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夫の浮気

 (四)

 子を産み、信用しきれずにいた夫も優しくなって、幸せに浸っていた妻を奈落の底へ突き落としたのは、夫が他の女性へ書いた一通の手紙だった。しかも、道綱が産まれたのが八月で、翌九月にはその不幸が始まったのだった。

 令和の時代の現在なら、さすがに手紙はないかも知れない。替わってメールかLINEが果たす役目だろうか。でも、昭和の時代にはまだまだ、手紙が浮気や不倫発覚に一役買ったという話も、少なくなかったのではないだろうか。再放送のドラマなどで見たことがあるが、妻役の女優さんにとって、夫の裏切りを見つけた衝撃を表現する演技の、見せ場だったかも知れない。昔から手紙は用件を伝える便利な道具だったが、反面様々な形でその罪深さも隠し備えながら、現代まで重宝されてきたとも言える。

 さて、夫は他の女性へ宛てた手紙を、毎日必ず行くとも限らない妻の家へ、置いたままにしていたのだった。そして、それを見つけた妻は、怒りと嫉妬に狂うのである。妻には、自分が才色兼備だというプライドがある。しかも、夫は自分よりも身分が高いにもかかわらず、自分に情熱的に求婚してきたという経緯がある。あんなに一生懸命に私を口説いておいて、結婚して何年にもならないのに浮気とは、いったいどういうことなのかと言いたいのだろう。その怒りと嫉妬の気持ちは、現在の私達にも十分に理解できる。というより、どれだけ長い時を隔てても、心理としては同じなのではないだろうか。

 蜻蛉日記の作者の時代は一夫多妻制なのだから、現代の浮気とはニュアンスが違うのではないだろうかとも思うので、言葉を裏切りに変えてみると分かり易いかも知れない。

 (五)

 浮気のしっぽを捕まえた妻は、さあ、どうしてやろうかといろいろ思案する。まず、現代なら役者の奥さんあたりが専売特許を持っていそうな、優等生の奥さんを演じることを思いついたようだ。つまり、夫の浮気ぐらい見て見ぬ振りをするのが賢い妻であるという考え方で、それは当時もあったようだ。で、それが脳裏をかすめるが、いやいや自分はそんなことができるような優等生の妻ではないと思い直す。考えてみると、一夫多妻制下では、それができれば男性にとっても都合が良く、世の中全て上手くいきそうに思えるのだが。その時の妻の嫉妬と怒りは、優等生などという聞こえの良い言葉では包み隠せないほど、激しいものだったようだ。

 それではどうするか、騒ぎ立てて夫を困らせたり、直談判に持ち込むなどという考えにも及んだが、今度はプライドが邪魔をして、そんな品位にかかわることはできないと思い留まる。

 いろいろと策を練ったが、結局手紙に得意の和歌を添えて夫におくることにした。しかも、浮気などと直接的な言葉を用いることはせず、嫉妬心も包み隠して。和歌は、「他の人への手紙を見つけたので、もう私のことなど見限るつもりでしょう」という内容だった。怒り様からすると、相当感情を押し殺した歌になっている。優等生は諦めたが、ちょっと優等生ぶってみたかも知れない。

 それに対して夫は、何日か経って訪ねて来て、「他所に女などいないが、あなたの愛情を試すためにわざと書いて置いた」などと言う。そんなことを信じる女性などいるだろうか。若輩者の私でも、単なる出まかせだろうとしか思えない。それでも、妻はどこかでそれを信じているフシがない訳ではなかった。そこはやはり世間知らずのお嬢さんらしい。

 私の友人の中には、兼家は脇が甘かっただけだと言う者もいる。また、私より数歳上の友人などは、いかにもプレイボーイの兼家らしいと言う。何故かと訊くと、プレイボーイはいつも自分が一番気に入っている女性のことしか頭にないので、その他の女性のことは気にしない。作者のことが頭の中にないから、手紙もただ単に置き忘れただけだろうと。それに、プレイボーイは、愛情を試すなどという面倒くさいことはしない筈だとも。そう言われるとそんな気もして、こちらまで兼家という人を全く信用できなくなってくる。友人の説をそのまま信じると、どんなに恰好良くてお金持ちでも、プレイボーイなどという人種には、全く興味さえ持てなくなる。

 嫉妬するということは、それだけ夫に愛情を持ち信頼している訳で、それに対して口から出まかせのような言い訳をする夫なんてとも思うが、でも、そこがあの時代であり、男のステータスだからと思うと、何とも言いようがない。

 (六)

 その後は夫が話しかけても妻はそっぽを向いて、横目で睨むばかりで頑固に口を閉じて話をしない。とうとう夫は、用事があると言って家を出て行く。すると妻は、なんと下男に尾行させるのである。お嬢さんなのになかなか行動力がある。現代のテレビドラマなどでもありそうな展開になってきた。

 帰ってきた下男は、夫が町の小路の女の家へ入ったと告げたのだった。それを聞くと妻はまた逆上して、その夜は一睡もできなかった。そこに住んでいたのは、身分が低い女性だったようだ。だから、兼家の妻としてはカウントされていない。自分を差し置いてそんな女に、と思うと尚更腹が立ってくる。

