Flag9―影―(9)
レイラ女史がそう言うと、教室は水を打ったように静まり返る。何故だろう、ネアン先生が言うよりも様になっている気がする。……この人がまともな所は初めて見た。魔闘祭の時でさえ、あんなだったし……。
「良い犬っぷりね……素直でよろしいわ」
満足気に頷くレイラ女史。うん、いつも通りのようです。
……いやいやいや、何を安心しているのか。確かにいつも通りじゃなかったら、それはそれで不安にはなるけれど、これはこれで問題なわけで。
「まあ、そんなことはどうでも良いわね。授業は所々A組と合同で行うので各自確認しておく様に。連絡事項は以上よ」
今自分で言ったのにどうでも良いのか……本当にどうでも良いことだけどさ。
しかしそんなツッコミは受け付けないとばかりにレイラ女史は直ぐに踵を返し、教室の扉に手を掛け、少し開く。しかし、そこで何か良い忘れでもあったのだろう。立ち止まり、振り返った。
「このクラスの女子はもう私のものよ」
何言い出すんだろう、この人。
そんな意味不明な言動を捨て台詞に、レイラ女史は何事もなかったかの様に教室から出て行った。
……A組の人達、苦労していそうだな……。
俺はここには当然居ない他クラスの人達にエールを送り、さっきからうずうずし、何かを言いたそうな眼差しを俺に向けている人に問い掛ける。
「どうした? コーチ」
「ツカサ、今日の一限目は体育だ」
「それがどうしたんだ? どうせ走ったり、魔法使ってあの変な動くクッションみたいなの取り合ったりするだけだろ?」
競技名は何だっただろうか……? 今一、こちらの世界の競技の名前は覚えられる気がしない。
「変な動くクッションみたいなのじゃなくて“フムルラ”な。俺はあれはあれで好きだけどな」
そうそうフムルラ。確かあの変な動くクッションみたいなのは、昔からあるらしいフムルラって魔導具で、競技名も魔導具から取ってフムルラだった筈だ。
「どちらにせよ、俺は動きたくない」
「いやいや、俺が言いたいのは授業の内容の事じゃねぇよ」
「じゃあ何だ? 勿体ぶらずに早く言ってくれ。もう皆着替えに向かい始めてるし、今日の体育はA組と合同みたいだから混む前に着替えたいんだけど」
何故合同の授業を確認していないのに体育が合同だと俺が知っていたのかと言うと、単純にクラスメイトの一人が確認し、皆に呼び掛けていたからである。
「ツカサ、お前はそれでも男か?」
「次にふざけた事言い出したら叩き斬るからな」
「いや、落ち着け、剣先を俺に向けるな。早く言って欲しいならちゃんと話を聞いてくれ」
「……わかった」
俺はコーチに言われ、渋々向けていた《暦巡》の刃を下ろし、話を聞く体勢であるとアピールする。
「消してはくれねぇんだな……」
「勿論」
「はぁ……まあ良いや、俺はお前が男だと信じて話をするから……って今刀突き付けようとしたよな?」
「いや、気のせいだ。けど女だと思っていたりするなら今すぐ斬る」
「お、思ってねぇから……」
コーチはそう言うと、わざとらしく咳払いをする。俺の目を見ようとしなかったり、変に汗をかいている気がするが、今回はコーチを信じておこう。
「とにかく、俺はお前を男と見込んで話をする。良いな?」
「何を当たり前の事を」
「そ、そうだったな……。なら、言うぜ? 女、着替え、と来たら俺達は何をするべきだ?」
「お、お前……まさか……」
「ああ、そのまさかだ……」
「けど、どうして今日なんだ……?」
「今日だから、だよ。わかんねぇか? リスクはいつでも同じなんだ」
「つまりいつもがハイリスクローリターンだとすると、今日は合同な分、ハイリスクハイリターンだって言いたいのか……だが、どうしてお前は危険を犯してまで……?」
「“漢”だからだ。ツカサ、お前もそうだろ……?」
こいつ……まさか全てを計算して!?
「卑怯だな、コーチ……」
「どうだかな。それじゃあ、さっさと着替えて作戦開始だ」
「了解」
‡ ‡ ‡
「良いか? 作戦はシンプルだが難易度は高い。絶対に油断するなよ?」
「ああ」
「ええ」
「…………」
コーチの呼び掛けに俺達は同意する。一人はしていないかもしれないけれど、この際の呼び掛けは形式としての呼び掛けなのでどっちにしろ同じだ。
「どうして僕が……」
「運の尽き、ってやつでしょうね」
頭を抱えて溜め息を溢すのはユーリで、それを微笑みを浮かべて宥めているのはヴァル。
どうしてこうなっているのかと言うと、さっさと着替えを済ました俺達に二人が話し掛けてきて、何を思ったのかコーチが時間の無駄だからと二人を巻き込んだからだ。
ユーリとこうしてこの場にいるのは予想外ではあるが、俺としてはヴァルも同席している事の方が驚きだ。
可能性の一つとして、ヴァルと同席するというのは予想していたが、こんな形ではなく、今から俺達が行うことを止めに入りに来るものだと思っていたのだから、尚更驚きは大きい。
「なあ、コーチ」
「何だ?」
「どうして二人を巻き込んだんだ?」
これはどうしても聞いておきたい。下手をすれば即ゲームオーバーになるにも関わらず、協力的とは真逆そうな二人に、わざわざ自分からバラしたのか。
「ユーリはむっつりっぽかったから、俺達がこそこそ隠しながら作戦を行って嗅ぎ回られるよりも、いっそのこと引き込んだ方が手っ取り早いし、安全だと思ったんだよ。あと、むっつり」
「コーチ君……君は……」
「どうしたんだ? お坊ちゃん。こんなとこで何かするとバレるかもしれねぇぞ?」
「くっ……」
憎ったらしい笑みを浮かべるコーチにと、悔しそうに歯を食い縛るユーリ。多分俺がユーリならコーチを殴っている。
ちなみに何かをするとバレそうなこの場は、一階の屋根の上。詳しく言うならば、女子更衣室の窓に面している屋根である。
それにしてもむっつりか……わかる。
「諦めろ、むっつり」
「ツカサ君……君には言われたくない……」
ユーリの呟きは聞こえなかったふりをして、俺はコーチに話の続きを促す。
「コーチ。それでどうしてヴァルを?」
「……漢として、真の漢だと感じたから……かな」
照れ臭そうにはにかんだ笑みを浮かべて答えたコーチ。聞くだけ無駄だった。そして何故だろう、こいつのこの顔を見るとイラッとする。
「じゃあ、そろそろ本題に入るか」
俺の内心なんて知らないであろうコーチはそう言い、話題を本来の目的のものに移した。
「あの、コーチ様」
「どうした? ヴァル」
「今回の作戦内容を聞きたいのですが」
「良い質問だ。今回はあれを使う」
そう言い、コーチが指を指した先には何の変哲もない一つの排気口。
「一体どう使うんだい……?」
そう質問したのはユーリ。お前、本当はノリノリだろ。
「これは先輩から聞いて知った話なんだが、実はあそこは昔から壊れていて……と言うか直しても直ぐに壊れるらしくて、覗くのにはうってつけなんだ。ちなみに、壊れているかどうかは既に確認済みだから安心して良い」
なるほど、何故壊れるのか不思議ではあるが、窓から覗くなんてスリル満点な方法に比べると、確かにうってつけだ。