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③マドカ

 朝だ。

 目をこすりながら、わたしはベッドから体を起こす。ここは王宮の、ランス付きの使用人が使う寝室だ。窓の外をみると、陽はもう随分とのぼっていた。あれ? もしかしてもうすぐ昼なのかもしれない?

「あ、やっと起きた」

「エミリアさん……」

 エミリアさんはシーツと毛布を抱え、部屋を出ようとしているところだった。わたしが手伝おうとすると、「慌てない慌てない。もうちょっとゆっくりしてなよ」なんて言われてしまった。ついでにデコピンされた。エミリアさんのデコピンは地味に痛いのです。うぅ……

「あ、それと。おかえり、ナナミ」

「うにゃ? ただいまです……なんで?」

「あんた、あの砂漠からの帰り道で寝ちゃったでしょ。わたしが背負ってきたんだからね。で、ちゃんと言えなかったから、そのときの分の『おかえり』ね」

「じゃぁわたしからも。エミリアさん、おかえりなさい」

「うん、ただいま」

「ところでエミリアさん。手当てしてもらった左手が、中のほうからチクチク痛いんですけど、これってまずいです?」

「いい傾向よ、神経ができている証拠。で、ちょっとごめんなんだけど、痛み止めがこのまえランスに使った分で切れちゃったのよ。たぶん午後ぐらいからは激痛で動けなくなるから、覚悟しておいてね」

「うにゃぁ! え、午後ってもうすぐなんじゃ……」

「そうです」

 そう言ったのはリアちゃんだ。声が聞こえて振り向くと、リアちゃんがちょうど部屋に入ってきたところだった。

「いまはもう十一時半ですよ。ナナミさんのねぼすけ」

「だって、帰ってきたの朝方だったし」

「でもナナミさん、自分の足で帰ってきてないです。それに二日間も寝ていたんですよ。寝すぎです」

「え! そうだったの?」

 エミリアさんもリアちゃんの横で顔を縦に振っている。どうやら本当らしい。エミリアさんがミリアのベッドを指差して言う。

「ミリアもまだ起きないけど、能力を大規模に使ったときはまぁいつもこうだから。二日後ぐらいにベッドから冒険に出かけて、その日の夕方にはひょっこり目を覚ますわよ。それにリアちゃんも能力使っちゃったから、丸々一日寝てたじゃない」

「でも、能力使わずに丸二日は寝すぎです」

「まぁねぇ。でも、そんなこと言いたかったんじゃないでしょ? リアちゃん、すっごい心配してたんだから」

「ちょっ、エミリア姉さんっ!」

 リアちゃんが慌てる。エミリアさんがリアちゃんのパンチを余裕で受け流し、エミリアさんが隙を見てデコピンすると、リアちゃんがまた顔を真っ赤にする。

 本当に、帰ってきたんだなって思った。

 笑いがこみ上げてきて、思わず顔に出てしまう。それがリアちゃんとエミリアさんにみつかって、「うにゃぁぁ!」二人に髪の毛をわしゃわしゃされた。

「あ、そういえばランスは?」

「わたしたちもほとんど会ってないのよ。忙しそうにしてるけど、ちょっと手伝えそうにない雰囲気でね」

「そっか……」

 少しでも顔を見れたらって思ったけど、ちょっと難しそうかな。ランスが忙しいなら、あまりわがままを言ってもいけない気がする。

 わたしは枕元にある手鏡を取る。ランスが買ってくれたものだ。二日も寝ていたせいか、寝癖がいつもよりヒドかった。

「ちょっと井戸まで行って、直してきます」

「いいけどナナミ、あんまり時間ないからね」

「あ、そっか。急いでいってきます」

 階段を下りて井戸のところへ行く。手鏡を井戸の淵に置くと、右手だけで髪を濡らす。思うようにいかないまま、左手の痛みが少し強くなった気がしたので、途中で切り上げて部屋に戻った。

