Flag9―影―(12)
「面白くないって言われても……」
「だって……ツカサだったら三分あれば捕まえられる……ううん、一分で充分」
……何だろう。きっとノスリに悪意は無いんだろうけど、逆にそれが心に突き刺さる……。そしてコーチは徹底的に無視するんだな……。
「じゃあ、ノスリちゃんは俺らと一緒に逃げるってのか?」
しかしと言うべきか、ぞんざいな扱いを受けても尚諦めないコーチは、何事もなかったかのようにノスリに問う。
「…………」
「……ノスリ」
「何……?」
「コーチが俺達と一緒に行動するのかと訊いているぞ?」
「……コーチって誰……?」
ノスリはたっぷりと間を置き、そう言った。
「何……だと……?」
ノスリが言い切ると同時にコーチの、絞り出したような悲痛な声と、湿り気のある地面に物を落とした時特有の音が二つ、俺の耳に入る。
遂にノスリの中で存在を末梢されてしまったか。こればかりはコーチでも耐えられなかったらしい。
「そっか。知らないのなら良いや」
「ツカサぁ!?」
だって構うと面倒そうだし……。
「じゃあ、ノスリは俺達と一緒に逃げるのか?」
「それ今さっき俺が言った!」
ノスリは俺の言葉に縦に頷き肯定する。依然、コーチは無視して。
「さて、行くか」
コーチがまだ喚いている気がするが、気にする必要はない。むしろ居なくっても良いや。ノスリが居るし。
俺の言葉にスリは再び縦に頷き、俺達は歩みを進める。
ひとまずは人の少ない校舎の影に隠れながら広大な学院の校庭を歩いて行く。ちらほらと生徒を見掛ける事はあるが、見つかりはしなかった。
もしかしたら見付かっていたりするかもしれないが、先程の放送の内容に女子生徒は居なかったので、ノスリが居る事によって気付かれてはいないのかもしれない。何にせよノスリ様様だ。
「ツカサ……」
気付かれにくくなった事により、俺は我が物顔で校庭を闊歩していると、ふと、ノスリが俺の名を呼んだ。
「どうした? ノスリ」
俺がそう問い掛けると、ノスリは俺の袖を引っ張り、校舎の影へと連れて行く。
そうしてノスリは、俺の肩に手を掛け、背伸びをし、俺の耳元へと口を近づけた。何やら秘密の話らしい。
「…………いや、やっぱり何でもない……」
しかし、ノスリは何かを言おうとしたものの、俺の耳に少し息がかかったところでやめてしまい、俺から離れ、そう言った。
「えー……」
一体何の話だったのか。凄くモヤモヤする。
文句の一つでも言ってやろうとした時、タイミングが良いのか悪いのか、項垂れてブツブツと何かを言っていた筈のコーチが合流してきた為、それは叶わなかった。
「二人とも置いて行くなんて酷いぞぉー」
その上、何故か語尾に星が付きそうな口調で話し掛けてくる。機嫌が良いのか、懲りないのか。そもそも、どうしてそんなに機嫌が良いのか、不気味すぎて余計に気になる。
「何があったんだよ……」
「……わからない。けど、気持ち悪い……」
「同感だ……」
一応、コーチに気を遣って……と言うか、不気味だから変に刺激を与えたくないからなのだが、声を潜めてノスリと言葉を交わす。
「ほらっ、さっさと行こうぜ!」
ウザったい程、無駄にキラキラとした何かが溢れ出ている様な気がする爽やかな笑顔を浮かべているコーチは、俺とノスリの腕を引き、走り出した。
仕方なく、言われるがままに俺達もペースを合わせて走る。
俺は本当に何があったのかと、原因になりそうな事はなかったか思考を巡らそうとしたが、それをしようとした時と同じ瞬間に、それが不要になった。
……最悪の形で。
「〝ディレクト・ブライズ〟」
それは聞き覚えのある声だった。
その声が聞こえてくると、次には収束した紫電の塊が一本、こちらに向かって真っ直ぐ突き進んで来ていた。
俺は咄嗟に二人の腕を掴み、火傷させない様に気を付けながらも火の属性強化を纏って左へと跳ぶ。少し強引だったものの、ノスリ、コーチとも無傷に済ます事が出来た。
「ツカサ……肩が外れるかと思ったぞ……」
「……ごめん、コーチ」
無傷とは言い難かったかもしれない……。
一方ノスリは俺が跳ぶ瞬間に合わせて跳んでいたらしく、微かに勝ち誇った表情を浮かべていた。
楽しんでる……?
いやいや! 呑気に呆れている場合ではない。そりゃノスリにとっては面白いものかもしれないけれど、俺はノスリの様に転移が使えたりするわけでもないし、そこまで使える魔法も多くない。
要するに、さっさと逃げないとヤバイのである。
「良いところで会えたわね」
冷や汗が浮かんでくる。
威圧感を放つ笑顔でゆっくりとこちらへと歩み寄って来ているのは、今さっきこちらに魔法を放った張本人。
桜色の髪を頭の片側で一つに纏めている彼女は、右手に白銀の得物を携えて、後方に所々見覚えのある女子生徒を数人従えている。
厳密には従えている訳ではないのだろうが、俺の目にはそんな風にしか映らなかった。
「コーチ……この人達連れてきたのお前だろ……」
無駄にテンションが高くてウザかったのはきっとそのせい。半分はやけくそで、もう半分は俺への仕返しなのだろう。
「ああ、スカート捲って来てやったぜ。ちなみに、カーミリアさん、エルちゃん、ルーナちゃん、レディちゃんの順で白、水玉、赤、水色の縞々だった」
「なんて事をしてくれたんだ馬鹿野郎」
俺は完全にとばっちりじゃないか。こんなとばっちりを受けるんだったら俺だってこの目で確認してからにしたい。
笑顔で親指を立てながら、親指を立てていない方の手で、カーミリアさん達四人以外の生徒を指差して「あの子のパンツは……」等と俺に言ってくるコーチ。腹立つ。
「……しかし、まあ、なんと言っても意外だったのはルーナちゃんだな」
「……確かに」
……赤、か。
「気になる……?」
ノスリは俺の顔を覗き込み、そう問う。
「そりゃな……」
一体俺は何を言っているんだ。ましてや年下の生徒に。
そもそも、こんなにゆっくりしてて良いのか? 現在進行形でゆっくりしている俺がそんな事を考えるのもおかしい話ではあるが、今は一応ピンチである。
コーチの話に呆れながらもきっちりと聞き耳を立てていたとしても、今の状況はピンチである。
幸い、こちらへと歩いてきているカーミリアさんとの距離はまだ遠い。
「よし、逃げよう……あれ?」
俺はコーチとノスリに呼び掛けたつもりであったが、何故かノスリがいない。
「ノスリちゃんなら今さっき〝転移〟を使ってどっかいったぞ?」
「えっ……」
逃げたのかと思いきや、そうではない。直ぐに見付かった。
ノスリは、カーミリアさん達の集団の中に居た。
まさかの寝返りですか……?
「コーチ……」
「ああ、ノスリちゃんのスカートも捲っておいたら良かったな……」
「お前と意思の疎通を図ろうとした俺が馬鹿だったわ……」
お前の頭の中はパンツの事しかないのか。この変態は救いようがないかもしれない。
……仕方ない。コーチを置いて逃げよう。