麗華の章 その五
麗華の章 その五
終業式が終わった。
私が一階に行こうと、教室を出ると、若林くんが待ち構えていた。
「麗華さん、今日は大事な話があるんです」
なぜ、こうもしつこくするのだろう。私は、何度となく拒否の態度を示したというのに。
断る方の身にもなってほしい。告白を断るというのも、案外にエネルギーを使うのだ。
「話なら早くしてもらえないか? 行くところがあるのでね」
「場所を変えませんか? ここだと、人目がある」
若林くんは、私の後から覆いかぶさらんばかりに近付いてくる。
いったいどういうつもりだろう。私は不快感でいっぱいになる。
「離れてもらえないか? 不快きわまりない」
「麗華さん! また、山野のところにいくつもりですか? 何だって、あんな奴のところに! ダブリで、障害者ですよ? なぜ、僕を選んでくれないんだ? 僕は成績だっていい。
あいつが、僕に優っているところなんて、何もないはずだ!」
廊下にいる生徒たちが、何事かと一斉にこちらを向く。
なるべくなら、人前で恥をかかすような真似はしたくないが、こうなっては仕方ない。
「若林くん。この際だはっきり言わせてもらう。私は君と交際するつもりはない」
若林くんの目がひくひくと痙攣している。
「じゅ、受験が終わるまではってことですよね? そ、そうですよね?」
「いや、受験が終わろうが、卒業しようが、社会人になろうが、未来永劫、君と付き合うつもりはない。諦めてくれ」
若林くんが、よたよたと後に下がり、座りこむ。
「な、なんですか? なぜ、僕と付き合えないと?」
「理由は、簡単だ。私の友人を悪くいうような人と付き合えるはずなどない。それに、私は好きな人がいる。では、お先に」
私がそう言って立ち去るのを見て、ざわめきが聞こえる。
これで、また私のことを冷たいとか、調子に乗っているという人が増えるのだろう。
私は、変な期待を持たせないようにしたつもりだ。
好きでもない相手に、愛想を振りまけるようなことは、私にはどうしてもできない。
私が、2階へと続く階段の踊り場に来ると、後から肩を掴まれた。
「待ちなさいよ! 若林くんに謝りなさいよ!」
声の主は、隣のクラスの女生徒だった。顔はなんとなくわかるが、名前は知らない。その後にも友人とおぼしき2人の女性とが控えている。
「私が? なぜ?」
女生徒は、顔を真っ赤にして今にも飛び掛らんばかりの勢いで、私を非難する。
「なに言ってんの! 若林くんを誘惑しといて、飽きたら捨てるの?! 若林くんがあんたのこと好きだって言うから、私は諦めたんだからね! 謝りなさいよ! 若林くんに手をついて謝りなさい!」
「私は、謝るつもりはない。何も自分に恥じるところはない」
女生徒が振りかぶった。私を叩いて気が済むなら、それもいい。
〝パシン〝
渇いた音と共に、頬に痛みを感じる。
私は、叩かれてもそのままの姿勢で、女生徒をじっと見つめた。
「気が済んだかい? では、失礼する」
後で、女生徒たちが私を罵倒する声が聞こえる。
強がって見せても、女生徒達の一言、一言が私の胸に突き刺さる。
私は、本当は泣き出したい気持ちを抑えて、2階のトイレに入った。
誰もいないことを確認して、少し安心すると、ボロボロと涙が溢れ出した。
私は、嫌な女なのだろう。綺麗と思って、調子に乗っているんだろう。
少し頭がいいと思って、お高くとまっているんだろう。
同性の友達など一人もいないのだろう。
自分の心の鎧が、彼女達に浴びせられた言葉によって、剥がれ落ちる。
私は、そんなに酷いことをしてしまったの?
本当にそうなの?
