同類
――使徒。
その単語に、エデンは静まり返っていた。
王に継ぐ、権力者。
神より授かりし、人知を超えた『スキル』所持者。
その噂はエデンにまで広がっている。
「ねー、すとってなーに?」
エルとイルだけが、無邪気にたずねている。
「――し、と♪ 使徒よ。王さまの次に偉い人かなー」
「へー、すげー!」
「すげー!」
ニコニコと笑いかけるリンネに、リコは違和感を覚える。
これまで人間を恨む動物種は敵意むき出しだったが、リンネはそうではない。
それどころか、好意的とすら思える立ち振る舞いだ。
(――ん? 待てよォ、てことは)
ここで、シェアがあることに気付く。
「く、くく、あひゃひゃひゃ!」
突如として、シェアが笑い出した。
「使徒リンネ、敗れたりィ!」
「…………」
「決闘期間がめいっぱいってことは、旦那が戦線復帰するまでの間、俺様たちはなんにもせずに待てばいい。旦那さえ復帰すりャ、あとは全員でかかって余裕だぜェ!」
「――ふふ。余裕、ねえ。そんなつまんないこと、しちゃうんだ?」
リンネが不敵にほほ笑む。
一瞬、シェアに対して、ほんのわずかな敵意が向けられた。
「ぐ……ッ⁉」
それだけで、シェアの動物種としての防衛本能がフル稼働する。
身体が強張り、意思に反して動けない。
「――……それは、得策じゃない……」
「え、えェ……?」
アリスが口を開いた。
「……ししょーは、いつ目覚めるかわからない……決闘期間中に、目覚めない可能性だって、ある……」
「アリスちゃんの言う通りだよ。それに、使徒、なんでしょ?」
最悪、イッキの力が通用しないことも考慮する必要がある。
「――今度はわたしたちが、イッキくんをフォローしなきゃ」
イッキが目覚めるまでに、できる限りリンネに対抗する術を見つける。
「それが賢明ね。彼におんぶにだっこじゃ、どうせ自由になっても先は見えているわ。全員で、総力をあげてかかってきなさい。私を、退屈させないように」
リンネが満足そうに髪をかき上げる。
その一瞬の隙を、リコは見逃さなかった。
――ドッ‼
リコの地面を蹴る力で、砂が舞い上がる。
驚異の瞬発力で、リンネとの距離を瞬時にして詰め寄った。
これで終わらせる、それほどの勢いだった。
「え――⁉」
しかし、リンネはこつ然と消えていた。
――リン。
「私がなぜ鈴をつけているのか、教えてあげる」
リコのすぐ後ろで声がした。
ひんやりとしたものが、リコのノド元に触れている。
それは、ナイフだった。
「獲物にわざと場所を知らせるため。こうでもしなきゃ、気付かれずに殺しちゃうの。そんなの、面白くないでしょう?」
「……くっ!」
振り返ると、そこには誰もいない。
――リン。
「けれど、中々の動きだったわ。さすが、王の娘といったところかしら」
今度は、リコの背後――最初にリンネがいた場所から、声がする。
「……うそ」
――速い。
いや、速いどころの騒ぎではない。
「う、嘘だろ、おい……」
客観的に見ていたシェアでさえ、リンネの動きがまるで見えなかった。
「速いなんてレベルじゃねェぞ……!」
一瞬にして格の違いを見せつけられたエデン一同は、固まってしまっている。
「どうしたの? 早くかかってきなさい。『諦めない強さ』を、王は人の可能性としてあげていたけれど、見当違いだったのかしら」
「おとう、さん……!」
リコが、再度リンネに飛びかかる。
しかし、捕まえるどころかかすりもしない。
リコの手は空を切るばかり。
そのやり取りを幾度となく繰り返し、リコは汗だくで、一方のリンネは汗ひとつかいていない。
涼しい表情のまま、笑みを浮かべている。
「――わたしは、諦めない!」
「ふふ♪ そうそう、その調子」
「お、おい。俺たちも……」
「あ、ああ……!」
リコに触発されてか、徐々に島民もリンネににじり寄ってゆく。
そしてひとりが背後から飛びかかる――が、リンネは宙返りして、華麗に避けた。
「ようやく、やる気になったかしら。せっかく数というハンデを与えてあげているのだから、楽しませてね?」
そこから、エデンの民、およそ百人がリンネに向かってゆく。
――まさに、大乱戦。
だが、百人に対してひとりだけという圧倒的有利にも関わらず、誰もリンネに触れられない。
「おーにさーんこーちら、鈴のなーるほうへ♪」
まるでダンスを踊っているかのようなリンネは、影さえ踏ませない。
鼻歌交じりに、華麗に、優雅に、鬼ごっこを楽しんでいる。
その中で、早々に戦意喪失したシェアは、横になっていた。
(ありゃどうやったって無理だ。挑むだけ無駄だっての)
「――はあ、はあ、あれ? シェアなんでねてるの?」
「ねてるの?」
鬼ごっこに参加していたイルとエルが、呑気に横になるシェアに話しかける。
