90s nostalgia Ⅷ
美少女の浸透と拡散。
初めは楽しいだけで良かった。
物珍しさも手伝って、全てが良い方向に回っていた。
しかし、人々の間に美少女が浸透していくにつれて、ある種の根源的な疑問が沸きあがった。
美少女とは何であるか? またそれに付随する萌えとは?
美少女を世界に敷衍するにあたり、突き当たったその形而上学的な難問。
それは偶像である。
それはイコンである。
それは幸福の形である。
それは願望充足である。
それは紳士淑女の嗜みである。
それは空想の産物である。
それは神であり、天使であり、悪魔であり、妖精であり、霊魂であり、ホムンクルスであり、異性愛であり、同性愛であり、隣人愛であり、少女性愛であり、揺り籠から墓場までつきまとうものであり、喜びであり、怒りであり、哀しみであり、楽しみであり、知性であり、愚かさでもあった。
連日連夜、喧々諤々と議論は盛り上がりを見せた。
しかし、それだけだった。
人々は疲れていた。
答えの見つからない問題に、それとは裏腹に世界中に拡散していく美少女に。
そして、崩壊が始まった。
ドクター、ジニアの日誌より
いつものように昼食を求めて購買部へ向かうクーヤを呼び止めたのは、全身で優等生を体現しているかのような男だった。背景に華麗な百合の花束が見えるのは、もちろんクーヤの錯覚だが、それを見せつけられているのはクーヤだけではないようだ。通行人が霧の彼方に霞んでいく強烈な存在感。太陽に近づきすぎたものは絶命する。クーヤはイカロスにはなりたくないが、さりとて名前を呼ばれて無視するわけにもいかない。
「授業が終わったとたん、教室から出て行くから慌てて追いかけてきたんだ。これからお昼?」
「ええ。購買部でパンでも買ってこようかと」
クーヤが営業スマイル全開で答えると、男は嬉しそうに笑う。
その爽やかな笑みの向こう側には大蛇が潜んでいてもおかしくない。なにしろ第一級危険人物だ。アリサとはなるべく関わり合いにならないほうが良い。そうクーヤの勘が告げている。
「もし良かったらさ。お昼一緒に食べない? お弁当作ってきたんだ」
さっと取り出された包みは運動会で目にするような大きさだ。中身は重箱で、色とりどりのおかずが詰められていることまで想像できる。購買部のもっさりしたパンと重箱弁当をうっかり秤にかけてしまったのは痛恨のミスだった。アリサが作ったのなら、そつなく美味しいものが出てくるような気がする。購買部に罪は無いが、後ろ髪も引かれない。
「ええー。そんな悪いですよ」
口では否定しつつも、クーヤの足はもはや購買部には向いていない。
「一人では食べきれないしさ。遠慮しないで」
謙遜は美徳だが、何事も過ぎたるは及ばざるがごとしだ。クーヤはお呼ばれすることに決めた。アリサの三歩後ろに位置取りをする。古文書に載っていた。
男を篭絡するための四十八手。
自衛のつもりで読破したが、まさか実行に移すときがこようとは。
「あれ? どうしてそんな後ろを歩いてるの?」
素で突っ込まれた。クーヤとしては笑うしかない。インチキ本だったらしい。気を取り直してアリサの隣を歩くことにする。
「良妻プレイです。気にしないでください」
「そう。なんだかよくわからないけど、楽しそうだね」
楽しそうなのはお前だろ、とクーヤは突っ込みを入れそうになる。
見た目に騙された男の哀れな末路を想像してクーヤは同情した。
しかし、クーヤはそこではたと気づいた。
たぶん、おそらく、まだ確信は持てないが、アリサはクーヤのことを。
自慢にはならないが、クーヤは男受けする容姿をしている。
男の気持ちなら手に取るようにわかる。なにしろ同性だ。それゆえに良心の呵責に苛まれた。食欲に任せて安請け合いをしてしまったような気がした。
後ろめたさに後押しされた部分が無かったとは言えない。しかし、アリサの願いをできるだけ叶えてやりたい。それもクーヤの嘘偽りの無い本心だった。
「折角だから、屋上に行きましょう」
クーヤはアリサの手を取った。
少し戸惑ったような、それでいて嬉しそうなアリサの顔がなぜか強く印象に残った。
クーヤは深く考えないようにした。しかし、もう一度アリサの顔をのぞき見る勇気は持てなかった。
ちなみに包みの中身は予想通り重箱弁当だった。和洋折衷のおかずはどれも絶品だった。
