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90s nostalgia Ⅶ

「おー。青春、青春!」

 空也と唯が消えた先をスノッブは手をかざして見送った。

「感じわっる」

 ナズナは地面をつま先で蹴った。砂ぼこりが舞い上がる。傍目からでもへそを曲げているのは明らかだろうが、スノッブに対して隠すこともないと思う。

「行きたいんなら行きなよ。いつも言ってるだろ? ナズナの好きにしていいって。自分から残るって言ったくせに」

 スノッブはへらへらとしまりの無い顔をして笑っている。

 空也も空也だ。止めなかったからといって、黙って行くのは無い。行って欲しくなかったから、目で合図を送っていたのだ。それくらい察して欲しい。

「まさか本気で好きなの? やめときなって。ありゃ、ろくでもないガキだぜ。ギブ&テイク。空也には夢を見させてあげて、僕らは夢を叶える。そういう話。ミイラになった美人局なんてお笑い草にもなりゃしないよ?」

「ミイラ取りがミイラになるって言いたいの? 感じわっる」

 空也のことよりも自分には優先すべき目的がある。最初から仲良くなるつもりは無かった。あくまでビジネスライクな関係を貫き通すつもりだ。頭ではわかっている。それなのに、何故かいらいらがつのる自分の心が、ナズナには全く理解不能だった。

「にらむなって。折角美人なんだしさ」

 背後に回ったスノッブの腕が肩越しに伸びてきて、ナズナの体を優しく抱きすくめた。少しだけくたびれた男の人の匂いがする。嗅ぎ慣れた匂いだった。

「ねぇ。やたら引っつくのやめてくれない? 私、もう子供じゃないよ?」

「わかってる。わかってる」

 口ではそう言うが、スノッブは離れるつもりはないようだ。ざらざらとした無精ひげが頬に刺さりチクチクとむずがゆい。

「もう。わかってないでしょ」

「わかってるよー。いい匂いがするし、女らしくなってる」

「うわっ。セクハラ。おっさん化激しいよ、最近」

 スノッブは苦い顔をした。そう言えば近頃太りやすくなったと嘆いていたのを思い出した。少し傷つけてしまったようだ。

 物心がつく前から溺愛されてきたから知っている。スノッブはナズナが本気で嫌がることは絶対にしない。三つ子の魂百まで、とはよく言ったもので、いまさら嫌いになんてなれなかった。

「お兄ちゃんと結婚するー、て懐いてくれてた時が懐かしい。悲しいよ、おじさんは」

 よよよっとしなを作って泣き真似をするスノッブは、やはり鬱陶しいかもしれないとナズナは思い直した。

「いつの話よ、それ。時効よ、時効。いつまでも引きずってんな」

 ナズナがスノッブの腕を振り解いて抜け出すと、スノッブは微妙に寂しそうな表情を浮かべた。一回りも年が離れているのに、そうとは思えないほどたまに幼い顔を見せる。ナズナはなんだか楽しくなってきて、スノッブの胸に飛び込んだ。

「もう少しだけ、スノッブだけのお姫様でいてあげるからね」

 腰の後ろに手を回し微笑みかけると、スノッブは決まりが悪そうに頭をかいた。

「そんなこと言わずにずっと側にいてくれよ。あれはやめとけ。あの場面で女と二人で行っちまうようなやつにナズナは任せられんよ。わりとマジで」

「だからなんでそこで空也が出てくるのよ。怒るよ。わりとマジで」

 ナズナがジトっとにらむと、スノッブは笑いながらナズナの頭をぽんぽんっと撫でた。丸きり子ども扱いされているが、ナズナは気持ちよく甘えさせてもらうことにした。

「それにしても……ナズナ、もしかして少し太った?」

「太ってないよ。なんで?」

「あー……太ってないのか。そうか。おかしなこと言った。忘れてくれ」

 スノッブは目を逸らしてなんとなく調子が悪そうな感じだ。

「何か隠してるでしょ? 隠し事は無しにして」

ナズナは笑いながらスノッブの体を引き寄せて逃げられないようにする。

「ちょ。ばか。ナズナ。そんなにしたら」

「何焦ってるの? うりうりー」

 慌てふためくスノッブの反応が予想外に面白くて、ナズナは体を摺り寄せた。その結果、ナズナは気づかされてしまった。スノッブが隠していた秘密に。正直後悔した。言葉が見つからない。顔が火照ってくる。

「だから言ったのに。引っ付きすぎだ、ばか。ナズナのことはそういう目で見てないつもりだけど、俺も男だからな」

「ご、ごめん。私そんなつもりじゃ。でも、そんな。これって。そういうことなの? そんな。だって私だよ。お風呂だって一緒に入ったことあるし。これって私のせい? 平気! 平気だから! 悪いのは私だし」

