ジルからの手紙
後日談となる番外編です。^^
ル・ブラン共和国の象徴たる最上級魔道士ジェラール・エンバリーの邸宅は、首都に位置する。
その壮麗な屋敷内では、本日催される昼食会に向けての準備が、朝から忙しなく進められていた。
奔走する侍女達のなかには当然、長年エンバリー家で仕えるクロエの姿もある――はずだったのだが。
「フランシア様、失礼いたします!!」
首都から遠く離れた風光明媚な田舎町に建つ、エンバリー家の別邸。
クロエはその一室の扉を開くと、主人が応えるより早くなかへと駆け込んだ。
朝食を終えたフランシアは、テラスに置いた白い椅子とテーブルで優雅にお茶を楽しんでいる。綺麗な菫色の瞳が庭の景色から離れ、現われたクロエに向いた。
「あら、どうしたの?」
先ほど食器を下げるついでに”厨房に入ってきます”と告げて去ったばかりなので、瞬く間に戻って来たクロエに、フランシアは怪訝な顔になる。
説明する余裕も無く、クロエは急き込んで訊いた。
「すみません、フランシア様! フランシア様は今日、首都に行かれる予定ではないんですか?!」
「首都に? どうして?」
「きょ、今日はエンバリー家で上級魔道士の集会が開かれるんですよね?! 上級魔道士の人達にはお知らせが行ってる筈で――」
「私は招ばれてないわよ。謹慎中だもの」
ほぼ予想通りの回答でありながら、クロエは落胆を隠せず、がくりと肩を落とした。
「、そ、そう、ですよね…」
「その集会がどうかしたの? もしかしてジルが参加するとか?」
察しの良い主人の言葉に、クロエは小さく「…はい」と応えた。
先程厨房に向かう途中で、クロエは首都から転送されてきた自分宛ての手紙を受け取った。それはずっと待ち侘びていたジルからの便りで、思わずその場で封を切ってしまったのだ。
手紙にはジルのル・ブランでの留学の許可がおりたこと、その日程が正式に決まったことが記されていた。そしてジルを紹介するためにジェラール家に上級魔道士が招集されることになったので、その日に合わせてル・ブランに行くという報告も添えられていた。
その会が予定されているという日付けがなんと、――今日なのである。
事情を聞き、フランシアは「なんだ、そういうこと!」と笑顔になった。
「やっと来るのね。あれからもう2ヶ月…、3ヶ月? 暫くこっちに居るの?」
「そうみたいです!留学という形で…」
「良かったじゃない! これからはもう隠れて会う必要もなくなるわね!」
「……え?」
首を傾げるクロエに、フランシアは目を丸くし、改めて確認する。
「…隠れて会ってたんでしょう?」
暫しの間を置いて、クロエは頭を振った。
「いいえ…」
「え! 会ってないの?! あれからずっと、一度も?!」
「は、はい」
「えぇ、嘘でしょ?! 会ってるんだと思ってたわ! どうして?!」
「ど、どうしてと仰られましても…。ジルは結局クローディアの国民という立場のままですし、人の地の者がル・ブランへ無断で入国すれば、条約に反してしまうので…」
「こっそり入っちゃえばいいじゃない! ジルが結界を張ったら破れる人なんて居ないんだから、見つかりっこないのに!」
言われてみればその通りだ。
声を失うクロエに、フランシアは表情を和らげて嘆息する。
「…そもそもそんな発想が無いところが、あなた達らしいわね」
そしてどこか嬉しそうに微笑んだ。
クロエが人の地で出会った少年ジルと、偽物の婚約関係を経て、本物の恋人同士になったのは2ヶ月以上前のこと――。