 京都の町を大通りから外れて歩いていると、小路という小さな通りに出くわす。小路という通りは、東西にもまた南北にも走っている。私は表示板に書かれた小路という通り名を見る度に、蜻蛉日記の作者が嫉妬した女性が、この辺りに住んでいたのだろうかと興味が湧いてくる。実際は、私が思っている場所ではないようなのだが。

 (七)

 それから二、三日経ったある日の明け方、妻の家の門を叩く音がする。怒りが収まらない妻は、門を開けに行こうとする侍女に開けなくても良いと言い、聞き耳を立てて外の様子を覗うのだった。やがて門を叩く音は聞こえなくなり、夫を乗せた牛車は、町の小路の方向へと立ち去って行った。怒りが収まらないとはいっても、そこまでできる女性はあまりいないのではないかとも思われるが、兼家にすっかり反感を持っている読者は、いい気味だとも感じてしまう。

 ところが、そんな仕打ちをした妻の気持ちがその後どうだったかというと、意外にも後悔の涙を流すことになるのだった。怒りに任せて夫を追い返してはみたものの、その夫が浮気相手の家へ行ったらしいことを知ると、それまでにはなかった感情が顔を出してくる。それまでは才色兼備を誇っていたが、それでいい気になり過ぎていたのではないかと初めて反省する。才色兼備とは裏を返せば、可愛げのない嫌みな女と、人に嫌われているのではないだろうかと、卑下してみたりもするのだ。さらに、夫の悪い面ばかりが目についていたが、育ちの良さからにじみ出る、風格やスケールの大きさなどに自分が魅力を感じていることを、改めて認識させられるのだった。そして、このまま夫を怒らせ、見捨てられたらどうなるのだろうと心配になってきた。あんなに強気に、夫に対して怒りをぶつけてきたのに、急に意気消沈してきたのだった。それはそうかも知れない。あの時代、女性が自活できる道はほぼなかっただろうから、複数の妻の中のひとりにでも甘んじていないと、生活が成り立たなかったのだろう。そう考えると、一夫多妻制を認めながらも、結婚せざるを得なかった女性の立場について、改めて考えさせられる。結婚は制度だけでなく、生活や生き方、一生の問題に繋がっていたのだ。

 後悔と反省の後、妻はまた和歌を書いて夫におくる。「嘆きながらひとり寝をする夜がどんなに長くてつらいものか、戸を開ける間さえ待てないあなたには、わからないでしょう」という内容で。すると、夫から返事が来て「夜が明けるまで待つつもりだったが、急用ができて待てなかった。戸をいつまでも開けてもらえないのもつらいものだ」と書いてあった。妻としては、気持ちを込めた歌のつもりだったが、夫は冗談めかしていた。それで、妻は淋しさで胸が一杯になったようだ。でも、妻だって正直じゃない。戸を開けるつもりなどなかったではないか。あんなに後悔と反省をしたのに、それが夫を前にして少しも実を結んでいない。自分でも、不器用で直線的な性格と分析しているが、もう少し上手に気持ちを表せないものかと、千年も後の読者はやきもきしてしまう。まあ、プレイボーイの夫なので、妻がどう振る舞おうと、結果は同じだったかも知れないが。益々夫の事が信じられなくなった妻は、か弱い自分にはどうしようもない夫だと、あきらめモードになってしまう。

 その後夫は大胆になり、昼間から町の小路の女の許へ、公然と通っていくようになったのだった。そして、誰憚ることなく愛人として通している夫の態度に、妻の不信はどんどん募っていく。

 (八)

 小路の女の出現で夫婦の間に大きな溝ができ、妻は不安に揺れ動く日々をおくっていた。その結果なんと、妻は正妻である時姫に手紙を書こうと思い立つのである。それは、夫が正妻である時姫の許へも通わなくなっているという噂を聞き、急に親近感を覚えたというのだが、千年後の読者が考えても、あまりにも虫が良すぎる話である。時姫にしてみれば、自分から兼家を奪ったのは、誰あろう作者自身だった。それなのに、今更何を。またまた、世間知らずのお嬢さんの面が出てきてしまったようだ。手紙には歌を添えて「私達の許を訪れなくなったあの方は、どんな家に居ついているのでしょう」と書いたが、そんなに思い通りに都合よくいかないのが世の中である。時姫からの返事は冷たいもので、「夫は私の所へは寄り付かず、居ついているのはあなたの所と聞いております」とのことだった。

 その返事に、しっぺ返しをされたと感じ、時姫の人柄が噂どおりの温和な人ではなく期待外れだと、批判までしてみる。しかし、自分以外の妻から歌を送られて喜ぶ正妻もいないだろう、とまで考えが及び、自らの性格を、融通が利かず一本調子で、相手の気持ちを察知できない為に、人を困らせがちであると省みるのだった。

