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新しい未来へ

最終回です。^^

 西に傾き始めた陽光が、緑の絨毯を鮮やかに彩る。

 クロエを連れて議会場を出たジルは、建物を離れて中庭に辿り着いたところで、漸く足を止めた。

 外の空気は爽やかに澄んで、先程までの熱気が嘘のようだ。涼しい風が火照った肌を冷ましてくれる。ジルに掴まれている手首だけは、今も変わらず熱いけれど――。

 ふと、ジルの瞳がこちらを向く。

 目が合うと同時に引き寄せられて、クロエの顔は彼の肩口に埋まった。

 彼の髪からはいつもと同じ、洗い立てのいい香りがした。

 肩越しに見える景色のなか、木々は穏やかに葉を揺らす。木漏れ日がそれに合わせて煌く様を目に映しながら、クロエは彼の背中にそっと手を廻した。

 ジルの掌がクロエの髪を撫でて、唇が耳に押し当てられる。彼の温もりが体中を包む。

 

「……良かったね、ジル…」


 クロエの囁きに、ジルが「うん…」と小さく頷いた。その声を聞くだけで、胸が熱くなる。涙がぶり返しそうになって、クロエはきゅっと眉根を寄せた。

 

「俺…潔白を証明できたらクロエに伝えたいことがあるって言ったの…憶えてる?」


 問い掛けに、クロエはこくりと頷いた。それはクロエがジルにとって、初めて本物のクロエになれた日のこと…。

 その数日前が、遠い昔のことのようだ。

 ジルは少しだけ間を置いて再び口を開く。

 

「俺ね…、ちゃんと魔道士になろうと思う」

「え――」


 意外な宣言に、クロエは思わず目を開いた。ジルは「いや、こんなこと伝えたかったわけじゃないけど…」と断って続ける。


「本音を言えば、折角人の地に居られるようにして貰えたんだから、今まで通り過ごしていきたい思いもあるんだ。人間として、魔道力のことは忘れて…――でもそれは流石に、虫がよすぎるから…」

「そ、そうかな…?」

「そうだよ。自業自得だけど、あれだけ派手に他国を騒がせておいて、今まで通りってわけにはいかない。俺は大勢に魔道士だって認識されてるし、これからは人間として暮らしますなんて言って、すんなり納得されるとは思えない。…自分でも心配だしね。また何かをきっかけに暴走したらと思うと…」


 ジルはそう言って自嘲的に笑う。


「俺のことでこれ以上皇帝……父さんに、迷惑はかけたくないから…。自分の力の事は自分で責任を持てるようになりたい。だから出来れば、ル・ブランで修行させて貰いたいと思ってる。ル・ブラン側が了承してくれたらの話だけど…」


 クロエは顔を上げると、改めて彼と向き合った。

 微笑みを浮かべるジルの瞳には、一片の翳りも無い。

 

「ちゃんと魔道を習得したいんだ。扱い方を教わって、制御方法も覚えて…。出来れば、折角貰えたこの力をいつか、人の地で役立てられるようになりたい。…俺に何が出来るかは、まだ分からないけどね…」


 彼はそう言って、気恥ずかしそうに笑った。その思いが温かく胸に染み入って、クロエの顔は自然と綻んだ。

 ジルはもう魔道士としての自分を悲観してはいない。全てを受け入れて、前を向くことを決めたのだ。この先も人の地で生きていくために…。

 ル・ブランはジルを歓迎するだろう。代表としては迎えられなくても、ジェラールを越える魔道士である彼との縁は、繋いでいきたいと願っている筈だ。

 彼はどちらの国からも受け入れられる、初めての存在になるだろう。

 そして彼が間に居てくれる限り、人の地とル・ブランの和平は変わることなく続くだろう。

 クロエはふと、以前聞いた皇帝陛下の願いを思い出していた。いつか魔道士と人間を隔てる壁が消えるといい――そう言った彼の夢はもしかしたら、ジルが叶えてくれるのかもしれない。

 未来への期待が、クロエの胸を熱くする。ジルはふと、長い睫毛を伏せた。

 

「…俺、こんな事になって凄く感じたことがあるんだ。自分がまだまだ未熟だってこと。成人して一人前になった気でいたけど、全然だった。俺は凄く周りに支えて貰ってるんだなって、しみじみ実感した。…でもいつまでもそれじゃ格好悪いから、今度こそちゃんと自立したい。そして俺に出来ることを見付けて、自分に自信をつけて――」


