Flag12―還御―(13)
どうして笑えるんだよ。俺は妹の代わりとして見ていたのに。俺自身気付いていて、何処かで自覚していた癖に見て見ぬ振りを続けていただけなのに。
「……ツカサが何も知らなかったから、どんな形でも良かった。私を一人の人として、英雄の血筋なんてもの関係無く私に接してくれたのが……嬉しかった」
「それでも……ノスリが無理をしてまで俺を助ける理由にはならないだろ……。ちゃんと調子が良くなってからでも良いだろうが……」
ゆっくりと首を振って、彼女は言う。時間がない、と。
「どういう事だよ……それ」
「……自分の命の使い方は……自分で決める」
理解してしまった。ノスリがここに居て、見たこともない魔法陣が下に広がっている理由が。
開こうとした口を指で制される。何も言うなと、無茶な頼み事がノスリらしくて、行き場のない感情が余計に膨れた。
「私の祖父……メイサ=アビエスは帝国が戦争のために作り出した人工生命体、ホムンクルスだった。……メイサ=アビエスは大量の知識と魔法の才能、力を有していたけど、それを扱う肉体が伴っていなかった。不完全な人間だった彼は、戦争が終わってから奇跡的に人間と子供を為したものの、その子供も彼と同じく不完全な人間の血のせいで……短命だった」
真剣な眼差しで、俺から目を離さない彼女は「これは運命なの」と口にする。そんな納得し難い理論が通じるかと言って否定したかったけど、それを許しちゃくれない。
「……きっと、ずっと病院に籠っていたら少しは長生き出来たと思う。でも……やりたい事も出来ない人生なんて、死んでいるのと変わらないよ……」
何れにせよこうなることは決まっていた、それが少し早まっただけ。ほら、普通の人と、何も変わらないだけ。
ノスリは笑ってそう付け足して、俺は何も言えなかった。普通の人間と変わるだろうが。何れ死ぬとしても、何十年も違うだろうが。
「私は才能が有りすぎたから……早くにガタが来たんだと思う……」
ノスリを否定すると、ノスリ自身を否定することになってしまう。それを彼女はわかってやっているのだろう。卑怯だ……。
俺を助けようとている事だって、ノスリがやりたいと思ったことだ。例え俺にそんな価値は無いって言ったって、ノスリが助けようとしているのはそんな俺だ。
「……ごめん、本当はまだちょっと……名残惜しい」
泣きそうに微笑みを歪ませて溢した彼女の本音も、俺は掬い上げてやることが出来なかった。
「ねぇ、ツカサ。私のお願い聞いてくれる?」
「ノスリは本当に勝手だな……」
今更、無理だなんて言える筈もない。目の前の少女の覚悟は俺なんかが兎や角言える程下賤なものじゃないのだから。
ありがとうと呟いたノスリは、「私のこと、忘れないで」とはっきり望みを言葉に表した。
「ああ、忘れない。絶対に忘れないから……」
それ以上悲しい事を言わないでくれ。これ以上俺の為なんかに大切な人達の誰かが犠牲になんてならないでくれ。
「約束……した……」
綺麗な銀色の瞳に涙を浮かべて笑う。見ていられないけど、目を逸らす訳にもいかなかった。みっともない。視界が酷くぼやけた。冷たくなりつつあるノスリの指と俺の頬を、温かい雫が別った。
そして。
「私の心を貴方にあげる」
皮肉な事に、今まで見たものの中で一番眩しくて、美しくて、魅力的な笑顔を見せた彼女は、言葉を紡いだその唇を、ゆっくりと俺の唇へと触れさせた。
消えて行く。温もりのあるその感覚も。両頬を包み込む手の柔らかさも。近くで触れたその息遣いも。彼女自身も。
輝きを一層強める黄金の魔法陣の中心で、淡い光が俺とノスリを覆う。色々な感覚が甦ってきている事とは裏腹に、彼女を認識している筈の感覚から、彼女が居なくなっていく。頭ではしっかりと覚えているのに、現実から見失っていく。
言葉を……詞を口にした彼女は段々と真っ白な淡い光の粒子へと還ってしまいつつあるのに、表情を変えない。嬉しそうに、している。頬を少し赤く染めて、珍しく恥ずかしそうにはにかんでいる…………いた。
「ノスリ! ノスリ!」
結局、黄金の色をした酷く無垢な魔術で生かされた俺の叫びは雪に吸い込まれて、何一つ返して貰えなかった。
残されてしまった俺に幾つもの真っ白な粒が俺に触れて、消えた。膨れ上がっていた感情が破裂した。
歩み寄って抱き締めた銀色の少女に似た空色の少女の綺麗な顔には傷一つ無くて、目元の渇いた後を再び濡らしていたのは俺だった。
光の柱は今も尚世界を煌々と照らし続けている。俺はこの光景を、気持ちを、痛みを、絶対に忘れない。
忘れられない。