 部屋にはわたしの分の昼食が用意されていた。「リアちゃんが運んできてくれたのよ」と、エミリアさんが教えてくれる。本当はわたしなんかよりも、エミリアさんやリアちゃんのほうが大変だったはずなのに。

「じゃぁまたちょっとお仕事してくるね。あんたはしっかり食べて、ベッドでおとなしくしてるのよ?」

 エミリアさんを見送ったあと、スプーンでスープをすくって口に運ぶ。リアちゃんが得意なオニオンスープだ。いつもどおりの味が、いつも以上に美味しかった。


 食べ終わってから三十分ぐらいだろうか。痛みは突然にやってきた。立てないほどの激痛で、自分がどうなっているのかも分からなくなる。叫んでいるようで、声になっていないようでもあった。手が痛かったはずなのに、もう今はどこが痛いのか分からないぐらい全身がこわばっている。のた打ち回ったり取り乱したりする余裕もなく、ただ苦しみの中で、少しでも楽な姿勢だけを探した。意識が飛ぶ。記憶が途切れ途切れだ。いつまで意識があったのかもわからないまま、気づかぬままにわたしは完全に意識を失った。


 再び目を覚ましたときには、痛みは殆どなくなっていた。部屋全体が夕日に染まっていて、わたしのベッドの横では一人の女性が赤い果実の皮を剥いていた。

「あ、マドカさん……」

「意外と早く起きたのね。あ、もうちょっとゆっくりしてなさいって」

 マドカさんは八等分した果実を〝うさちゃんカット〟にして、そのうち一匹をわたしの口に押し込んだ。「もう痛みはない?」と聞かれたが、うさちゃんのせいでうまく喋れなかったので、首を縦に振る。「それはよかった♪」なんて言って、マドカさんは笑った。どことなくいつもの〝にぱー″とは違う、自然の笑顔だったように思う。

「それにしても、惜しいことしたわね。実はちょっと前まで、ここにランス様もいたのよ」

「えっ、ランスが?」

「ええ。ナナミちゃんが痛みと戦っている間、ずっと手を握っててくれたんだから。あ、足りなかったはずの鎮痛剤を取り寄せてくれたのもランス様ね。本当は三日三晩続く痛みらしいわよ」

「そうだったんですね……知りませんでした」

「いいのよ。ちゃんとランス様に『ありがと』って言いたいでしょ、ってそれだけ」

 マドカさんが頭を撫でてくれる。なんだろう。どことなくいつものマドカさんとは、ちょっと違うような気がする。ちゃんと優しいというか、いつもの半分遊んでいるような笑顔ではないというか、うまく言葉にはできないんだけれど。

「ナナミちゃん、ちょっと聞いてもいい?」わたしが頷くと、マドカさんは言葉を続ける。「ナナミちゃんはどうしてあのとき、砂山の影から飛び出していったの? ナナミちゃんは戦えるわけでも、能力を持っているわけでもないのに」

「うーん、勝手に体が動いたとしか。自分でもよく分からないんですけど、助けるとか戦うとかじゃなくて、一緒にいてあげたいって、そう思っちゃったんです」

「もしかしたら死んじゃうかもしれないのに?」

「そうですね。たぶんそういうところ、計算するのとか苦手なんです。お馬鹿なんですよ、わたし」

「もしランスたちがまた戦いに出たらナナミちゃんはどうするの?」

「ついていきます。何もできないかもしれないですけど」

 マドカさんは「やっぱりそう言うと思った」なんて言うと、一枚の紙をわたしに差し出した。一部分が欠けた魔法式が書いてある。ランスがいつも使っている魔法式とは少しだけ特徴が違うというか、素人目でみてるから何とも言えないけど、独特な書き方がされているように感じた。似たような魔法式を最近見たような気がして少し考え、そして思い出す。

「これ、マドカさんのフライパンに書いてあったものです?」

「あ、見られちゃってたのね」それからマドカさんは、わたしの枕もとの手鏡を指差す。「それと同じものを、手鏡のサイズにあわせて書き直してあるの。刃の長さもお手ごろサイズにしておいたから。わたしが彫っても良かったんだけど、たぶん金属の加工とかは、わたしよりもナナミちゃんのほうが器用にできそうだから。左手が治ったら、よかったら頑張ってみてね」

