第十五話 いつかの約束
旧市街を出て、ひたすらに歩き続ける。
自分の中の記憶を辿るように。
外は驚くほど静まり返り、まるで原初の地球のような静寂に満ちていた。
ラババの言っていた通り、イデアの気配は一切しない。
時折見かける残骸も、かなりの時間が経過しているのか朽ち果てていた。
脳裏に浮かんだあの光景、知らないはずの記憶。それなのに、なぜか懐かしく胸を締め付ける。
明確な目的地があるわけでもなく、ただ記憶に導かれるように歩みを進める。
しばらく歩くと、見覚えのある場所へと辿り着いた。
ザ……ザザー……ザー……
『……私が近くにいてよかったよ』
脳内に流れ込む映像。
暗く重い雨の中、巨大な銃器を手に俺へ微笑みかけるイヴ。
雨の冷たささえ引き立たせるほど美しい、彼女の姿。
ザ……ザザー……
『君が……無事で良かった……』
雷鳴が轟くような大雨の中、半身を失ったイヴが俺に微笑む。
周囲は焼け焦げ、俺はただ絶望に打ちひしがれている。
ザ……ザザー……ザー……
同時に、割れるような頭痛が襲いかかる。
俺は頭を抱え、その場にうずくまった。
「……っ! はぁ、はぁ……俺は、ここを知っている……」
激しい頭痛が次第に収まり、先ほどの映像が心に溶け込むように馴染んで消えていく。
その記憶は、訓練の最終試験の光景だった。
俺は最終試験を受けていないはずだ。
試験の前にイヴと出会い、部隊に誘われたのだから。
なら、この記憶は一体……。
俺は答えを求めるように辺りを見渡す。
見渡す限りの荒野と廃墟。
そして時折見かける、風雨に晒され朽ち果てたイデアの残骸。
まだだ……まだ他にも何かあるはずだ。
記憶を紐解くように、さらに荒野の奥へと歩を進める。
少し歩くと、記憶の中で最も深く響いていた場所へ辿り着いた。
そこは、ある地点を中心にして囲むように、大量のイデアの残骸が転がっていた。
サイズはクラス1から2、中にはそれ以上の大型個体と思われる残骸もある。
その全てが途方もない時間を経て朽ち果てていた。
そして中心には、焼け焦げた跡のような窪みがいくつも残されていた。
脳内に再び映像が流れ込む。
雨の中で、何かを抱きしめて泣く自分の姿。
その泣き声は、いつしか不気味なほどけたたましい嘲笑へと変わっていく。
そして、頭上から降り注ぐ眩い光と共に映像は途切れた。
「俺が抱えていたもの……あの輝くような金色の髪を、俺は知っている……」
「あれは……イヴだった……」
「っ……! また……! はぁ……はぁ……」
再び割れるような頭痛が襲う。
俺は……何度も、何度もイヴと出会っていたんだ。
そしてその度に彼女を守れず、失っていた。
初めて会った時に感じた、あの懐かしさと安らぎ。
あれは……気のせいなんかじゃなかった。
俺たちは……何度も出会いを繰り返していた。
痛みがゆっくりと引いていく。
知るはずのなかった記憶が、静かに溶け合っていく感覚。
断片的ではあるが、間違いなく俺自身の記憶だった。
何度も出会っては別れを繰り返していたのだとしたら……今回は違う。
俺は今、こうして生きている。
だから、きっとイヴだって――。
「……行こう。きっと、この先に……」
答えを探すように、何かを確かめるように再び歩き出す。
二人で過ごした時間、イヴとの出会いを遡るように。
進むにつれて、今の記憶と流れ込む映像がひとつに溶け合っていく。
過去の知らない自分と、今の自分が統合されていくような、そんな不思議な感覚。
荒野を抜けると、かつて大雨の中で夜を明かした廃墟が見えてきた。
「あそこは……あの時の……」
廃墟へと足を踏み入れる。
イヴとの記憶を辿るたび、どこかに彼女がいるのではないかと期待してしまう。
ここは鮮明に覚えている。
大切なものを守れる強さを得ると、イヴに覚悟を誓った場所。
彼女の優しさと強さを知った場所だ。
「ははっ、懐かしいな……。大泣きした俺を、イヴはただ抱きしめてくれたっけ……」
胸が締め付けられるほどの懐かしさ。
イヴの存在がどれほど大きかったか。
情けない俺の姿を見ても、彼女は何も言わず、ただ寄り添ってくれた。
ここにはいなかった。
けれど、きっとどこかにイヴはいる。
先に進もう。
さらにイヴとの記憶を辿って進む。
進むほどに胸が騒ぎ、不安が押し寄せる。
イヴに会いたい――。
「ここは……確か……」
気がつけば、そこはかつての工場跡地だった。
あの時のイヴの一撃によって大地は抉れ、黒く焦げている。
地下へと続く大穴も、変わらず不気味な口を開けていた。
こんな場所に彼女がいるはずもないと分かっていたのに、どこかで期待してしまう自分がいた。
「ここにも……イヴはいないか」
途方に暮れながらも、足は次の場所へと向かっていく。
道中、イヴとの記憶が何度も脳内を駆け巡った。
知らなかったはずの過去は、気づけば綺麗に溶け込んでいた。
もう、あの割れるような頭痛はしなかった。
記憶に導かれるように、何かに呼ばれるように、ただひたすら歩き続けた。
「ここは……殲滅作戦の時のキャンプ地か……」
コロニー殲滅作戦の際に設営されたキャンプ跡地だった。
大聖堂へと続く廃墟の広場。
