Flag9―影―(2)
そりゃだって……ねぇ……? この期に及んでここまできっちりとした格好をしている人が話し掛けてきたりしたら逆に警戒するでしょ。
「気にしないでください。それで何か用ですか?」
「そう? ならそうさせてもらうわ。……まあ、用と言う程ではないのだけれど、どうして授業中に廊下をまったりと歩いているのかしら?」
緑色のリボンの……二年生の女子生徒はそんな言葉使いをしているが、瞳は非難するそれではなかった。
「先輩こそ、どうしてこんなところに居るんですか? 授業中ですよ?」
「あら、そうね。けれどお生憎様、私は成績が優秀なの、そんな私と成績がぎりぎりの貴方、客観的に見たらどっちの方が非行に走っている様に見えるかしら」
「どうして俺の成績を知っているんですか?」
「そんなの、今学校を賑わせている存在を知らない方がおかしいじゃない」
学校中に広まっているんだな……。つーか、成績とかどっから洩れたんだよ。ネアン先生は洩らしたりはしないだろうし……となるとやっぱり純粋に俺の実力がないからなのか……? 辛い。
「それで、俺をどうしたいんですか?」
「急に元気がなくなったけど……貴方大丈夫……?」
「……いえ、気にしないでください……」
「それは私の立場上無視は出来ないのだけど……とりあえず、場所を移しましょう。私が優秀だからと言って教師に見付かっても良いって訳でもないし、貴方もそっちの方が都合が良い筈よ? 話もそこで、良いでしょう?」
女子生徒の中では提案と言うよりも既に決定しているらしく、俺に有無を言わせぬまま、着いてこいと言うように踵を返す。
とは言え、俺の置かれている立場上、場所を変えると言うのは魅力的だった為、無言で女子生徒の後ろを着いていくと、女子生徒は少し歩いた先にあった教室の前で立ち止まり、中に入った。
「何をしているの? 早く入りなさい」
俺は女子生徒にそう促されて、生徒会室と表示されていプレートから目を外し、その教室の扉を潜る。
その教室に踏み入ると、先ず最奥部の大きな窓が目に入り、次にその手前に綺麗に整理された書類が乗せられた大きなデスクと、それの更に手前に置かれた大きなソファと横長のテーブルが目に入った。
そして教室の左端には大きな本棚が幾つか肩を並べ、存在感を放っている。
だが、それ以上に存在感を放っているのは教室に入ってすぐ、扉から一番近いところ。
そこには不自然なまでに綺麗な、殺風景な机が幾つもくっ付けて並べられており、異様なまでの違和感を生み出していた。
「好きなところに座るなりして少し待っていて」
俺に質問をする時間を与えずにそう言った女子生徒は、奥のデスクの右側に慎ましく取り付けられた扉の奥に姿を消した。
奥のソファにでも座ろうかと思い、本棚の前を横切ると、ふと、一冊の本が目に留まる。
いや、それは本と呼べるものではないのかもしれない。手のひらサイズのそれはページ数も少なく、薄い。
少し気になり、その本を引っ張り出そうとすると、表紙同士がくっついてしまっていたのか、その隣に置いてあった古臭い本も同時に取れた。
くっついていた本を無理矢理剥がすわけにはいかず、少し読みにくいがその状態のまま目に留まった本の表紙を捲る。
「――ッ!?」
そこで目にした文字を見て、思わず、息を飲んだ。
何故こんな物がここにあるのか。
そこには『世界を繋ぐ方法』と達筆な手書きの文字で書かれ、続けて『道玄坂繁のセクレトから、空気中のエーテル粒子を一ヶ所に圧縮することで一時的に此方の世界から彼方の世界への扉を開くことが判明している。なら、一時的ではなく、恒久的に繋ぐことも不可能ではない筈である。以下、その方法の考察と仮説を記す』と書かれていた。
知らない単語が少し見られるが、これは少し前に王宮でナイトさんと話した内容と照らし合わせてみると理解できる様な気がする。
恐らくセクレトと言うのは繁じいちゃんや、王宮を襲撃してきた《リアトラの影》のショウシの仲間が使っていた様な力の事で、エーテル粒子と言うのは魔力の別の言い方と見て良いだろう。
そう言えばナイトさんの研究内容にもエーテル粒子と言う単語が使われていた気がする。
……けれど何だろう。この、違和感は。言葉には出来ないけど、何処か引っ掛かりを感じる……。
少しの間その違和感の正体を考えてはみたものの、結局わからなかった為、手元の本に再び視線を戻し、更にページを捲った。
「ふぅーっ」
「うわっ!?」
だが俺は考え事に集中していたせいで、扉の奥から女子生徒が戻ってきた事に気付かず、いつの間にか近付いてきていた女子生徒に話し掛けられ……いや、耳に息を吹き掛けられて驚き、本を閉じてしまい、内容に目を通す事はなかった。
「その反応は失礼じゃないかしら。私は戻ってき時に貴方の名前を呼んだのに無視されたからこうして耳元で優しく囁いてあげたのに」
「優しい以前に囁いてすらいないじゃないですか……」
「それはつまり貴方は耳に息を吹き掛けられるより耳元で優しく囁かれる方が好み……そう言うことね?」
「何故そうなった」
「そんなことはさておき、貴方も珍しいものを引っ張り出したものね」
女子生徒は俺の持っていた小さな本の方を指差す。珍しいものどころではない様な気がするけど……。
「どうしてこんなのがここに?」
「ここの本は歴代の生徒会長が集めていたものなの。それで確かそれは二十七代前の生徒会長が持ってきたものと聞いたわ。……理由は知らないんだけどね」
「結構古いんですね……。けどよくこの本を持ってきた会長が二十七代前って知ってますね」
「やっぱり変な本だから代々自然と伝わって来ているのよ」
女子生徒は続けて「そんなことよりも」と言いながら、俺の手元にあった本をごく自然にやんわりと手に取り、大きな本の方のページを捲る。
「そんな何を書いているのかわからない本よりも私はこっちの本の方が何倍も面白いと思うわ」
本の表紙には『七人の死者と二人の生者』と書かれている。ファンタジー小説か何かだろうか? まあ、俺からしたらこっちの世界自体ファンタジーだからその基準ってのはよくわからないんだけど。
「好きなんですか?」
「ええ、小さい頃から読んでいるわ。ちなみにこれは貴方が罵られている原因のあの神話と同じくらい昔からある話を本にしたものの一つよ。本によって作者の見解が違うのもまた魅力ね」
「どんな内容なんですか?」
「自分で読んで確かめなさい。きっとその方が良いわ」
目の前の女子生徒はよっぽど『七人の死者と二人の生者』が好きなのか、俺の胸元にその本を押し付けてきた。
断れそうにもなさそうなので俺は女子生徒の眼差しに圧されながらも本を受け取り、左腋に抱える。
「良いんですか……? 歴代の生徒会長が集めたものと言えど備品には変わりないと思うんですけど」