「ありがとうございます」

「じゃ、そろそろ行くわね」

 マドカさんが立ち上がる。

 仕草もそうだが、マドカさんは本当にきれいな人だと思った。千五百人を一瞬で殺めた手。でもその手でマドカさんは、わたしに果物を剥いてくれた。頭を撫でてくれた手はとても温かかった。大切にしてもらっているけれど、わたしはこの人のことを何も知らないのかもしれない。

 それから、マドカさんは言った。

「さようなら、ナナミちゃん」

 無意識だった。だけど確信があった。それは絶対に、普段のマドカさんが言わない言葉だ。去ろうとするマドカさんの手首を、咄嗟にわたしは掴んだ。

「ナナミちゃん?」

「マドカさん、なにかあったんです? もしかして、もうマドカさんとは会えなくなっちゃうんですか?」

「もう、こういうところだけは鋭いんだから。少しお馬鹿で鈍感なほうが、生きるの楽かもよ?」

 でもたぶん、気づけなかったことで後悔するよりは、そっちのほうがいいと思う。それをマドカさんに言ったら、マドカさんは「そうね、ナナミちゃんはそっちかも」と笑った。その笑顔はどこか寂しそうだった。「甘えちゃってごめんね。ちょっとだけ、も一回お話につきあってくれる?」そう言ったマドカさんの言葉に、わたしは頷く。

「わたしね、死ぬのよ」

「死ぬ?」

「ええ。たぶん近いうちに殺されるわ。まぁわたしもたくさんの人間を殺めてしまったんだから、当然と言えば当然よね。周りから見たら、わたし一人の命じゃ釣り合わないって話にもなるでしょうし。心残りはちょっとあるけど、覚悟はしていたから怖くない……ううん、怖いけど、殺されるのには十分だって納得もしてる。三日前のあの夜だけじゃないのよ。同じようなことをその前にも二回……どうせいずれはこうなったのよ。それが今だってだけだから。だからナナミちゃんは気にしないで。ね?」

「心残りって?」

「え?」

「今、『心残りはある』って……それって何なんですか?」

 マドカさんは今度こそ「失言だったわ」と呟き、けれど、「まぁナナミちゃんならいいかな」なんて笑ってみせる。それから、マドカさんは言った。

「わたし、結婚するはずだったの。もともとの予定は二日後。そのときにお披露目もするはずだったの。名乗れるほどの家柄も、大した学もなくて、こんながさつな女でも、わたしがいいってい言ってくれた。まぁ、お家柄なんて気にする国じゃないんだけどね。素敵なミドルネームも貰って、マドカ・リリティアナ・クレセントナイトって名前になるはずだったの。楽しい生活も夢見たりしたのよ。でも、結婚したあとなんてもう望まない。形だけでもそれがほしい。名前だけでもあの人の隣にいたい。今は国がこんな状態だからあれだけど、あの人が部屋の引き出しに対になった指輪を隠してるのも知ってる。あの人、ちゃんと覚えていてくれてるの! どんなに忙しくなっても、どんなに追い詰められていても、とっても大きなものを守らなきゃいけない立場でそれが今にも奪われようとしているこのときにも、頭の片隅でちゃんとわたしのことを気に掛けてくれてる。わたしが死んだら絶対に泣いてくれる、でもあの人の泣き顔なんて見たくない! あの人、笑うとすっごいかわいいの。だけどもうずっと、あの人が笑ったところを見てない。見たいよ……もう一度だけ、あの人の笑顔が見たいの! わたしとじゃなくてもいいの。でも幸せになって欲しいの。たぶん本当に見ちゃったら胸が苦しくなると思うけど、許せなくなるかもしれないけど、でもあの人にはやっぱり笑っていてほしいの。わたしのことを忘れないでほしいけど、わたしのことなんか忘れて生きて欲しいの。でもやっぱり、あの人と一緒に幸せになりたかったのっ……」

