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90s nostalgia Ⅸ

 そして悪い予感というのは得てして当たるものである。

「クーヤという不届き者がいるというのはこのクラスで間違いありませんことっ!」

 教室の扉の許容速度。その限界を見た気がした。

 ふんぞり返って仁王立ちしている少女が探しているのは、ばっちり名前を呼ばれていることからまず自分しかいないと思うのだが、クーヤは絶対に名乗り出たくなかった。

 凍てつくような青い瞳が教室の中を睥睨している。目の覚めるような鮮やかな金髪。日本人離れした容姿は圧倒的な質感をたたえていて、全くもってミスキャスト。全身から主役のオーラを発散している。お近づきになるのも恐れ多い。平穏とは無縁、生まれながらのトラブルメーカー。それが爆弾を抱えてやってきたようなものだった。

 不幸なクラスメイトが、そばにいたという理由だけで捕まえられた。

 クーヤは祈る。安寧を。決して自分の名前を告げてくれるな、と。

 だがそれは期待するだけ無駄そうだった。問い合わせ先の顔色を見れば一目瞭然。いかにも簡単に白状してしまいそうだった。クーヤの念波よりも少女の眼光のほうがはるかに強い。

「アリサ公認ファンクラブ、会員ナンバー一番のミズハナさんだね。害虫駆除には情け容赦ないらしいよ。困ったね。逃げていい?」

 小声で教えてくれるとともに薄情なことを口にした唯にクーヤは力なく首を横に振った。面倒くさそうなため息が聞こえたが、彼女は席を立つようなことはしなかった。

 つつがなく情報を仕入れ終えたらしいミズハナが一歩一歩ゆっくりと近づいてくる。

その迫力に押されるようにして人が避けていく。ミズハナからクーヤまで伸びる見事な導線ができあがった。クーヤは振り返ってみた。当然ながら誰もいない。

 クーヤの席の正面でミズハナは立ち止まった。

 傲然と見下ろされているというのに、反抗しようという気力すらわかない。

 絶対的強者の威厳というものがあるとするならば、いま感じているものがまさにそれだった。

「クーヤというのはあなたですね」

 ミズハナは片手を腰に当てて、優雅とさえ思える仕草で人差し指を突きたてた。

 しかし指されたのはクーヤでは無かった。まっすぐ指を向けられているのは唯だった。

「いいえ。違います」

 指された唯は笑顔で冷静に即答した。

 ミズハナは固まっている。

 腰に当てた腕の角度、相対する体、わずかにそらした顎、蔑みに満ちた目つき、唇の動き、声の抑揚、全てが調和し、計算されつくされていた。誰が見ても完璧だった。最後の最後、それ以外は。

 クラスのそこかしこから押し殺した笑い声が漏れる。

 ミズハナは一度目を閉じて、そのあと、先ほどと全く同じ動作を繰り返した。

「クーヤというのはあなたですね!」

 若干声が裏返っていて、顔が赤くなっているところ以外は完璧だった。

 笑い声の発生源が増えたような気がする。

「……そうですけど、あなた誰ですか?」

「下賎なやからに名乗る名など持ち合わせていませんわ。と言いたいところですが、あえて名乗りましょう。ミズハナ、と申します。以後、お見知りおきを」

 大恥をかいたにも関わらず、ミズハナは威風堂々。芝居がかった仕草を何事も無かったかのように続行する。

 相手にしたくないと考えていたクーヤだったが、意外と心配することもなさそうだと思い直した。

「それで高貴なミズハナさんがいったいどのようなご用件でしょうか?」

「それはご自分の胸に聞いてみるのがよろしくてよ。思い当たる節がおありでしょう」

「それが全くございません。なにしろミズハナさんにお会いしたのはいまが初めてなのですよ。あろうはずがないではありませんか」

 ミズハナの調子に合わせて、クーヤも声の調子を変えてみた。ミズハナの眉毛はぴくぴく、鼻はひくひく動いている。わかりやすい人だった。

「なんという恥知らずな人なのでしょう! あなたのような人がいては、風紀の乱れの元になります。調べはついているのですよっ! 衆人環視の前で罪状を読み上げられたいのですか! 懺悔する機会を与えようという恩情を踏みにじられて、私は大変心苦しく思っています。本当に心当たりがないとおっしゃるおつもりですか!」