 ジルはふと言葉を切った。その瞳がクロエを映して細められる。

 

「いつかきっと、クロエの親御さんにお願いに行く。――クロエを俺にくださいって」


 胸の奥で育っていた熱い塊が、その瞬間ぶわっと膨らんで喉を塞いだ。

 声も出せないクロエに、ジルは「ごめん、今直ぐって言えないのが、情けないんだけど…」と眉を下げる。

 クロエはぶんぶんと頭を振った。

 情けないなんて思うはずもない。彼はまだ16歳なのだ。しかも今は魔道士という新しい自分を突きつけられたことで、近い未来すら混沌としているはずで――。それでも彼は、クロエとの未来を考えてくれている。

 嬉しくて胸が震えた。

 

「…待っててくれる…?」


 躊躇いがちに窺われ、今度はうん!と力強く頷いた。ジルは目元を綻ばせて「良かった」と呟く。クロエはなんとか喉を開き、震える声を絞り出した。

 

「わ…、私も、努力する…!」

「…何を?」

「…ジルに、釣り合う女性に、なれるように…、頑張る…!」

「クロエはもう充分大人だよ」


 そんなことないっ…!――という反論は声にならなくて、代わりにまた首を振った。

 ぐんぐんと膨らむ熱が今にもはち切れそうで、組み合わせた手は指先まで震える。

 

「今だから言えるけど…、俺はクロエにほとんど一目惚れだったよ。…だからクロエが黙って居なくなった時は凄く落ち込んだし、再会した時は、死ぬほど衝撃を受けた。流石に実の姉はダメだって分かってるからもう絶望しかなくて…、忘れるしかないのに気持ちは反対方向に突っ走るし、顔を合わせないようにしたいのに結婚相手だし、俺にどうしろっていうんだよ!っていう…。……散々苦悩した分、今こうやって向き合えてるのが奇跡みたいだ。やっと最初に会ったあの日の続きに来れたような気がする。――折角だから改めて申し込んでおこうかな」


 ジルは一度言葉を切ると、「色々と順番が狂っちゃったけど…」と言って、クロエに右手を差し出した。

 

「良かったら、俺の…」

「――お願いします!!!」

「――って、早!!!」


 両手でその手に飛びついたクロエに、ジルは素っ頓狂な声を上げる。2人して思わず、声を揃えて笑った。

 

「最後まで言わせてよ!」

「もう充分!!もう充分!!」

「いや肝心なところがまだだから!」

「だってもう我慢できない!!お願い私にも言わせて!」


 溢れるままに、クロエは募らせていた想いを解放した。

 

「最初に会った日、ジルがまた会いたいって言ってくれたの嬉しかったの!私もって言えないのが苦しかった!こんなに素敵な人、二度と会えないって思ってた!私ずっとフランシア様に憧れてたのに、あの時心底『クロエ・ノア』でいたいって思ったの。私は私のままがいいって心から思えたの!」


 ジルはあの日泥棒に間違われそうになったクロエを助けてくれた――けど、それだけじゃない。

 クロエの根深い劣等感を根こそぎ洗い流して、心まで救ってくれたのだ。

 呆然とするジルの目を見詰め、クロエは一番伝えたかった思いを告げる。

 


「本当はずっとあなたが好きだったの!初めて会ったあの日から、ずっと――」



 不意に周囲から「おぉ~!」という野太い歓声と伴に拍手が巻き起こった。

 ハッと辺りを見れば、いつの間にか木陰という木陰に騎士達が身を潜め、こちらを窺っていた。

 

「え…?!」

「なっ…!!」


 それを目にした瞬間、2人は揃って硬直する。

 

「ジル、良かったな!」

「なんかわかんねーけど、おめでとー!」

「この色男~!」


 あちこちから飛んでくる声のなか、状況を理解したクロエの全身は、ぼんっと火を噴いた。

 

「きゃぁぁぁぁぁ!!!」


 直後、憤死寸前のクロエはジルに手を引かれ、またその場から慌しく連れ去られて行ったのだった。

 

 ◆

 

