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Last inning : FAMILY

【オー! マイ! ガァッ!】


 アナウンサーの魂の叫びが、アルゲニーズパークにこだまする。


【我らがピッツバーグ・アルゲニーズ、今シーズンの開幕戦は、近年まれに見るクソ試合だ!

 初回いきなり8点先取の猛攻で楽勝ムードかと思ったら、その後、守備陣が大崩壊! トンネル・ファンブル・悪送球と草野球レベルのクソエラー連発であっという間に貯金を食いつぶして、迎えた最終回、点差はたったの一点ぽっち! これが地区チャンピオンの戦いか? 情けなすぎて涙出てくらァ!】


 アルゲニー川の上に浮かぶ満月と、カクテルライトがグラウンドを照らす午後九時半。


 今日はめでたいシーズン開幕戦だ。

 昨年、四半世紀ぶりの地区優勝を果たし、ディフェンディングチャンピオンとして迎えたホームゲーム。

 さぁ黄金時代の到来だと詰めかけた観客たちが目撃したものは、しかし、あきれんばかりのエラーのバーゲンセールだった。


「このヘタクソども! やる気あんのか、コラァ!」「これじゃ去年の最初と一緒じゃねーか!」「金返せ、バカー!」


 ブーイングに包まれる場内は、勝っている側とは思えない雰囲気だ。

 昨年までであれば「いやまぁリードしてるし」ですまされただろうが、うっかり地区優勝などしてしまったせいで、ファンの求めるレベルも上昇していた。

 選手にしてみれば痛し痒しというやつである。


「だーかーら! お前のトンネルがなけりゃこんなことになってなかったんだよ! 『アイツ』の前でいいトコ見せようとしやがって!」

「俺のせいだって言うんスか! ウィルソンさんだって悪送球かましたじゃないっスか!」

「ちげーよ、あれはゴメスが捕れないのが悪りぃんだよ!」

「おい、俺のせいにすんな! あんなクソボール、腕が十メートルあったって取れるか!」


 グラウンドでは、実に醜い責任のなすり合いが繰り広げられていた。


 イニングの始まり、クローザーを迎えるためにマウンドに輪なりになったところで、誰かが「今日の戦犯決めようぜ」などとぬかしたのが始まりで、そこから口論までは一直線。

 昨年までであれば、お互い「野球ってむずかしいよネ♪」で済ませたのだろうが、うっかり地区優勝などしてしまったせいで、どいつもこいつもプライドだけ高くなっていた。


「コホン。まぁ、落ち着きたまえ、キミタチ」


 終わらない論争に、咳払いとともに割り込んだのは他でもない、ドビーだった。


「ここで犯人探しなどしても仕方ないと思わないカイ。大事なのは、失敗を糧とし、次に生かすことじゃないカネ」


 もちろん、内野陣はポカン、の勢ぞろいだ。


「……ちょっと、どうなってんスかこの人。言うことおかしい」

「さぁ。なんか試合前に小難しそうな本読んでたけど」

「そういや今年は路線変更するとかなんとか言ってたな。通勤の話かと思ってた」


 ドビーは、フッフッフと貫禄たっぷりの低い声で、


「俺は生まれ変わったのさ。『アイツ』に頼るだけの、バカでハゲでタコな男はもういない。優勝チームの守りの要として、今シーズンはリンカーン大統領のごとき威厳とリーダーシップをもって、チームを引っ張ってみせよう」

