アイリスの魔法
――バキンッ!
カイに向けてふり下ろされたバラムのオノが、石の床を割りくだく。
しかし、そこにカイの姿はない。
バラムが辺りを見回すと、くだけた床の先にアルバスとカイの姿が見えた。バラムのオノが当たる寸前、アルバスがカイを救い出したのだ。
「すまねぇ、アルバス。助かった」
「気にするな。お前が無事で何よりだ」
アルバスがくわえていたカイの服を放す。
そのままアルバスは、バラムに聞こえないよう、小声でカイに話しかけた。
「どうする、カイ。ヤツの肌は鉄のようにかたい。お前の短刀と私の牙では、どうにもならないぞ」
「だったら、かたくないところをねらえばいい。ヤツの目をねらうぞ。アルバス、オレを乗せてヤツに近づいてくれ。オレがこの短刀で攻撃する」
「わかった。いくぞ、カイ!」
「おうっ!」
カイがアルバスの背に飛び乗る。
同時に、カイを乗せたアルバスが、一気に部屋の中を駆け抜けた。
一瞬にしてバラムに近づいたアルバス。
白銀の狼は、バラムのふるうオノが当たる寸前、強く地面を蹴った。
「くらえ!」
バラムの顔の横を通り抜けるようにアルバスが跳ぶ。カイはその背から身を乗り出し、バラムの目をねらった。
しかし……。
「フン! そのような見えすいた攻撃、効かぬわ!」
カイが目をねらっていることなど、お見通しだったのだろう。バラムがオノから手を放し、突っこんでくるカイとアルバスにこぶしをふるう。
空中では、バラムの攻撃をよける術もない。カイとアルバスは、図らずもバラムのこぶしに自ら飛びこむ形となってしまった。
「うぐっ!」
「ぐわっ!」
バラムのこぶしを受けたカイとアルバスが、部屋の角へと転がる。
床に倒れたカイとアルバスの方へ、バラムは再びオノを手にして歩みを進めた。
「グハハハハ。口ほどにもなかったな、人間とその飼い犬よ」
カイとアルバスを追いつめ、勝利を確信したバラムが笑い声を上げる。
対するカイ達は、痛む体にムチ打って、どうにか体を起こした。
しかし、前にはバラム、すぐ後ろは壁だ。どこにも逃げ場がない。
カイたちの眼前に立ったバラムは、見せつけるようにオノをふり上げた。
「今度こそ終わりだ!」
「そんなこと、させないわ!」
オノがふり下ろされる直前、大広間に葵の声が響く。
声につられ、思わず背後をふり返ったバラム。その目に飛び込んできたのは、一本の矢だ。ちょうど頭の角へ直撃する軌道に乗った矢が、バラムにせまっていた。
「ぬぐっ!」
驚いたバラムは、とっさにその場から飛びのいて矢をかわす。その隙を、総司は見逃さない。
「今だ、アイリス」
「はい、ソウジさん」
続いて飛んだ総司の号令に合わせて、アイリスがバラムに向けて手をかざす。
すると、アイリスの手から光の球が飛び出し、バラムの目の前へと飛んでいった。
「カイ、ふせろ!」
「お、おう」
光の球を見たアルバスがするどい声をあげる。
わけもわからずカイがその場にふせた瞬間、球がはじけてすさまじい閃光を放った。
「ぎゃああああああああっ!」
至近距離での目つぶし閃光弾だ。直接的な攻撃力はないが、効果は抜群。光に目を焼かれたバラムは、その場でのたうちまわった。
「カイ、アルバスさん! 今の内にこっちへ!」
「サンキュー、ソウジ」
手招きする総司に、カイがうなずく。
アルバスとカイはバラムの横をすり抜けて、無事に総司たちと合流した。
「アルバス!」
「アイリス、無事だったのだな……」
アイリスが、もどってきたアルバスの首に抱きつく。
元気そうなアイリスを見て、アルバスが安心した様子で目を細めた。
「ソウジ、アオイ。君たちも無事でよかった。アイリスを助けてくれて、本当にありがとう」
「ぼくはちょっと危なかったですけど……。アオイがいたおかげで、みんな無事にここまで来られました」
お礼を言うアルバスに、はずかしそうな口調で答えた総司。葵もどこか照れた様子だ。
「それよりも、ぼくたちの方こそ、間に合ってよかった」
「本当にナイスタイミングだったぜ。あいつの肌、鉄みたいにかたくてさ。じいちゃんの剣も折られちまって、お前たちが来てくれなかったら危なかった」