「ミズハナさんがいらっしゃった時点でアレだよね」

 ミズハナに怒りに満ちた眼差しを向けられて、唯は肩をすくめて見せた。

けれどもミズハナは意に介していないらしい。逆に落ち着いたようだ。自身の正当性に自信が持てたのかもしれない。

「ご友人も認めておられるではありませんか。言い逃れはできませんことよ」

「ご飯食べたことですか? もしかして」

「その通りです。どのような申し開きをしようと許すつもりはありませんが、一応聞いてあげないこともないですわ」

「えーと。そうですね。ミズハナさんがお弁当作って誘えばホイホイついてくると思いますよ」

 ミズハナの顔色が朱色に染まる。

「そ、そういうことを言っているのではありませんわ。何を言いだすんですか。まったく。これだから下賎のものは」

 ミズハナはうつむいてもじもじし始めた。

 あと一押しで退けられそうだ。そう思っていたクーヤだったが

「おじょうさまー。おじょうさまー。ミズハナおじょうさまー。どこですかー」

と、廊下から聞こえてきた声が予想外すぎて、頭の中で組み立てていた台詞がガラガラと音を立てて瓦解した。

 息せき切って現れたのはメイドだった。学生服を着ているのだが、雰囲気がまさにメイドなのだった。メイドが服を着て歩いていると、あんな感じになるのではないか、と思わせる何かがその少女にはあった。

「ああ。ここにいらっしゃったのですね。また一般人に迷惑をかけて。ダメですよ。ミズハナさまに触れていいのは私だけなんですから」

 忙しく現れたメイドはそのままの勢いでミズハナの腕を取って引きずっていく。

「このダメイド! 離しなさい! 私は大事な話をしているのです。聞いているのですか? ダメイド!」

「ええ。ええ。聞いておりますとも」

 ダメイドと呼ばれた少女は罵られながらも嬉しそうにミズハナを運んでいく。そのまま来た道を誰に遮られることも無く、ミズハナはフェードアウトしていく。

「下々のみなさま。お騒がせしました。ミズハナお嬢様とダメイドはこれにて失礼いたします」

 自らダメイドと名乗った少女は敷居のところで一礼した。そしてそのままミズハナを連れて姿を消した。

「はーなーすーのーでーすー」

 ミズハナの悲しげな叫び声が教室のクーヤのところまで届いた。ドップラー効果のおかげで確実に遠ざかっていることが知れた。

「なんていうか、凄く濃い人たち」

「……クーヤがそれを言うんだ」

「え? え? 変なこと、言ったかな?」

 唯はうろんそうな目をしてミズハナたちの消えた先を、そしてクーヤを見つめていたが

「ううん。ぜんぜん! 私もクーヤとおんなじ意見だよ」

 と、にこやかに言い放った。


 ミズハナとダメイドの二人組は学内にその名を轟かせる有名人だった。どうやら知らなかったのはクーヤだけで、唯とクラスメートの大半はその存在を認知していたらしい。

 クーヤとミズハナの一幕はミズハナお笑い伝説の一ページに追加されただけで、人々の記憶にはそれほど強く残らなかったようだ。

 ミズハナ。二年生。日本人の父と外国人の母を持つ。理事長の娘。金持ち。正真正銘のお嬢様。男女問わず人気。様々な肩書きが一人歩きをしている。理事長の娘という立場を利用して、四月の第一週にはアリサ公認ファンクラブを立ち上げたらしい。

 ダメイド。二年生。メイドのような、そうでないような、やはりメイド。正体不明のメイド。ミズハナの影にその人あり。万人が抱く感想、メイド。肩書き、つまりメイド。暴走するミズハナを問答無用で連れ去ることに定評がある。


「それで、アリサさんはミズハナさんのことをどう思ってるんですか?」

 重箱弁当に箸を伸ばしつつ、クーヤはアリサ本人に直撃してみることにした。

「そういうことを聞くのはどうかと思いますよ、わたしは」

 同じく箸を伸ばしている唯が答える。旗色が悪いと見てクーヤは唯を巻き込むことにしたのだが、彼女を連れてきてもアリサは特に何も言わなかった。

「特別な感情はないかなぁ。よく知らない人だしね。学年も違うし」

 涼しい顔をしてアリサは何気に酷いことを言う。

 空は快晴。校庭の桜は花を散らし、青々とした新緑が風にさざめいている。心地良い陽気に誘われるようにして、クーヤの箸はドンドン進む。アリサの料理の腕前はなかなかのものだった。最初は乗り気でなかった唯も、なし崩し的に連日クーヤとともに屋上に足を運んでいた。

「面白い人だとは思うよ。魅力的なんじゃない? ミズハナさんのことが好きな人の話もちらほら聞くし」

「そうですか」

 クーヤが相槌を打つと、アリサは何か言いたそうな顔をしてクーヤの顔色をちらちらとうかがっている。クーヤとしては、何を言うわけにもいかずに助けを求めて視線を流した。唯の目は明らかにあきれていた。

