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第2話 新たなる一歩


 眼の前で夏空色をした大きな青い瞳が、ゆっくりと半眼になっていく。

「……おっさん、アタマ大丈夫か?」

 警戒というよりは呆れた様子の少年は、俺の顔をじっと見上げている。

「おれはあいつらと一緒に、あんたから金になりそうな物を巻き上げようとしたんだぞ?」

「そうだね」

「お人好しもタイガイにしねぇと、ひでぇ目に合うぞ」

 その言葉に、思わず湧き出る笑みを堪えきれなくなった。勝手に連れて来られた事を噛み付くより先に、人の心配とは。――いい子だな、やっぱり。

「何笑ってんだ。わかったら下に降ろせよ。もう用はねぇだろ」

 腕組みをした本人は睨みをきかせているつもりだろうが、背丈が俺の胸の辺りまでしかない上に、未だ幼さを残したその面差し。未成年特有のあどけなさに、俺みたいな大人のおっさんには「おっ、気張ってんな」としか映らない。いくつぐらいなんだろう。十から十五、といったところか。

 ほのぼのと観察していると、目線を反らした少年からは、静かな独白が聞こえてきた。

《〈配達人〉って、言ってたけど》

 眉根を寄せ、思案に耽る少年の表情は暗い。

《……どうせまともな仕事になんか、つける訳ねぇんだ。ガキだと思って、からかってやがる》

 すぐに信用はしてくれまい、と思ってはいたが。こういった生活をしている子は、大人への不信感が強い事が多い。知識も経験も段違いの相手にうまく言いくるめられ、通常よりはるかに安い賃金で働かされたり、知らずに危険な仕事をさせられたりする事が頻繁にあるからだ。きっとこの子も相応の苦労をしたのだろう。

「少し、聞いてもいい?」

 返事はなかったが、目だけはこちらを向いてくれた。

「さっきみたいな〈仕事〉、君は好きか?」

 一瞬の沈黙があった。

「好きも嫌いもねぇ。……やらねぇと、メシは食えねぇ」

 答えながら俺からまた目を反らしたところを見ると、悪い事をしているという自覚があるのだろう。

「ごめんね、失敗させて」

「慣れてねぇだけだ。次はきっと……」「君は多分、慣れないよ」

《……? 何言ってんだ、こいつ》

 自尊心を傷付けられたと思ったのか、少年が再び俺を睨みつけてくる。しかし気の毒だが、今後の為にも事実は言っておかなければいけない。

「君が失敗した原因は〈慣れない〉からじゃない。〈向いていない〉からだ。あぁいった〈仕事〉に向いているのは、君のように人を殴る前に謝ったり躊躇したりしない、あの場を仕切っていた三人みたいな奴だよ」

 一瞬、何を言われたのか理解出来ない様子だったが、気付いた後の相手の表情の変化は劇的だった。

《――何で口に出してない事を知ってるんだ、こいつ。さっきも飛んだり、信じられねぇ速さで走ったりしてたけど、もしかして魔法使いか?!》

 掴んでいた細い腕の筋肉が、手のひらの下で動くのが解った。

《魔法使いなんて、何をされるかわかったもんじゃねぇ。ヘタすりゃ殺される。早く逃げなきゃ》

 まずい、完全に誤解されてるぞ。

「ちょっと待った。何もしないし、俺は魔法使いじゃない。実は有望な若手を前から探していて――」

「ウソだ!! 離せよ!!離せって!! おれ、食ってもうまくねぇぞ!!」

 俺の言葉で内心が読まれているとはっきり理解したのか、身の危険を感じた少年が、立っている場所も忘れて暴れ始める。

「嘘じゃない。説明するから、少し落ち着いて。……さっきみたいな行動は、俺の能力じゃない。これのお陰なんだよ」

 俺は自分の左腕を彼に向けて差し出した。手首には中央に深い蒼色の石が嵌まり、それを囲むように模様で飾られた、銀の腕輪がある。

「この蒼い石は〈飛竜石〉。竜の体の中にある、とても貴重なものなんだ。昔困っていた所に力を貸して、お礼として貰ったんだよ。〈風〉の魔力があるから、高い所に飛び上がったり、高速で移動したり出来たんだ」

 動きは止めてくれたものの、それでもまだ警戒は解かれていない。少しでも距離をおこうと、腰が引いてあるのがその証拠だ。

「……何で」

「うん?」

「……何でおれが口に出さずにアタマで考えた事が、おっさんには解るんだ」

 うーん。説明してもいいけど、これは実体験して貰った方が、解りやすいかもしれないな。

「この場所で暴れると、転げ落ち兼ねないから。手を離すけど怖い事はしないから、信じて動かないで欲しい。いいね?」

 不承不承といった感で縦に無言で振られた頭を確認すると、俺は掴んでいた細い腕を一旦離し、自分の左手に嵌めてあった指輪を外した。そのまま少年に断って手首を再度掴むと、こちらに向いた彼の細い指に、そっと指輪を嵌めこむ。