何だか申し訳ない気持ちになったクーヤだった。
「ねー。クーヤ。噂になってるよ。二人でお弁当広げてたって」
放課後の教室には西日が差し込んでいるが、まばらに人が残っている。反論しようとクーヤが口を開こうとしたら、ポッキーを突っ込まれた。
「あー。しゃべるのはあまりオススメできないかなぁ。噂はしょせん噂。けれど本人が話すことは噂じゃないからねぇ。おんなじこと聞くって言ったけど、聞けなくなっちゃったじゃない。隠れて何かやってるのは別にいんだけどね。迂闊すぎるよ。そんなんじゃ、第二、第三の探偵さんが現れて、今に収拾つかなくなるよ。ゾンビにはなりたくないでしょ?」
唯はポッキーをクーヤの口にぐいぐいと押し込んでくる。
「クーヤがどうしたいのか全然わかんない。私、忠告したよね? 相互不可侵条約の話。女子の間では暗黙の了解事項なの。クーヤも女子、だよね?」
あからさまに昼食時のことを話題にしているのに、アリサの名前は一度も出さない。
クーヤは素直に感心していた。唯の口ぶりだと、噂は大分広がって一人歩きを始めていそうだ。ポッキーと一緒にある程度の事情も飲み込めた。
「その点は大丈夫。私、全然その気ないから」
何しろ相手は男だ。色恋沙汰に発展する可能性は万に一つも無い。
「その気も無いのに相手してるの? 周りからどういう目で見られてるか……気づいてないでしょ? 面倒くさいことになるよ。絶対」
「ただの友達だよ?」
「相手はそうは思ってくれないってこと」
唯は首を横に振ってため息をついた。机に手をついて立ち上がる。
「トイレいこっか?」
有無を言わせぬ唯の迫力にクーヤはうなずくしかなかった。
個室に押し込められた。
言うまでもなく女子トイレの個室だ。唯が後ろ手で鍵をかけるのが見えた。即席の密室空間。逃げ場はない。
「可愛い女の子はね。それだけで標的になるんだよ。そこんとこわかってる?」
唯の人差し指がクーヤの顎を下から持ち上げる。
「わかってるって」
責められる理由が理由だけにクーヤは強く出られない。クーヤにだってアリサを騙しているという罪悪感はある。だが、クーヤにはクーヤの言い分がある。それを説明できないのがもどかしい。
「わかってないよ。相手が誰のことを指しているか、言ってみて」
「……アリサ」
唯の質問の意味がわからない。噂になるような行動はアリサとしかとっていない。噂は唯の耳にも入っているはずだ。わざわざ確認するようなことなのだろうか。
「だからわかってないって言ったの。違うよ。面倒なのはアリサじゃない」
唯はそこで言葉を切ってクーヤに密着すると耳元で囁いた。
「面倒なのはほかの女子、だよ。このままだと嫌がらせされるよ」
「い、嫌がらせ?」
答える代わりに唯の手が伸びてきた。未知の感覚がクーヤを襲う。
「そ。嫌がらせ」
唯は微笑みながらクーヤの胸を揉む。
クーヤは驚きと不安がない交ぜになって声が出ない。体をよじらせて逃げようとするが、壁に押しつけられていているうえに、唯にぴったりと張りつかれて思うように動けない。
「私だってクーヤには悪戯したくなるもん」
熱い吐息を絡ませながら、唯の右手はクーヤの敏感なところを探り出そうと蠢いている。その手に合わせて複雑に形状を変える自分の胸の膨らみを眺めていると、クーヤは倒錯的な感情に支配されそうになる。
「ん……やぁ、やめっ」
「やめないよ。そんなかわいい声出されてやめられると思う? ね、服脱がすね」
クーヤの返事をまたずにブラウスのボタンに指がかかった。唯の腕をつかんで振りほどこうとするが、思ったよりも力が入らない。簡単に組み敷かれてしまう。
もがくうちにボタンは次々とはずされていく。純白のブラジャーに包まれた豊かな胸が外気に触れてヒヤっとする。
「だ……ダメだって」
「うん。ダメだね。でもやめない」
唯の中指と人差し指が下着の上から器用にクーヤの胸の突起を挟み込んだ。
「んんんっ!」
声にならない悲鳴が喉から漏れた。その大きさに愕然としてクーヤは片手で口を塞ぐ。そのせいで下半身の防備がおろそかになったのを見逃さず、唯の左手がスカートの中に忍び込んできた。クーヤは両手で押しとどめる。
「やだ。やめよ。ユイ。ねぇ。やめてよ」
「クーヤのこと気になっている子だっていると思うよ。こういうことしたいって」
