秀夫の章 その六
秀夫の章 その六
夏休みの初日に、僕は区役所にいって、合宿免許センターへの提出書類と、免許取得時の書類を揃えた。
自宅に戻り、ハンドバイクで遠出しようと思っていると、白鳥さんからメールがきた。
〝時間があるんだったら、ちょっと遠出しない? 筋肉痛が辛いなら無理にとは言わないけど(笑)〝
てっきり、白鳥さんは、塾の夏期講習を受講すると思っていた僕は、思わず顔がほころぶ。
白鳥さんと一緒にいられて、トレーニングできるなんて最高だ。
僕はすぐに返事を返した。
5分もしないうちに、インターホンが鳴る。
早いな。ロードレーサーって本当に。西の丘からだと、車でくるより早いのではないだろうか。
玄関を開け、白鳥さんに微笑みかける。
「いいのー? 受験生が遊んでばっかでさあ」
「いいの、いいの。ちゃんと、昨日も8時間は勉強したんだから。誰かさんと違って、私は筋肉痛で辛いなんてことはないしね」
いたずらっぽく笑う、白鳥さんはそういって、歩き出す。
今日は、露出が多めだ。ノースリーブのTシャツに、ホットパンツを履いている。胸の膨らみも、お尻の形もはっきりとわかる。
くっー。夏ってやっぱ最高だなあ。
僕たちは、二見ヶ浦を目指して、出発した。
福重から生の松原を通り、海岸線を走る。
海風が気持ちいい。真っ青な夏の海も、きらきらと輝いている。
何より、前を走る白鳥さんのお尻が素晴らしい。
これなら、どんな長い距離を走っても、疲れなんて感じないかもしれない。
そんな、不埒な考えを持てたのも、走り初めて1時間までだった。
坂が来るたびに、僕の腕は疲弊し、夏の日差しは体力を奪っていく。
もってきていた1Lの水筒はあっとういう間に空になり、僕は自販機があるたびに、500mlのペットボトルを買い、汗だくになりながら走り続けた。
腕も肩もパンパンになり、平地でも10KM出すのがやっとになったころ、
昼過ぎにやっとのことで、二見ヶ浦についた。
僕は、へとへとになりながら、ハンドバイクをはずし、障害者用のトイレに入った。水で頭を濡らす。
冷えた水が、心地よい。トイレに座るが、2L以上のんでいるというのに、まったくでない。
脱水症状の一歩手前といったところだろうか。
トイレから出ると、白鳥さんが車椅子を押してくれる。
「いいよ。自分でこぐよ」
「意地はらないの。もう腕に力入らないんでしょ?」
「う、うん。じゃあ、お願いします」
「そうそう。素直でよろしい!」
僕たちは、道路を渡り、海岸線をゆっくりと進む。沖には、存在感のある夫婦岩が見える。
「綺麗ねえ。来てよかったでしょ?」
僕は腕をプルプルと振る。
「うん。よかったよ。すごく綺麗だ。もっとも、僕の腕はボロボロだけどね」
白鳥さんは、うふふと笑う。
「鍛えなさいよー。男の子でしょ?」
「はーい。がんばりまーす」
白鳥さんは、歩道より少し高いところにある休憩所までくると、ベンチに座った。
「私ね、よくここに来るんだ。自転車を一心腐乱に漕いでここまでくると、やな
こととか忘れちゃうの。
海はいいわよねー。いつ見ても癒されるわ」
「白鳥さんでも、嫌なこととかあるんだ? 悩みなんてないのかと思ってたよ」
白鳥さんは、くすりと笑う。
「何それ? 私をどういう目で見てたわけ? 私なんて、いつも悩んでばかりよ。愛人の子っていう引け目もあるしね」
どこか寂しげに、そういう白鳥さんを見て、僕は抱きしめたい衝動に駆られる。
「白鳥さん、そんなに気にすることかな? 僕はそんなこと全く気にならないよ。愛人なんて、世間一般の固定概念でしかないでしょ?
昔の殿様なんて、何人もお嫁さんもらってたんだよ? お父さんとお母さんが、本当に愛し合っていたらそれでいいんじゃないかな」
「ありがとう。山野くんにそう言ってもらえると、気が楽だわ。私、実はね、大堀公園で山野くんにその事を言ったとき、嫌われたらどうしようってすごく怖かったんだ」
「まあ、大人もいろいろあるんだろうしね。僕の父さんなんて、お金持って消えちゃうぐらいなんだから。あははは」
白鳥さんは、僕を優しい目で見る。
「山野くんって本当に強いね。山野くんを見てると、私の悩みなんて、ちっさなことだと思うわ」
「え? 強くなんてないよー」
僕は照れくさくて、頭をかく。
「強いよ。小さい頃から、お父さんのスパルタに耐えてたでしょ? 障害を持っても、お父さんにひどいことされても、山野くんはこうして前に進んでる。山野くん見てると、私も見習わなきゃって思うんだ」
「褒めすぎだよー。僕なんて、そんな大したもんじゃないし、もっと辛い目にあってる人はたくさんいるよ。
竹畠くんなんて、長く生きられないってわかってるのに、あんなに明るく振る舞えるんだから。僕にはきっと、あんな風に振る舞うのなんて無理だ」
白鳥さんは、僕に頷くと、海の方をみる。
「まあ、もっとも、いいところばかりじゃないけどね」
え? 口調を変えた白鳥さんの言葉に、僕はどきりとさせられる。僕の悪いところってどこだろう?