会いたい。山野くんに。彼の声が聞きたい。
私は、顔を洗い鏡を見る。
ひどい顔。落ち込んでいるのがいっぱつでわかってしまう。
私は、鏡で笑顔を無理に作る。
私の最高の笑顔で、山野くんに会うんだ。
そう思うと、胸が暖かくなってくる。
傷つけられた心が、温められ、傷が癒えていく。
「よし。なんともないぞ!」
私は、1階へ向かった。
2年3組に行くと、山野くんは一人教室で待っていてくれた。
彼の元へ歩み寄り、笑顔を作る。
「いよいよだね。まずは、合宿免許なのでしょ? 準備はできてるの?」
「うん。必要な物は、明日用意する予定だよ」
山野くんは、またカメラ雑誌を見ている。昨日、お母さんに注意されたばかりだというのに。しょうがない人。ダメだぞ。無駄遣いしちゃ。
私は、山野くんの後にまわり雑誌を覗き込む。
「また、カメラの記事なんてみて。おばさまに、無駄使いはダメだと昨日怒られたばかりなのに」
「いや、見てるだけ。ホントだよ。レンズとかカメラは、しばらく我慢するよ。まあ、眺めてるだけならタダだし」
私は、前かがみになって視線の高さを山野くんと合わせる。
「本当? 怪しいなあ」
「ほ、本当だって。車だって買うの止めて、母さんの車に手動装置付けることにしたぐらいなんだから」
ちゃんと、節約することにしたんだね。えらいぞ。
私は、少し悪戯心がわいてくる。ちょっと困らせちゃえ。
「わたしが、BMWに乗って! って言ったらどうする? なんならアウディでもいいわ」
「う、うん。じゃあ、帰りにパンフレット貰いに行くよ」
また、真に受けちゃって。そんなこと本気で言うわけないでしょ?
私は、山野くんの肩をぽんと叩いた。
「冗談よ。冗談。山野くんは、すぐ真に受けるんだから。私が、そんな性悪女に見える?」
山野くんは、ニコリと笑ってくれる。
私ね、同級生たちからはそう思われてるんだ。でも、それはいいの。そう思われったって、平気。
山野くんさえ、本当の私をわかってくれていれば。
「意地悪だなあ。そうそう、ちょっとテニスコートに行きたいんだけど」
「いいわよ。行きましょう」
私と山野くんは、校庭の端にあるテニスコートに向かった。
顧問の井上先生が、山野くんを見つけて嬉しそうに駆け寄ってくる。
「山野ー! この野郎! やっと来やがって! 退院したら真っ先に、ここにこんかー! 待ってたんだぞ、儂はー!」
井上先生は、本当に嬉しそうだ。
よかったね山野くん。待ってくれている人がいて。
きっと、君の人徳だぞ。
「井上先生、お願いがあるんです。2週間後、8月の頭ぐらいから、練習後に1時間でいいんですコートを貸してもらえないでしょうか?」
「山野、お前何言ってんだ?」
「勝手なことを言ってるのはわかってます。本当ならどこかコートを借りればいいんですが、お金がその……」
「儂は、テニス部員が練習後に来て、どうするんだ? と言ってるんだ! お前はここの部員だ。退部したと儂は思っとらんよ。
いつでも好きな時にきて、好きなだけ使え! 今日からだって、全く構わん」
井上先生が、コートの使用を快諾してくれて、山野くんも嬉しそうだ。
よかったね山野くん。
「ありがとうございます! お言葉に甘えさせていただきます!」
「ぐはははは。またお前のプレーが観れるかと思うと、儂はわくわくしてきたぞ。おっ、そうだった。お前に見せたいものがある」
井上先生は、突然立ち上がると、校舎の方へ走りさってしまった。
見せたい物って、なんだろう? それにしても、慌ただしい先生だわ。
私たちが、井上先生と待っていると、神崎くんが近付いて来た。
私を舐めるようないやらしい目で見る。なんだか、背筋がゾッとしてしまう。
でも、今は、嫌な顔はできない。山野くんの練習場所を借りにきているのだから、我慢しないと。
「山野、コートを使うって? 見ての通り、部員が多くてさ。いきなりこられて、使うとか言われると迷惑なんだけどさあ」
神崎くんは、横柄な態度で、山野くんを見下ろす。
「いや、何もずっと使わせてくれとかじゃないんだ。みんなが終わった後にちょっと使わせてくれるだけでいいんだよ。みんなが練習している時は、僕は壁打ちしてるし、邪魔はしないよ」
神崎くんは、私をチラリと見ながら、尚も横柄な態度を取り続ける。
我慢よ。我慢。ここで怒ってしまったら、台無しになってしまう。
「ボールだってタダじゃないしさあ。お前がユース代表だったのは、昔のことだろ? そんな変なのに乗って、ちょろちょろされると目障りなんだよなあ。それともなにか? 障害者で努力してる自分をアピールしたいわけ?
なんか、痛々しくて嫌なんだよねー。俺そういうのさあ」
なんですってー! 私は唇を噛み、叫びだす寸前の自分を必死に抑える。
あとで、見てらっしゃいよ。ただじゃおかないから!