 議会はほどなく閉会となった。

 クローディアの皇帝はル・ブランの一行を晩餐に招待したが、あまり長く留守にしていると祖国の者が不安がるという理由でル・ブラン側がそれを辞退した。

 皇族一家の見送りを受けて前庭に出たジェラールは、晴れ渡る空を振り仰ぐ。気持ち良さそうに翔け昇って行く青銅色の翼竜が、その景色を彩っていた。


「…ジルの竜だわ」


 ふと後ろでフランシアが呟く。久し振りに顔を合わせた娘は、眩しげに空を見上げていた。清々しい顔をした彼女の隣では、囚人服の男がまだ困惑顔で立っている。かなり奇妙な絵面だ。

 ふと男の方が恐る恐るという様子でフランシアに声を掛けた。

 

「シア…」

「なぁに?カーライル」

「…もしかしたら…、僕は今からル・ブランに連れて行かれるのかな…?」

「えぇ、そうよ。…嫌?」

「……嫌というか…」

「…嫌ならそれでもいいけど、あなたがル・ブランでしていたことに関して、改めて評議会の人達とお話しないといけなくなっちゃうかも…」

「――なんの話だ?」


 ジェラールが口を挟むと、カーライルはさっと蒼くなった。フランシアはにっこりと天使の笑顔で応じる。

 

「なんでもありませんのよ、お父様。――ね?カーライル」

「そ、そうだね!勿論、喜んで行かせて貰うよ!」

「良かった…!心を入れ替えて、幸せになりましょうね!」

「う、うん…」

 

 上機嫌のフランシアに引っ張って行かれるカーライルを半眼で見送り、ジェラールはまた空に目を遣った。もうそこに翼竜の姿は無い。

 少しの間そのまま眺めていたが、やがて視線を下ろすと振り返って――硬直した。

 そこにはかつての妻エヴァンゼリンが立っていた。紫色の瞳が自分を見上げて微笑みを浮かべる。

 ジェラールは思わず辺りを見回したが、皇族一家は既に評議会の者達を連れて庭の中央へと進んでいた。彼の心情を読み取ったように、エヴァンゼリンが説明する。

 

「…夫にお願いしたのですが、自分で伝えなさいと言われまして…」

 

 一呼吸置くと、彼女はジェラールを見詰めて言った。

 

「――有難うございました、ジェラール様」


 ジェラールは声を失い、木偶のように立ち尽くした。それでもエヴァンゼリンは構わず続ける。

 

「今回のことだけでなく、4年前も…あの子の判定を偽って下さって有難うございました」

「……間違えたんだ。そう言っただろう」

「それも嘘ですよね」

「何故そんなことが言える」

「思い出したのです。あの子を初めて抱いて下さった時、あなたが仰ったこと…」


 エヴァンゼリンがこちらの表情を窺うように首を傾げる。ジェラールはあえて遠くへと視線を逃がして言った。

 

「記憶に無い」

「『この子はもしかしたら俺を越える力を持っているかもしれない』と……ジェラール様は、そう仰いました」

「…生まれたばかりの赤子は皆、魔道力などほとんど無い。もし俺がそう言ったとしてもただの冗談で、本気ではない」

「それでもその時そう仰ったあなたが、4年前のあの時、同じことに思い至らない筈がございませんから」


 エヴァンゼリンはそう言い切って、もう一度有難うございますと繰り返した。

 そしてふと目を伏せる。

 

「…それから…、申し訳ありませんでした。私はかつて、ジェラール様に一言も無く――」

「――やめろ」


 ジェラールは遮ると「…今更だ」と吐き捨てた。

 エヴァンゼリンの顔に影が差す。彼女が黙ってル・ブランを去ったのはもう10年以上前のことだった。

 エヴァンゼリンが嫁いで来た時、彼女はまだ18、ジェラールは24だった。その時すでに幾人か居た上級魔道士の妻達は、人間のエヴァンゼリンを蔑視した。評議会も彼女を和平条約のための駒としか考えておらず、扱いはぞんざいだった。

 だが彼等の評価に反し、ジェラール自身はエヴァンゼリンに強く魅了された。他の妻との義務的な関係とは違い、彼女にだけは夢中になった。エヴァンゼリンもまたその想いに応えてくれ、ジュリアンが生まれ――ひとときそこには、確かな幸せがあった。

 

「…俺は、禁忌を犯したんだ」


 エヴァンゼリンが不思議そうに目を瞬く。

 