そう言って、カイが折れた剣を見せる。
すると、総司はすぐさま自分の長剣をカイへ差し出した。
「命が無事なら大丈夫さ。ヘンリーさんだって、剣よりカイの方が大事に決まっているよ。それに、剣ならここにもう一本ある。ぼくでは上手に使えないし、カイが使ってよ」
「おう! ありがとな、ソウジ。助かるぜ!」
総司から剣を受け取り、カイがニッコリと笑う。
「ねえ、ソージ。今まで読んだ本の中で、オーガの弱点とか見たことないの?」
「うーん……。さすがに、オーガの弱点は読んだことないよ。――だけど、ちょっと気になることはある」
腕を組んだ総司を、みんなが見つめる。総司のひらめきに、全員が期待しているのだ。
みんなを代表して、カイが総司に先をうながす。
「何だよ、気になることって」
「さっき、アオイがバラムに矢を放った時のことだよ。バラムはおおげさに驚きながら矢をよけた。だけど、カイの話によれば、バラムの肌は鉄のようにかたいはず。そんな驚くことはないはずなんだ」
総司がカイの方を見ながら言うと、葵も同意を示した。
「確かにそうよね。鉄のようにかたいなら、私の矢なんてはじいちゃうはずだし」
「うん。それでちょっと考えてみたんだけど、あの時、バラムは頭の角をかばっていた。つまり、あの角はバラムにとって、絶対守らなきゃいけない大事なものなんじゃないかな」
「なるほどな。そうなると、あの角はバラムの弱点かもしれねぇってわけだ」
カイがいたずらっ子のように笑いながら手を打つ。
対して総司も、自信あり気な顔でカイを見た。
「弱点かどうかは、ぼくもわからない。だけど、ねらってみる価値はあるはずだ」
「さすがソージ! こういう時のひらめきは、天下一品ね」
「だけど、一つ問題があるぞ。角を攻撃するなら、どうにかしてアイツの動きを止めなきゃならない」
パチパチと拍手をしながら喜ぶ葵の横で、カイが困ったという顔をする。
バラムに手も足も出なかったカイには、その難しさがよくわかるのだ。
すると、一人の少女がカイの前に進み出た。
「あの!」
カイを真正面から見つめたアイリスが、突然大きな声を上げる。そして、両手を胸の前でにぎりしめ、勢いこんでこう言った。
「バラムの動きを止める役、私に任せてくれませんか? 私が、魔法でなんとかします!」
「お前にできるのか、アイリス。これは戦いの行方を決める大役だ。失敗は許されないのだぞ」
「わかっています、アルバス。でも、ここで何もできなければ、ご先祖様にもケセド王国の皆さんにも会わせる顔がありません。だから……私にやらせてください」
アイリスは強い決意の光を宿した瞳で、アルバスを見る。
それだけで、アルバスは彼女の決意の強さを感じ取ったのだろう。
「――わかった。私の命、お前に預ける。頼んだぞ、アイリス」
アルバスは信頼を持って、自らの命をアイリスに委ねた。
アルバスにほほ笑み返したアイリスは、続いてカイ、総司、葵の方へ向き直る。
「皆さん、お願いします。私を信じてください」
「もちろんだ。お前の魔法のすごさはさっき見せてもらったからな。任せたぜ、アイリス」
カイがアイリスの肩をポンポンと叩く。
その後ろでは、総司と葵も力強くうなずいている。
みんなが自分を信じ、命を預けてくれている。その喜びに、アイリスの笑顔がはじけた。
「ありがとうございます! ――ただ、この魔法は少し時間がかかるんです。みなさん、大変かとは思いますが、時間をかせいでもらえませんか?」
「任せとけ! アルバス、きついだろうが、もうひとっ走り頼めるか?」
「私を誰だと思っているのだ。このアルバス、まだまだへばったりはしないぞ」
「よっしゃあ! じゃあ、いっしょにがんばろうぜ!」
総司から預かった剣を抜き、カイが再びアルバスの背に飛び乗る。
「アイリスとアオイは、さっきは助けてくれてありがとう。ソウジもヒントをくれて、助かったぜ」
カイがアルバスの背の上で、総司と葵、アイリスへ感謝の言葉を述べる。