 マドカさんが泣いていた。わたしも涙が堪えられなくなって、二人で泣いた。

 どれだけ時間が経っただろう。悲しくてどうしようもない気持ちのまま、涙だけが出なくなる。「ありがとうね」何に対しての言葉だろうか、マドカさんがわたしの耳元でと小さく囁く。そして首の後ろを叩かれたような感触。

「ナナミちゃんに会えて、本当に良かった」

 薄れてゆく意識の中、その言葉がわたしの耳を離れなかった。



 夢を見た。またあの夢だ。炎の中で、顔も覚えていない人たちの、けれどとても大切な人たちの声が聞こえる。嫌だ。嫌だ。願ってもまたひとつ、またひとつ、優しかったあの声は消えていく。またあの笑顔が見たかった。どうしようもないことで、まだまだおしゃべりしたかった。あたり一面は先も見通せないぐらい激しく燃えているのに、わたしの周りだけ、全然熱くない。まったく炎が寄ってこないのだ。それでも足は動かない。炎の向こう側の景色から目を逸らしたくて、聞こえて欲しい声を見つけられないのが怖くて。何もつかめなくてもせめてと伸ばしたはずの手を、しかし耐え切れなくて自分の身を抱いた。炎が届かないこの場所で一人、目をふさいで耳をふさいで、走馬灯のように流れる優しい記憶に耐えながら、ただ時間が過ぎるのを待つ。たぶんもうすぐ炎は消える。そうしたら、また歩き出せる。自暴自棄になった心と、全てを見失った瞳で、この場から逃げることができる。

 でも、それじゃ駄目なんだって思った。

 両手を地面について、力が入らない足を無理矢理踏ん張らせる。足が動いた。腰が上がり、けれどバランスを崩して前のめりに倒れる。別にいい。体ひとつ分だけ前に進めた。繰り返すこと三度。転びながらも前に進むことができた。そして五度目。わたしは立ち上がると、立って一歩前に踏み出した。



「ナナミちゃん、ナナミちゃんっ!」

 声が聞こえて、わたしは目を覚ます。おそらく(うな)されていたのだろう、「大丈夫? 大丈夫っ?」なんて心配そうな顔で、ミリアがわたしに抱きついてくる。あの夢のあとには、この温もりがとてもありがたかった。

「ミリア、目が覚めたのね」

「うん。階段で寝てたみたいで、誰かに踏まれて目を覚ましたのです」

「部屋を飛び出していくほどの寝相って……じゃなかった、それどころじゃなかった! マドカさん見なかった?」

「見てないですけど……」

 窓の外を見る。まだ夕日は沈んでいない。ミリアのおかげで、おもいのほか早く目を覚ますことができたようだ。「ミリア、体の調子はどう?」「おなかがすいているぐらい。もう問題ないです」そう答えたミリアの口に、マドカさんが切ってくれた果実を突っ込む。

「ミリア、起きたばかりなのにごめん。マドカさん探すの手伝って!」

 マドカさんは自分が殺されると言っていた。仕方ないとも言っていたけれど、でもやっぱり、それは違うと思うのだ。わたしに何ができるかわからないけど、もう手遅れかもしれないけど、でもここで踏み出さなかったら嘘だ。

 どんな事情があるかわからないけど、やっぱりマドカさんには生きて幸せになって欲しい。それが今のわたしの、本当の気持ちだから。

「はいっ!」

 意気の入った声。

 ミリアは事情も聞かず、ただわたしを信じて頷いてくれた。



 着替えを済ますと、わたしとミリアは部屋を飛び出した。王宮の門番に話を聞くと、マドカさんが王宮を出て行くのを見たらしい。しかし市場街の入り口での目撃証言を最後に、足取りが途絶える。陽は既に暮れて、辺りは次第に暗くなっていった。

 一時間後に再び街の入り口で集合するよう打ち合わせし、わたしとミリアは二手に分かれた。わたしは街の東側で、会う人会う人にマドカさんの子とを尋ねるが、足取りは一向につかめない。