《聞こえるかな?》

 向かい合って話していた時とは違い、直接脳に響くような感覚に違和感を覚えたのだろう。第三者がいると錯覚したのか、少年は暫く辺りをきょろきょろと見回していた。なので掴んだ手の甲を指で少し叩き、こちらを向くように促すと、目が合ったのを確認して心で呟く。

《これはね、〈心音の指輪〉っていうんだ。そばにいる人の心の声を拾って聞かせてくれる、魔道具なんだよ》

 口を動かしていない眼の前の男から説明が聞こえた事によって、ようやく何が起こっているのかを正確に理解したのだろう。眼の前の青い瞳がまん丸になっていく。

《今回の仕事相手は、なかなかに手強い人でね。職場でこれを借りて来たんだ。仕事終わりにすぐ外せば良かったんだけど、急いでいたから、うっかり忘れてしまってね。でもお陰で、君の本音が聞けた》

「……っ」

 言葉をなくした少年は驚きが勝ったのか、抵抗する事も忘れたようだった。そっとその細い指から指輪を抜き取ると、貴重な借り物をようやく背中の荷物へと収納する。

「……なんで、外したんだ」

「え?」

「あの指輪をつけてた方が、あんたはおれの考えが全部わかって、話が進めやすかったはずだ」

「そうだね。でも君に失礼だから」

「……シツレイ?」

 聞き慣れない言葉を聞いた、そんな顔で少年の首が傾げられた。

「確かにこの指輪があれば、交渉はとても有利かもしれない。でも片方だけが本音を知る事が出来るのは、狡くないか? 俺は君と対等な立場で話がしたいんだ」

 返事はなかった。指輪を外した今、彼が何を考えているのかを知る術はない。

「名前は〈シリウス〉だったね。そう呼んでもいいかい?」

こくん、と頷きが返ってきた。よしよし。

「話は戻るけど。配達人は、基本二人一組で動くものなんだ。俺のバディは、数年前に足を痛めて引退してしまってね。それ以来、丁度一緒に組んでくれそうな若い人を探していた所だったんだよ。それで君に声をかけたという訳だ」

 シリウスは、じっと己の靴先を見つめていた。思案にくれるその顔は、不安や迷いが複雑に混ぜ合わさっている。だが意を決したように顔を上げ、俺の眼を真っ直ぐ見据えた。

「……本当にそれだけか?」

「え?」

「おれみたいなガキにとっては、メッタにねぇいい話だ。でも大人は自分にもでかい〈リエキ〉がねぇと、ガキにそんな話は持ちかけねぇ。おれが〈バディ〉ってやつになる他にも、受け取る〈リエキ〉がおっさんにはあるんじゃねぇのか? それは何だ?」

〝――人に話を持ちかけるからには、相手だけではなく、持ちかけた本人も得る利がなければおかしい。そしてこういった場合本人の利は、大抵相手より大きいのが常。大人はそういうものだろう〟そう言いたいのか。しっかりした子だ。もしかしたら、見た目より歳は重ねているのかもしれない。

「……その通りだよ。確かに君をバディに誘ったのには、理由が二つあるんだ」

 相手は子供だ。こんな時、普通ならば適当に話を濁して、有耶無耶にする事の方が多いかもしれない。だが俺は、こんな瞳をした子を、個人的にあしらったりしたくはなかった。

「一つ目の理由だけど。――昔、俺も今の君と似たような生活をしていた時期があってね。その頃偶然知り合った元バディが『一緒に仕事をしないか』って誘ってくれたお陰で、今こうして生活出来ているんだ」

 湿度を含んだ風にのって、遠くから荘厳で力強い、教会の鐘の音が聞こえる。音の方向へ視線を向けると、大きな空いっぱいに点々と雲が浮かび、風に巻き上げられた木の葉が空中で華麗に舞い踊る。



 ――そういえば、あれは粉雪の舞う日だった。

 他の仲間達が眠っている時がよかろうと、出発は早朝。やっと陽が昇り始めた街の隅で、大柄のどう見ても裏街道を生きる男が、少年を連れた堅気の男に頭を下げる様子は、もし人目にふれる事があれば、さぞかし滑稽に映った事だろう。

