Flag11―玄色―(14)
しかし、何秒でしょうか。魔法が終わっていないという事は、やはり一瞬だったのでしょう。
周囲の景色が捻じ曲げて見える原因である私の魔法の中から、焦げた様子のない裾が見えました。
同時に――私は纏う炎を更に燃え上がらせて、地を蹴ります。
一瞬で流れる景色の中で、私は垣間見た裾の位置から、橙色の髪をした男性の身体の位置を逆算し、勢いを乗せた右の拳を打ち出しました。
狙いは右肩と首の間。右鎖骨辺りに向けて、私は腕を振り抜きます。
「軽いンだよ」
しかし、軽々と受け止められてしまいました。
軽々と、というのが少々ショックではありますが、私だって一発目が上手く決まるとは思ってはいません。
私は斜め方向へと動いていた力の流れの向きを、重心をずらす事で勢いを殺さず次の動作へと向かわせます。
踏み込んでいた右足を支点に身体を捻り、反時計回りに回転し、当初の勢いに加えて、出来る限りの力を上乗せした左足を放ちました。
その様にして放たれた私の後ろ回し蹴りは、見事に橙色の髪をした男性の左横腹へと吸い込まれていきます。
靴を通して、私の足にはお世辞にも良いとは言えない感触が伝わって来ました。
橙色の髪をした男性は吹き飛んで行き、私と距離が開きますが、それに加えて私は後ろへ下がります。
念を押しておくだけ損はありません。飽くまでも私の役割は時間稼ぎです。油断して不用意に動いた結果返り討ちになるわけにはいきません。
私は足で地を後ろへと蹴りながら、魔法を――
「ってェなぁ……」
「――えっ……?」
どう……して……?
「骨折りやがって……どうしてくれンだ? あァ?」
どうして、私の目の前に居るんですか……?
魔法を発動しようとしていた私は、その選択を放棄して、生じた焦りから逃れるように、全ての身体の動きを目の前にまで移動していた橙色の髪をした男性から逃れる事へと移行させます。
「まあ、待てよ」
しかし、そんな声と共に伸びてきた、男性にしてはほっそりとした右腕は、意図も簡単に私の首を掴み捉えてしまいました。
「……っ……はっ……」
空気を求めて痙攣しているように小刻みに揺れる肺の感覚は、否が応にも私の焦りを煽ります。それにより、私に巣くう緊張は積み重なり、続く筈の息も続きません。
一刻も早く離れようと、私は橙色の髪をした男性の手首を掴んで引き剥がそうとします。しかし、私が火の鎧を纏っているのにもかかわらず、橙色の髪をした男性の細腕はびくともしません。
ならばと、私は橙色の髪をした男性の手首を握る力を強くします。……あまり取りたい方法ではありませんでしたが、こんな状況で躊躇しているわけにもいきません。
今度は足を……靴を通してではなく、私の手を通して、直接鈍い響きが伝わって来ました。
「……またかテメェ」
……にもかかわらず、私の首を絞める力は一向に弱くはなりません。
「待てつってンだ。大人しく人の話を聞いたらどうだ? あァ?」
そればかりか、橙色の髪をした男性は余っていた左手で私の右の手首を掴むと、私がしたように、私の手首の骨を握り、砕いてしまいました。
「ッ――!?」
どうしようもない程に執拗な鈍い痛みが、自分の物では無いように項垂れた右腕から蝕んで来ます。
視覚と痛覚から伝わってきた情報に、私は叫び声を上げそうになりますが、それも叶わず、喉が痛くなるだけでした。
感覚を絶ち切りたくなる痛みは、いつしか全身へと広がってしまいそうな錯覚を私に見せます。
どうしようも出来ないこの状況に、遂に私は、炎を全て消し去ってしまいました。
誰かの為に、そんな事を抜かした私が結局、一番に選んだのは私自身。最低、ですね。
しかし、感覚が麻痺してきたのか、意識の外に成り出した痛みを感じながら、白み掛かった頭で考えてみると、こうなるのは当たり前だったのかもしれません。
いいえ、こんな頭でも考えられるのだから、当たり前、なのでしょう。
我が儘を言った。その時点で、意地だとか、覚悟だとか、一丁前に言葉を並べていましたが、ただの子供の我が儘に、自分本意な考えに過ぎなかったんです。
なら、どうすれば良かったなんて問われれても、私の頭では、わかりません。
単に、ルーナ=カタルパは我が儘だった。それだけです。
要らぬ覚悟なんてして、目を背けるために目を閉じた所で、何故か、私は呼吸が出来るようになりました。
私の喉元に感じる手の感覚は、依然として残っています。
「テメェ……どうして使わねェ」
何が起こっているのか確認しようと、瞼をほんの少し上げると、橙色の髪をした男性は、そう問い掛けてきました。
その問いに、私が何をどう返せば良いのか、答え倦ねていると、男性は再び口を開きます。
「テメェらが結界を破壊しようとしてンのは途中から気付いてた。結界を張った俺が言うのも何だが、テメェらがそれを壊そうとしている理由も理解出来る。だが、どうしても理解出来ねぇ事がある。何故、テメェが居ながら、そんな回りくどい方法を取っている?」
「それ……は……」
「テメェのその目は本物だろう?」
「……貴方は一体、何者なんですか?」
私の質問に対して橙色の髪をした男性は、表情を変える事なく、答えろ、と、一言だけ言うと、それと同時に私の首に添えている手に込めていた力を強くして、私の喉を圧迫しました。
「質問の意味が……わかりません……」
「しらばっくれんじゃねェぞ」
「……もし、私がその質問に答えたとして、一体何になるというのですか?」
「……ただの気紛れだ。テメェの面が、昔見た奴と似ていて気になった。それだけだ。別に何にもなんねェよ」
「なら……私がそんな事に答える必要もありません」
私がそう言うと、橙色の髪をした男性は、感情をあまり感じさせない表情の中で一瞬、気のせいか憐憫な目をしました。
「……そうか」
橙色の髪をした男性は、私を殺しもせず、小さく呟きます。一体何を考えいるのか、私では理解する事が出来ません。
荒々しく広がり地をも揺らし響く音は遠くに聞こえ、この場だけが時間に取り残されたかのように静粛が支配します。
そんな中で、私の中に広がる緊張感が重みを増して来たとき、何かを考えていたのでしょうか、漸く橙色の髪をした男性は口を開きました。
「なァ」
最初は短いそんな一言。
それに対して、なんでしょうか? そんな風に形式ばった言葉を返した私は律儀でしょうか? もしかすると、本題に入るまでの間に、私が口を挟んだだけだったのかもしれません。その証拠に、私の言葉の語尾に重なるように、橙色の髪をした男性は言葉の続きを口にしました。
「テメェ、俺と来ねェか?」
そして、先程の私の図々しい行動に対して、特に気にした素振りも見せずに言い切った言葉は、思わず素っ頓狂な声を上げてしまいそうな程に的外れなものでした。
「何を……言っているんですか……?」
「別にふざけてなんかねェ。俺と一緒に来ねェか、って言ったンだ」
「私にとっては、ふざけた話に聞こえます」