 けれどそれ以上に、わたしは背筋が凍りつくような噂を耳にした。

『グレン王子の側近で、マドカという女がいる。見たこともない兵器を使って、東の国の軍勢二千二百人を一人で討ち取った』というものだった。

 噂が流れ始めたのは、今日の昼頃。『月の国』の人たちは、その噂をまったく相手にしていなかった。戦争とは無縁な生活を送ってきて、『焔の国』の侵攻についても全く知らされていなかったからというのもあるのだろう。

 だけど、この噂が『焔の国』の人の耳に入ったら話は別だ。

 あの砂漠で、マドカさんは逃げようとする兵士を全滅させた。目撃者はいないはずだった。誰がどのようにして二千二百の兵士が全滅したか分からないはずだったのに、これではマドカさんの命が狙われてしまう。

「ん……二千二百人?」

 しかし、ふと思う。あの砂漠で、二千二百人すべてをマドカさんが倒したわけではない。正確な数は分からないけど、そのうちの千五百人程度とマドカさんが言っていたはずだ。もし仮に、あの砂漠でわたしたちに気づかれず見ていた者がいたとして、こんな噂は流すはずがない。

 じゃぁこの噂は、誰が何のために?

 考えられる可能性はひとつだった。

「あぁもう、馬っ鹿じゃないのぉっ!」

 頭にきた。おかしくなりそうだった。そして何より許せなかった。何が何でも見つけてやると、わたしが歩き出そうとしたときだった。

「もしかして、どなたかお探しなんじゃないですか?」

 声をかけられて、わたしは振り返る。

 そこにいたのは、優しげな印象をした赤毛の女性だった。露店を出している……というよりは作物を無料で配っている、『穂の国』から来た人だ。わたしもときどき果物をわけてもらっていた。

「あ、突然申し訳ありません。わたくし、『穂の国』のアナスタシアといいます。お急ぎのご様子でしたので……もしわたくしにできることがありましたら、お手伝いさせてください」

 穏やかな口調、柔らかな表情とは裏腹に、その目の奥にどことなく真剣さのようなものを感じた。わたしは軽く自己紹介したあと、「すみません、お願いします」と頭を下げる。

 マドカさんの特徴をアナスタシアさんに伝えると、わたしたちは街中の通りを隈なく探した。それでも手掛かりさえ掴めないまま、ミリアと約束した一時間が過ぎる。わたしたちが街の入り口に着いて二分後ぐらいにミリアが来た。ミリアのほうも収穫はなかったようだった。

「もしかしてマドカさん、わたしたちが探してることに気づいているのでしょうか? だとしたら、本気で隠れたマドカさんを見つけるのは難しいと思います」

 街中の人にマドカさんについて尋ねて回ったので、耳に入っていてもおかしくはない。わたしたちの姿を見られていてもアウトだ。完全に警戒されてしまっているだろう。そうしたらもう、マドカさんを見つけることなんて……

「いや……できるかも」

 ふと思いつく。正確には、見つけることができるかもしれない人について、心当たりがあるのだ。そして同時に、わたしは理解した。割れて砕けたステンドグラスを再び組み立てなおしたような感覚が、出来上がった絵面(えづら)に対する腹立たしさで塗りつぶされる。怒りで頭がおかしくなりそうだった。

「ミリア、王宮に戻るけど、まだ走れる? それとアナスタシアさん。手伝ってくれてありがとうございました!」

 ミリアが頷くのを確認して、わたしは王宮へと走る。わたしの後ろにはミリアと、それからアナスタシアさんも一緒に走ってきていた。

「ナナミさん、乗りかかった船です。もう少しお供します」

「すみません、助かります」

 ランスに会う約束の来客だと門番に嘘をついて、アナスタシアさんを含め三人で王宮に入る。既に夕食の時間は過ぎている。わたしが向かった先は、グレン様が兵士たちと会議をするときに使う軍議室だ。