「何? 悪いところがあったら直すよ。言ってくれないかな?」
「んー? 自分じゃわからないの?」
「うん。教えて」
白鳥さんは、やれやれといった感じで、ため息をつく。
「私の格好見て、何か気付かない? ワタクシ、今日は結構冒険してるんですけど」
何?! もしかして、この格好を僕は褒めるべきだったのか?! 褒めるのが正解だったのか?
あまりにセクシー過ぎて、触れたらいけない気がして言えなかったんだよ!
どう褒めたらいいんだ? 君の胸の大きさか? 細いウエストか? スラリと長い足か?
それともツンと上がったヒップか? ああ、いかん。僕は煩悩でいっぱいだ。
どういったら、イヤラシさを感じさせずに褒めることができるんだ。
「い、いや、最初から気付いてたよ。いつもと違って健康的というか、活動的というか。僕、女の子と付き合ったことなんて、ないからどう褒めたらいいのかわからなかったんだ」
白鳥さんは、僕の顔を覗き込む。僕は顔を赤らめる。
そんなに見つめられたら、僕はどうにかなってしまうよ。
「本当にぃー?」
「ほ、本当さ。き、綺麗だよ。すごく。いつもだけど……」
「まっ、許してあげる。あんまり苛めると、可愛そうだしね」
白鳥さんは、そう言って胸の下に腕を組む。胸が余計に強調されて、僕は思わず唾を飲み込んだ。
「あっ、やらしいー。今、私の胸を見てたでしょ? 山野くんは、そういう目で女の子を見るんだ」
白鳥さんは顔を背け、白い目で僕を見る。
僕は慌てて、手を振る。
「ち、違うんだよ。あのその、ごめんなさい。あんまり綺麗だから。それに、白鳥さんがそんなに胸が大きいなんて知らかったし……」
白鳥さんは、ペロリと舌を出す。
「嘘よ。いつもからかわれてるから、そのお返し」
「もう、人が悪いなあ」
「うふふ。年頃の男のがエッチなこと考えてるっていうのは、私も知ってるわ。健全なことよ」
白鳥がいたずらっぽく笑う。いいなあ。こういうの。傍からみたら、僕たちはじゃれあってる恋人同士に見えないだろうか。
僕はしてやられたと思いながら、車椅子の下からペットボトルを取り出し、スポーツドリンクをごくごくと飲む。
「でも見たかったら、少しだけならいいよ。山野くんは友達だし。ジュース一本おごってくれたら、胸の谷間みせてあげる」
僕は盛大に、ジュースを吹き出し、ごほごほと咳き込んだ。
ジュース一本で、胸の谷間?! マジですか? あなたマジですか?! 買います。買ってきます! いますぐに。
白鳥さんは、僕の様子をみて、ケタケタと腹を抱えて笑っている。
くそー、また騙された。自分の美貌を餌にするのはずるいよー。
「あはは。ごめんなさい。山野くんからかうのって、楽しくって」
「もう。人が悪いなあ。僕がホントにその気になったらどうするんだよ。僕だって男だよ」
「大丈夫よ。山野くんは、無理矢理そんなことするような人じゃないもん。私わかるんだ」
僕は口をとんがらせる。信頼してくれるのは、ありがたいけど、僕の頭は妄想でいっぱいだよ。
僕は、車椅子の下に入れているカメラバッグから、カメラを取り出し構える。
白鳥さんは、少し驚く顔をする。
「え? 撮るの? ちょっとやだな。こんなに汗かいてるのに。変な顔じゃない?」
白鳥さんが、手で髪を整えるのをまって、僕はシャッターを切る。
海をバックに笑顔の白鳥さんは、素敵だ。僕は顔のアップ、バストアップ、膝上と本でみていたカットを次々を試す。
本当はいたずらっぽく笑う表情も撮りたいんだけどなあ。それは撮らせてくれそうにない。
十分に、撮影したあと、僕は切り出した。やられっぱなしじゃ、気が収まらない。
「そうそう。そういえばさ、僕のクラスに大木ってのがいるんだけどさ」
「あの、太ってる子でしょ? 私が山野くんのクラスにいくと、じとーっと変な目で見てくるのよね」
「白鳥さんの写真を売ってくれってうるさいんだよね。今日の写真は露出部分が多いから高く買ってくれそうだ」
白鳥さんは、目を見開き、驚きの表情をする。
僕がニヤリと笑うと、冗談だと気付いたみたいで、顔を背ける。
「もう、知らない!」
「あははは。お返しさ。じゃあ、そろそろ戻ろうか。休ませてもらったおかげで、だいぶ回復してきたよ」
僕たちは、来た時よりもだいぶゆっくりとしたペースで戻った。
福重につき、別れ際に白鳥さんが手を振る。
「じゃ、免許取得頑張ってね」
「うん。予定では、2週間ぐらいで取るつもり」
「そっか。私は、その間、猛勉強でもしてますかね」
「あはは。頑張れ、受験生!」
「ふふ。そうね。2週間、私に会えないからって、泣いちゃダメだぞ」
冗談交じりに西日の中、そう告げる白鳥さんに、僕の胸はきゅーんと切なく痛む。
これから、白鳥さんと2週間も会えないんだ。来年の3月には、白鳥さんは大堀高校を卒業してしまう。
そうなったら、もっと長い期間会うことができないに違いない。
たった2週間という期間が、僕にはものすごく長い年月であるかのように感じられた。
「メールするよ。じゃ、またね。2週間後」
「うん。それじゃ、2週間後に」
西の丘へと坂を上っていく白鳥さんの後ろ姿を、僕は見えなくなるまで見送った。