さぁこれから幸せいっぱいのラブラブタイムを!という矢先にル・ブランへ帰国を余儀なくされ、現在は切ない遠距離恋愛中だった。
そもそもあの議会の後、ジルとクロエが戻った時には、ル・ブラン御一行はフランシアを含めて全員、帰国した後だったのだ。
クロエは1人だけ残ってくれたカミラに「何処に行っていたのよ!」と怒られた上に、「直ぐに帰るわよ!」と尻を叩かれ、まるきり余韻にひたる間もなくル・ブランに戻らされてしまったのだった。
勿論クロエは帰国して直ぐに手紙をしたためた。その時はまだ首都に居たので、住み込みで働くエンバリー邸の住所も知らせた。けれどもずっと返事は無く、その後フランシアがクローディアで起こった騒動の反省のため評議会から謹慎処分を言い渡されたことで、クロエも一緒に暫く別邸に引っ込むことになってしまったのだ。
そんなわけで、最近はのどかな田舎町で日々を過ごしている。
結果的に実家に近くなったので文句は無いのだが…。
「その手紙、ジルから?」
手にしている封筒を指して訊かれ、クロエは「はい。首都に届いたものなんですけど…」と答えた。ジルには新しい住所も知らせたのだが、宛先は首都になっている。
フランシアは納得したように「あぁ…、ジルはあなたがここに居ること知らないものね」と呟いた。
「ここの住所は…、知らせたんですが…」
「手紙で?」
「はい」
「それってここに来た後に出したんでしょ?…まず届いてないわよ」
「えぇ! 送ったの、1ヶ月も前なのにですか?!」
クロエの驚きに、フランシアは呆れ顔になった。
「橋の国への定期船が1ヶ月に一度だって知らないの? ここに来たのは月の初めじゃない。船が出た後だし、次の船が出たのがつい3日前ってところだもの。あなたの手紙、まだ海を渡ってる最中よ」
……知らなかった。
人の地への手紙がそんなにのんびり発送だなんて知らなかった!!
クロエは衝撃の事実に愕然とする。そうだとすると、帰国直後に書いた手紙がジルの手元に届いたのもいつだったのやら…。待てど暮らせどお返事が来なかったのはそういうわけだったのだと今更に納得した。
今日まで、もうジルに忘れられてしまったのではなどと勝手に不安を募らせていたけれど…。
クロエは改めて手の中の封筒を見つめる。
ジルからの手紙にはそんな日々を一気に吹き飛ばすような、甘く優しい言葉が綴られていた。
『大好きだよ、クロエ。――早く会いたい』
「ふうぅっ…!!」
一気に込み上げた感情で、急激に視界が霞んだ。
私も会いたい。今直ぐ会いたい。
会いたいよ、ジル――!
「やだクロエったら、突然泣かないでっ!」
「す、す、すみませんっ…!」
慌てて椅子を立ったフランシアは、高そうなハンカチーフをクロエの目元に押し当てた。その優しさに感謝しつつ、汚してはいけないと自分の手の甲で拭う。
フランシアは目を細め、優しく言った。
「ろくな連絡手段もない状態で3ヵ月近くもなんて…、よく我慢したわね…」
「…い、いいえ、そんな…! フランシア様だって思うようにカーライルと面会できないお立場で苦しんでいらっしゃるのに…」
彼女の恋人であるカーライルは今、罪を償うべく日々強制労働に従事している。滅多に会えない状態なのは、クロエと同じだった。そんな彼女に気遣って貰うなんて心苦しい限りである。
クロエの言葉にフランシアは「あぁ、えぇ、まぁね…」と返事を濁し、目を泳がせた。
――ん?