「リンカーンとか言い出したぞ……」

「何した人か知ってるんスかね」

「おい、ドビー。なんかリンカーンの言葉言ってみろ」


 自称守りの要は、自信たっぷりに胸を張り、


「ニンジンのニンジンによるニンジンのための政治、だろ? 実にベジアリアンだな」


 だぁー、とドッチラケの空気がマウンドをおおい尽くした。

 予想通りの脳筋ぶりである。


「ニンジンじゃねーよ、人民だ人民! 単語くらい読めるようになってから物言えよ!」

「お……」

「だいたい、何が守りの要なんスか、ドビーさんだってパスボールやらかしたくせに」

「む……」

「あれで一気に流れ悪くなったんだよなー。ピッチャーがヘソ曲げてよー」

「ぬ……」

「そういや盗塁刺そうとして悪送球もやらかしたっけ。何の取り柄があんのこの人?」

「……」

「何がベジタリアンだよ。教養もねーくせに黙ってろよ、このバカ」「そうスよ。頭髪もないくせに黙っててくださいよ、このハゲ」「このタコ」「このバカ」「このハゲ」「このタコ」


 威厳とリーダーシップは、一分ともたなかった。


「う! る! せ! え――――っ! てめーら、黙って聞いてりゃブチ殺すぞコラァ!」

「あーっ、もうキレた!」「しかも逆ギレだ!」「やっぱタコだ、タコ!」「うるせぇ!」


 取っ組み合いを始めた守備陣に、コーチや審判が止めに入る。


【あーあー、とうとうマウンドでケンカはじめやがったぞ! こんなんじゃ今年も先が思いやられるぜ! やっぱ『アイツ』に頼るしかねーよ、こんなんじゃよォ!】



 ■□■



「タマキ!」


 頭の上から、クラリネットのような高い声が降ってきた。


 見上げてみると、ブルペンベンチの屋根の上、金網から身を乗り出しのぞき込んでくる一人の少女の姿。

 チョコレート色の肌に、肩まで流れた綺麗な黒髪、クルミのように丸く大きな瞳。

 ドビーの一人娘、アニーだった。


 白髪の姫君は、朱色の瞳をスタンドに差し向けた。


「あにーサン。来ていたのであルますか。一人で、ではないであルますよね」

「オフコース! パパに連れてきてもらったの、今は迷子になってるけどね!」

 『パパ』というのは、ドビーと別れて後に、母親の再婚相手となった男のことだ。


 迷子というが、おそらく、アニーのほうが彼を置き去りにしてしまったのだろう。騒ぎにならなければいいのだが。


「タマキ、身体は大丈夫なの?」

「はイ。もう心配いらないであルます」

「本当に? 日本のことわざでも言ってるわよ、病は癒ゆるに怠る、って。治ったと思ったときが、一番こわいんだから」

「大丈夫であルますよ。何ならハンマーで殴ってみてくだサい」


 帽子をとって白髪をかき混ぜてみせると、アニーは鈴の鳴るようにころころと笑った。


「どびーサンとは会ったのであルますか?」

「うん、試合前に。なんかね、『頭がよくなる本貸してくれ』って言われた」

「……なんであルますか、それは」

「さぁ? ごめんね、変なダディで」


 顔中のパーツを線にして笑うアニー。


 と、その顔がふと真顔に変わった。

 次に落ちてきたのは、遠慮がちに探るような声。


「ねぇ、タマキ。タマキは……さびしくはない?」

「さびしい……? どうしてであルますか?」

「だってタマキ、入院してる間もずっと一人で……こっちに家族がいないんでしょ。だから」


 ああ、と珠姫は心中納得した。

 彼女はきっと、これを言うために、わざわざやってきたのだ。


 入院中、一度見舞いに来てくれたことがあったが、そのときも「他に見舞いはいないのか」「退屈していないか」ということを、しきりに気にしていた。


 海の向こうからやってきて、一人きりでリハビリをしている日本人の女。

 その姿に、彼女はきっと、実の家族と離ればなれになっている自分自身を重ね合わせているのだろう。


 他人の痛みを、自分の痛みとして受け止めることができる――優しい子だ。


「大丈夫であルますよ。ひとりは慣れているであルますから」


 安心させるつもりで返した言葉は、しかし、アニーを余計に悲しませてしまったらしい。

 クルミの瞳は、いっそう暗く曇ってしまった。


「……あのね、タマキ。さっき会ったとき、ダディが言ってたの」

「?」

「去年はタマキに無理ばっかりさせすぎた。だから今年は、アルゲニーズをタマキに頼らなくていいチームにするんだって。そのために、自分が賢くなってチームを引っ張っていくんだって。……これ、タマキには言っちゃダメって言われたから、ヒミツね」

