道綱の誕生まで
(序)
京都観光では、金閣寺や清水寺などが人気があるらしいが、何度か訪れていると、奥行きの長い建物やちょっとした路地のような場所にも、京都らしい風情を感じることがある。それとともに、その場所で暮らしていた古の人々の生活について、ついつい思いを馳せてみたりする。
大学生の私は、学校で『蜻蛉日記』という平安時代の作品について学ぶようになってから、京都を訪れる際の気持ちにも変化を感じるようになってきた。平安時代の都であって、その時代の文学作品の主な舞台となっている京都。その同じ場所で、千年も昔に生活を営み、その様子を様々な作品によって描かれた人々をふと思い遣ると、不思議な感慨に捉えられるものだ。
とは言っても、平安時代の作品に登場するのは主に貴族で、現代の我々庶民からすると、時代が違うだけでなく身分、社会の仕組みなど、あらゆることにおいて根本的な違いがある。だから、その時代の人達と我々に、共通点などあるのだろうかと、かつては考えていた。しかし、作品を読みながら其処に描かれている人々の心情を慮ると、意外にも共感できる部分が多いことに気が付く。
(一)
昨今、有名人の不倫が世間を騒がせている。奥さんの居る人が他の女性と親密になり、世間から非難轟轟で仕事を失うこともあるようだ。未だ結婚はおろか恋愛に対してもさほど興味のない私は、単なる野次馬根性でその手のゴシップ記事を読むのだが、若さ特有の正義感から、張本人である男性を嫌悪したり、同性のよしみで、奥さんである女性に同情の念が湧くこともある。同じ扱いをしてはどうかと思うが、ちょうどそれと同じ気持ちにさせられるのが、蜻蛉日記なのである。この日記の作者も、夫が自分以外の女性に心を奪われる様子に傷つき、悲しみ、嫉妬する。そして、その有様を赤裸々に綴っている。それだけにとどまらず、個々の状況下における自らの行動や、そこに至る気持の分析までをもしている。不思議なことだが、千年も昔の人のことながら、自分がもしもその立場に居たと考えた時に、著者のそんな心理状態の多くの部分を、なるほどと理解することができる。だから、次に作者が出るであろう行動についても、自分も同じことをしそうだと考えられる場面もある。
ただ、私の場合はもうすぐ二十歳だというのに、恋愛に関しては我ながら少女趣味の 夢から脱却できずにいる。(少数派だとは思うが、そんな私と同じ幻想に取りつかれている人が、世の中には居ないこともないらしい。)それ故、不倫や離婚が蔓延る世の中の風潮を考えると、自分の結婚については、全く現実的に考えることができない。夢に浸ってばかりいると、自分を省みず、現実の異性に対してどうしても厳しい目を向けてしまう。そんな訳で、蜻蛉日記について理解できるとはいっても、男女の愛憎劇というよりは、同性異性を問わず、ひとりひとりの人間同士としての、慈しみや裏切りという意味で考え、想像しているに過ぎないとも言えるのだが。だから、ここに記していく感想や考えは稀有な例であって、私と同年代の殆どの人達のそれとは、少し或いは大いに違いがあるかも知れない。
ところで、前提となる当時の結婚の形態を考えると、理解し難いこともある。つまり、平安時代は一夫多妻制だったので、今で言う不倫や浮気などという言葉が、当てはまる事態はなかったのではと思われることだ。現代の私達が考えるのは、一夫多妻制下で結婚するということは、女性にとって自分以外にも妻の立場にある人の存在を、認めた上でのことになる。だから、夫が他の女性と親しくしようが、仕方がないことのように思われるのだ。それについては作者も作品中で触れているが、どうも、制度はそうであっても、人の気持ちはその通りにはいかないようだ。しかも、彼女の結婚相手である藤原兼家という人は、後に摂政や関白、太政大臣など大きな権力を握ったことでもわかるように、人並み外れて権勢欲が強かった。要するに、あの時代において多くの女性と結婚することは、一つのステータスだったと思われる。お金や権力がなければ、多くの女性を妻にはできなかっただろうから。
(二)
『蜻蛉日記』は、道綱の母という女性によって、書かれたとされている。彼女は、世間でも評判になるほどの美人でありながら和歌などの教養もあり、所謂才色兼備であったようだ。そして、彼女自身それを自負していたであろう様子も窺い知れる。
作者のそんな噂を聞きつけた藤原兼家が求婚し、彼女の父は身分違いを理由に乗り気ではなかったようだが、それにも構わず手紙を送りつけるなどして、情熱的に口説いたことにより、二人は結婚に至ることになる。身分が違うといっても、兼家よりは低いというだけで、中流階級のお姫さまであることに変わりはなく、それはあまり支障にはならなかったようだ。相手の兼家には、既に正妻である時姫がおり、また二人の間に長男道隆も生まれて間もない頃だった。