「そんな意地悪しないでくれよ。元ダブルスのパートナーだろ? サーブだって、僕が教えてあげたじゃないか? お願いだよ。みんなの邪魔はしないって約束するからさ」
神崎くんは、優越感に浸った顔で、私をチラチラ見る。
さも、山野くんをやり込めている自分を誇示するかのように。
最低よ。あなたは。
「ふーん。そんなに、ここで練習したいんだ? かつてのユース代表も落ちたもんだねえ。1年前だったら、練習場所に困ることなんてなかったのに。
まっ、僕も鬼じゃないよ。交換条件をだそう。麗華さんに付きまとうの止めてくれない?
麗華さんは、優しいから言わないけど、迷惑してると思うんだよ。なんといっても、僕たちは受験生だからね。どうだい?」
もう、黙ってられないわ! 一言いわないと気がすまない!
私は、強い口調で、神崎くんを批難する。
「何なのそれは? 私は、自分の意思で山野くんと一緒にいるわ。あなたにつべこべ言われる筋合いはないわよ!」
なぜか、神崎くんは嬉しそうな顔で私を見る。なんで? 日本語が通じないの?
「わかってますよ。麗華さん。あなたの気持ちは。優しいあなたがかわいそうな障害者に、冷たいことなんて言えっこない。大丈夫です。僕がこの愚か者に、身をわきまえるように言って聞かせますから」
もう! 私はそんなこと言ってない! 自分に都合のいいように解釈するのは止めて!
「私が、じ・ぶ・ん・の・い・し・でって言ってるでしょ?! 何をいってるのあなたは! こんな風に変なことしたらね、あなたを嫌いになりこそすれ、好きになることなんてぜ~たいにないわよ! いい加減にして!!」
神崎くんは、私の言葉が聞こえなかったかのように、山野くんに返答を求める。
ダメだわ。この人は、常識が通じるような人じゃない。
「さあ、どうなんだ? 山野はどう思ってるんだよ。お前なんかが、麗華さんと一緒にいていいなんて思ってないだろ?
素直に、もう付きまといませんと言えよ。そうしたら、コートを何時間でも好きなだけ使わせてやるからさ」
もういい! こんな風に言われるなら、違うところに行った方がいい。
山野くんは嫌がるかもしれないけど、コート代とかボール代は私も出すわ。
私が、もう立ち去ろうと、山野くんの車椅子を押そうかとしていると、
山野くんが後にいた、私の真横まで下がる。
「白鳥さん、ちょっと屈んでくれる?」
なんだろう? 何か意味があるの?
よくわからないけど、私は山野くんから言われるままに屈んだ。
山野くんのたくましい腕が、私の肩に回されて、ぐっと引き寄せられる。
山野くんの顔に私の頬が触れる。
きゃっ。どうしたらいいの私は! 神様、ありがとう! 今日は嫌なことが続くと思ってたけど、これで、帳消しです!
「へっ。お前なんかに、頼んだりするかよ。お前の愛しの麗華様と俺はこんなことできる仲なんだよ。
どうだよ? 羨ましいかよ? お前なんかに絶対できない真似だぞ!!」
神崎くんは、目を白黒させ、人とは思えない声をだした。
「きーーーーー!!!! お前なんかに!! お前なんかに絶対コートは使わせないからな!!! キャプテンの僕が決めたんだ!!! お前は消えろ! 消えてしまえ!!」
もう我慢できない! 顔をひっぱたいてやるわ!