 それでも、夫を別の女性に奪われた無念さを、同じ立場の者同士で慰め合いたいと、その後も何度か手紙を書き送った作者だった。そこまでするとは、厚顔無恥のそしりを受けても仕方がない。世間知らずだからでは済まないような、自己中心的な行動にさえ感じられる。そしてまた、子供も何人か居る正妻は余裕があり、作者の考えには乗って来なかったのである。そりゃあそうでしょう。作者は時姫の性格を、評判通りの温和な人ではないと評しているが、正妻だからなのか、妻としては作者よりも器が大きかったのではないだろうか。

 (九)

 年が明けても、夫兼家の小路の女への執心は続いていた。作者の家へたまに訪れることがあっても、例によって彼女の態度が冷たいので、早々に引き上げることが多かった。それでも夫は妻を完全に無視することはできないらしく、いい加減な状態のまま関係はずるずると続いていた。

 そんな中、小路の女が男児を産んだと聞かされ、妻は打ちのめされた思いで、女に対してさらに憎しみを持つのだった。それでも、相変わらず夫は何食わぬ顔で訪ねて来ては、妻に快く迎えられずに、不機嫌に帰ってしまうのだった。一体どんな夫婦なのか理解に苦しむが。

 ある日、仕立物をして欲しいと夫から依頼があったが、素直に引き受ける気にもなれず、突き返してしまった。そんな風に我を張っていても、女一人の寂しさはあり、心の底では夫を頼みにして、訪ねてくれるのを待ち焦がれている妻であった。どうもこの作者は、後悔も反省もするのだが、それが実践で何一つ生かされない。夫の言動をいちいち細かく分析しすぎるのも何なのだろう。一言で言えば、素直ではないということなのか。よく兼家も見限ることなく関係を続けたものだと感心する。

 その後聞こえてきたのは、小路の女が出産後は、夫から冷たく扱われているという噂だった。すると、作者の喜びようは大変なものだった。胸が晴れ晴れとする思いだと書き、自分が苦しんだより、もっともっと苦しめば良いなどと、それはそれは、あれだけ気にしていた品位は何処へいったのやら。そしてまた、小路の女が生んだ子も死んでしまったと知り、それをまでも喜ぶ様子は、身分の高いお嬢さんに持つ我々のイメージからは程遠い。

 しかし、愛情を独り占めしていた小路の女が、夫から見捨てられたことにより、夫が自分の許へ戻ってくれるかと思ったが、そうはいかなかったのである。

 (十)

 蜻蛉日記では、この後も更なる愛憎劇が繰り広げられるのだが、制度も生活も違う現代に生きる我々は、一夫多妻制下における女性の結婚や幸せについて、考えさせられることが多い。

 作者はそれなりに身分が高い上に、才色兼備であることで、とてもプライドが高い女性だったと思われる。結婚制度は別にしても、今の時代なら妻のいる男の甘言になど、乗るような人ではなかったかも知れない。ただ、平安時代においては、女性は仕事をするわけでもないので、年頃になり求婚してくれる人がいれば、たとえ正妻でなくても、結婚するのが普通だったのだろう。しかも、相手はこの上ない身分の人だった。そして、彼女は初恋の相手に、一夫一婦制下におけるような愛情を求めたのだ。それだけ純粋な心の持ち主だったに違いない。それだけなら良いのだが、融通が利かず一途で不器用ときている。だから、一夫多妻制の下では、各々の妻の扱いはこんなものだろうと、妥協する様子が全くない。

 それに、兼家は身分は当代随一であっても、彼女が求める愛情の相手としては、最悪だったかも知れない。兼家の正妻である時姫は、藤原道長を産んだ人である。道長といえば、「この世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思えば」と、栄華を極めた様子を詠んだ歌で知られている。道長もそうであっただろうが、父親である兼家も権勢欲が相当強かった。権勢欲は妻の人数と結びつき、男としてのステータスを表していたのが平安時代だった。もう少し身分や権勢欲の低い男性だったらどうなっていたのだろうかと考えてみるが、それはそれで陳腐過ぎて、後世まで読者を集めるような話にはなりそうもない。

 作者にとっては、多くの妻がいる夫の愛情を独り占めできず、悩んだり苦しんだり嫉妬したり怒ったりしながらも、自分の感情が起因する性格における欠点を自己分析したり、後悔や反省もしてみるが、生来の一本気に、良くも悪くも振り回された人生のような気がする。

 千年後の読者が正直に言うと、一夫一婦制下の現在でも、彼女が求めているような愛情を、手に入れられるとは限らない。もっと言えば、自活できるなど女性の地位の向上もあって、男性側にとってもそれは同じことである。

 昔と今の恋愛や愛情について考えてみても、難しすぎてややこしく、面倒くさい印象ばかりが頭に残る。世の中の不倫騒動を見聞きするにつけ、私の友人の中には、好きな人とは結婚などしない方が良い、という究極の結論を二十歳になる前から早々と出している人もいる。そうかと思えば、十代で結婚をして、毎日子育てに忙しくしており、愛情がどうのこうのなど、考える暇もないと言っている人もいる。

 そんなサンプルを前にして、私自身は相変わらず恋愛にも結婚にも興味が持てず、多分このまま一生を終えるのではないかと、薄々感じている今日この頃なのである。

 

 

 

 


 

 







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