カオス
「――ひぎゃうッ‼」
また、エデンの住民が押し潰される。
自分の意思とは無関係に身体が動き、抵抗も許されずに疑似的とはいえ殺される。
それは恐怖でしかなかった。
緊迫感が全体に伝わる中、イッキは大あくびをしていた。
「……旦那、なんでそんなに緊張感ないンすか? 肝が据わりすぎでしょ」
「騒いだところで、どうなるわけでもないだろ。アリスの集中を乱すだけだ。おまえも、やられるときは黙って死ねよ?」
「できるわけないでしょォ⁉」
(――だが、少し雲行きが怪しいな)
序盤はアリスの優位は変わっていなかったが、次第に攻め込まれ始めている。
持ち駒ならぬ人駒も、今やイレヴンのほうが多く所持していた。
「ふふ♪ どうかしましたー? そんな手じゃ、負けちゃいますよ?」
「…………」
それでも、アリスは守りの一手。
それはなにか作戦あってのものではなく、単純に防戦一方になっている。
(まさか、アリスのヤツ――)
「――アリス、なんで、俺を守ってるんだ?」
今のアリスの駒の動かし方は、勝つためではなく、イッキを守る動き。
そのために、他の駒を無駄に犠牲にしている。
「…………」
「……くく、俺も、ずいぶん舐められたもんだな」
「……ししょー……」
「いいか、アリス。勝つためには大事なものを犠牲にしなきゃならないときもある。今の俺はただの『駒』だ。勝つことだけを考えるんだ」
「……でも――……」
人間の駒を失ったら、戻ってくる保証はない。その状態で勝利しても、無事な保証もどこにもないのだ。
イッキと王の姿が、今のアリスには重なって見えていた。
(……もう、大事な人を失うのは――……)
「俺を信じてないのか?」
「……え……」
「なにかリスクがあっても、俺はそう簡単にやられたりしない。なんなら、取られたヤツらだって助けてやるよ。だから迷うな、アリス。俺を、信じろ」
「…………」
「――信じて、勝て」
イッキも、アリスを信じている。その言葉が、アリスの迷いを断ち切った。
「……うん……!」
それは、一手一手に確実に現れている。
(――あれれ、駒を動かす迷いが消えた? でも、ここからまくるのは難しいですよ)
駒を取られる度に叫び声が聞こえるが、アリスの耳には入っていない。
アリスの目に映っているものは、今やただの将棋の盤上でしかなかった。
「よう」
アリスが駒を動かす最中、イッキの目の前にはテンナインがいた。
次の一手で、イッキはテンナインに押し潰される。
「人間、なぜ虚勢を張ル?」
「虚勢?」
「感情こそ生物ノ本質。感情に目ヲ背け、なぜ自分ヲ偽る?」
「――くく」
テンナインの身体が宙に浮き、影がイッキを覆った。
「俺は別に偽ってるつもりはないが、だが、まあ、黙ってやられるっていうのは癪に障るのは事実だよ。だから、次の決闘は――」
「消えロ、人間」
テンナインが急降下を始めた。
「――必ずおまえを、ぶっ壊す」
∞
そこから何手過ぎたのか、アリスは覚えていない。
ただ勝つことだけを考え、常に最善の手を打った。
「――詰み、ですね」
イレヴンの宣言。
「…………」
「ふふ♪ 楽しかったです、とても」
それは、イレヴン自身の敗北を意味するものだった。
フッ、と巨大な盤上が消え、捕えられ、敵の駒にされた人間も解放される。
「安心しました? 一種のVRですよー。アリスさまに勝ちたくて、駆け引きの道具に使わせていただいただけです♪」
イレヴンがアリスの前に歩み寄る。
アリスが見上げると、イレヴンが手を差し伸べた。
「完敗です。また、ぜひ一局お願いします♪」
アリスが何気なく手を出すと、ぎゅっと握られる。
「…………」
「よくやったな、アリス」
次いで、イッキに頭を撫でられた。
自分の力で、誰かから認められる。
アリスは、自分の中でなにかが満たされてゆくのを感じていた。
「――残念ながラ、期待はするナ。イレヴン」
蒸気を発し、テンナインが立ちはだかる。
「未だ、彼らノ勝率はゼロパーセントのまま。わたシが勝ち、それで終わル。次は我々ノ番ダ。だろう? 人間」
「ああ、俺たちの番だ。勝つのは、俺だけどな」
イッキと、テンナインが対峙した。
「アリスの将棋を見てて思い出したんだが、俺の国の国技を、次の決闘にしたい」
「国技?」
「――相撲、だ」
(――検索完了。スモウ、またデータにない単語だ)
「ルールは簡単。自分の身体の一部が円の中から出れば負け。単純明快だろ?」
「武器の仕様ハ?」
「ダメに決まってる――っていってもまあ、詳しいルールは俺も知らないから、なんでもアリでもいいぞ」
「ルールには従おウ」
イッキが手ごろな流木を拾い、砂浜に円を描き始める。
(あいつは身体がでかいから大きめに書いて、と)
直径二十メートルほどの円を完成させ、イッキがその中央に陣取る。