私がそう思いながらも、山野くんに肩を抱かれている心地よさから、抜け出せないでいると、後からきた男子部員が、神崎くんを蹴った。
「痛っ!! な、何するんだ?! 石飛! お前は2年のくせして、キャプテンの僕に!!」
石飛と呼ばれたがっちりとした体型の男子部員は、神崎くんの言葉を意に介さない風で、そっぽを向いている。
「はーん? 俺にタコで負けるような奴の言うことは聞けねえな。それとも何か? 腕力で俺にいう事聞かせるか? 俺、テニスよりそっちの方が、得意なんだけどよ」
神崎くんは、まだ何か言いたそうだったけど、石飛くんに凄まれて、立ち去っていった。
なんだか、私はすっとした。
「石飛……。助かったよ。ありがとう」
「はぁ? 俺はただムカつく奴に蹴りを入れただけさ。礼を言われるようなことはしてねえ」
石飛くんは、そういって、元いたコートに戻っていく。
粗暴な態度だけど、彼はすごく優しい人に思えた。
山野くんは、やはりいい人に囲まれている。
「白鳥さんごめん。いきなり、失礼なことをしてしまって」
そう言って、山野くんは私に頭を下げる。
いいのよ。気にしないで。毎日でも、してもらいたいぐらいなんだから。
やだ、私ったら。なんてこと考えてるのかしら。はしたない。
「大丈夫よ。謝らないで。もう少しで私、神崎くんをひっぱたいていたところだったんだから」
「ありがとう。そう言ってもらえると、僕も気が楽だよ」
「確かに、突然でびっくりしたけどね。今度からあんなことするときは、前もって言ってね」
それに、できることなら二人っきりの時に。
私が、じっと山野くんを見つめると。彼は、顔を赤くして照れている。
その時、井上先生がドタドタと足音をさせながら、戻ってきた。
「待たせたな。山野、これを見てくれ! お前は絶対テニスをまたやると思って、手に入れていたDVDだ」
井上先生は、そう言うと抱えていたノートパソコンを山野くんに渡した。
山野くんが、膝に乗せDVDを再生する。
車椅子テニスのトレーニング方法というタイトルが、表示され、車椅子に乗った男性が、解説をしながら、画面上で所狭しと動き回る。
「先生、これ……」
「ぐはははは。お前は車椅子になろうが、なんだろうがショットは問題ないはず
だ。問題になるなら、車椅子の操作、そうだろう?」
「ありがとうございます!! そうなんです! 僕もそう思ってたんです!」
山野くんは、満面の笑みを見せる。
よかったね。山野くん。なんだから、私もうれしいぞ。
「お前の気迫溢れるプレーが見れないと、なんか寂しくてなあ。コートに戻ってきてくれて、儂はうれしいぞ」
「先生! 今日は競技用の車椅子がないので、動きはできないですが、サーブ練習だけでもさせていただいていいでしょうか?」
「当たり前だ! バケツの1杯でも2杯でも好きなだけサーブしろ!」
「はい!」
山野くんは、さっそく端にあるコートに向かい出す。
でも、ラケットもないのにどうする気だろう?
コートにつくと、石飛くんがボールと、ラケットを持ってやってきた。
「石飛、ありがとな」
「あーん? 俺はただ、ラケットとボールをここに置きにきただけだぜ?」
「うん。わかったよ。とにかくありがとな」
山野くんが、ラケットを手に持ち、サーブ練習を開始した。
渇いた音が、響きテニスボールは、まるで命を得たかのように、鋭く曲がりコートに跳ねた。
すごい。車椅子に乗っているのに、私が打つサーブよりキレがある。
「すごいじゃない! 山野くん!! さすがだわ!」
山野くんは、苦笑いするとサーブを続ける。
彼には、満足のいくものではないみたいだ。
すごいサーブだと思うんだけど。
サーブ練習を続ける山野くんが、突如バランスを崩した。
山野くんは、そのまま後に車椅子ごとひっくり返った。
私は、びっくりして山野くんに駆け寄った。
とき既に遅し、僕は後にこけ、右膝が僕の顔面に落ちた。
「きゃっ! ちょっと、大丈夫?!」
山野くんは、私の心配をよそに平気な顔をして答える。
もう! びっくりさせるんだから。でも、怪我が無くてよかった。
「いやー、やっぱ普通の車椅子で、練習するのは無理があるね。転倒防止のキャスターが競技用の車椅子についているわけがわかったよ」
「もう! そう思ってるんだったら、無茶しないでよ。怪我したらどうするの?」
「あはは。ごめんごめん。今日は、これぐらいにして、あとは合宿免許センターから帰ってからにするよ。あ、そうだ。竹畠くんにメールしないと」
黙ってるといつも無茶するんだから。私の気も知らないで。
心配なんだぞ。
山野くんは、嬉しそうに竹畠くんにメールする。よかったね。分かり合える友達ができて。ちょっと、妬けちゃうな。
