Flag11―玄色―(3)
どうして? どうして? どうして? 無い? あるのに。確かな痛みがさっきまではあったのに。指が、手のひらが、手首が、前腕が、肘が、上腕がが、右腕が。在ったのに。何故無い? 身体が、全身が、痛みを訴えていたのに。
右腕のそれが全部、幻だったてのか。
「脆いな……」
「何が……だよ……!」
橙色の髪の男の呟きに対して俺がそう問うても、答える気がないのか、聞こえてきたのは足音だけ。どんな表情をしているのかは視界が霞んできたためよくわからなかった。
ちくしょう。
どうなってんだよ……! わからない。いや、わかっているけど、現在の状況も理解出来ているけど、言葉に出来ないほど支離滅裂で、頭の整理がつかない。
「死ね――」
足音が、止んだ。
「――〝ガング・ウィンダ〟」
霞みつつある視界の先に見えるのは青白い光。微かな衣擦れと、俺自身の体液で出来た血溜まりの揺れる音を掻き消すかのように聞こえたのは風の槍を生成するための言葉。
ちくしょう。
こんな所で……俺は……。
「〝護れ〟」
死ぬのか……。そんな考えが、いや、諦めが頭を過った時、白いガントレットに青いラインを浮かべている彼が、俺の前に立った。
「チッ……テメェまだ動けたのか」
橙色の髪の男は不愉快そうに、舌打ちと共にそう溢す。
しかしそれでも堂々と、決して良いという訳ではないが、不思議と頼もしく見える足取りで、彼は拳を構えた。
「俺は八年前のあの日から、大切な人達を護ると誓いました。もう二度と、貴方には何も奪わせません」
「ヴァル……」
「ツカサ様」
自然と洩れた、目の前に見える頼もしい背中の主の名前。それに対してだろうか、その主が呼んだ俺の名前には、若干の呆れが混じっているように聞こえる。
「往生際が悪いのがツカサ様なのでしょう? そう簡単に諦めないでください」
顔をこちらへは向けず、背中越しに聞こえたその声は、言葉に反して優しい口調だった。
「ごめん」
何故だろう、たった一言だけで、それだけの言葉で、焦りや不安、或いは怒り、とにかく酷く混在していた感情が、治まった。
一度死を覚悟したからだ、と馬鹿をしたように、呆れたように言われてしまうかもしれないけど。確かに、それも間違ってはいないと思うけれど、きっとそれだけじゃない筈だ。
俺は今、立ち上がることが出来たから。
血を吸った制服が重たくて、肌に張り付く感覚は酷く不快だ。その上、身体中が泣きたいくらいに痛いし視界も狭い。それでも、平静を保っていられる。
霞む景色を見渡す。少し離れた所にあった己の得物は、俺の血で紅く染まっていた。
無意識に伸ばそうとしていた右腕を引っ込めて、左腕を伸ばしてそれを拾う。
近くで見たその刃には皹が入り、酷く欠損していた。もしかしたら身体中の傷の幾つかは、橙色の髪の男が何かをした際に、俺の右腕を奪った際に、弾けたコイツの欠片が刺さって出来たものなのかもしれない。
「ごめんな」
呟き、地属性の鎧を纏う。これで少しは傷や流血もマシになる筈だ。
「ヴァル、動けるか?」
「そっくりそのまま言葉をお返しします」
……そりゃそうか。今は俺の方が酷い状態だった。
気を取り直して、俺は肺に溜まった空気を吐き出し、新しい空気と入れ換える。
落ち着いて作った地属性の鎧に更に水と闇を混ぜこんで、数歩。ヴァルの隣に立った。
「……テメェ、やっぱウゼェわ」
「そりゃどうも」
橙色の髪の男と言葉を交わし、動き出す。
「〝ビロウ・ランド〟!」
敵に向けて、弧を描くように駆け出した俺を見て、ヴァルは地属性の中級魔法を発動した。
それにより隆起した地面は橙色の髪の男に襲い掛かる。
そこで食らってくれたら有り難いのだが、そう上手くは行かず、後ろへ跳ぶことでそれを避けた。
……が、ヴァルが魔法を使ったのは俺の動きを見てからである。
故に。
「ハァッ!」
回避して着地をした際に生まれる隙に、俺は鎧と同様の魔力を纏った《暦巡》を思いきり、叩き付けた。
「チッ……」
舌打ちを溢し、橙色の髪の男は、俺から逃れるように先に地面に付いていた足で更に地を蹴り、不安定な体勢ながらも再び跳躍する。
それにより、当たりはしたものの痛手を負わせるには至らなかった。
「ヴァル、残りの魔力は?」
「問題ないです。ツカサ様は?」
「正直あんまり残ってない……」
「わかりました。それならあまり時間を掛けるのは好ましくありませんね」
手短に打ち合わせ。どうやらヴァルは俺に合わせてくれるらしい。さっきの連携から、期待しても良さそうだ。
俺がヴァルに目を合わせ頷き、再び走り出すと、ヴァルも再び魔法を発動する。
「〝スペリア・ランド〟!」
俺が橙色の髪の元へ辿り着くよりも早く、上級魔法の魔法陣が展開される。その数は一つではなく、広範囲に幾つも、それも俺の通るであろう道筋を除いた範囲に展開されていた。
青白く輝く地面は、別々で展開されているのにも関わらず、一つの魔法のように一斉に隆起し、橙色の髪の男を巨大な生物が呑み込まんとするかの如く動き出す。
その光景に圧倒され、俺は必要ないのではないかと思ってしまうが、相手が相手なので俺も手を休めるわけにはいかない。
それに、これだけの事をするにあたって、ヴァルは大量の魔力を使った筈だ。これで魔力の量が余裕で残っている人なんて、精々カーミリアさんやノスリと言った魔力量の多い人達位しかいないだろう。となると、次はないと考えておくのが賢明か。
俺は一度鎧を解除し、水属性と雷属性と闇属性を合わせた鎧を纏い直す。
……落ち着け、俺。
深呼吸をして、鎧として纏っている魔力の量を増やし、密度を上げる。
魔力の量が増えると、それだけ扱いが難しくなるが、大丈夫。根拠はないけれど、きっと。
想像する。思い描く。どんな姿であるのかを。
その見た目は騎士。甲冑を身に纏い、その手には刀を握った異形の騎士。
より精巧に、精密に。走りながらも尚、想見を現実に投影する。
道の先、地面の顎に囚われ、動く事を許されなくなった橙色の髪の男の元へ。
「ハァ――ッ!!」
左だけとなった手で刀を握り締めて、その隻腕で、今出来る精一杯の力を込めて、振るった。
大きく土埃が舞う。
同時に、支える力を失った大地の顎は、褪せゆく青白い光を伴って崩れ去る。
立っているのも辛くなってきた。視界も更に歪む。それでも写した景色の向こう。
魔力で黒に染まった刃は――
「……ちょこまかちょこまかウゼェんだよ」
――届いてなんて、いなかった。
「どうして……?」
手には何かに当たった感触はあった。振り抜くことは出来なかったが柄を通して、刃が触れ、進んで行く感覚は確かにあった。それなのに、どうして刃自体が届いていない?
「死ね」
さっきの再現のように、橙色の髪の男はそう言い、足が上手く言うことを聞いてくれない俺に向けて手を翳す。