仲間たちから受け取ったバトンを手に、カイは勇ましく顔を上げた。
「次は、オレたちががんばる番だ。そうだろ、アルバス!」
「ああ、その通りだ!」
カイとアルバスが、部屋の奥に立つバラムを見すえる。
バラムはようやく目が見えるようになってきたのだろう。血走った目で、カイたちをにらみつけていた。
「貴様ら……。絶対に許さんぞ……」
左腕で顔をおさえながら、バラムが低い声でうなる。
かくすことのないその怒りは、確かな圧力となってカイたちにぶつかる。
「オレたちは、お前に負けるわけにはいかないんだ。お前の憎しみ、ここで断ち切ってやる!」
「ぬかせ! 虫けらがいきがりおって」
カイも威風堂々と、バラムをにらみ返す。
バラムとカイの視線が重なり、大広間が一瞬、静まり返る。
高まった緊張の中、先に動いたのは――カイを乗せたアルバスだった。
「いくぞ!」
アルバスがバラムへ向けて駆け出す。
アイリスはそれを合図に目を閉じ、意識を集中し始めた。
「こざかしい羽虫どもめ!」
バラムは突進してくるアルバスとカイに向けて、オノを横なぎにふるう。
そのオノを、身を低くしてかわしたアルバスとカイ。アルバスはそのまま、バラムの両足の間を駆け抜けた。
「アオイ、そこだ!」
「うん、ソージ」
カイたちを追おうとしたバラムの足元に、アオイが矢を放つ。続いて、足を止めたバラムの目に向けて、総司が石を投げつけた。
「チッ! こしゃくなまねをしおって」
「おい、よそ見しているヒマはないぜ!」
バラムの背後から響く、カイの声。
取って返してきたアルバスとカイが、バラムの死角をついて攻撃を繰り出す。
(ふつうに剣をふるっても、バラムには通じない。だったら……!)
カイはバラムの足をすくうように剣をふるい、そのバランスを全力で崩した。
その隙を見逃さず、葵が渾身の一矢をバラムの顔面に見舞う。
もちろん彼らの攻撃は、すべてバラムのかたい肌にはじかれてしまった。
しかし、一方的に攻撃されているバラムは、さらに怒りをつのらせていった。
「ええい、うっとうしい! もうよいわ! まずは、貴様らから倒してくれる」
バラムの目が、総司たちの方を向く。
オーガの王にとって、カイとアルバスよりも総司たちの方が、より目障りだったのだろう。
総司、葵、アイリスを先に倒すことに決めたバラムは、彼らの方へ歩き出した。
「ちっ! お前の相手はオレたちだ!」
「貴様らは後だ。黙って見ておれ!」
バラムはオノをふるって、近づいてくるアルバスの足を止めさせた。
「まずい。下がるよ、アオイ、アイリス」
危険を感じ、総司が葵とアイリスの方をふり向く。
その時だ。アイリスがカッと目を開いた。
アイリスは総司と葵にほほ笑みかけ、次いでバラムを正視する。
「大丈夫です、ソウジさん。準備はできました。――カイさん、アルバス、いきますよ!」
アイリスがバラムへ向けて、再び手をかざす。
「彼の者を捕えよ、イバラの檻!」
アイリスの澄んだ声が、大広間に木霊する。
変化はすぐに現れた。
バラムの周りの床や天井から、何本もの太いイバラが生えてきたのだ。
「くっ! 何だ、これは!」
次々とからみついてくるイバラをはらおうと、バラムがオノをふり回す。しかし、イバラはその数を増やしながら、次々とバラムの体に巻きついていく。
ちぎっては巻きつかれ、ちぎっては巻きつかれ……。さすがのバラムも、四方八方からせまるイバラに対応が追いつかない。
ついにバラムは左腕と両足をからめとられ、身動きが取れなくなってしまった。
「カイ、アルバスさん、今だ!」
バラムが完全に動けなくなったところで、総司が叫ぶ。
「おう、任せとけ!」
「よくやったぞ、アイリス!」
カイを乗せたアルバスが、動きを封じられたバラム頭上に跳び上がる。
アルバスの跳躍が頂点に達したところで、今度はカイがアルバスの背を蹴った。
「くらえ!」
バラムの角に全体重を乗せた剣をたたきこむ。
カイが渾身の力で打ち下した剣は、狙いを違えることなく標的をとらえ……、
――バキッ!
バラムの角を根元から割りくだいた。




