Flag11―玄色―(4)
「……ッ! 〝護れ〟!」
「〝ガング・ウィンダ〟」
しかし、魔法を唱えるよりも先に、素早く反応したヴァルが俺の制服の襟を掴み、引っ張りながら俺と橙色の髪の男との間に割って入ってくれたお陰で、風の槍が俺を襲うことはなかった。
「間一髪、ですね」
「ごめんヴァル……」
「謝られるのは好きじゃありませんね。それよりも……」
ヴァルに促されて、その目線の先に俺も注意を戻す。
「何で……あんなにピンピンしてんだよ……」
つまらなさそうな表情を浮かべる橙色の髪の男は、俺の剣戟やヴァルの魔法により重傷と呼べる傷を負っているにも関わらず、無傷の時と何ら変わらない足取りで、ゆっくりと、離れた距離を詰めてきていた。
「何で、だァ? テメェらが弱ェだけだろうが」
そう言い、橙色の髪の男は緩徐な動きで三度手を翳す。
「〝護れ〟!」
その動きとほぼ同時、ヴァルのガントレットに青白いラインが浮かび上がり、同色の輝きがヴァルを包んだ。
「随分とせっかちじゃねぇか」
「警戒しておいて損はありません」
「護る……だっけか? そんな状態でよく言えるモンだな。テメェ、魔力殆ど残ってねぇだろ」
「もしそうなら、何だと言うのです?」
「……あァ、そうだな。俺には到底関係ねぇ事だったな」
独り言のように、橙色の髪の男は呟く。
「くっそ……〝地鎧〟」
短いやり取りを行っている二人に対して、俺は属性の魔力を纏って俺は何とか立ち上がろうとするが、思うように足が動いてくれない。その上、纏ったばかりの鎧は脆く崩れ落ちて行き、気持ちが逸る。
俺の魔力も、もう殆ど残っていない……いや、空に等しいのかもしれない。我ながら、こんな状態でよく意識を保っていられるものだと思う。けど、ここで意識を手放したら……。
下半分は茶色、左半分は黒の情景、霞んでいる景色、ぼんやりと見える風景の中で、橙色の髪の男は言った。
「護る力も無いクセに、そんな責任感の無い事、言ってんじゃねェよ」
瞬間――俺の見える景色は、紅一色に変わった。
音。
やけに静かなこの場所に、砂を詰めた袋が落ちたような、そんな音。
程々に高い金属音が、二つ。
水の音。
それらが過ぎると、近くで生まれた音は治まった。
「ヴァ……ル……?」
「だから言っただろ? 脆いって」
俺に現実を突き付けるように、可能性を否定するように、橙色の髪の男は言う。
「お、おい! ヴァル!」
這いつくばりながらもなんとかヴァルの元に行き、声を掛ける……返事がない。脈は…………ある、けれど。辛うじてという感じで、出血が酷い。まるで全身の血管が破裂してしまっているような、それくらい血が流れてしまっている。
「くっそ! くっそ……!」
きっと、このままじゃヴァルは……。
「何よそ見してンだ?」
「うぐぁッ!?」
蹴り飛ばされ、口の中に鉄の味が広がる。
「そんな風に、他人に同情して、意識を割いて、どうになる?」
「……ぁあ……」
左腕を通して、鈍い音がした。《暦巡》を強く握っていた左手は、踏みつけられ、握ることもままならない。
「何一つ護れないのに、護ろうとして、どうになる? 何が変わる? 力が無いのにも関わらず、足掻いて、何になる?」
何だか夢の中にいるような感覚を通して、橙色の髪の向こうに黒い空が見える。
遠くに、雨の音がした。
悔しいけれど、何も言い返せない。口まで、上手く動いてくれない。
視界がぼやけて、目尻に滴が垂れる。
俺は何も出来ないのか?
自問して、滴が溢れ出しそうになった時、それが揺れた。
水晶玉を通して見たような景色。そこに浮かぶ橙色が突然消えた。
「……僕の恩人を、大切な友人を愚弄するのは、止めてくれないか?」
声でわかった。
「……ユー……リ……」
辛うじて絞り出た声で確かめてみるが、やはり完全には声にならなかった。けれども、そうだよと、確かに返事が帰ってきた。
「次から次と……ったく、テメェはさっきと同じように震えてりゃ良かったのに、わざわざしゃしゃり出てくるたァ……どう言った用件だ? あァ?」
「用件はもう言った筈だよ。引くつもりがないのなら、僕が相手をする」
「はッ! よく言うぜ。まだ足が震えているクセに――」
「〝風よ〟。二度は言わない」
「ユー……リ……」
橙色の髪の男の言葉を遮って風を放ったユーリに、戦ってはダメだと、ヴァルを早く連れて行けと、言おうとしたが言葉が続かない。だが……
「嫌だよ」
そう、はっきりと答えた。
「馬鹿な選択だと思うかい? けどね、君も同じ状況なら同じことをしただろう? いや、君ならきっと、それ以上に愚かな事をする。そう言い切れる位に君は愚かだ。自分の許容範囲を越えるような事でも、出来ないと言われようとも、しようとする。酷く強情で傲慢で我が儘だ」
それでも――と叫んだ。
「僕もそうありたいと思った! 君に憧れた! 弱いからといって、何も出来ないわけじゃないと教えてくれた! 僕に、抗う事を与えてくれた! 僕はもう! “カリエール”の傀儡としてではなく、“ユーリ”として生きる事を決めたんだ! だから! 僕も君のように理想を語ってやる!!」
ユーリがそう言い切ると、少しだけ風が吹き、俺の頬を優しく撫でた様な、そんな気がした。
「テメェが……ユーリ=カリエールか……」
そして意外にも、黙ってユーリの言葉を聞いていた橙色の髪の男は、問う。
「そうだよ。それが何か?」
「……あの女……エノーラ=カリエールの息子か」
「どうして……僕の母上の事を知っている?」
「死ぬ間際でも笑っているような……テメェらみてぇにいけ好かねぇアマだった、只それだけだ」
「……死ぬ間際……だと……?!」
「……ん? ああ、そうか。テメェは知らねぇんだったな、そりゃそうだ」
「答えろ! どうしてお前が、母上が死んだ時の事を知っている!?」
橙色の髪の男の発言に対して、ユーリにしては珍しく、激昂している。そんなユーリとは正反対に、橙色の髪の男は落ち着いた様子で、「懐かしいな……八年前……だったか?」と大して懐かしくもなさそうに溢した。
八年前と言われて思い付くのは、この前レディに聞いた事件だが、ユーリのお母さんは事件に巻き込まれて亡くなったのだろうか? それに……さっきヴァルも八年前がどうのって、言っていた様な……。
何があったのだろうと、疑問を浮かべてはみるが、ダメだ。頭が働いてくれない。何とか保とうとしてきた意識も、とうとう限界らしい……。
ユーリもヴァルもエルも放って、こんなところでくたばるわけにはいかないのに……。
しかし、そんな最後の抗いも全て呑み込んでしまうように、俺の意識は深い黒へと堕ちていった。