しばらく、テニスの見学をしていると、山野くんの携帯がなった。
「車椅子屋さんきたって!」
山野くんは、私に嬉しそうに告げてくれる。
私は、山野くんを押して校門に向かった。
ハンドバイクを車椅子に取り付け、山野くんは楽しそうに漕ぐ。
山野くんが試しに校内で漕いでいるあいだに、私はロードバイクを取りにいった。
戻ると、山野くんは待ちわびていたように、私を笑顔で迎える。
「じゃあ、軽く行ってみる? 百道浜ぐらいまで」
「うん。行ってみよう!」
私たちは、百道浜を目指して走り出した。
ハンドバイクを付けて、3輪になっていると傾いてる歩道などで、倒れてしまいそうで、私は気をもんでしまう。
山野くんは、平気そうだけど、やはり安定が悪そうに見え、傾いたところに来るたびに、私は倒れてしまうんじゃないかと、ハラハラしてしまう。
山野くんは、風を切って走り、すごく楽しそうだ。私も、山野くんと一緒に走れてすごく嬉しい。
やがて、私たちは百道の海岸についた。
海風がすごく心地いい。
私は自転車から降り、ベンチに座る。
「もう、すっかり夏ねえ。汗をいっぱいかいちゃった」
「僕も汗だくだよ。カッターシャツをこんなに汗だくにしちゃって、母さんにまた文句いわれそうだ」
「あはは。そうね。おばさまなら、言いそうだわ」
こんな普通の会話も、私が卒業したらできなくなるのかもしれない。
この一瞬一瞬を私の胸に刻みこもう。
「昨日ね、おばさま私の胸を触るのよ。私、びっくりしちゃった」
私が何気なく、そう言うと、山野くんは困ったような顔をする。
また、山野くんのおうちに泊まりにいきたいな。
「ご、ごめんね。変な母親で」
「ううん。なんか、普通のお母さんって、こんな感じだろうなって思っちゃった。私のお母さん、私を19歳の時に産んだから、まだ37歳なんだ。見た目も若いし、なんかお母さんっていうより、お姉さんって感じ」
「へー。白鳥さんのお母さんなら、美人なんだろうねえ」
えへ。それって、私が美人って言ってるのよね。
山野くんに言われるとすごく嬉しいな。
「何それ? お世辞いってるの? そんなこと言っても、何もでてこないわよ?」
「そっかー。残念だなあ。レンズとか買ってくれると思ったのに。お世辞いって損しちゃたよ」
「ふーんだ。私モテるんだからね。今月だって、ラブレター10通はもらってるんだから」
でもね、あなた以外の誰にラブレターをもらっても、私の心はときめかないの。私は、あなただけを見つめている。
「ははは。そうだろうね。そう思うよ」
「あー、その顔は信じてない! ホントなんだからね」
「さて、じゃあ家の方まで帰る? 疲れてない? 大丈夫?」
「うん。大丈夫だよ。行こうか」
百道浜から福重への道は、都市高速の下を通っている道路沿いの歩道を選んだ。
道幅が広い歩道は、山野くんも走りやすそうだ。
やがて、山野くんの家の近くまで来た。
私の胸は、キュンと痛む。山野くんと離れたくない。
少しでも長い時間一緒にいたい。
思い切って、私は家に誘ってみた。
「ね、私の家にくる? 西の丘だから、坂を登らないといけないけど」
山野くんは、ニコリと笑って承諾してくれた。
「いいでしょう。その挑戦受けましょう」
「じゃ、決まりね」
福重の交差点から、左に曲がらず真っ直ぐに、進む。
しばらくいくと、緩やかな下り坂が続き、だらだらとした上り坂が、1KM程続く。
気持ちよさそうにしていた山野くんの顔が途端にきつそうなものに変わる。
歯を食いしばり、息を切らせながら必死に漕いでいる。
「大丈夫? 休み休みでいいんだよ?」
「大丈夫だって! こんなのなんてことない」
山野くんは、そう言って強がる。
そんなに意地にならなくていいのに。
1KM程の坂をのぼり切り、左に大きくカーブしているところで、私たちは休憩した。
ここからは、さらに坂は急になる。
ロードバイクに乗っている私でさえ、立ちこぎしないと上っていけない。
「本当に大丈夫? ここから、坂きつくなるんだよ?」
「何いってんのさ。白鳥さんが上れて僕が上れないわけないでしょ?」
山野くんは、そういって強がる。
顔からは、滝のように汗を流して、息が切れているというのに。
「そう? まあ、こっからきつくなるんだけどね」
私は、西の丘の外側を走っている道路から、西の丘の頂上へと続く道に曲がったところで、一旦、止まって山野くんの方を振り向いた。
「じゃ、ゆっくり来てよ。私、ちょっと先に上ってるから」
先にあがって、着替えて戻ってこよう。私は、そう思って、先に行くことにした。
自宅に戻ると、お母さんは家にいなかった。
私は、ちょっとうきうきしながら、2階の部屋に行き、服を選ぶ。
山野くんは、どんな服装が好きだろうか?