「あー。もういいから。とりあえず離れて。ずっとこのままだとツライ」

 スノッブにたしなめられて、ナズナは少しだけ我を取り戻した。スノッブの言うとおりだ。恥ずかしいのはむしろスノッブのほうだ。スノッブから距離を取って深呼吸する。

 注目してはいけないと思っていてもありありと主張するその存在感はとても無視できない。視線が誘導される。男の人は興奮するとそうなるとは知っていたけれど……スノッブに何と言って声をかければ良いのか。ナズナにはわからなかった。

「あんま気にすんな。俺もナズナ相手にこんなんなるとは思ってなかったから。これから気をつけような。お互いに。それで、この話はおしまいにして、これまで通りにやってくれるとありがたい」

 ナズナはぶんぶんと頭を振ってうなずいた。

 しかし、当分忘れることはできそうになかった。


 アレクサンドリア図書館。

 その象牙色の列柱の壮麗さに魅せられ立ち尽くすものは後を経たなかったらしい。古代ギリシア時代のドーリア建築様式を想起させると言われているが、詳しいことは空也にはわからない。スノッブに言わせると色々間違っているらしいが、それで建物の美しさそのものが損なわれるわけでも無いので、空也は気にならなかった。

「パルテノン神殿?」

 最もありきたりな感想を口にする唯だった。しかし、初めて訪れた時の空也の感想はもっとひどいものだったので、とても馬鹿にはできない。宇宙を感じる、と電波なことを言ってしまった。それもスノッブの前で。スノッブの反応は推して知るべし。思い出したくも無かった。

 館内は空調が行き届いていて、すこぶる快適な環境が保たれている。

 空也の背丈よりもはるかに大きな書架が並んでいるが、それらをひとまず無視して、奥のエレベーターから地下に潜る。

 膨大な書籍、映像、音楽、ゲーム。

 それらは参照回数を元にしてソートされている。つまり、人気のあるものが自動的に上層に配置される仕組みだ。ただし、年齢制限のあるものは下層に配置される。十八禁仕様のものは地下十八階から。気になりながらも空也は未だ足を踏み入れたことがない。

 地下七階に着いた。エスパーマミーの二巻を本棚から抜き出す。一度ブックマークしてしまえば、あとはわざわざ足を運ばなくても借りることができる。

空也から本を受け取った唯はぱらぱらと数ページめくると、すぐにそれを閉じた。

「さて、と。空也に聞いてみたいことがあったの。実は」

「なんだよ。改まって。もしかしてナズナのこと? それともまさかスノッブ?」

 空也が思いつく限りはそれくらいしかないのだが、唯は静かに首を振った。

「空也はこの本読んだことあるんだよね?」

「ああ。うん。いや……どうだったかな。内容までは覚えてないかも……」

 不穏な空気を感じた空也は曖昧に言葉を濁した。閲覧履歴には空也の名前が残っているはずだ。見ればわかる。そんなことをわざわざ尋ねる唯の真意を量りかねていた。

「クラスの友達から借りたって言ったよね。でも、それにしては変なの。エスパーマミーの閲覧履歴に残っているのは三人の名前だけ。全部は見てないんだけどね。過去三ヶ月間の記録にはそれだけだった。誰の名前があったと思う?」

 空也は咄嗟に答えられない。空也とナズナとスノッブの名前が記録されている。それは知っている。 しかし、答えるべきか否かの判断がつかない。唯の疑惑は晴れていなかった。そしてその種は芽吹き、すくすくと成長していた。

 空也とクーヤが繋がる。

 それだけは何としても阻止しなければならない。

「空也とナズナとスノッブ、だよ。これって変だよね。単純に考えて一人足りないよね。私に貸してくれた友達の名前が無いの。どうしてかな?」

 唯の中ですでに結論は出ているのかもしれない。最後の確認作業を行っている。そんな感じに思える。空也は類似の場面を見たことがあった。エスパーマミーに追い詰められた犯人。その心境がこれほどまでに胸に迫って感じられるとは。空也は自白させられ、白目を向いたゾンビとして復活する。現実と空想が絶妙に混ざり合う。打ち切りを回避しなければ!

「記録を残さないようにすることもできるんだよ。他人に知られたくない趣味もあるよね。たぶん、そのせいじゃないかな?」

 嘘はついていない。やろうと思えばできるのだ。エスパーマミーに年齢制限はついていないが、暴力シーンやグロテスクな表現が含まれているので、それなりに説得力のある答えだった。

「ふーん。そう。空也がそう言うなら、そういうことにしておこっか」

 笑う唯の目は全く納得しているようには見えない。

 空也も誤魔化しきれたとは思っていない。

「今度、学校でクーヤに会ったらおんなじこと聞くから。それまでに騙されてもいいなって思える答えを用意しておいてね。矛盾があったら突いちゃうから」

「俺にそれを言っても仕方ないんじゃないかなぁ。貸してくれた友達に言わないと」

 空也は慎重に言葉を選んだ。うかつな返事をしようものなら、自分でクーヤその人だと認めたことになりそうだった。

「そうだよね。あはは。わたし何言ってるんだろ」

「ははは。唯はお茶目さんだなぁ」

 白々しい笑い声の二重奏が館内に響き渡った。


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