首筋に吸いつかれた。そのまま鎖骨の上のくぼみにかけてゆっくりと唇で愛撫される。
クーヤは恥ずかしさと混乱でぐちゃぐちゃだった。
昼食後に飲んだ薬の効果が持続しているせいなのか、体が元に戻る予兆は感じられない。しかし、唯に触れられるたびに予期しない反応を返す自分の肉体がクーヤは恐ろしくなってきた。クーヤの、つまり女の子の人格が顕在化して、肉体まで支配し始めているかのようだった。
「ねぇ。おっぱいやわらかいね。自分でしたことある?」
「そ、そんなのあるわけない」
唯は下着の中に指を滑り込ませて、クーヤの胸を直接触り始めた。
足に力が入らず生まれたての小鹿のように震えてしまう。そしてついにスカートの中への侵入を許した。
「もうやだよ。やめてよ。どうしてこんなことするの?」
必死に搾り出した声はかすれていた。
「私ね。クーヤ見てて思ったの。たぶんどっちでもいいんだって」
「どっち、うんっ。でもいいって」
内ももを撫でられてこそばゆい。肉体の変化をかつてないほど意識させられているのに、体は全然戻ってくれない。それよりもクーヤは下腹にたまり始めたもどかしさのほうが気になり始めていた。身を委ねてしまいたくなる甘い誘惑に神経が擦り切れそうだ。。
「女の子が相手でもいいかなって。そういうこと」
唯の手がクーヤの秘密に触れる。クーヤの感覚ではそこには何も無いはずだったが、口からは艶を帯びた熱いものがひとりでに漏れ出した。
クーヤは恐ろしくなって唯を突き飛ばした。だが、唯は体を捻って衝撃をずらし、ぞっとするほど妖しく微笑む。
「ね。ホントやめて。女の子同士でそういうことする気になれないから。唯の気持ちは尊重するし、唯が女の子を好きでもかまわないけど、私は応えられないの。これ以上すると強姦だよ。唯のこと嫌いになりたくない」
クーヤは意を決してかなり強く出たつもりだったが、実際に出すことができたのは蚊の鳴くような声だった。きっと目尻に涙もたまっている。悲しさと悔しさでいっぱいだった。
唯はクーヤのパンツに指をかけたままでその反応を楽しんでいるかのように笑っていたが
「うん。やめるね」
と、それまでの言動が嘘のようにあっさりとクーヤの体を解放した。
「ふぇ?」
塞き止めていた涙が安心を上乗せされたせいで少し漏れた。止めようと思っても止められない。
「あー。もう。泣かない。泣かない。よしよし。いい子いい子」
自分より頭半分小さな唯に抱きしめられて撫でられてしまう。
身の危険は去ったようだが、クーヤの混乱はますます混濁の度合いを深めていく。
「自重しないと。いじめられるよ? 女の敵は女って聞いたことくらいあるでしょ? 確かめたらちゃんと女の子の体だし。どうなってるの? いい加減教えてよ」
クーヤは事態の急変についていけず、話すべき内容も思いつかず、けれども一つだけ確かなことに思い当たった。
「だ、だましたな」
「それはお互い様、だよね? クーヤは騙されやすいんだから気をつけなよ」
唯は話しながらも、テキパキとクーヤの乱れた衣服を直していく。
「誰が敵で誰が味方かくらいは見極めないと。なんかキナ臭いよ、あの二人」
「ナズナとスノッブのこと? まさか」
「それにアリサも、かな。アリサはまだわからないけど要注意。ところでクーヤは隠す気あるの? それならそれで私も知らないふりを続けるつもり。別に大した問題じゃないからね、それは。ちなみに私はいつでもクーヤの味方だよ」
最悪の出会いを果たした唯がナズナとスノッブの二人に悪感情を持つのはうなずける。しかしアリサとなると話は別だ。唯とアリサには接点が無いように思える。幼なじみの深く落ち着いた瞳にはいったい何が映っているのだろうか。
「一次ソースに当たってみるまでは信じたくなかったけど。こりゃ時間の問題かな」
困ったように呟いた唯の横顔から推察すると、事態はクーヤの思っているよりもずっと深刻なのかもしれない。
「ところで、どうやったらおっぱいって大きくなるの?」
とぼけたことを言いながら、唯は自分の薄い胸を両手で押さえている。確かに起伏の乏しい体をしている。
「なんか失礼なこと考えてない? クーヤは顔に出すぎだよ」
「……ユイは勘が良すぎ、だよ」
意味ありげに相好を崩した唯を見て、クーヤは嘆息するしかなかった。