 思えば、クレセントナイトなんて珍しい姓を持つ者は、この国には三人しかいなかった。ランスと、それから国王陛下。そしてその二人よりもマドカさんに近しい、あの人だ。

「失礼します!」

 軍議室の扉を開ける。本来ならば、入る権利のない部屋。この部屋にいたのは、国王陛下とランス、グレン様、そして兵士が10人ほどだ。

「軍議中だ、出て行け」

 グレン様がわたしを睨む。怖い。普段とはまるで別人だった。

 けれどマドカさんをなんとしても守りたい。だからわたしは、意を決してグレン様に言った。

「聞いてください、グレン様にお願いがあってきました!」

「つまみ出せ」

 二人の兵士にわたしは両腕を掴まれる。振りほどこうとするが、大人の男二人に腕力で勝てるはずもなく、びくともしない。ふと見ると、ミリアが怒った顔でグレン様を睨んでいる。こんなミリアを見るのは初めてだ。もしかしてここで能力を使わないだろうかと思った矢先、

「では、わたくしのことも力ずくで排除しますか?」

 ミリアよりも早く一歩踏み出したのは、アナスタシアさんだった。

「わたくしはアナスタシアといいます。『穂の国』から来ました。もしよかったら、ナナミさんの話だけでも聞いていただくことはできないでしょうか?」

 アナスタシアさんの言葉のどこに反応したのか、グレン様の指示で兵士が引き下がる。アナスタシアさんに礼を言うと、小声で「がんばって」とアナスタシアさんが言ってくれた。

 わたしは大きく息を吸うと、覚悟を決めて話し始める。

「今、市場街で有る噂が流れています。二日前の早朝の砂漠で、マドカさんが二千二百人の兵士を一人で全滅させたというものです」

「それがどうした?」

「この噂を流したのは、マドカさん本人です。それともうひとつ大切な点が、このことは事実とは多少異なると言うことです。あの戦場で戦ったのは、マドカさんのほかにランス、エミリアさん、ミリア、リアちゃん。そしてわたしもその場に居合わせました」

「では、仮にマドカがその噂を流していたとしよう」グレン様が言う。「だが、それは何のためだ? この国にはすでに『焔の国』の密偵やら暗殺者やらが忍び込んでいるはずだ。それはマドカも知っている。自分を危険にさらして、マドカは何をしようとしている?」

「密偵や暗殺者の目をわたしたちから目を逸らして、守るためというのがひとつ。もうひとつは、『焔の国』との戦争に勝つためです」

「戦争に勝てるんです?」ミリアが驚いて言う。「だって、周辺の国の力を合わせても勝てない戦力を持ってるんですよね?」

「そう。だけど逆を言えば、周辺国はほとんどが『月の国』の味方なのよ。だから『焔の国』の戦力を『月の国』が超える必要はない。周辺国すべての戦力で『焔の国』を上回れば、『焔の国』が『月の国』に侵攻することはできなくなるのよ」

 目の焦点が合わないまま、ミリアが頷いている。本当に分かってるんだろうか?

 わたしはグレン様に向き直る。

「ランスが言っていました。『「焔の国」の戦力がこの程度のはずがない。次はもっと大人数で来るはずだ』と。今回の戦争の作戦は、こうですよね? まず、最小限の人数で攻めてくる『焔の国』の兵士を返り討ちにして一網打尽にする。警戒して大人数で侵攻してくる『焔の国』の兵士を、前回とは別の方法で再び全滅させる。二回目の侵攻で『焔の国』の戦力を十分に削れれば、こちらの勝ちというわけですよね?」

「概ねその通りだな」グレン様が頷く。「で、それが街で流れている噂とどう関係があるというのだ」

「ランスが使う魔法の存在を隠すためです」

 三日前の早朝。わたしがランスたちに追いついたとき、砂の上にはとても大きな魔法式が書かれていた。おそらくあれは、敵兵二千二百人をどうにかできる大規模な魔法だったのだろう。魔法が発動しなかったときの反応から見ても、ミリアやリアちゃんを連れていたのも、保険程度のつもりだったに違いない。

