第一話 邂逅
暗く冷たい雲に陽射しは遮られ、辺りは薄暗い。
雨に濡れた泥の匂いと、焦げ付いた血と油の臭いが鼻腔を刺す。
周りには、原型すら留めていない仲間たちが雨と泥に塗れていた。
そして……うずくまる俺の腕の中には、少女の頭部。
かつて絹のように美しかった金髪は、黒く焼け焦げている。
慟哭の果てに、けたたましい笑い声が響いた。
……これは、俺の声なのか。
分かっている。これは夢だ。
何度も、数えきれないほど繰り返してきた悪夢だ。
目を覚ませば忘れてしまうことも、知っている。
頭では、分かっているのに。
暗雲を切り裂き、一筋の閃光が降り注ぐ。
その光が少女の頭部を抱え込む俺を包み込み、夢の終わりを告げた。
また何も出来なかった。救えなかった。
忘れてしまう夢だとしても――。
……いつか、君を……。
***
暖かな日差しで目が覚めた。
何か酷い悪夢を見ていた気がする。
だが、今日は大切な日だ。遅れるわけにはいかない。
今日は訓練兵の修了試験であり、俺たちにとって初の実戦の日だ。
制服に着替え、身分を証明するIDカードを手に取る。
IDカードには、俺の名前――カイン、生年月日、そして顔写真。
16歳になった自分の顔にはまだ幼さが残っていて、なんだか少し気恥ずかしくなる。
さあ、そろそろ向かわないと。
初めての実戦。仮想空間や訓練用イデア相手のシミュレーションは何度も重ねてきた。
自信はある。でも……正直に言えば、かなり怖い。
約600年前、地球に飛来した機械からなる謎の生命体『イデア』。
俺は、その脅威から人類の生存圏を取り戻すための部隊に志願した。
今日の実戦試験さえ乗り越えれば、俺も兵士として外の世界に出られる。
俺は滲む手汗を拭い、拳を強く握り締めると、外へと繋がる門を目指した。
門の前には、既に教官と数人の仲間が集まっていた。
「これで全員揃ったな。今日は初の実戦だ。さんざん訓練を重ねたとはいえ、一つの油断が命取りになる。常に警戒を解くな。人類の命運が自分たちの双肩にかかっていると自覚しろ。死ぬなら一人の兵士として、一体でも道連れにしろ! いいな! では出発する。車内にてイデアの詳細と装備の確認を行う」
教官の檄に覚悟を固め、俺たちは装甲車へと乗り込む。
重い駆動音とともに、車両がゆっくりと走り出した。
さっきまで晴れ渡っていた空は、いつの間にか暗い雨雲に覆われつつあった。
目的地へ向かう車内、教官から改めて試験内容が告げられる。
「今回の実戦の相手は『クラス1』。最も小型で殺傷力も低く、危険度は最小だ。手元の端末を見ろ」
端末の画面に、イデアの詳細と支給装備が映し出される。
イデアは1から5の5段階に分類され、数字が大きいほど脅威となる。
今回の相手であるクラス1は、平均して人間の子どもほどのサイズだ。
とはいえ、生身の一般人では太刀打ちできず、装備なしでの破壊は不可能とされる。
今回の試験で用いられるのは、イデアの技術を解析して作られた特殊兵器『機装』。
座学で教わってはいるものの、複雑な技術理論は半分も理解できていない。
訓練では出力を抑えた練習用が与えられていたが、機装には『適合率』という数値が存在し、これが高いほど真価を発揮するらしい。
今回の試験には、正規採用された機装の適合率測定も含まれている。
正直……自信はない。
適合率が10%を下回れば、ただの鉄くずと大差ないと言われている。
俺にその資格があるのだろうか。
不安と緊張が胸の内で渦巻く。
そんな焦りを置き去りにするように、装甲車は目的地へと突き進んでいく。
俺の胸中を映すかのように、暗転した空からぽつぽつと小雨が降り始めていた。
到着する頃には、地面は泥濘と化していた。
装甲車から降り、ぬかるむ土を踏みしめる。
訓練兵は俺を含めて5名。癖のある奴らばかりだが、悪い奴はいない。
整列した俺たちの前で、教官が端末を操作する。
「これがお前たちの機装だ。適合率次第で強力な兵器へと変貌する。受け取れ」
教官の操作に応じ、シンプルな剣の形状をした機装が排出され、一人ひとりに手渡される。
ずしりと手に伝わる確かな重み。
自分の端末に機装を認証・同期させることで、適合率が表示される仕組みだ。
俺は剣を握り締め、画面を見つめた。
【適合率:21%】
高くも低くもない、何とも評価に困る数値。
周りの様子を見る限り、他の仲間たちも似たようなものらしい。
これでいい、ここから始めるんだ。
手に残る鉄の重み。いつの間にか胸を占めていた恐怖は、静かな高揚感へと塗り替えられていた。
