Flag11―玄色―(17)
広がる魔法陣に描かれているのは七芒星。
青。
私の眼前に、地を這うように現れたその魔法陣は、輝きを増していきます。
同時に。そこから、私と同じか、少し大きい位の大きさの光の塊が一つ、現れました。
そうして、魔法陣の光が収束すると、その上に揺蕩っていた光の塊は弾け、一瞬、光が私の視界を覆います。
『久しいな……やはりお前か、ルーナ』
それと共に、声。
「ええ、お久し振りですね。サナ」
私が呼んだのは、今目の前に現れた彼女の名前。
とても不思議な作りと様相で、露出は少ないながらもどこか艶やかな、暗い赤を基調とした衣装を身に纏った彼女は、両の眼を隠している歪な眼帯の、向かって右下、病的なまでに白い肌に浮かぶ、鱗のように走る赤い痣の、更にその下、血色の悪い不健康な色をした薄い唇で柔らかな下向きの弧を描きます。
『それにしても、これまた中々に混沌とした所に喚ばれたものだな。……まあ、お前の事だ、本意ではないのだろうが……』
「このような状況下で貴女を呼び出すような不義理な真似を行っているのは重々承知済みです。ですが、その割には楽しげですよね?」
私がそう言うと、サナは小さく笑いを溢しました。
『それもそうであろう? 再びお前に会えたのだ。それに、久々の戦場で興奮しない筈がなかろう』
私への返答と共に、サナは薄ら笑いを浮かべ、肌を突き刺すような雰囲気を纏いますが、それも一瞬、すぐに柔らかな微笑みに変わりました。
『ルーナ……大きくなったな……』
「サナ……」
時間がない、こんな状況にも拘わらず、ほんの少し視界が霞みます。今はこんな思いに浸るわけにはいかないのに、どういうわけか、表情を引き締めてもそれだけは収まってくれません。
「えっ……」
『本当に、大きくなったな……』
そんな時でした。そっ、と、優しく、抱き締めるというよりも、包み込むように、サナが私の背中へと、両手を回したのは。
本当に、私の精神は弱いらしい。
少しして、私は自ら、サナから離れると、彼女は『もう良いのか?』と問うてきました。
「ええ、あまり時間がありませんから」
私は、こんなことを言える立場ではないのでしょうけれど。今は、少し位虚勢を張らしてもらっても、良いでしょう。
『そうか……妾はもう少し位楽しみたかったのだがな……』
「……何を楽しみたかったんですか……」
『えっ……? 大きくなったルーナの胸』
「…………」
『いやー、本当に大きくなったなぁ。あの頃はあんなに小さかったのに……。妾自身、中々のものであると自負していたのだが、イヴにその価値観は壊された。……しかし、そのイヴも今のお前には勝てん……。立派になったな、ルーナ』
「とりあえず、私の感動を返してください」
『血って凄いな』
「聞いてくださいよ!」
何ですかこれ。何がどうなれば、あれからここまで話が飛んでいくんですか。私一人が無様に踊っていただけじゃないですか。
『ルーナ』
「……何ですか……?」
『そう拗ねるな。お前は、何のために妾を喚んだ?』
拗ねてない、と言おうとして、私の頭には不貞腐れているという言葉が過ります。殆ど同じでした。思いの外、客観的に自分を見る事が出来ているという事に気付いて、喉元まで来ていた文句を飲み込みます。
「何のため、ですか?」
『ちなみに妾はお前の胸に埋もれるために来たぞ』
「真面目にするのか、ふざけるのかどっちかにしてください」
『じゃあ、ふざける方向で』
「真面目にお願いします」
あぁ、そう言えばこの使い魔は、昔っからこんな感じだったと、今更ながら思い出し、頭を抱えざるを得ません。最初っから、こんな部分も思い出していれば、格好悪い姿を見せずに済んだのかもしれませんね。
「はぁ……、友達を助けたいから、という理由ではいけませんか?」
『いや、どうでも良い』
……いい加減、手を出しても良いでしょうか?
両目を眼帯で被っているので見えない筈なのに、見えているかのように、私の挙動を察したサナは、ふざけているつもりはなかったのか、ほんの少し焦りを交えた声音で、その意図を口にしました。
『いや、な。ルーナ。妾にとっては、お前の目的はどうでも良くはないが、良いのだ』
どっちなんですか……。口を挟もうと思ったものの、サナの話は続くようなので、いい加減飲み込み飽きた文句を飲み込みます。
『妾には意思もあって、主の願いを尊重したいとは思っている。だが、妾は昔から、何の因果か、お前たち一族の使い魔として喚ばれていた。お前たち一族が特殊だというのは、お前自身重々理解しているであろう?』
その問いのような確認に、私は一度頷きながら「ええ」と返すと、サナは再び口を開きました。
『故に、その力を扱いきれずに死んだ者も見てきた。そもそも魔術なんて使わなければ良いし、妾自身、使ってほしいとも思わないが、妾を喚び出したという事は、そういう事であろう?』
「だから……ですか」
なるほど、そういうわけですか。
『主が賢いと話が早くて良い』
要は、覚悟を示せば良いんですね。
「サナ」
『なんだ?』
「私は、ルーナ=カタルパは、ここに誓います。必ず、ふざけた運命になんて屈しません。貴女の因果を、悲しい物になんてしません。ですから――」
私は今一度、簪を握り締めます。
お願い、お母さん。勇気を――
「――力を、私に貸してください」
真っ直ぐと、私がサナの目があるであろう部分を見つめていると、サナはその血色の悪い口角を吊り上げます。
『なら問おう。もし妾がお前に、お前の大切なものを寄越せと言ったら、お前は妾にそれを寄越してくれるか?』
変わった質問ですね。けれど、そんな質問、答えは決まっています。
「絶対に嫌、です」
『おぅ……そんなにはっきりと言われるとは思わなかったぞ……』
「誰に何と言われようとも、私は大切なものを、大切な人達を手放す事は出来ません。渡したくありません。勿論、貴女も、絶対に誰にも譲るつもりなんてありません」
私が続けて口にした言葉に、無防備に口を開ききっていたサナは、「それで?」という、私の追求で漸くその口を押し黙るかのように真一文字に口を結びます。
『……仮契約だ』
そうして、只一言、そう呟きました。
何故“仮”なのか、思わず、そんな言葉が口から洩れます。私としては、今の気持ちを全て正直に言ったつもりだったのですが……。
それに仮契約は使い魔が主を見極める場合において行うことがあるものですが、サナの場合、母が主であった頃から知っているので、見極める必要もあまり無いように思えます。
使い魔を、サナを召喚出来たということは、少なくとも最低限の基準は満たしている筈ですし……。
『そう不満そうにするな。その内、お前も本契約する時が来る』
「理由を、教えてくれませんか?」
『そんなの言うわけないだろう? 私が望み、お前が気付くべき事だ。まあ、難しく考える必要もない。少なくとも今は、妾はお前との契約を切るつもり等更々無いからな』