 以前にグレン様は、『チェックにはあと一手、駒が足りない』と言っていた。そのことでランスに相談したはずだが、そのときランスは大規模魔法の存在は伏せたに違いない。あのときランスは、一人でやり遂げるつもりだったからだ。本来はミリアやリアちゃんの手を汚させるつもりも無かったのだろう。

 けれど、結果として大規模魔法は発動しなかった。マドカさんが魔法式の一部を意図的に消してしまったからだ。

 そしてマドカさんは、大規模魔法の存在をグレン様に伝えるために、わたしたちよりも一足先に帰ったのだ。

「一回目の侵攻で、『月の国』側に大規模な魔法があると『焔の国』に知られてはいけなかった。何故なら、大規模魔法を使って二回目の侵攻を迎撃するつもりだから。ですよね? 『一回目の侵攻は、マドカさんが二千二百人すべてを殺めた』『町でマドカさんが暗殺者に殺される』『「月の国」には今度こそ戦力は無いと思い込んで、「焔の国」が攻めてくる』。それがグレン様の計画で、それを成功させるためにマドカさんは自ら噂を流したんです」

 だから正確には、マドカさんはこの国のために命を懸けているのではない。

 グレン様の計画を成功させるために、死を受け入れようとしているのだ。 

「ナナミ……」ランスが言う。「グレン兄さんはもしかして、マドカさんがこうするって知ってたってこと?」

「そう。それも含めて、グレン様の計画なの」

「グレン兄さんも、いくら何でもそこまでしないよ。それともナナミ、何か根拠でもあるの?」

 根拠ならある。証拠なら目の前にある。

 それを口にしようとして、目の奥がツンと痛んだ。分からないけれど、わたしは悲しいんだと思う。怒りもある。苛立ちもある。だけど今は、マドカさんの気持ちを思うと涙が出てきそうだった。目元にたまる雫を指で除けると、わたしはグレン様を指差して言う。

「この人が今ここにいることが――大切なはずのマドカさんが危険な状態になっているかもしれないのに、探しに行っていないことが、二人が共犯であることの何よりの証拠なの。二日後、グレン様とマドカさんは結婚する予定だった……ですよね? ほんの数時間前、最後にわたしがマドカさんに会ったとき、マドカさんが言ったんです。自分を選んでくれて嬉しかったって。一緒に幸せになりたかったって。最後に笑顔のグレン様が見たかったって。せめてあと二日間生きたかったって。名前だけでも、グレン様の隣にいたいって。マドカさんはグレン様のことを信じてました。いつでもマドカさんのことを忘れない人だって、とっても大切にしてくれる人だって言ってました。だけどあろうことか、あなたはマドカさんを捨て駒に使ったんですよ!」

「そんなつもりはない!」

 グレン様が言う。とても辛そうな顔をしていた。グレン様とマドカさんは本当に愛し合っているのだと感じた。

「俺だって悩んだ。他に方法が無いか悩み、使えるものを全て使っても無理だった。マドカと二人で話し合って出した結論だ」

「ふざけないでください! マドカさんが今どんな気持ちか考えて。いつ殺されるか分からないまま誰にも頼れない心細さを、最期に誰とも話したり手をつないだりできない寂しさを、好きな人の名前も呼べない苦しさを! グレン様が一緒に生きようって言ってあげるだけで、心が温まると思うんです。マドカさんは、グレン様の笑顔が見れればそれでよかったんです。マドカさんはたとえこの国がどうなっても、グレン様がいてくれれば、それでよかったんですよ!」

「ふざけるなぁっ!」

 グレン様が激昂する。わたしはグレン様に頬を殴られ、そのまま壁に叩きつけられた。立ち上がろうと思ったが、力が入らない。止めに入る兵士たちをすべて跳ね除けて、グレン様はわたしの胸倉を掴んで言う。

