放課後の生徒会室 ~有希葉編~ 終わり
これは嘘のような本当の話。
「美亜は――実は俺と、血が繋がってないんだ」
俺の言葉を聴いた天ヶ瀬は、信じられないと言った表情で俺を見つめ返してくる。
「でも、君たちは血が繋がっているって……言ってなかったか?」
いつか天ケ瀬にも、『美亜は実の妹』だって言った気がする。もう覚えてないけど。
「確かに言った気がするけど、あれは嘘だったんだ」
「どうして、そんな嘘を吐いたんだ?」
「そんなの、決まってるだろ?」
俺は微笑を浮かべながら、
「美亜は俺と血が繋がってないことを知らないからだよ」
「し、知らないのか?」
「ああ。美亜が生まれたのが俺が一歳の時。美亜が物心つく前から、俺はあいつの近くにいた」
ならば、美亜が俺のことを本当の兄と思うのは当たり前のことなのだ。
ずっとずっと、近くにいたんだから。
「だから俺は美亜に嘘を吐いた。遠慮なんてして欲しくなかったから。ぐーたらで面倒で、手のかかる妹のままでいて欲しかったからさ」
「君は……やはり、真面目なんだな」
天ヶ瀬はどこか悲しそうな表情を見せて、そう言った。
「よしてくれよ。俺はただ、今のままを壊したくないだけだ」
それでも、いつかは言わなくちゃいけない時が来るんだろうな。
「ってそうだった。俺が漫画家になろうと思ったきっかけだったな」
閑話休題。
俺は天ヶ瀬の言葉を待たずに、一方的に語り始める。
「漫画家になろうって思ったきっかけは――父さんが笑ってたからなんだ」
「父親が、笑っていたから?」
「ああ」
父さんは昔から漫画が好きで、よく読んでいたそうだった。
母さんが亡くなって辛い時期も、たまに漫画を読んでは、クスリと笑っていた。
その姿が俺には印象的だった。そして、その姿に感動したっていうのもあった。
辛い時でも、漫画には人を笑わせる力がある。人を幸せな気持ちにする力がある。それを知ったから、俺は『漫画家になろう』と思い立ったのだ。
「でも、やっぱそんな簡単にはいかなくてさ。何と言っても、俺は絵が描けなかったんだよ」
「それは……確かに致命的かもしれないな」
「だろ? 漫画家目指す奴って大体絵が上手いんだろうけど……生憎そっちの才能が俺にはなくて」
「だから物語を書くようになったのか?」
「そういうことだ」
絵が描けないなら物語を書く。漫画には絵が必要不可欠なものだったけど、それでもその時の俺はどうにかなるって思ってたのだ。
きっとどうにかなるから、今はすごく面白い物語を書こうって、そう思ってたんだ。
「物語を書き始めたの、最初はネット小説だったんだよ」
「ネット小説? 自分が書いた物語をネットにアップするというあれか?」
「そう、それだ」
大和撫子という言葉が似合う天ケ瀬から横文字が出てきたことに俺は少し驚きつつ、それでも話を進める。
「そこで上手くいって漫画家になったのか?」
「まさか」
俺は鼻で笑う。
天ヶ瀬の言葉を、ではなく、過去の自分を、だ。
「最初に書いたものをいきなりネットにアップして、上手くいくと思うか?」
そりゃもう、上手くいかないに決まってる。なんたって小説の書き方とかを勉強してた訳でもないんだから。
昔書いた作品は今ではもう全部削除してあって、見返すことなんて出来ない。
というか見返したくもない。あんな稚拙な文章。羞恥で死ぬぞ。
「最初は全然上手くいかないし、サイトの使い方もよく分からなくてさ」
『色々な人に読んでもらい、感想を貰えるのはこのサイトです!』みたいな紹介文を読んでそのサイトで書き始めたものの、使い方や見方があまり分からなくて『感想も来ないし、読んでくれてるかもわからないじゃん!』と怒ったこともあった。
「それがちょっと嫌になって、少しの間小説を書かない期間が続いたんだよ」
「その間、君は何をしていたんだ?」
「その時は漫画も読んでたけど、主にライトノベルっていう小説を読んでたんだよ」
というか、自分はやっぱり絵なんか描けないんだって悟って、漫画への熱は冷めていた。
その代わりに、ずっとライトノベルを読んでた。嫌になって放り出してたけど、心の中ではずっと『次こそは色々な人に読んでもらえるような面白い物語を』って気持ちがあったんだなって、今ではそう思ってる。
「んで、色々勉強してからまたネット小説を書き始めたわけ」
「もう一度書き始めた小説の評価はどうだったんだ? 色々な人に読んでもらえたのか?」
「ま、なんも勉強してなかった頃よりはな」