私はお気に入りの水色のワンピースを着て、姿見の鏡の前で、くるりと回ってみた。
「よし! 可愛いぞ、麗華。自信持って!」
私は、鏡を見つめて、自分に言い聞かせる。
玄関に戻り、ミュールを履こうとして、思いとどまった。
この格好だと、ミュールの方が似合うけど、車椅子を押すには不向きだ。
思い直して、私はランニングシューズを履いた。
家から、坂を下っていくと、山野くんは肩で息をしながら、必死に坂を上っていた。
私が山野くんの後に回り、押し出すと山野くんは、それをやめさせようとする。
「いいよ。白鳥さん。トレーニングなんだからさ」
「無理しないの。今日だって、筋肉痛なんでしょ?」
山野くんは、私が押すのを止めないとわかったのか、やっと本音を言ってくれた。
「ごめんね。ホントは、もうギブアップ寸前なんだ。腕がプルプル痙攣してる」
頼ってくれてうらしいな。
でも、押しているうちに私も途端にキツくなってきた。
車椅子で坂を上るってすごく大変なことなんだ。
自分の家まで続く坂道がこんなに長く感じたことはない。
「大丈夫? 重いでしょ?」
そう言って、気遣ってくれる山野くんに、私は平気平気と答えて、自宅への坂道を何度か上りきった。
今日ほど、自転車で鍛えていてよかったと思ったことはない。
家に入ると、山野くんはキョロキョロとあちこちみては、すごいねえと感心してくれる。
「すごいねえ……」
「あんまりキョロキョロしないで。恥ずかしいわ。私の部屋、2階なの。案内できなくてごめんなさいね」
本当は、私の部屋に案内したいのだけれど、2階に山野くんを連れていくことはできない。
おばあちゃんの足が悪くなった時のことを考えてとか理由をつけて、お母さんにエレベータを付けるように、ダメ元で、今度頼んでみよう。
お茶でも入れようと思っていると、お母さんが帰ってきた。
「麗華、帰ってたの。あら、いらっしゃい」
お母さんは、山野くんを見ると、いたずらっぽく笑う。きっと変なことを考えているに違いない。
なんとか、引き離さないと。
「お邪魔してます」
「よく来てくれたわね。この子、友達なんて家に連れてきたことないのよ。私に似てこんなに美人だっていうのに。ふふふ」
「もう! お母さん、変なこと言わないで!」
「だって、麗華は今まで、ボーイフレンドの一人も連れてきたことないじゃないの。年頃だっていうのに、彼氏の一人もいないのかと思って、母さん心配しちゃったわ」
これ以上、お母さんがいたら、何を言い出すかわからない。
私は、お母さんをリビングから、押し出した。
「もう! いいから、あっちに行ってて!」
「はいはい。お邪魔虫は言われなくても消えますよ~」
お母さんは、一旦ドアの向こうに消えたかと思うと、ドアからすっと顔だけ出した。
「私が消えたと思って、キスなんかしちゃだめよ。わかった?」
もう! 山野くんの前でそんなこと言わないで! 気まずくなるでしょ?! 本当はキスしたいけど……。
「いいから、早く向こうに行ってってば!」
「はいはい。わかったわよ」
お母さんは、やっと自室に行ってくれた。
でも、また何かチャチャを入れてくるような気がする。
あまり安心は、できない。せっかく二人の時間を楽しめると思ってたのに。
「でも、白鳥さんってすごい家に住んでるんだね。びっくりしたよ」
「うん。父が買ってくれたの。生活費も出してくれてるし。おかげで、生活には困ってないわ」
「さすが、大物政治家だよね」
山野くんからお父さんを褒められると、すごく嬉しい。いつか、お父さんに山野くんを会わせたいな。
「でも、羨ましいわあ。山野くんは、2週間後には自動車免許持ってるわけでしょ? 私も車に自由に乗れるようになりたいわ」
「まあ、障害者の特権ってやつ? 白鳥さんは、学校卒業するまで我慢しなよ」
「ふーんだ。そんなこと言う人は、仮免にいっぱい落ちればいいんだわ」
もう。人の気も知らないで、また意地悪言うんだから。私も運転できたら、運転交代しながら、いろんなところに一緒に行けるでしょ?
「あはは。まあ、そうならないように頑張るよ。ところで、白鳥さんは、どこを受けるか決まった?」
「大学はどこでもいいんだけどね。南西大学の推薦受けようと思ってるわ。あそこなら、自転車で行けるし」
大堀高校から、一番近い大学を選んだんだ。それなら、山野くんと会えるでしょ?
