Flag10―趨勢―(7)
結局何も決まらない。相手の思い通りに動いてしまっているのがもどかしい。
そんな時だった。
「はぁ……こんなこったろうと思ったよ」
台詞からも口調からも呆れの滲み出る声が聞こえてきたのは。
‡ ‡ ‡
「上手く合流出来たみたいだ」
艶のある綺麗な、今まで僕が思い浮かべていた事柄の中心にいる彼とよく似た黒髪の一部を両側頭部でそれぞれに結んで、ぴょこぴょこと目の前で揺らしている彼女は嬉々とした様子でそう口にする。
「これでひと安心ですね、エル様」
「うむ。これだから手の掛かる子供は……ん? どうした? 何でそんな変な表情をしているんだ? ヴァル」
「……エル様には言われたくないとお二方は仰るかと……」
「な、何でだヴァル!?」
「……どうしてでしょうか……わかりかねます……」
「何だその含み笑いはぁ!?」
目の前で繰り広げられる緊張感の欠片も感じられないやりとりは、少し懐かしいという思いを起こさせながらもこれで大丈夫なのかという不安を僕に抱かせる。
「ユーリ! ユーリ!」
「何だいエルシー? そんな泣きそうな顔をして」
「聞いていなかったのか!? 良いか? ちゃんと聞くんだぞ……って何でユーリも笑うんだぁ!!」
「いや……これは違うんだけどな……」
……聞いていない。さっきまでの嬉々とした様子は何処へやら、エルシーは何故か「うわぁぁああん!」と叫び声を上げながら走るスピードを上げ、ちらほらと現れる黒い人形をものともせず蹴散らしながら走っていった。
「ユーリ様、俺達もエル様に追い付きましょう」
ヴァルはエルシーに向けていた含み笑いを僕に向けてくる。僕が一体何をしたというのか。
エルシーの元へ走って行くヴァルの背中を見ながら、こんな状況下ではあるけれど、これも懐かしいと感じてしまう僕はどうかしているのかもしれない。
しかしあまり関係無いことに気をとられている場合ではない……のだろうけど、悪くない。むしろ雰囲気としては良いと思う。現に、時々現れる黒い敵は簡単に倒すことが出来ているし。
……只、問題があるとすれば、校舎の床に付着している血痕の原因を作り出したそれらが簡単倒せ過ぎるという事と、エルシーの契約武器である《スカディ=コルネリウスの杖》の能力と何処か似ているという事だ。
まあ、単純に似ているという気がしただけである上に、あちらのは蠢いて気持ち悪いので、似ている気がしたという感覚は勘違いなのかもしれないけれど、やはり一度感じた不安を拭い去るのは難しい。
……何も無ければいいのだが。
「ツカサとコーチの馬鹿ぁ!!」
頭の端に巣くう不安はどうすることも出来ないので放置して、走って行ったエルシーに僕とヴァル共々追い付くと、彼女はその幼い見た目に合った口調で、この場には居ない二人に対して罵りの言葉を浴びせていた。
彼女は自身の武器の能力で影を通してカサ君とコーチ君と連絡を取っているのであろうが、二人の無事を確認するでも無く、この無邪気な少女は一体何をしているのか。
けれど、それを指摘するときっと彼女は拗ねるんだろうなと、どう声を掛けようかと迷っていると、僕よりも先にヴァルが声を掛けた。
「どうでしたかエル様? お二方は元気でしたか? エル様の事ですからお二方を気に掛けて連絡を取って下さったのですよね?」
……いや、その問い掛けは流石に強引過ぎるだろう。
「そ、そうだぞ! ツカサ達は子供だからエルが面倒を見てあげないと駄目なんだ! エルはびゅーてぃふぉーうーまんだからな!」
八つ当たりだったんだ……。そしてヴァル、慣れているね……。
思いの外簡単にエルシーを宥める事が出来たところで、ツカサ君とコーチ君は無事だと言うことを校門で待機しているルーナさんとレディさんの二人に連絡し、僕らの話題は改めて真面目なものへと移行する。
「エルシー、この校舎には人はもう居ないのかい?」
「うん。人が集中しているのは西校舎と北校舎みたいだから、ここにはエル達以外はもう居ないよ」
「西校舎はツカサ様とコーチ様が居ますし……となれば俺達が向かうべきなのは北校舎でしょうか?」
現在僕らはエルシーの契約武器の能力を頼りに逃げ遅れた人は居ないか見回っている。その結果、幸い僕らが今居る東校舎には戦闘で生まれたと思われる傷は多かったものの、事前にエルシーが言っていた人の死体以外の死体や血の痕はあまりなかった。
「どうだろう? 本来ならコーチ君の提案通りに別れて行動するのが筋なんだろうけど……何かあった後じゃ遅いしね……」
ヴァルの問いにそう返したところで僕らは立ち止まった。理由は中央校舎にある十字路に差し掛かったから。本来なら順当に北校舎へ向かうところだが、今なら西校舎に向かうことも出来る。
「いや、その必要はないぞ。ユーリ、ヴァル、エル達はこのまま北校舎に行く。念のためにもう一回確認したけど、中央校舎に人は居ないから回らなくて良いし、ツカサとコーチの二人は元気にケンカしているみたいだからエル達は不要だ」
「仲良いね……あの二人……」
こんな時に何をしているのか聞きたいけれど、喧嘩を出来るならそれなりの余裕はあるという事だろうから安心だ。
「かしこまりました。では、俺達もお二方に負けないように気を引き締めて参りましょうか」
ヴァルの言葉に僕とエルシーは頷き、北校舎へと足を踏み入れた。
中央校舎最上階の十字路から繋がっている東校舎最上階の道を歩くが、何かが現れる気配は今のところはない。
そうして何も問題もなく進んで行く過程で僕は、時間が掛かると思っていたが、案外早く終わってしまうものだと気付いた。
いや、僕だけじゃない。僕と一緒にいる主と従者の二人も気が付いているであろう。
ここは惨劇の跡であると。
向かう先に希望の跡なんてない。さっきまで現れていたような敵の影もない。あるのは血痕と傷痕と死体だけ。手遅れだと嫌がらせに耳元で囁いてくる絶望が広がっている。
故に時間を掛けるものがここにはない。
……しかし直ぐに終わるにしても、流石にこの死体の量は見ていてしんどい。気が滅入ってくる。
ヴァルもだが、エルシーは大丈夫だろうか? 彼女は西校舎で亡骸を見た時、涙こそは見せなかったものの辛そうで、大丈夫かと問うと『大丈夫』と答えたが、空元気であった。
エルシーには友人が多い。いや、多いなんてものじゃない。この学院でエルシーと友人ではない方が少数派であると言った方が適切だ。だから、きっとエルシーは僕らよりもこの道を通るのが辛い筈なのだ。
「エルシー」
僕は少し俯きながら目の前を歩く彼女に言葉を投げ掛ける。
「大丈夫だよ」
何が大丈夫なのか。説得力なんて皆無じゃないか。
「し、しかしエル様……顔色も優れていませんし……」
エルシーの言葉に対して、ヴァルは僕よりも先に反応し、直ぐにエルシーに駆け寄って、歩く彼女を制止しようとするが彼女は足を止めない。