「あー、俺様リーサルウェポンだから」
「りー、さる?」
「切り札ってことさァ。切り札はとっとくもンだろ? だからおまえらは安心して続けとけ」
(余計な体力使ってられるかってェの)
――数時間後。
日が暮れかかった頃、立っているのはリンネだけだった。
銀髪が夕焼けに染まり、神秘的な輝きを放っている。
「まあ、初日はこんなところかしら。明日は期待しているわ。それじゃ、ね♪」
リンネの姿が消え、あとに残ったのは、疲れ果てた群衆だった。
∞
――その夜、炎を中心に、食卓を囲む。
疲れ過ぎて食欲もない者も少なくない。
「どうしよう……あんなに、すばしっこいなんて」
「――……長期戦になると、不利……」
全力で挑んだ結果が、あの参事。
アリスはリンネの体力の消耗を狙っていたが、あれでは逆にこちら側の体力が尽きてしまう。
疲労は蓄積され、この状況が数日続けばまともに動ける人間はほとんどいなくなるだろう。
(イッキくん……)
イッキは、未だ眠ったままだ。
「――私も、いただいていいかしら」
いつの間にか、リコの隣にリンネが立っていた。
「え、ええっ⁉」
焼いた肉を頬張るリンネを、リコが横目で見る。
リンネの提示した決闘条件に、休憩などはなかった。
つまり昼夜問わず、決闘状態は続いている。
しかし、こんなに至近距離にいるというのに、リコにはまるでリンネを捕まえられる気がしなかった。
「……そーっと……そーっと」
その背後からゆっくりと忍びよるのは、エル。
「つかまえ――たっ⁉」
エルが捕らえたのは、空気だった。
「だーめ。食事中はお行儀よく、ね♪」
リンネは、高い木の枝に座っている。
「……あの、リンネ、さま」
「なーに?」
「リンネさまは、人間が自由になることには、反対、なんですか?」
リコが、思い切って切り出した。
「賛成よ? どちらかといえば、だけれど。だって種族が多いほうが、世界が面白くなりそうでしょう?」
あっけらかんと、リンネは答える。
「だ、だったら――」
「だったら?」
そこまで言って、リコは言葉を呑み込んだ。
いかさまで勝っても、意味がない。
人間を認めさせる――イッキは、そう言っていた。
それに、決闘はお互いの誇りをかけたもの。
「……いえ。明日は、一矢報いますから」
「ふふ。楽しみ♪」
∞
翌日、結果はさらに悲惨なものだった。
エデン側の体力は、昨日よりあからさまに落ちていた。
死ぬ物狂いでリンネを追うものの、結果は火を見るよりも明らか。
アリスが作戦を練ろうにも、ことごとくリンネはその上をゆく。
まだ、リンネは本気さえ出していないのだ。
「――もう、おしまい?」
つまらなそうに言うリンネの眼下に残っているのは、汗をぬぐい、呼吸を乱しているリコのみ。
「まだ、まだあ……ッ!」
さらに翌日。
ほとんどの人間は立っているのさえ困難なほど、疲労困憊に陥る。
辛うじて動けるのは、リコだけになっていた。
寝込みを狙おうにも、一度姿を隠したリンネは、その匂いさえ絶つ徹底ぶり。
それに加え、
「――おいおい、まだ決着つかないのかよ」
「もう人間の負けでいいだろ」
昨日の夜から新たな動物種が増え始め、順番待ちをしている。
四面楚歌の状況で、リコは尚もリンネを追うが、その手は空を切るばかり。
(やっぱり、牙をもがれた人間ってこの程度なのかしら。退屈……)
「あのイヌ種、まだやる気かよ」
「あの裏切り者が倒れれば、勝負アリなのに、なあ」
未だ諦める様子のないリコを、他の動物種は疎ましく思った。
そのうちの、魔法を扱えるひとりが、手を広げる。
標的は、リコの背中だ。
リコさえ倒れれば、残る者はいない。
決着のわかりきった決闘。口を出す者はいなかった。
(――へー、あいつ、水を差すつもり?)
リンネがリコの追撃を避けつつ、後ろ手でナイフを握る。
魔法を発動した瞬間、邪魔をした動物種の首をはねるつもりだった。
が、その手は緩まることになる。
ゴォォォ――ン!
突然の爆発に、リコが振り返る。
黒コゲになった動物種が、その場に倒れていた。
リコの表情が、ぱあっと明るくなる。
疲れ果て、倒れていた人間さえ、立ち上がる気力を取り戻した。
「イッキくん!」
「悪い、寝坊した」
大あくびしつつ、目をこするイッキがリンネと対峙する。
リンネは、まるで待ちわびた恋人がやってきたかのような笑みで迎える。
「――ふふ、待っていたわ。お寝坊さん」
「くく、お次はネコか。満足いくまで、遊んでやるよ」
ふたりのやり取りを見て、リコは思う。
(このふたり――似た者同士だ!)
次回更新日は8/1を予定しております。
お待たせして申し訳ございません。
また、同日にお知らせがありますので、あわせてよろしくお願いします。