「貴様の言うそれができれば、どれほど良かったことか。俺だって同じ気持ちだ、マドカさえいれば他は何もいらない! 今日ほどこの立場を呪ったことなどない。今日ほど自分の無力さを嘆いたことはない! 貴様に何が分かる? 永遠に愛しそれを貫くと、綺麗言ではなく本気で心に誓った。何があろうと、何を差し置いてもただただ守りたいと思った。マドカが笑顔ならそれでよかった、マドカが幸せならそれでよかった! ただマドカのために生きられたら、どんなに良かったことか。けれど選べるわけがない。この国の二万七千の国民とマドカ一人、比べるまでも」

「選んであげてよ!」

 頭がくらくらする。体に力が入らない。重く感じる右腕を伸ばし、うまく握れない指でグレン様の胸倉を掴み返し、それでもわたしはあらん限りの声で叫んだ。

「マドカさんもグレン様も馬鹿ですっ! 割り切れないんでしょ? マドカさんも諦めきれていないはずですよ! 二万七千人の中からただ一人、マドカさんを選んだんですよね? だったら本当の本当に最後まで守り通してあげてよ! 幸せにしてあげてくださいよ! 国が何です? 立場がなんです? そんなものよりよっぽど大切な人なんだったら、駆け落ちでも何でもすればいいじゃないですか! ねぇ、グレン様。マドカさんを助けて……もうマドカさんを本当の意味で助けられるのは、グレン様しかいないんですっ!」

 わたしの胸倉を掴む、グレン様の手の力が弱まった気がした。「兄さん。とりあえず、この手は下ろそう」と、ランスがグレン様の腕に手を沿える。

「それとさ、兄さん」ランスが言う。「ナナミの言うとおり、マドカさんを助けに行こう。作戦はまた、別のを考えればいいよ。きっと何とかなるから」

 兵士たちが頷く。見ると、国王陛下も同じように頷いていた。ランスの言葉を聞いて、兵士たちの顔を見たグレン様の頬から、一筋の雫が流れ落ちるのが見えた。グレン様はそして一言、「ありがとう」と言った。

「グレン様。マドカさんの居場所を教えてください」

「ああ。だが、俺も行こう」

 兵士達がそろって自分も行くと言い、国王陛下もそれを許可する。ランス、ミリア、アナスタシアさんも含めてわたしたち十五人は、市場街へと足を急がせた。

 グレン様もはっきりとした居場所を知っていたわけではなく、グレン様の指示のもとで捜索をする。そして開始からわずか十分、マドカさんは発見された。

 マドカさんは生きていた。

 場所は、市場街の中央広場。遮蔽物がないため暗殺者が狙いやすく、しかも周囲を巻き込みにくい場所だ。頬と服とを赤く汚し、呆然と水溜りに立ち尽くしている。その赤い水溜りに、透明な雫が落ちる。涙だ。マドカさんの足元には七人分の遺体が転がっていて、その真ん中でマドカさんは声も上げずに泣いていた。

 グレン様が駆け寄る。赤い水溜りに踏み込むと、マドカさんを強く抱きしめた。

「ごめんなさい。わたし、死ねなかった」

「俺のほうこそごめん。もう絶対に、今度こそ絶対に放さないからっ!」

 グレン様がマドカさんの手を引く。血溜りの中から、マドカさんがこちらに帰ってくる。わたしの横でアナスタシアさんが「よかったですね」と言い、わたしはそれに頷いた。



 頭がくらくらする。グレン様に殴られたときのが、まだ残っているようだ。それに加えて、中央広場の血溜りも応えた。あの夢を思い出してしまって、足に力が入らなくなる。

 アナスタシアさんと別れたあと、わたしは適当な建物の壁に背を預けて座った。グレン様も、マドカさんも、兵士たちも、みんなが王宮に帰っていく。一人、取り残されてしまう形になるが、まぁしょうがないと思うことにする。

 それにしても疲れた。今ここで目を閉じたら眠ってしまうだろうか。それでもまぶたが重くて、次第に意識が薄くなっていくのを感じていた。

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