「コーヒーと紅茶、どっちがいい?」
「じゃあ、紅茶もらえる?」
「はい。少々お待ちください」
私が、やかんに水をいれ、火に掛けていると山野くんがウッドデッキにでていいか聞いてきた。
「ねえ、外に出てもいい?」
「いいわよー」
うふふふ。何だか、新婚さんのやり取りみたい。
楽しいわ。私が、ニコニコしていると、お母さんがドアから顔だけ出してこちらを覗いている。
「お母さん、何か用?」
「いいえー。何でもないわよー。だけど、可愛らしい子だと思ってね。あの子、2年生でしょ? どういうご関係かしら、うふふふ」
勘のいいお母さんは、山野くんへの私の好意を感じ取ったようだ。
でも、お願いだから、邪魔しないで。
「お母さん、お願いだからからかわないで。私、し、真剣なんだから……」
お母さんは、ニコリと笑う。
「うふふ。そうなのー。遊びじゃないんだ? 付き合って、どのぐらいなの?」
「ち、違うわよ! 私が言ってるのは、紅茶のこと! や、山野くんはお友達
よ。お友達!」
「ふーん。あなたの顔は、そうは言ってないけどねー。あなた、それ茶葉入れすぎよ。細かい茶葉は少なめに。ちゃんと蒸らすのよ? じゃ、がんばってねー」
もう。子供扱いして。
私だって、その気になれば紅茶ぐらいちゃんと入れれるんだから。
ティーカップとティーポットを温めようとしていると、またお母さんが覗いてきた。
「もう! 止めてったら」
「いいじゃないのー。見るぐらいー」
「いいから、向こう行ってて」
「ほら、沸かし過ぎじゃないの? あらあら大変」
キッチンに入ってこようとするお母さんを、私はドアの方へと押し戻す。
「もう! ホントに邪魔しないで!」
「何も邪魔しないわよー。でも、いい子そうね。うふふふ」
まったく、油断も隙もあったものじゃない。
これでは、落ち着いて会話などできないかもしれない。
私は手早く、茶葉を入れ直し、お湯を注いで蒸らす。
時計で時間を測っていると、お母さんは顔を半分だして、声を掛けてほしそうにしている。
まったく、どっちが子供なんだか。
私は、見えない振りをして、紅茶を持って、ウッドデッキの方へと向かった。
「口に合うかわからないけど、どうぞ」
「ありがとう」
「レモンいる?」
「ううん」
上手く入れれただろうか? 私は少し不安になりながら、山野くんがカップに口をつけるのを待つ。
でも、山野くんはぼーっとしたままで、一向に紅茶を飲む気配がない。
「どうしたの? ぼーっとしちゃって」
「え? いや、ハンドバイクで疲れちゃったのかな。あはは」
そっか。頑張ってたもんね。無理に私の家まで誘ったの悪かったかな。
「あつっ! あちー。びっくりしたー」
「うふふふ。慌てんぼさんね」
「それにしても、いい眺めだねえ。毎日こんな風景が見れるなんて羨ましいよ」
「夜景がね、すごく綺麗なんだ。私、こうして時々、ぼーっとして眺めてるの。1時間でも2時間でも飽きないわ」
いつか、山野くんと一緒に夜景が見れたらいいなあ。そうしたら、きっといつもより夜景も素敵に見えるわ。
「ふーん。写真に撮ってみたいなあ。ここからだと、僕ん家も見えるんだね。なんだか薄汚れて、汚いけど」
「なんかさあ、僕と白鳥さんは、住んでる世界が違うんだねー。白鳥さんは、上流階級って感じ」
「そんなことないよ。何も変わらないわ」
やだよ。そんなこと言っちゃ。私との間に壁を作るようなこと言わないで。
山野くんとは、今のまま気楽に付き合っていきたいの。
「えー? だってさあ、この豪邸でしょ? そこにある車なんて、ベンツじゃん。僕の母さんの車は、国産の軽だよ。ははは」
山野くん、それは私を恋愛対象として見れないってこと? お願いそんなこと言わないで!