私にとっては、ここが最大の理解に苦しむ点なのである。つまり、いくら一夫多妻制とはいっても、相手にとって最初の結婚ならまだしも、既に正妻の存在があるのだから、それでも妻になるというなら、それなりの覚悟を持って臨むべきだろう。しかし、その点に関しては彼女は何も考えてはいなかったようだ。ただ、美人で教養もあると世間で評判になりながらも、彼女は兼家よりも前に求愛された経験がなかった。そこへ兼家が積極的で情熱的に求婚したものだから、嬉しさが先に立ち、また彼女が自身を「世間知らず」と評しているように、生活面で疎い部分もあったようで、情熱的な兼家の様子を、一途な愛の表れだと信じたようだ。当時兼家が二十六歳、作者は十九歳だった。一夫多妻と決められた制度の下では、それ自体をあまり意識しないのかも知れないが、世間知らずで、男性から求愛されたことがなかった初心な十九歳が、七歳年上のプレイボーイの言葉を真に受け、後先考えないで結婚してしまったということになるのだろうか。兼家の名誉の為に一言付け加えれば、当時のステータスに対して、プレイボーイという言葉が適切かどうかは分からない。現在十九歳である私は、彼女と同じ年齢で恋愛経験がないことも同じだけれど、例え結婚をしていなくても、既に女性の存在が分かっている男性には全く興味がないので、比べようもなく話にもならない。
まあでも、結婚制度は別として、ステータスなのかどうなのか分からないが、プレイボーイは現代にも居ないわけではなく、信じて騙される女性の話も珍しくはない。さまざまな情報に触れる機会がありながらでもそうなのだから、世間の風に晒されることのない深窓の令嬢にとっては、無理のない話だったとも思われる。
結婚の形態については、もうひとつ現代とは違う点がある。それは、夫婦は同居することなく、夜になってから夫が妻の住む家へ通う、妻問婚という形になっていることだ。だから一夫多妻制が成立するのかとも考えられる。毎日一緒に暮らしていれば、他の女性の所へはなかなか行きにくいだろうから。
余談だが、高校生の頃古典の時間に、後朝の歌とはどのようなものかについて習った事があった。その時、思春期真っ只中にある生徒を前に、教師は直接的な言い方がしにくかったのか、妙に奥歯に物が挟まったような説明をしていたのを思い出す。また、それを聞いて、教室中が静かに色めき立ったのも。
(三)
作者にとっては、結婚はしたものの、同居しているわけでもないので、夫が夜になっても姿を見せないと不安になるのだった。結婚前には情熱的だった兼家も、一旦自分のモノになると安心するのか、新婚なのに二晩続けて姿を見せないこともあった。そうかと思えば、予想もしていない時に急に現れ、一日一緒に居たい、などと言ってみたりもする。そんな風に、兼家という人は時には不信を抱かせるような素振りを見せたと思えば、反面、それを忘れさせる包容力もある人だったようだ。
私より年上の友人の中には、それはアメとムチを使い分けているのだろうなどと言う人もいる。しかも、その技術は多くの女性を惹きつけて離さない為の、プレイボーイには必要な要素なのだとか。そんな話を聞かされても、私には皆目理解できないのだが。
そんな夫を、作者は二重人格的と評し、その二面性によって、独身時代には想像もしなかったような、期待と不安で翻弄される毎日が続くことになる。彼女はその頃になってようやく、男女関係の機微や男性の扱い方など、全くわからなかった自分が、幼くて無知だったことに思い至るのである。兼家にとっては作者が二人目の妻で、その後もはっきりしているだけで五人の妻を娶る(妾が一人)ことになる。それら全てを恋愛や愛情と考えるなら、彼女にとっての唯一の恋愛であり愛情が、彼にとっては、たくさんある恋愛や愛情の内の一つに過ぎなかった筈である。
そんな中でも翌年、作者は男の子を出産する。道綱と名付けられ、兼家にとっては二男に当たる。蜻蛉日記の作者の名前は、この息子の名前から付けられ道綱の母となっていて、本人の名前などは明らかになっていない。
彼女が道綱を産むと、夫は産後の彼女に何かと気を遣ってくれるようになった。その理由が、子を生んだことを労う意味なのか、それともプレイボーイとして、心身ともに弱っている時の女性を扱うテクニックなのか、私には知る由もない。だが、その細やかな心配りを目の当たりにして、やはり夫は優しい人だったと、それまで夫に対して不信感を抱いていたことを、彼女は申し訳なく思う。二十歳になって母となった彼女には、自信と共にかつてなかった余裕が出てきたのか、以後は、夫の行為を素直に受け止められる女になっていったようだ。
作者がそう思っているならそれで良いのだが、天の邪鬼的発想をすれば、それまで夫一人に集中していた意識が、出産や子育てという不慣れなことにも分散されるようになった結果、疑ってきたことも見落としがちになったのではとも考えられる。そうだとすると、一夫多妻制下の妻の適性として、思考するよりも忙しく動き回るのが好きか、ボーっとして何も考えない性格あたりが挙げられそう。
我が子を抱きながら、作者にとって漸く幸せを感じられる日々が、一日一日と過ぎていき、それまで夫に対して拭い切れなかった不信感を、申し訳なくさえ思うようになっていた。
しかし、彼女にとって幸せな生活はほんの束の間だった。