「そうだわ、クロエ! 首都に行ってらっしゃいよ!」
違うんですか?と訊こうとしたクロエの言葉を遮るように、フランシアは唐突にそう言った。不意を突かれたクロエは、口を開いて固まる。
「え…」
「あなた明日はもともと休みの予定だったわよね? 今日はこれから特別休暇よ。私は行けないけど、ジルとゆっくり会ってきて」
「…、フ、フランシア様…!!!」
感激のあまり、クロエはまた泣きそうになる。後光を背負ったフランシアは(クロエの目にはそう見える)クロエの全身にざっと視線を巡らすと、ふと呟いた。
「…となると、その格好をなんとかしないとね」
クロエも自分に目を落とす。いつもの紺のお仕着せ姿だが、当然、このまま行こうなどとは思っていない。
「もちろん着替えます!」
「ちゃんとした服、持ってる?」
「ちゃんと…は、分かりませんが、それなりに!」
「お化粧は道具は?」
「お、化粧は…」
戻って以来していない。クロエは自分のすっぴん肌に触れて訊いた。
「……した方がいいですか?」
「当たり前じゃない! 恋人に会うんでしょう? 久し振りなんだし、気合入れないと! 待ってて!」
「えっ…?!」
フランシアはそう言うと、クロエが何か言うより早く部屋に戻って呼び鈴を鳴らし、駆けつけた侍女に命じた。
「私の服や装飾具を使っていいから、クロエを着飾ってあげて。これから恋人に会いに行くから、そのつもりでね」
侍女仲間は驚きつつも目を輝かせ、「はい!」と応じた。
その後2人がかりで支度してもらったクロエが、”恋人”に関して根掘り葉掘り聞かれることとなったことは言うまでもない。
フランシアのものを借りるということでどんな大げさな格好になってしまうかと不安だったが、そこは流石熟練の侍女達だった。
相手は庶民で年下だと伝えると、それに見合う装いをと考えてくれたらしい。用意された服は細身だが胸の下に切り返しのある萌黄色の膝丈ドレスで、大人っぽくなりすぎず、かといって幼くも見えないデザインのものを選んでくれた。
長い髪は半分は下ろし、半分は左右で服と同じ色の髪紐と伴に編み込まれ、頭の後ろで纏められる。肩と背中に下ろしたぶんはお洒落に巻かれ、自分では絶対に再現できない髪形が完成した。
もちろん丁寧にお化粧も施してもらい、1時間後にはすっかり余所行きの格好に仕上がっていた。
フランシアは更に、誰かに首都まで送らせるとまで言ってくれたが、そこは流石にクロエが遠慮した。不純な目的で仕事を抜けるのに、これ以上仲間達を煩わせるわけにはいかない。
「本当に有難うございました…! 皆も有難う…! 行ってきます!」
クロエは微笑ましく見守る優しい人達の目に見送られ、そそくさと部屋を後にしたのだった。
◆
屋敷を出たクロエは、ひとまず首都へ向かう列車の通る駅を目指して、うきうきと歩き出した。
不意に後ろから車輪の音がしたと思ったら、二頭立ての荷馬車に追い越される。御者台の男性がふとクロエを振り返り、直後馬車を止めた。
「あ…」
「あれぇ! クロエか?!」
「キアンさん、お疲れ様です!」
乗っていたのは同じく屋敷で下働きをしている男性だった。彼はキアン・ジョーンズといって、クロエの先輩侍女の旦那様である。奥さんもこの別邸で働いていて、彼女を通じて知り合って以来、会えば気さくに声を掛けてくれる、人当たりの良い人である。
庭の手入れや厩舎の管理などが仕事のキアンは、色黒で背が高く、30という年齢のわりに若々しく映る。
キアンはクロエの格好が余程珍しいのか、まじまじと眺めながら訊いた。
「なに、どうしたの? 珍しい恰好して」
珍しいと言われるとその通りだが、少々恥ずかしい。クロエは答えず、質問を返した。
「キアンさんこそ、お買い物ですか?」
「あぁ、街まで買出しに。――さては男だな?」
言い当てられて、うっと返答に詰まる。キアンはその反応で確信を得たのか、「分かりやすいな、おい!」と笑った。
クロエの顔は一気に耳まで赤くなった。
「いいじゃん、いいじゃん! 似合ってる。意気込みが伝わるよ」
「あ、有難うございます」
「で? どこ行くの?」
「ちょっと首都まで…」
「首都? だったら乗ってけば? フォードの駅、通るし」
「! 有難うございます! 助かります!」
少しでも早く首都に近付きたい思いだったので、渡りに船だった。
クロエは有難く御者台に上がると、キアンの隣に腰を下ろす。そして荷馬車は再び、ゆっくりと動き始めた。