『旦那、こいつをよろしく頼みます。……こんな所で、蕾のまま枯れさせるには惜しい奴だと常々思っていたんでね。アンタの話は正直渡りに船だった。ありがとうよ』

『オヤジさん、俺、やっぱりここに……』

『ダーメだ。お前はこんな薄暗い所で足止めされてねぇで、とっとと陽の当たる道を行け。心配するな、世間って大海を渡っていける度量が、お前には備わってる。旦那に迷惑をかけるんじゃねぇぞ。さぁ、行って来い』

『……必ず将来、敬慕される男に育てます』

 二人の大人が力強く握手をした後、促されて俺は隣国へと続く通りへと向かったが、その足取りは重かった。不安もあったが、何より短かったが弟のように可愛がってくれた、仲間達との別れが正直寂しかったからだ。

『達者でな、ミカド。でかい男になって嫁さんを貰ったら、二人で顔を見せに寄ってくれ。それまで絶対、振り返るんじゃねぇぞ』

 背中に届く、いつも豪快だったオヤジさんの声がいつになく優しくて、柄にもなく感傷的な気持ちになったのを、今も鮮明に覚えている。    


 その日、束の間の寝床だった裏の世界から全く別の世界へと、俺は新たな一歩を踏み出した。



「その元バディが引退する、少し前に言われたんだよ。『今度はお前が、迷える若者に手を差し伸べる番だぞ』って」

 夕刻がせまる中、夏の終わりの温い風が、ふわりと俺達二人を包み込む。

「俺もそう思った。だからもし組んでみたいと思うような若者がいれば、声をかけてみようと決めていたんだ。……でも現実はなかなかに厳しくてね。結局数年間、一人で仕事を熟したよ。――そんな半ば諦めかけていた時、君に出会ったんだ。運は俺を見捨てなかった、そう思った」

「……!」

 外されていた、互いの視線が重なる。願わくば、どうかこのまま。その気持ちを、言葉にのせて。

「この誘いを受けるかどうかは、君の判断に任せる。もしこのままの生活を望むなら、無理にとは言わない。ただ君のような子には、世界の片隅で闇の中を生きるより、大通りを太陽の下、堂々と歩いて欲しい。それが俺の正直な願いだよ」

 シリウスは少し俯くと、話の内容をゆっくりと咀嚼するように黙り込んだ。長い睫毛が、瞬きの度に陽の光を弾く。

「……わかった」

 ぽつん、と突然雨粒が零れるように、その言葉は紡がれた。

「えっ」

「〈配達人〉の仕事。やってみてもいい」

「……いいの? 本当に?」

「あぁ。メシは食えそうだしな。本気でやるかどうかは、しばらくやってみてから考える」

 全幅の信頼を得るには、まだまだ互いに時間はかかるだろう。それでも、大切な第一歩を踏み出した事に違いはない。

 俺は改めて、右手をシリウスに向けて差し出した。少し驚いた顔をしたものの、意図を察した少年の随分と華奢な手が、おずおずとそれを握り返してくる。

「これから、どうぞよろしく。一人前の配達人になれるよう、俺が一つずつきちんと教えるよ」

「……よろしく」

 繋がれた手を見つめている顔つきからして、もしかして握手を求められたのは、これが初めてだったんだろうか。

「なぁ、聞いていいか」

「何かな」

「さっき、誘った理由が二つあるって言ってただろ。二つ目って何だ?」

 何故か握手続行状態のまま、質問が飛んできた。……これは手の外し時がわからないんだな。

「あぁ、それはね……」


ぐぅううううううううううう

きゅるきゅるきゅるきゅる


 答えようとした俺の声が、二人分の腹の虫が鳴く、でかい音でかき消される。恥ずかしいのかシリウスは赤くなったが、すっかり和んだこの空気感に、俺は堪えきれずに思わず大笑いしてしまった。

「すっかり忘れてたけど、俺、実はめちゃくちゃ腹が減ってるんだよ。続きは食事しながらでどうかな?」

「だったら、店の外で待ってる」

 恐らくは俺に負けず劣らず腹ぺこなのに、ここで〝奢れ〟と言わない所がこの子らしい。

「話を聞いてくれたお礼に、俺が奢るよ。一緒に食べよう」

 思案の後、シリウスから返って来たのは意外な言葉だった。

「……じゃあ、おっさんにツケとく」

 そう来たか!!

 思いもよらない言動に、さっきからどつしても表情筋が緩みがちだ。この子と仕事を始めたら、こういった事が増えるのだろうか。停滞していた己の人生に、漸く見え始めた明るい兆し。


 シリウスの青い瞳の中に、再び新たな一歩を踏み出した男が一人、午後の陽を受けながら静かに佇んでいた。



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