「禁忌…?」

「”先読み”をしたんだ。――お前と、俺の未来を」


 エヴァンゼリンは目を見張った。

 ジェラールが抱いた生まれて初めての想いは、やがて得体の知れない不安を呼んだ。その幸せが永遠に続いて欲しいと願う一方で、いつか失うのではないかという恐怖に襲われた。その可能性を否定したい一心で未来を覗いた。そしてジェラールはそこに、見知らぬ男と寄り添うエヴァンゼリンの姿を見ることとなった。

 今日初めて対面したクローディア皇帝その人である。

 その時からジェラールは、エヴァンゼリンの愛を信じることが出来なくなった。やり場の無い思いを持て余し、彼女に下らない八つ当たりをした。気を紛らわすために他の妻達のもとへ逃げ、ただでさえ孤立していたエヴァンゼリンを遠ざけた。

 ――そして、当然の結果を招いた。

 

「…滑稽だな。折角未来を見ておきながら、俺は自分で自分をそこへ追い込んだ。…象徴ともてはやされても結局、俺はただの弱い男でしかなかった」

 

 エヴァンゼリンは静かにジェラールの話を聞いていた。ジェラールは小さく息を吐き、「…まぁ、昔のことだな」と呟く。

 

「……私も、弱い女でした」


 ふとエヴァンゼリンが呟く。視線を戻せば、彼女は真っ直ぐジェラールを見詰めていた。

 

「あの時の私は、あなたの唯一になれないことが苦しくて…。醜い嫉妬で真っ黒になっていく自分に耐えきれなくて…。情けなくも、逃げ出してしまったのです。割り切れたら良かったのに、出来なかった。…あなたのことを本当に、愛していたから…」


 ジェラールは絶句してエヴァンゼリンを見ていた。にっこりと微笑まれ、なんとも言えない顔で後ろを振り返る。

 

「…そんなことは、今の夫には言うなよ」

「手遅れです。もうとっくに話してしまいました」


 ジェラールは呆気に取られたが、ふと眉尻を下げ、微苦笑を浮かべた。

 

「……大きな男だな…」

「…ジェラール様…、ジル…ジュリアンのことを…、これからもどうか、お願いいたします」


 ジェラールは改めて、エヴァンゼリンと向き合った。

 

「勿論だ。…いつでも頼れと、伝えておけ」

 

 一陣の風が胸の真ん中を吹き抜ける。

 それがジェラールの中に長いこと蟠っていた靄を連れ去り、後には今の空と同じ清々しさだけを残していった。



 その頃、ジェラールに大きな男と評された当の本人は、大層焦って右往左往していた。

 

「ジルはまだか?!何処へ行ったんだあいつは!まだ見付からないのか?!ジェラール殿が帰ってしまわれるではないか!」


 急に帰ると言われてしまったので慌てて騎士に呼びに行かせたのだが、一向に戻る気配が無い。騎士団長は「申し訳ございません、まだ報告が無く…!私も行って参ります!」と冷や汗を滲ませて駆け出した。

 そんな皇帝陛下の背後では、3兄弟が並んで、慌てふためく父親を眺めている。

 エドワードが呆れた半眼で呟いた。

 

「どうせ適当な部屋にでもしけ込んでいるのだろう。放っておけばよいものを…」


 隣のジョシュアが豪快に笑う。

 

「はっは!確かに兄上ならばそうなるでしょうな!だがジルをご自分と同じにしてはなりませんぞ?」

「…お前にだけは言われたくないがな」


 そしてセドリックは父の緊迫感とは裏腹に、ふわぁっと欠伸を漏らしていた。

 

「別にそんな必死で探さなくてもねー…。どうせいつでも会えるんだろうし…」

「まったくだ。そもそも探しても無駄ではないか?あいつのことだ、どうせ今頃――」


 ふとジョシュアが視線を上向ける。

 釣られて振り仰いだエドワードとセドリックの視界には、澄んだ青空と白い雲が広がっていた。

 

 

 遥か上空、青銅色の翼竜は巨大な翼を広げ、風に乗って飛翔する。

 その背では、漸く人目を逃れた若い恋人達が、心置きなく抱き合って、キスを交わしていた。

 人の地で育った魔道士と、魔道の国で育った人間。

 奇しくも出会って結ばれた2人はいずれ、人と魔道士の歴史を大きく変える存在となる――かどうかは分からない。

 

 新しい未来はまだ、始まったばかりだ。

  

 <完>

最後までお付き合い有難うございました!

後書きは活動報告にて…。

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