「これより最終試験を開始する! 離れた位置に分散配置された目標を個別に破壊し、コアを回収せよ。なお、クラス2以上と遭遇した場合は直ちに救援信号を送信すること。健闘を祈る!」
号令と同時に、お調子者の仲間が威勢よく飛び出していった。
他の3人も負けじとそれぞれの目標へと駆け出していく。
「ふぅ……俺も行くか。にしても、嫌な雨だな……」
端末のマップを確認すると、俺の目標はかなり近い位置に指定されていた。
強まる雨の中、泥に足を取られないよう注意しながら駆け抜ける。
――いた。
視線の先に、子どもほどの大きさのイデアが佇んでいた。
こちらには気づいていない。
鋭利な腕部は、直撃すれば容易に肉を穿ち命に届くだろう。
だが、この雨音が足音を消してくれる。
コアを傷つけないよう、背後から一撃で頭部の指揮系統を断つのが最も確実だ。
気配を殺し、慎重に距離を詰める。
もう少し……振り返るなよ。
確実に仕留めるため、一気に踏み込もうとした瞬間――。
端末が短い振動を2回刻んだ。
――緊急事態発生のシグナル。
直後、頭上から「それ」が落着した。
「くそっ、何が起きてるんだ……!?」
泥を跳ね上げて眼前に出現した「何か」に、息をのむ。
「な……なんだよ、これ……。クラス1しかいないはずだろ……!?」
そこにいたのは、クラス1の数倍はあろうかという巨体。
歪で禍々しく、全身から濃厚な死の気配を撒き散らすバケモノだった。
やばい。殺される。
直感的な恐怖に指先が激しく震える。
目の前の巨大なイデアはすぐには襲いかからず、怯える俺を嘲笑うかのように観察していた。
教官や仲間が来てくれれば――
そんな甘い希望は、次の瞬間に砕け散る。
イデアの巨大な爪に握り潰されていたのは、引きちぎられた仲間の残骸と、教官の頭部だった。
「あ……あは……なんだよ……俺が最後かよ……ははっ……!」
絶望的な戦力差。抗う気力すら削ぎ落とされ、乾いた笑いしか出てこない。
イデアは、物言わぬ肉塊となった仲間たちを泥の中に投げ捨てた。
怒りすら湧かない。俺にできることなんて、何一つないのだから。
迫り来る死の足音。
死にたくない、死にたくない……!
極限の恐怖で思考が焼き切れる中、肉体だけが勝手に武器を構えていた。
脳の命じるままではなく、生存本能のような何かが身体を動かしている。
「ハハッ……訓練の成果ってか……!? 意味ないのに、そんなの……っ!」
頬を濡らすのが雨なのか、涙なのかも分からない。
「あああああぁぁぁっ!」
叫びとともに機装を振り抜く。
だが、奇跡など起きない。
現実はどこまでも無慈悲だ。
叩きつけられた剣はイデアの装甲に弾かれることすらなく、当たった瞬間に木っ端微塵に砕け散った。
バケモノは嘲笑うように、ゆっくりと巨大な腕を振り上げる。
……ああ、俺なりに頑張ったよな。
俺は静かに目を閉じ、訪れる破滅を待った。
「――大丈夫、君は死なないよ。私が近くにいて良かった」
激しい雨音を透過して届いたのは、甘く澄んだ鈴のような声だった。
ゆっくり目を開けると、あの絶望的な巨躯のイデアが横たわり、その上に美しい金髪の少女が降り立っていた。
土砂降りの雨すら彼女を彩る演出に見えるほどの、圧倒的な存在感。
華奢な身体には不釣り合いな、身の丈を超える巨大な銃器を担いでいる。
「よく頑張ったね。少し遅くなっちゃったかな? でも、君だけでも助けられて良かった」
彼女の言葉が、絶望で氷付いていた心をやさしく溶かしていく。
死の淵でようやく突きつけられた、生の感覚。
手放しかけた命が、再び自分の中に満ちていく。
気づけば俺は、泥の中にへたり込んでいた。
「大丈夫? 怪我はない? ここはまだ『外』だから危険だよ。立てる?」
少女が顔を覗き込んでくる。
間近で見るその顔立ちは、あどけなさを残しながらも息をのむほど凛々しかった。
「……た、助かった……ありがとう。俺はカイン……訓練兵で……。あ、あの……君は……?」
情けなく震える声しか出ない。
「よしよし、怖かったね。私はイヴ。所属はちょっと秘密かな。さあ、立って。……嫌な予感がする、早く街に戻ろう」
差し出された手を握り、立ち上がる。
頭を撫でられた羞恥と安心感で、きっと酷い顔をしていたはずだ。
「詳しい話は後。私の嫌な予感って、当たるんだよね……大型のイデアが何故か集まってきてる。私から離れないでね? 」
イヴが魅せた微笑みに、心がじんわりと温かくなる。
巡ってきた生を手放すまいと、歩き出した彼女の背中を懸命に追う。
絶対に離れない。今度こそ――。
今度こそ……?
