることは覚悟していたはずだった。それでも、ミリアが笑みを向けてくれないことが、ここまで寂しいことだとは思わなかった。

 息を吸う。弱気になりそうな自分を押し込める。精一杯の虚勢を張って、わたしもミリアを睨み返した。

「今さら何の用なの、ミリア?」

 挑発的に言う。もうわたしはミリアの敵だ。わたしはポケットの手鏡を握りながら、ミリアの動きを観察する。いつ仕掛けてきてもいいように心構えをし、

「ナナミちゃん、帰ってきてはくれませんか?」

 しかし、ミリアの口から出たのは全く逆の言葉だった。

「わたしはナナミちゃんを許せません。けれどそれでも、ランス様にとってナナミちゃんは特別な存在だったんです。ランス様にはナナミちゃんが必要なんです」

「ミリア、わたしが何をしてきたか、本当に分かって言っているの?」

「ええ、わかっています」

「で、今も怒りを抑えられないでいるあなたが、わたしにどこに戻れって言うのよ?」

「『月の国』です。何度でも言いますよ。ランス様にはナナミちゃんが必要なんです。ランス様のためなら、この身から生まれる感情ぐらい抑え込んでみせます」

 そう言い切ったミリアは勇ましく、けれどそれ故に腹立たしかった。怒った振りでもなく、強がっているわけでもなく、腹の底からどす黒いものが込みあがってくる。こんなことを言えた義理ではなく、立場ではなく、身の程でもないと頭では理解しながら、それでもわたしは口にせずにはいられなかった。

「ランスなんて、どこにいるのよ?」

 思っていたよりも低く暗い、威圧的な声が出た。ミリアの頬から作り笑いが消える。

「ランス様がいないって、どういうこと?」

「ランスという人間はもういない。ミリア、あなたたちが『ランス様』と呼んでいるのは、人を殺しても誰かが悲しんでも何も感じない――」

 ミリアの眉が釣り上がる。怒りの形相で自分を必死に抑えている。けれどそんなのは無駄だ。だってランスのことについては、わたしたちは今はまだ分かりあえるはずが無いのだから。

 だからミリアが一歩を踏み出しやすいように、あえてわたしは言葉を選ばずに言う。

「――心を失くした、ただのバケモノよ」

「許さないっ!」

 一瞬。ミリアの姿を見失う。次の瞬間には目前に、右腕を振りかぶったミリアの姿があった。異常に強化された足の筋肉が瞬時にミリアの体を運んだのだろう。振り上げられた拳には歪なほどの筋肉が纏われていて、それがわたしの顔へと振り下ろされる。

 足で地面を蹴っていては間に合わない。わたしは能力で自分の体を後ろに飛ばして回避、同時にミリアの右手と左手を能力で捕まえる。両腕をそのまま半回転――ミリアの体が反動で宙に浮き、そのままミリアの体を背中から地面に叩きつけた。

 回避の反動で倒れたわたしが起き上がるのと、ミリアが立ち上がるのがほぼ同時。わたしはミリアの周囲の空気を操り、ミリアの体が動かないよう力を込める。完全に捕捉したという手応えと、逃がさない自信があった。たとえミリアがどれだけ筋力を強化させたとしてもだ。

「ミリア、無駄よ。わたしの『空間掌握能力』は最強クラスの能力らしいの。本当はこんな能力に頼りたくなんてないんだけど……とにかく、もう逃げられないわ」

「いいえ。わたしの能力だって、ナナミちゃんのと同列に並べられるほどのそれですから」

 直後、砕ける音。

 ミリアの右腕を包んでいる空気が押される。ミリアの腕が膨らもうとしては押さえつけられてを繰り返してりうようだった。数度、それぞれは瞬間、ミリアの腕が曲がってはいけない箇所で曲がっては、膨らんだ肉が窪みを埋めなおしているようにみえた。ミリアの腕の中で骨が作られては砕かれてを繰り返している。それは想像を絶する激痛のはずだ。

「ミリア、あんた何考えているのよ! そんなの……」

「人の心配なんてしている余裕、ありませんよ?」

 次の瞬間、視界にどす黒いものが飛び込んでくる。ミリアの腕の血管が裂け、鉄砲水のように血液が飛んできたのだ。回避した次には爪のような質感の棘が何本も飛んでくる。狙いはすべてわたしの顔。回避に一瞬、意識が持っていかれる。わたしの集中が途切れさせられたのがわかった。それでも右腕を押さえ込むことにだけは何とか意識を繋ぎとめ続けたが、ふと、腕を皮膚の内側から押し上げていた力が消えたのが分かった。攻撃をようやく回避し終えて見た視界には、滅茶苦茶に捩れて鬱血した右腕だけが残っていて、わたしは急いで周囲を探す。