「……」

「私、思うの。血がつながってるのだけが家族じゃない。心がつながってるのも、家族だって。だからね、タマキ。あなたはひとりじゃない。私もダディも、アルゲニーズの人たちも、みんなみんなタマキの家族だから」


 そういうアニーの瞳は、どこまでも暖かく、一生懸命だった。


「あ、いけない! パパがこっちに気づいちゃった! ごめんねタマキ! がんばって!」


 あわてて背を向け、帰ろうとするアニー。


 と、そこで。


「あにーサン」

「え? ……きゃっ!」


 振り返ったアニーの胸元に、ボールがぽすんと収まった。

 珠姫が、手にしていたボールを放ってよこしたのだ。


「予約券の代わりであルます。試合が終わったら、持ってきてくだサい」

「え? え?」


 何のことだか分からず、あぜんとするアニーに、珠姫は柔らかく微笑んでみせた。


「今日のウィニングボールと、交換しまショう。プレゼントであルます――お姉サンからの」


 ぽかんとしていたアニーは、やがてパッと顔を輝かせて、


「うん! ぜったいよ、お姉ちゃん!」


 ワンピースの裾をひるがえらせて、自分の席へと帰ってゆく。


 それを微笑みとともに見送り、珠姫はグラウンドに目を向けた。

 金網ごしに見えるマウンドでは、ドビーと内野陣が何やらギャーギャーと言い合っている。

 よく分からないが楽しそうだ。早く混ざりたい。


「ヒメカワ選手、出番です!」


 スタッフが呼び出しに来ると、コーチとブルペン捕手たちが一斉に拍手を送ってくれた。


「さぁ、行ってこい!」「思い切り楽しんでこいよ!」「頼むぜ、プリンセス!」


 こくりとうなずき、次いで胸に手を当てる。


 ――珠姫よ。


 あの少女の声は、今はもう聞こえない。

 安倍の娘が最後に作ってくれた道は、もう閉じてしまった。


 それでも、こうして手を添えれば、彼女の魂が、意識が身の内に息づいているのを感じる。


 声は聞こえなくても、彼女が生きているのが分かる。

 自分と同じ風景を見て、同じ夢を追いかけてくれているのが分かる。


 それで十分だ。


【さァ、お待ちかね! ポンコツぞろいのチームの中で、ただ一つの希望の星の登場だ! 去年のシーズン後、神様に連れてかれそうになっちまったが、そうは問屋がおろさねェ! アルゲニーズファン全員の綱引きで天国から連れ戻してやったぜ、ざまぁみやがれ!】


「タマキーッ! よく帰ってきたぞーっ!」「今年も魅せてくれよ! クノイチガール!」


 球場中のファンが、声援とスタンディング・オベーションで出迎えてくれる。


【聞こえるか、おい! ピッツバーグはお前を待ってたぜ! テレビの前のヤツらもそうじゃないヤツらも、拍手で迎えてやってくれ! ウェルカムバック、プリンセス・クノイチ!】


 ブルペンの扉が開く。

 吹き込む風に乗って、芝の匂いが体を包み込む。

 満場の拍手と喝采が、夜空から降りそそぐ。

 照明がまばゆくグラウンドを照らす。


《ピッチャーの交代をお知らせします。ラミレスに代わりまして……》


 さぁ、行こう。

 家族の待つマウンドへ。

 光り輝くダイヤモンドへ。


 ともに目指す、世界一の夢へ。


《背番号91! タマキィ! ヒメカァーワ!》


 きらめく緑のステージへ、珠姫は一歩を踏み出した。

                                (了)

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