作戦当時のまま放置された簡易天幕は、雨風に晒されて崩れ落ちている。
転がる物資の残骸が、あの日以来誰も足を踏み入れたことがないのを物語っていた。
「この先は……大聖堂か」
今は亡き大聖堂の跡地へと足を進める。
そこは、大地が溶けて固まったような痕跡が広がり、草木一本生えない不毛の地と化していた。
周囲からは、まるで最初から何も存在しなかったかのように全てが消失している。
ネウロン部隊が倒した膨大なイデアの残骸も、あの巨大な大聖堂も。
あの時、イヴが放った最後の光によって全てが無に帰したのだ。
建造物ごと消し去ったその光の凄まじさを、無残な大地が物語っていた。
ここが、イヴとの最後の記憶。
「イヴ……君に会いたい……」
記憶を辿るたび、心が締め付けられる。
ここにもイヴはいなかった。
もう、他には……。
「いや……あそこが残っている」
最後の場所へ向けて足を進める。
そこは、無意識に避けていた場所だった。
そこで見つからなければ二度と会えない気がして、ずっと逃げていた場所。
あの約束の場所――。
俺は、約束の花畑へとゆっくり歩み始めた。
一歩進むたびに逃げ出したくなる衝動を抑え、足を止めずに進む。
晴れていた空から、ポツポツと雨が降り始めていた。
やがて空は暗い雲に覆われ、強くなった雨が全身を打ち据える。
濡れることすら気にせず、ただ前だけを見て進んだ。
雨の中を進むと、見覚えのある構造体が目に入る。
廃墟と化した地下鉄の入り口。
約束の花畑へと続く道だ。
入り口の前で立ち止まり、強く拳を握りしめる。
「ここにいなかったら……」という恐怖が心を支配する。
「イヴ……」
搾り出すように名前を呟き、一歩、また一歩と階段を下りていく。
足が震え、全身が強張る。
雨による冷えのせいなのか、それとも真実から逃げたいからなのか分からなかった。
それでも、進み続けた。
やがて、視界の先に柔らかな光が差し込んでくる。
その光を追うように、静かに歩みを進める。
視界が一気に開け、眼前に純白の美しい花畑が広がった。
約束の場所。
必ず戻ろうと二人で誓い合った場所。
姿を探して懸命に辺りを見渡す。
だが、どれほど目を凝らしても、イヴの姿はどこにもなかった。
ゆっくりと花畑の中心へ歩み寄る。
天井の隙間から差し込む光と雨粒が、花畑の幻想的な美しさを際立たせていた。
「……イヴ」
中心に立ち、静かにその名を呼ぶ。
声は途中で力なく途切れ、空間の静寂に呑み込まれて消えた。
張り詰めていた心が限界を迎え、孤独に耐えきれなくなった目から涙が溢れ出す。
「……イヴ。……君に会いたい……」
他には何も要らない。
ただ、イヴに会いたい。
涙は止まることなく溢れ、足元に咲く白い花びらを濡らした。
その時――背後から、鈴のように澄んだ懐かしい声が響いた。
「ふふっ……相変わらず泣き虫だね、君は」
勢いよく振り返る。
聞き間違えるはずがない。
世界で一番愛おしい人の声。
暗がりから、誰かがゆっくりと歩み寄ってくる。
一歩踏み出すたびに白い花びらが舞い上がり、天井からの光がその足を、そして全身を柔らかく照らし出していく。
幻想的な花畑すら霞むほどに美しく輝く金髪。
優しく穏やかな微笑みを浮かべた瞳から、溢れた一筋の涙が光を浴びてキラキラと輝いていた。
「ははっ……泣き虫なのはお互い様だろ……イヴ」
「……カインッ……!!」
二人は駆け寄り、強く抱き合った。
お互いの存在と温もりを確かめ合うように、しっかりと。
白く輝く花びらが舞い散り、二人を優しく包み込んでいく。
いつの間にか雨は止み、崩れた天井から差し込む陽光が花畑と二人を優しく照らしていた。
まるで夜空の星々のように美しく輝き、二人を祝福するかのように。
「カイン……約束、覚えていてくれたんだね」
「当たり前だろ……忘れるわけがない」
いつしか涙は乾き、二人は見つめ合いながら微笑んでいた。
どれほど残酷な世界であっても、この先にどんな試練が待っていようと。「君」が隣にいるのなら生きていける。
◇◇◇
――セントラル最深部。
中央に聳え立つ巨大な構造体を取り囲み、12人の監視者が端末を操作していた。
「個体名カイン。コアの外殻強度オールクリア」
「個体名イヴ。拒絶反応の有無、限りなくゼロ」
抑揚のない声で事実のみを読み上げる監視者たち。
「アダム計画、進捗率78%」
「イヴ計画、進捗率89%」
「両計画共に基準値をクリア。これより最終段階へ移行する」
モニターに映し出された無機質な数値。
その下には、二つの名前が刻まれていた。
『アダム計画 被験者カイン』
『イヴ計画 被験者イヴ』
世界が崩壊する音が聞こえる。
信じていた全てが、仕組まれた偽りであったと。
それは純粋ゆえの悪意。
一瞬の揺らぎすらない、どこまでも純粋な欲求。
アストラン崩壊まで、残り7日。
ここまで楽園のイミテリスをお読みいただきありがとうございます。
本作品は、この15話にて第一部終了となります。
正直、ここまでが序章だと考えていました。
第二部からが、本当の始まりのつもりです。
全てがひっくり返るような展開となっています。
三部構成を予定しておりますので、最後までお付き合いくださると嬉しいです。




