ユヌブリーズの休日(4)
普通、ここら辺の地理を知っていれば迷子になんてならない。そもそも、あのノスリ=アビエスにそっくりな人が居て、今の今まで騒がれなかった事自体がおかしいのだ。そう考えると、彼女はこの街に来てから日が浅い可能性の方が高いと予想出来る。
「それじゃあ、君……だと少し呼びにくいね……名前は?」
「く……キョウカと呼んでくれて構いません」
相変わらず挙動不審な素振りでキョウカは言う。今も何だか頭を抱えてしゃがみこんでいるし……変な娘だ。
「そうか……僕はユーリ=カリエール。好きなように呼んでくれて構わない」
僕がそう言うと、キョウカは小首を傾げて。
「ユーカリさん……?」
「……ユーリと呼んでくれ……」
まさか彼以外にこんな変な呼び方をしてくる人が居るなんて思わなかった……。このキョウカと言う少女は、彼みたいに小馬鹿にはしてきていないけれど何故だろう、彼よりも彼女に言われた方が傷付く。
「それで、何処に向かおうとしていたのか教えてくれないかい?」
僕は何の悪びれもなく「えっ……どうして?」とでも言いたげな表情を、擦れてしまっているフードの下で浮かべているキョウカを放置して話を進める。
「あっ、はい。私達は……と言っても私の我が儘で、なんですけど、魔術学院に向かっていました。そしたら気付いたらさっき言った男の子が居なくなっていて……」
「……キョウカ、事前に地図は確認したかい? その男の子も」
「それは、はい。しっかり確認してきました」
「なら、君はここへはどの道から……この先の十字路のどの方向から来たんだい?」
「えーっと……演習場があったから……」
「真っ直ぐか……地図は見てきたんだよね……?」
「はい、ばっちりです」
「本当に?」
「勿論!」
「自信満々な所悪いんだけど……学院に行くならそこの十字路は向かって左なんだけど」
予想通り。これなら人探しは案外早く終わりそうだ。
「えっ…………えへっ……?」
それで誤魔化しているつもりなのかと問いたくなるが、指摘するのは何だか可哀想に思えたので気付かないふりをして話を進める事にした。
「とりあえずは学院に向かおう。十字路ではぐれたのなら、まだ来た道を戻るよりもそっちの方が会えると思う。構わないかな?」
キョウカは首肯で返事をし、「じゃあ、行きましょう」と颯爽と歩き出す。
僕は直ぐに彼女の隣に追い付いて、彼女の名を呼ぶ。
「なんでしょうか?」
「道……逆だよ」
‡ ‡ ‡
男の子を捜す為に僕らが歩き出してから少し経った。
学院に向かっている途中で真っ直ぐな道を進むだけなのだが、時折キョウカがあらぬ方向へと進み、その度に僕の精神は削られていっている為か、情けないことに少し疲れてきてしまったかもしれない。
「ねぇ、キョウカ」
「なんでしょうか、ユーリさん」
「どうして路地に入ろうとするんだ……」
「えっ……近道ですけど……?」
「真っ直ぐ進むだけの道に曲がる必要性は感じられないんだけど」
「すみません、間違えました」
「どうやったら間違うんだよ……そこも曲がらなくて良いよ……」
「すみません……つい……あっ、ここですね」
「いや、だから曲がらなくていいって」
時折ではなかった……ずっとこの調子だった……。
「あれ……? おかしいな……」
おかしいのは君だと言ってやりたいけれど、どうしてなのかはわからないが、何処と無く機嫌が良さそうに見える彼女を見ていると、そんな気が削がれてくる。
「キョウカ……僕達は男の子を捜しているんだよ? それを忘れていないか?」
「イ、イイイイイイヤダナーユーリサン。ソソンナワケナイデスヨー……?」
ああ、忘れていたんだね。
「……少し、訊きたいんだけど良いかい?」
僕は今にも曲がって路地に入り込んでしまいそうなキョウカをそれとなく曲がらない様に促して、彼女の気を反らすがてら、さっきから少し気になっていた事を問い掛ける。
「君は学院に近付くに連れて浮かれていっている様に見えるけど、その男の子を捜すのを忘れてしまう程の何かが学院にあるのかい?」
するとキョウカは暫し俯いた後、僕を見上げ、フードの下で恥ずかしそうな笑みを浮かべながら、とても優しい声で答えた。
「兄が……居るんです」
「なるほど、君にとってお兄さんはとても大切な人なんだね。そのお兄さんに会いに来たのかい?」
「いえ、会いに来た訳じゃありません……」
「なら……何をしに……?」
「只、姿が見たかったんです。元気な姿が」
彼女は風でフードが脱げそうになっている事なんてに止もめずに、さっきとは違う、何処か哀しそうな笑顔を浮かべた。
「それは……どうしてだ……?」
声が、震えた。
「どうしてって……」
「君は会いたいんだろ? 会いたい人に会えるのに……どうして会わないんだ?」
戸惑うキョウカを尻目に、僕は言葉を吐き出し続ける。
「君の兄は君にとって一番大事な人なんだろ? 会いたい時に会えなくて、一体いつ会うんだよ!」
こんな事をしても無駄なのに。相手に迷惑を掛けるだけなのに、言葉が止まらない。
「会いたいと願った時に! 少しでも言葉を交わしたいと望んだ時に! 想いを伝えたかったと、どれだけ渇望したって……! 幾ら……望んだって……それが叶うとは……限らないのに……」
そんな僕の言葉は、人の賑わいに掻き消されながら、虚空に響いた。
「私だって……」
彼女の言葉が僕の耳に届く。
「……出来るなら、そうしていました……。自分で決めた事にも拘わらず、弱い私は意思を曲げて、それを望んでしまいました。私がそれを望んではいけないのに。……本来なら、姿を見ることだって叶いません。姿を見れる事自体喜ばしくはない事なのに、私はそれを何処かで喜んでいた……。私には過ぎた願いだったのに……」
彼女は泣きそうな顔で、必死に涙を堪えながら微笑もうとする。
僕は……最低だ。
「……すまない、僕が悪かった。人の事情に口を出すべきじゃないのに……只、わかって欲しかったんだ……後悔した時はもう、遅いんだ……」
「い、いえ……勝手に感情的になった私が悪いんです。それにむしろすっきりしました。どうしてでしょうね?」
溢れそうになった涙を隠し、笑顔を浮かべて気丈に振る舞う彼女は強いと思う。初対面だけどわかる、僕なんかよりもずっと、きっと。
彼女が頑張っているのに僕がそれを無下にするわけにはいかない。お互いに少し笑って、しんみりとした空気を払い、いつの間にか立ち止まっていた足を僕が先導して進める。
そうして再び歩き始めると、前方から彼女の名を呼ぶ少年の声が聞こえた。
「キョウカさーん!」
キョウカの言っていた少年だろうか。彼女と似たフードを被るその少年は僕達の元へ駆け足で近付いて来ると、呆れたような声でキョウカを諌める。
「キョウカさん、あれほど離れないでくださいって言ったじゃないですか……あっ、どもっす」