「いない……」

 見回し、能力でも探したが、どこにも見当たらない。集中して四方に意識を向けてみたが、それでも見つからなかった。

 それでも気づくことができたのは、静まり返った夜のこの場所で、ひとつ羽音が聞こえてきたからだ。

 上を見上げる。影しか見えないそれは、両手に骨のような質感の剣を構えた少女。背中には一対の翼があり、まさに今、こちらに急降下しているところだった。そのスピードを咄嗟に能力で捕らえるのは難しく、だからわたしはポケットから手鏡を取り出す。魔法式が発動し、延びるのはそこにあるはずのない刃。ミリアの右手の剣をかわすと、左手の剣を手鏡の刃で受け流す。ミリアが着地。わたしが能力で捕まえる暇もなく、ミリアはすぐに切りかかってくる。軌道を読みながら右手と左手の剣を何とか受け流し、ときには受け止める。

「ナナミちゃん、剣なんて使えたんですね?」

「わたしなんてまだまだ。ミリアの攻撃が読みやすいだけよ!」

 強がってそんなことを言ったものの、わたしにはミリアの剣を受け流すのがやっとだった。ミリアはおそらく剣の練習をしたことはないのだろう。二本ある剣の動きは、それでも読みやすかった。けれども、その細い手足からは考えられないほどの移動や跳躍、剣の速さや重さ、常識との齟齬のせいで反応が鈍る。お父さんに教わっていた分、剣の腕はわたしの方が上だ。それでも、ほんの僅かでも気を抜く余裕は無かった。動き続けるミリアは能力で捕まえることは難しく、能力に集中するために動きが鈍れば、危ないのはわたしの方だった。

 剣撃が続く。相手は双剣――片方を受け止めるのは死路だ。剣を弾き、受け流し、かわし、牽制し続け、しかしミリアの動きに慣れてきたところで、ふと気づく。ミリアの額には尋常ではないほどの汗と、一挙手一動作にあわせて苦しそうに歪む表情。ミリアが右手を突き出し、剣先がわたしこめかみを掠った。そのときに耳元で聞こえたのは、ブチブチと、筋肉が千切れるような音だった。ミリアが振りかぶっていた左手を振り下ろす。握られているその剣を、あえてわたしは受け止めた。重い。その一撃は確かに重く、しかし骨が折れる音とともにそれも消えた。それでもミリアは止まらない。きっと今折れた左腕も、右手の剣がわたしに斬りかかっている間に治ってしまうのだろう。怪我は残らない。痛みも一瞬だけだ。けれどもその痛みはかなりの激痛のはずだ。わたしは次の剣を何とかかわすと、またミリアの剣を受け流し続ける。余裕は無い、手元が一瞬でも狂えば命を落とすのはこっちだ。

 それでもひとつだけ、ミリアにどうしても問わなくては気がすまなくなった。

「ミリア。どうして、そうまでして戦うの?」

「ランス様のためです。何で今さら、そんなことを訊くんです?」

「だって、ミリアが分からないはずがない!」

 ミリアの剣を受け流しながら、それでもわたしはミリアを睨み続けた。

「あの『ランス様』は、もうランスじゃない。人の死にも苦しみにも悲しむことが無い。喜びも楽しさも全部忘れてしまった、心の無いバケモノよ。もう人間じゃないの。心があったときの自分を思い出して、上辺だけ取り繕っているだけ。空っぽの笑顔と、殺意の無い殺戮と、悲しみを理解できずに手を汚している自覚すらない……そんなバケモノのためにどうして……」

「知ったような口を利かないで下さいっ!」

 ミリアが叫ぶ。直後、手元が狂い、わたしの左肩を剣が抉った。息が苦しくなるような、意識が遠くなりそうな激痛。直後、続いて振り下ろされる左手の剣を辛うじて受け止める。いや、受け止めてしまった。動きが止まったわたしに、ミリアのもう一本の剣が突き出される。咄嗟に横に跳び、それでも脇腹を剣が掠る。ふらつく足を踏ん張って、手鏡を構えなおし、霞む視界の中でまたミリアの剣を受け流す。

「わたしがランス様に拾われて『月の国』に来て二年目……わたしとランス様が十二歳のときです」

 黙っていたミリアが、痛みを堪えるために噛み締めていたその口を小さく開く。

「忘れもしない、わたしの十二歳の誕生日。ランス様はわたしより七日だけ誕生日が早くて、わたしがランス様の誕生日に青いペンを贈ったその一週間後の朝。ランス様はわたしの誕生日に初めて魔法を見せてくれました。そしてそのとき言ったんです。『もしかしたら来年は、ミリアが喜ぶものを贈ってあげられないかもしれない』って。きっとランス様には、自分がこうなることが分かってたんです。まだ十二になったばかりの男の子が、そう言ったんですよ」

 ミリアの頬に涙が流れる。ミリアが語りだしたのは、わたしの知らないランスとの記憶だった。

「ランス様が人を初めて殺めたのが、その一ヵ月後でした。その日の夜から、ランス様は自分の部屋から出てこなくなりました。放って置いたら餓死しそうなランス様に無理矢理食べ物を食べさせて、水を飲ませました。三週間ぐらい経ったある日突然、ランス様が部屋から出てきました。わたしたちは浅はかにも喜びました。けれど二日後の朝にランス様が姿を消し、その日の夜に国がひとつ滅びました。わたしとエミリア姉さんで問い詰めました。一番苦しんでいるはずのランス様を問い詰めて、ようやく聞き出せた答えは、『こうでもしないと「月の国」は守れない』というものでした」