「まぁたまには私も直球投げてみますか。あんまり得意じゃないんですけど。そういうキャラでもないんだけどなぁ」

 唯はぼやくと、たっぷり一呼吸置いた。

「アリサさんはクーヤのことが好きなんですか?」

 アリサ沈黙。

 クーヤも沈黙。

 唯は一人でお茶を啜っている。

「そ、それを聞くのはどうかと思うよ」

「クーヤの真似をしてみただけだよ」

 硬直からやっとの思いで回復したクーヤだったが、二の句が告げられなかった。針のむしろに座らされている気持ちだった。

「クーヤはデリカシー無さ過ぎ。相手の気持ち考えて無さ過ぎだよ。イヤでしょ。そういうこと聞かれたら。自分のいないところだったら、なおさらだと思うけど」

 唯は痛いところをズバズバと的確についてくる。

「……僕は好きだな」

 黙って話を聞いていたアリサがぼそっと呟いた。

「は?」

「あ、いや。クーヤが好きとかじゃないよ! それは全然違うから!」

 二人分の視線を一身に浴びてあわてて訂正を入れるアリサ。

恥ずかしいやつだった。穴があったら埋めてやりたい。そして臭いものには蓋をするのだ。平穏な女子高生ライフを満喫するためにアリサには犠牲になってもらう。それがクーヤの望みだった。

「自分のことを密かに好きになってくれてる人がいたら、それは嬉しいなって。そういうことだから! 別の意味はないから!」

 アリサのせいでクーヤまで恥ずかしくなってきた。

 唯は地雷を設置するだけ設置して、あとは知らないふりをしている。クーヤが恨みがましく見てもどこふく風だ。

 気まずい空気に耐えられなくなってきたクーヤは屋上の出口に目をやった。すると天の助けのように扉がひとりでに押し開かれた。やけに荒々しく乱暴だったのは、この際気にしないことにした。妙な空気を打ち破ってくれるなら誰でもよかった。

 扉の奥から現れた少女は制服をはためかせて凛々しい姿を衆目に晒している。

 一度目にすれば忘れたくても忘れられない。クーヤは厳しい現実を直視できなかった。

 話題のミズハナその人だった。

 つかつかと大股で歩み寄ってきて、ビシっとクーヤに人差し指を突きつけると

「勝負ですわ!」

 と開口一番、意味不明なことを口走った。

 ぽかんとしている一同を無視して、ミズハナは屋上の外縁まで進み、両腕を組んで胸を張った。ミズハナの背後に巨大スクリーンが出現する。

「あ、放送されてるみたいだよ。これ」

 唯の手元に浮かぶミニスクリーンには、ミズハナを正面からとらえた映像が流れていた。

「全校生徒のみなさま!」

 巨大スクリーンにはミズハナの勇姿が大写しになっている。

「生徒会名誉会長のミズハナです。本日はお知らせしたいことがあって参りました。賢明なる皆々さまにおかれましては、すでにお気づきになっておられる方もいらっしゃるものと存じます」

 スクリーン上では右から左へ次から次へと文章が流れていく。

「お知らせって何だ?」「会長じゃなくて名誉会長w」「この人だれ?」「情弱おつ」「生徒会名誉会長のミズハナさんだって」「だから誰だよ」「情弱乙」「うぜぇw」「ミズハナさんなめんなよ」「またお前かwww」などなど。誰でも自由に書き込みできるようだ。

 クーヤは頭が痛くなってきた。

「この四月、私がとあるクラブを立ち上げたのは衆知の事実だと思います。美しきものは共有すべき財産である。そのシンプルで素晴らしい理念に共感してくださった皆さまのおかげもあって、創部以来、門戸を叩くものはあとを絶ちません。応援のお便りも多数いただいております。全てが順風満帆。私は皆さまの良心を信頼し、また皆さまはそれによく応えてくださいました。立ちはだかる障害などあろうはずもありません」

 ミズハナはそこでいったん演説を止めて、クーヤたちに向かって視線を飛ばした。彼女の視線に追従するようにスクリーンの映像も流れていく。お弁当を囲む三人の姿が容赦なくスクリーンに映し出された。しかし、すぐに映像はミズハナの姿に切り替わった。

「しかし美的感覚。それは個人の主観によるものです。そこで私は考えました。誰にでも明快にわかりうる基準を設けることを。私はここに宣言します。第一回、美人コンテストの開催を!」

 校内のあちこちから歓声が響いた。

 クーヤは「私怨おつ」とこっそり書き込んだ。

しかし、クーヤの叫びは画面を埋め尽くさんばかりの文字の奔流に呑まれて儚く消えてしまうのだった。


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