脳裏に浮かんだ謎の既視感。それを深掘りする隙もなく、イヴが足を止めた。
「囲まれた……やっぱり当たるなぁ、嫌な予感」
周囲の暗闇から、無数の赤い眼光が浮き上がる。
いつの間に……? さっきまで影も形もなかったはずなのに。
「どこから湧いたのかな。ま、考えても仕方ないね。サクッと終わらせちゃおう。大丈夫、私こう見えて最強なんだ」
イヴは端末から、再びあの巨大な銃器を呼び出す。
『換装:モードB ネロ&ピュール』
機械音声とともに銃器が二つに分裂し、その構造を変形させていく。
彼女の腕は無骨な装甲に覆われ、両手には二連装の特殊拳銃が握られた。
「すごい……これがイヴの機装……」
「そう、正確には『霊装』って呼ばれる上位種なんだけどね。解説はあと。いくよ!」
言葉が終わるより早く、殺戮劇が始まった。
イヴは踊るような軌道で泥を蹴り、イデアのコアを正確に撃ち抜いていく。
クラス2以上の巨躯すら、彼女の前ではただの的に過ぎなかった。
息をのむほど美しい、洗練された死の舞踏。
瞬きすることすら忘れ、目が乾き切る頃――。
辺りは酷い油臭と泥にまみれ、無数の残骸が転がっていた。
胸を揺さぶるこの動悸が、冷え切った雨のせいなのか高揚感なのか、自分でも分からない。
ただ、そこにあったのは恐怖ではなかった。
「ふぅ、これで全滅かな。君を守れて良かった」
振り返って笑う彼女の姿は、泥雨の中でも眩しいほど美しかった。
――だが、何故だ。
俺はこの光景を知っている。何度も、何度も、痛いほど見てきた気がする。
けれど……何かが決定的に違う。
(ザザ……ザザッ……)
脳裏にノイズが走る。
雨の中で泥を抱いて泣き叫ぶ男。暗雲を穿つ閃光。
なんなんだ、これは。
あれは……俺なのか? 俺は何を抱えている? あの光は――。
「どうしたの、そんな暗い顔して……ッ!? 伏せてっ!」
思考に沈んでいた俺の身体を、イヴが強く突き飛ばした。
直後、俺がいた場所へ、雷光をも超える光線が落着する。
一瞬で泥と水溜まりが蒸発し、視界が白で塗り潰された。
「ぐっ……!? 一体……イヴ……!?」
白濁した視界が徐々に開けていく。
「あ……ああ……そんな……嘘だろ……っ!?」
焼け焦げ、大きく抉れた地面。肉が焦げる凄惨な臭い。
その中心に――下半身を喪失した少女が横たわっていた。
「……君が無事で……よかった……。まさか……こんな兵器まで……完成していたなんて……ね」
絶望的な損壊を負いながら、イヴは俺の無事を心から安堵していた。
違う! なんで……! 生き残るべきなのは俺みたいな役立たずじゃない、君だ……!
嗚咽が喉を詰まらせ、言葉にならない。必死に手を伸ばす。
「ふふ……また、そんな顔してる……。ごめんね……守るって言ったのに……もう、無理みたい……。最後、顔……よく見たいな……」
イヴが弱々しく腕を伸ばす。
俺は泥に塗れながら、必死に彼女の窪みへと身体を擦り寄せた。
死ぬな……死なないでくれ! また……またこんな……!
あと少し、あと少し――!
その刹那、非情な光線が再び天から降り注いだ。
俺の存在など端から視界に入っていないかのように、光は正確にイヴの残躯だけを焼き尽くす。
俺はその惨状から、目を逸らせなかった。
眼前で彼女だったものは一瞬で蒸発し、残されたのは――焦げ付いた美麗な金髪と、その頭部だけだった。
這いずり、手を伸ばし、それを抱き上げる。
惨劇の最中にあっても、なお狂おしいほどに美しい顔立ち。
彼女を抱え込む俺の目から、涙は枯れていた。
代わりに溢れ出したのは、狂ったような笑い声だ。
雨音を塗り潰すように。
現実から逃避するように。
ただただ、けたたましく笑い続けた。
そして――頭上から光が墜ちる。
これが、23回目の邂逅だった。