 苦しい。聞くだけで胸が苦しくなる。それでも同情の余地は無かった。

「ランス様は苦しんでいました。それでもランス様の意思は変わらず、だからせめて全力で支え続けようと決めました。ランス様は次第に笑わなくなり、そして笑うことしかしなくなりました。誰を殺めても、何人殺しても、国を滅ぼしても、悲しみも嘆きもしなくなりました。けれどそれでも、これはランス様が選んだ道なんです」

「馬鹿げてる……」苛立ちに任せてわたしはは叫んだ。「もうそこに、ランスの意思なんてないじゃない!」

「いいえ、願いです。願いがあります! ランス様が願ったんです、『月の国』が平和でありつづけてほしいと。だから守り続けるんです、ランス様が守りたいと願ったものを! 今のランス様に、確かに心と呼べるものはありません。けれどそれでも、ランス様は『月の国』を守り続けています。心を失って、悲しむことも、本当の意味で笑うこともできなった彼に、それでも貫く願いがまだ生きています。だからランス様をバケモノなんて呼ばせない! それだけは絶対に許せないんです!」

 ランスとの思い出のはずだった。ミリアは苦しそうに、ランスの話を嘆いた。

 ミリアはそれでよかったの? そんな言葉が浮かんで、けれどそれを言葉にするのを躊躇った。だってわたしは、ランスの本当の願いを知ってるから。

 きっとわたしと初めて会ったときから、『月の国』の第二王子はバケモノだった。たぶん、きっと、わたしに向けられたあの言葉はおそらく、本当はかつて、ランスが別の誰かに向けて言ったのと同じ言葉だったんだと思う。

 今が夜でよかった。目の端にふとこぼれた水滴を振り払って、唇を噛みながら刃を振った。

 そしてもう何度目の攻撃か。ミリアの右手の剣が振り下ろされると同時、左の剣が構えるのを目の端で捕らえる。一本目の剣を刃で受け止めると、そのまま手鏡の剣を回して二本目の剣も受け止め、二本同時に受け流す。次の瞬間、ミリアの顔が苦しげに歪むと同時、ミリアの肩から三本目の腕が生えた。その手にはすでに骨で出来た剣を構えていて、けれど体勢を崩した状態でのその攻撃はとても軽かった。攻撃を受け止めると、剣ごとミリアの体を押し退ける。

 ミリアはすでに限界だ。体力的にじゃない。戦うたび、能力を使うたびに全身を襲う激痛が、精神的にミリアの動きを鈍らせているんだろう。着地の瞬間にミリアの体が一瞬止まる。わたしはミリアの左手首を能力で捕まえた。すぐさま、ミリアが自分の左腕を切り落とす。痛々しくて見ていられなかった。ミリアは今にも倒れそうなほどに苦しげな顔を無理矢理に持ち上げ、わたしの能力に捕まらないようにとまた駆ける。

 しかし走り出してすぐ、体力的にまだ余裕のあるはずのミリアは、足を縺れさせてそのまま地面に倒れた。

 わたしだって限界だ。左肩の血が止まらない。全身を寒気が襲って、視界も霞んできている。それでも、意地でも倒れるわけにはいかなかった。

 ミリアに近づく。ミリアが顔を上げ、しかし立ち上がるのに数秒。必死に睨むミリアの正面に立ち、わたしは自分の方から刃を下げた。

「ミリア……聞いてもいい?」

 もう随分昔のような気がする。

『ナナミちゃん、ランス様をお願いしますね』『どうせわたしには……っていうのもありますけど、でも、ナナミちゃんなら良いって、ナナミちゃんでよかったっていうのも本心です』

「ミリアがランスから身を引いたとき、わたしならいいって言ってくれたよね? どうしてミリアはそう思ったの?」

「傍から見ていれば誰でもわかりますよ。ナナミちゃんが、ランス様にとって特別だったからです……」

 ミリアが気を失う。

 ここに放っておくわけにもいかないので、わたしがミリアを背負おうとしたときに、「わたしが運ぶわ」と声をかけてくれたのはイリスだった。「全部見てたの?」という問いに、イリスは頷く。「姉妹じゃなかったんだ」「姉妹だったらいいなって、そう思う人」「いままで戦ってたのに、大切な人なのね」イリスの言葉にわたしは頷いた。

「ねぇ、答えたくなかったら別にいいんだけど。最後のミリアさんの言葉のあとに、ナナミが腑に落ちそうな顔をしているように見えたのよ。なんで?」

 わたしはイリスの肩の上にある、ミリアの顔を振り返る。ミリアが目を覚ましていないことを確認して、わたしは最後に言いそびれたことを、何もかも融けて消えそうな黒い空に呟く。

「わたしが特別なんじゃない。ランスにとってわたしだけが普通だった……それだけよ」

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