Flag12―還御―(3)
そんな私にレディちゃんは腕を回して「泣いて良いんだよ」と、自分も泣きそうになっているのに、私達を見ているコーチさんも「無理すんな」と無理に笑顔を作っているのに、言いました。
ユーリさんは只々涙を溢すエルちゃんを支えながら、もうそろそろ真上に上がりそうな太陽が照らすこの街の風景を眺めています。
「皆さん……なんて顔しているんですか……そんな顔っ……されたら……」
感情が溢れだして、抑えられなくなってしまいました。
「怖かったです……死ぬかと思いました……何も出来なかったっ……」
レディちゃんは私の背中を擦って、涙声で「うん……うん……」と相槌を打っています。
「私っ……このままじゃ……嫌だっ……悔しい……よ……こんな風にっ……終わりだぐ何が無いよ……」
誰もが思っている事を口にしてしまう私は弱い。どうしようもない位に弱い存在です。
私達の先を歩くあの人達が、同じ人間だと気付いてしまったから、弱い人間だと知ってしまったから、私のちっぽけさが浮き彫りになってしまって、直視していられなくなってしまって、どうしようもない悔しさと悲しさが止まらなくなってしまいました。
「嫌……だ……嫌だっ……嫌だ!」
失った時間が、取り戻せる訳じゃないのに、子供の私は、子供の我が儘を口にする事しか出来ません。
何が嫌なのかなんて訊かれても、明確には答えられません。嫌だったんです、何もかもが。認められなかったんです。まだ手が届きそうなのに、手を伸ばさないのは。これ以上何かを失うのは、嫌なんです。
「すまないけど、僕はエルシーを休ませたいから、またね。君達には申し訳ないと思っているけど、これは僕がやらなくちゃいけない事だから」
「おう、無理すんなよ」
ユーリさんとコーチさんがそう言葉を交わしてから多分五分位、司さんが来る前の時のように、三人になってしまった私達の前の扉が開きました。
「……俺は別に貰い泣きなんざしてねぇよ……って、何だお前ら? まだ帰って無かったのか?」
「ネアン先生、王宮へ行くんでしょう? 私達も着いて行きます」
扉の奥から出てきた担任の先生の目元は、気のせいか少し赤く見えます。
皆、このままじゃ終われないと思っている筈で、やろうと思っている事もきっと同じでしょう。だけど、私達だけじゃ、その場所に行くことさえ叶いません。
だから私達は、それが出来る人を頼ります。私は、ちっぽけだから。
「断る。俺達はシャルルが居るし、こいつらとは長い付き合いだから別に不思議じゃねぇけど、お前らは何を理由に入るつもりだ?」
そう問い掛けてきたネアン先生に答え返したのはレディちゃんでした。
「本。ツカサ君、忘れていったよね? 友達の忘れ物を届けるのは、友達であるボク達の役目だよね」
ネアン先生は「お人好し共め」と呟くと、頭を抱えて、腕の隙間から見える口元を吊り上げました。
‡ ‡ ‡
やけに落ち着いているなと言われた。上手く言葉を返せなかったけど、仕方が無い。当たり前だ。薄っすらとだけど、覚えていたから。
戦わなくちゃと思った。戦わないと、皆が傷付いて、苦しんで、死んでしまうと、思った。
ひたすら願った。何でも良いから、力を寄越せって。
そしたら、何だか哀しくて、苦しくて、悔しくて、憎くて、痛くて、怒りや悲しみが何処からか一気に流れ込んで来た。
気付けば、目に映るものの殆どが憎くて堪らなくなっていて、全部消してやろうとしていた。
それを選んでいたのは俺だけど、動いている肉体と、俺自身の精神は遠くにいるようで、まるでずっと一人ぼっちで、古びたネガの無声映画を見ているみたいだった。
そんな時、憎らしい世界の全てを屠ってしまおうとしていた時、そんな中でも鮮やかで、綺麗で、哀しいほど無垢に見える人達が、この世界に居たことを知った。いや、知っていたのだけれど、一人ぼっちだった俺は知らなかったから、思い出したと言った方が良いのかもしれない。
俺は混乱していた。傷付けちゃ駄目なものがあると知ってしまったから。でも、肉体の方は止まってくれなかった。必死に駄目だと叫んだ。それを傷付けちゃ、俺がこうしている意味なんてものがなくなってしまうからって、下手くそな説得染みた言葉を鏡越しに吠えていただけだった。
だから、一番憎しみを感じた相手だけを只々殺そうとしていたんだ。
そしたら、突然ソイツが居なくなってしまって、世界には綺麗なものばかりが溢れていて、俺は込み上げてくるどす黒い感情のやり場を失ってしまって、遂には、ネガの向こう側の俺は、綺麗なものまで刈り取ろうとしていた。
綺麗なものの中には、大切な家族も居た。ずっと探していた人が、まるで幻影のように映っていた。
それに手を伸ばしていた。傷付けるつもりは全く無くて、本物かどうなのか触れて確かめたかっただけ。それだけなのに、俺の手に握っていたのは刃だった。
家族は笑う。
だけど悲しそうに笑って、微笑んで、謝っていた。声は聞こえなかったけど、わかったんだ。
どうしてそんな顔をするんだよって訊ねたかった。触れて、話をして、前みたいに笑い合いたかっただけなのに、俺はそれすらも踏み散らしてしまおうとしていた。
目の前に透明な壁が出来た。
少し安心したけど、不安にもなった。まるで夢の中で夢を見ているみたいで、画面に映る家族が偽物だったって事にされてしまいそうで。
恐れて、呼び掛けて、手を伸ばしてしまいそうになってる内に、無声映画はぷっつりと終わってしまった。
隙間から射し込んで来る太陽の陽射しは茜色になりつつあった。祭りの日だからなのだろうか、気のせいか外の空気が浮き足立っている。
手枷を嵌めてたった一人で牢獄に居るのには少し慣れてしまったが、話す相手も居ないというのは少々暇で手持ち無沙汰だ。退屈は人を殺すとはよく言ったものである。
これは、これだけこの国が平和だったという証なのだろうが、今の俺にとっては、気持ちが悪かった。
そんな時、遠くから反響する足音が聞こえ、ランプの灯りが影を落とし始めた。間も無くしない内に、ゆらゆらと揺れる淡い影は大きくなって、一人の人となる。
ランプが眩しく照らした人は金髪で、緑色の瞳をしている人物。こんな薄暗い所には不釣り合いの、日向で生きているのが似合う人だった。
「レイ……どうしてここに?」
「どうしてって言われても……一応ほら、僕は皇子ですし……? ここは僕の所有物みたいなものですから。別の国の学校に行ってると言っても、今日は魔飽の日ですから、何ら不思議な事ではでは無いかと。それに、僕としては君がこんな所にそんな姿で居る事の方が驚きですよ……ツカサ君」
そりゃそうだ。向こうからしたら久し振りに会った友達が右腕と左目を無くした状態で牢屋にブチ込まれてるんだもん。驚かない方が可笑しい。
しかし、この大国の次期王様であるレイ=フラウ=ハルバティリス皇子が、わざわざ好んでこんな所に、しかも一人で来る筈もない。