私は、鋭い言葉で、山野くんを非難してしまう。
「そんな風に言わないで! 私と山野くんは、何も変わらないわ!」
「ご、ごめん。気に触ったなら謝るよ」
いけない。私ったら。こんな風に言うつもりじゃなかったのに……。
「私の方こそ、ごめんなさい。でも、山野くんは大切な友達だと思ってるわ。私が住んでいる家が豪華なのは親がお金を持っているだけ。
私がすごいわけでもなんでもないの。住む世界が違うとか言わないで。ね? お願い」
「う、うん。わかったよ」
「さ、紅茶飲んで冷めちゃうわ」
「いいのいいの。僕、猫舌だから。ぬるいぐらいにならないと飲めないんだ。まっ、お嬢様にはこんな気持ちわからないでしょうけどね」
もう! また意地悪言って! でも、よかった。さっきの私の態度許してくれて。
「もう! また、からかうんだから。山野くんなんて、舌火傷しちゃえばいいんだわ」
「あちー、あちちち」
え? 嘘? やけどしたの?
私は慌てて、山野くんに近付こうとした。
「ちょっと、大丈夫?! 火傷した? ねえ!」
山野くんは、してやったという顔でニヤリと笑う。
「嘘デース。そんなわけないって。はははは」
「もう! ホントに許さないんだからね!」
私は、怒った振りをして背を向ける。
こんな風に、いつまでもはしゃいでいたいね。山野くん。
楽しい時は、あっと言う間にすぎ、18時過ぎに山野くんは帰っていった。
待ち構えていたように、お母さんがリビングにやってきた。
「どう、上手くいった?」
「上手くいくとか、いかないとかじゃないよ。山野くんは、大切な友達だもん……」
お母さんは、左手を軽く払うような仕草をして、ニコリと笑う。
「嘘おっしゃい。母さん、麗華の思ってることはすぐわかるんだから。好きなんでしょ?」
お母さんには、かなわない。ついに私は降参する。
「そうだよ。好きなんだもん。山野くんのこと。悪い?」
「やっと認めた。素直じゃないんだから。まったくもう。好きならバンバンアタックしなさいよ。ぼやぼやしてると、卒業になったちゃうぞ」
「アタックって、どうしたらいいの?」
お母さんは、驚いた顔をしたあと、おやおやと呆れる。
「まったく、この子は何言ってるのかしら? こんなに美人に産んで上げたっていうのに」
「だ、だって、今まで告白とかされるばっかりで、こんなに好きになったのなんて、初めてなんだもん……。どうしたらいいのか、わからないよ……」
お母さんは、視線を上にあげ、懐かしむような顔をする。
「私も父さんが好きになったときはねえ。猛アタックしたもんよ。父さんは、なかなか相手にしてくれなくてね。まあ、年も離れてるから仕方ないのかもしれないけど。こーんなミニスカート履いたり、ゴルフ教えて欲しいって行ってみたりしてね。でも、そういうのじゃ父さんは、落なかったわ」
お母さんから、こういう話を初めてきく。
奥さんから、父さんを奪った話は、私が嫌がると思って、お母さんは、避けていたのかもしれない。
「じゃあ、どうしたの?」
「素直に自分の気持ちを伝えたわ。まあ、山野くんは若いから色仕掛けが有効かもね。若いから。うふふふ」
ああ、私は意地悪だ。お母さんが一番聞かれたくないことを聞こうとしている。
そっとしておいて欲しいと思っていることを聞こうとしている。でも、どうしても私は気になる。
なぜ、他人の夫を奪おうとしたのかを。
「お母さん。聞いてもいい?」
「ん? 何?」
「なぜ、お父さんを誘惑しようと思ったの? なぜ、他人の旦那さんを取ろうと思ったの?」
お母さんは、真面目な表情になり、私を真っ直ぐにみた。
「いいわ。あなたには話をしたことなかったから。信じてくれないかもしれないけど、お父さんは、奥さんとは一緒に住んでないの。
それどころか、結婚してから一度として、お父さんは、奥さんと関係をもってないわ」
「え? そんなわけないじゃないの」
「ううん。本当よ。母さん、興信所使って調べたんだから。それに、お父さんが私と付き合うって言ってくれた時に、直接話も聞いたわ。なぜ、そうしていたのかってことも。お父さんは、奥さんと別れて、私と一緒になるって言ってくれたんだけど、お父さんには、まだまだ後ろ盾が必要な時だったから、あなたを妊娠したってわかった時に、母さん身をひこうとしたの。
でも、あの人はほうぼう手を尽くして、探し出してくれてね。自分からお父さんの前から消えた私だったけど、追ってきてくれたときは、本当に嬉しかったわ。まあ、大人には色々あるってことよ。この話はこれで御終い。あなたは、
山野くんと上手くいくように頑張んなさい。母さん、応援するから」
「うん。ありがとう」
私は、2階の部屋に上がって、日記を書こうとしたけれど、今日は書く気にどうしてもなれなかった。