「この土俵――円から出れば負け。さあ、始めようか」
――チチ、チ……。
テンナインが電子音を発しながら、イッキの身体データの解析を始めていた。
(身体能力、予測レベル、解析完了)
解析を終えたテンナインもまた、簡易な土俵の中に入る。
「そうだ、シェア!」
「は、はいッ⁉」
「審判してくれ」
「審判――って言ったって、ルールとかなンも知らねェンすけど……」
「掛け声と、円から出たか出てないかの判断だけでいい。あと、俺の後ろには立たないよう伝えてくれ」
準備が整い、両者が土俵の中央に立つ。
「え、えっと……はっけよーい――」
(そういえば、こいつ手とかないよな? 見た目ただの円柱だし)
「のこった!」
(とすると――)
ゴオッ‼
掛け声と同時に、テンナインがジェット噴射でイッキに突撃する。
その勢いは凄まじく、シェアは風圧だけで吹き飛び、砂埃が上がった。
その勢いは収まらず、背後の木々をも粉砕し、巨大な岩に当たってようやく止まる。
まさに、ミサイルそのものだ。
「ひ、ひぃぃ……な、なンだありゃあ……だ、旦那⁉」
砂埃で、イッキの安否は確認できない。
「――手応え、なシ?」
「はい、まずはおまえの負け」
砂埃が晴れ、無傷のイッキがテンナインを指差している。
「なんだよ。勢いの計算もできないのか? おまえのコンピュータ、取り換えたほうがいいんじゃないか?」
(避けた? この人間――)
テンナインは、決してイッキを過小評価していない。
何倍もの保険をかけ、確実に仕留められる速度を算出し、イッキに立ち向かった。
イッキは、単純にテンナインの計算を上回ったのだ。
<……五号まで、緊急招集!>
テンナインの呼びかけで、同一機体が四機、テンナインの元へ飛翔する。
そして――。
「――合、体!」
それぞれが合体し、両腕と両足を持つロボットへと変形した。
「か、かっけェ……じゃ、じゃなかった、おいそんなの反則だろこらァ⁉」
「我々ハ元々同一機体。思考を共有していル。百体が我そのもノ。問題はないハズダ」
「ああ、それで問題ない。いいからこいよ。再戦、するんだろ?」
(……この男の余裕は一体なんなのだ?)
単純に四倍の性能になったテンナインは、どう計算してもイッキに負けることはない。
再び、両者が土俵に立つ。
シェアがテンナインを見上げる。威圧感が、先ほどの非ではない。
「は、はっけよーい――のこった!」
テンナインが拳を振り上げ、イッキに振り下ろす。
だが、イッキは片手で受け止めた。
「な二ッ⁉」
さらに、テンナインはもう片方の拳を振り下ろす。
イッキも、残りの手でこれを受け止める。
両者が組み合う形となり、踏ん張るイッキの足が砂の中に埋もれた。
ゴウッ‼
ジェットを吹かせるものの、イッキの身体はびくともしない。
<十号まで、召集!>
待機していた同一機体が、次々とテンナインの元へ集結してゆく。
取っ組み合いの最中に徐々に力を増していくテンナイン――だが。
「くく、こんなもんか?」
それでもイッキは、余裕の笑み。
<五十号まで、召集!>
さらに召集をかけ、合体を続けるテンナインの身体は元の大きさの数十倍にまで巨大化していた。
力と力のぶつかり合いに、地響きが起こり始める。
「少しはマシになってきたじゃないか」
(この人間のどこに、こんな力が――レベルか? 魔法か? ならば……!)
<全機、召集!>
ついに全機召集をかけ、合体を終えたテンナインの全長はゆうに数十メートルを超えている。
途方もない力を持つ存在と、ただの人間。
なぜ勝負が成立しているのか、その場の誰もが疑問に思わずにいられない光景だった。
「何者ダ⁉ なゼ、ことごとく我ノ計算を覆ス⁉」
「――全機、揃ったな?」
イッキが、呟く。
「強化魔法」
(――膨大なパワーを感知……⁉)
イッキの右腕に、力が集まってゆく。
(まずい! 全機能を回避に――‼)
カッ、と周囲が光りに包まれた。
――。
ザザー……ン。
寄せては返す波の音が、静かに響いている。
「外したか。やっぱり、本調子じゃないな」
ため息を吐くイッキの眼前には、テンナインが立ち尽くしている。
その半身は、跡形もなく消し飛んでいた。
「さ、続きをやろうか。今のも学習したんだろ?」
「……カオ、ス」
カオス理論――予測不可能な現象。
(こいつは――カオスそのものだ。計算で測れない……予測不可能な存在)
ぷしゅぅ、と、テンナインが力なく蒸気を発する。
「……認めよウ、人間。我々ノ、負け、ダ」
勝利したというのに、あまりの衝撃で、だれひとり口を開けないでいた。
「お、俺様にも、ひ、ひとつだけ、理解できるぜ」
そんな中、シェアがようやく言葉を絞り出した。
「――これ、絶対すもうじゃねェ‼」