サイトの使い方も理解できるようになっていたし、『あ、これだけの人が読んでくれてるんだ!』って知った時は部屋で一人飛び跳ねてた。
「それで、また小説を書き始めてから、一か月くらいが経った時だったんだ」
『あの人』に出会ったのは。
「俺の書いた小説に、初めての感想をくれた人がいたんだ」
「感想?」
天ヶ瀬は楽しそうに顔を綻ばせ、そう訊ねてくる。多分、この話をしている俺の顔が嬉しそうだから、そんな優しい顔をしているのだろう。
「ああ。初めての感想。『面白かったです』ってそう言ってくれてさ」
あの時はむちゃくちゃ嬉しかった。自分でも単純だと思うけど、『面白かった』のたった五文字で、俺はすごく幸せになれたんだ。
けれども、俺の幸せはここでは終わらなかった。
「初めての感想には、ある写真も付いてたんだ」
「写真?」
「ああ。色鉛筆で描かれた、俺の書いた小説のキャラたちのイラスト。それが写真で送られてきてたんだ」
独りよがりで、どうしようもないと思っていた俺の小説。それに絵を付けてくれた人がいた。
「しかもその感想とイラストをくれた人、次は漫画形式のイラストを送ってきてくれたんだぜ?」
その漫画形式のイラストは、俺の書いていた小説のワンシーンを示したものだった。
それがとてつもなく嬉しくて――それと同時に、冷めてきていた漫画家に対する想いを、蘇らせてくれた。
「そのイラストをくれた人は、『あなたの小説の絵を描いてみたいです』って言ってくれてさ」
「すごいな。何と言えばいいか……そうだ。運命、みたいなものだな」
「運命か。確かに、そう言われればそうかもしれないな」
運命。素敵な響きじゃないか。
「それで、君はどう答えたんだ? そのコメントに」
「俺?」
俺がどう答えたかって? そんなの、決まっている。
「『俺もあなたに絵を描いてほしいです。だから、二人で漫画家を目指しましょう!』って言った」
俺が物語を書いて、あなたが絵を描いて。二人で一つの作品を作り上げましょう、って。
今思えば、若かったと思う。いや、今もだろうけど。
「すごいな……君たちのそのやり取りこそ、まるで漫画のようだ」
「だろ? それくらい、現実味のないものだったんだなあって思ってるよ」
そう。現実味のない、現実だった。
「それでどうなったんだ? 二人で一つの作品を作り上げることは出来たのか?」
天ヶ瀬はわくわくとした感じで、目を輝かせている。
期待しているのだろう。ハッピーエンドだったかどうかに。
俺はそんな天ヶ瀬の期待を裏切るように、
「いや。出来てないよ」
と、言う。
「出来てない。俺の小説に感想をくれて、絵をくれた人とは漫画を作れてない」
そもそも、あっちもそういう職に就けたかすら知らないのだ。しかも俺は漫画家になる時にネット小説を投稿するサイトのアカウントを捨てちゃったし、連絡を取る手段だってない。
だから多分、『あの人』ともう話したりすることは――ない。
「ま、そんな感じで。俺が小説を書き始めたきっかけは、再婚したあとも悲しそうにしていた父さんが漫画を読んで笑っているのを見て、そんでもってネット小説で感想とかを貰ったからってわけだ。要約するとな」
「そうだったのか……その、良い話だった。本当に」
「そうかい。なら話して良かったってもんだよ」
俺がそう言うと、天ヶ瀬はスッと手を挙げた。
「質問、していいか?」
「? なんだよ?」
「君はどうしてそれを、私に話したんだ?」
天ヶ瀬の切れ長の瞳が、真正面から俺を見据えてくる。
そんな彼女の瞳に、俺は笑顔を向けて言う。
「話、まだしたがってたからだよ」
「そ、それだけの理由で話したのか……? はぁ。君という男に『深さ』を求めた私が馬鹿だったのか……?」
「そういうことじゃね?」
俺がそう言うと、天ヶ瀬は小さく笑い声を漏らす。そして俺もそれに釣られるように、また小さく笑い声を漏らす。
お互いに笑い合ったあと、俺たちはどちらからともなく、
「帰るか」
「帰ろうか」
そう言って、肩を並べて生徒会室をあとにしたのだった。
嘘のような本当の話。裕人に起こったものは、実は僕の身にも起こったことだったりします。とは言っても、半分本当で半分嘘、みたいな風に書きましたが。
全部が全部本当ではないですけど、全部が全部嘘でもないということです。
僕もびっくりしましたよ。まさか本当に漫画みたいなことが起きるだなんて、と。
いつかまた、そういうことが起きるのかなあ……。




