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余白の代筆令嬢は、霜領侯爵に春を綴る  作者: 銀細工ナギ


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雪解け祭の妨害

 北領へ戻った日の朝、フォルクレア城の門前には、春を待つ荷車ではなく、止められた荷車が並んでいた。

 麦袋に封をした商人、蜜蝋を抱えた娘、祭に飾る布を積んだ老人。誰もが厚い手袋の中で紙片を握りしめ、門番に詰め寄ることもできず、白い息だけを吐いている。

「全て、王都検査印つきの停止状です」

 家令が差し出した束を、レオナールは無言で受け取った。

 停止状には、公開筆記の証拠保全のため、北領へ出入りする季節便、商業便、公用書簡を一時検査する、とある。丁寧な文面だった。だが余白は、王都の棚へ閉じ込められた手紙たちの息苦しさで暗く濁っている。

 ミリアは一枚ずつ指先で確かめた。

「本文は同じです。でも、余白の急ぎ方が違います。これを書いた筆記官たちは、内容を知らされずに清書だけさせられています」

「つまり、命じた者は隠れている」

「はい。局長名は出していません」

 レオナールの眉間に深い影が落ちた。

 雪解け祭は、北領が長い冬の終わりを確かめる日だ。各村が種と道具を交換し、子どもたちは川辺に小さな灯を流す。春が遅れている今年は、祭そのものが領民の気持ちをつなぎ直す大切な約束だった。

 その約束に必要な招待状も、種の引換札も、橋の補修材の注文書も止められている。

「祭を延期なさいますか」

 家令の問いに、広間が静まった。

 レオナールは答えなかった。彼は領主として、危険な祭を強行することも、軽々しく望みを折ることもできない。その沈黙が、ミリアには痛いほどわかった。

 だから彼女は、自分の仕事の範囲から考えた。

「王都の検査が止めたのは、王都を通る便です」

 全員の視線が集まる。

「領内で直接渡される口述記録と、村ごとの保管台帳までは止められていません。書簡庁の規則でも、災害時の安否札は領主裁量で巡回できます」

 サビーネなら、ここで必ず条文番号を確認する。ミリアは旅鞄から小さな規則帳を取り出し、折り目のついた頁を開いた。

「第十九条。積雪、橋梁不通、季節魔法の乱れがある場合、領内代筆官は臨時の聞き書き所を設け、宛先と本文の控えを二部作成できる。一部は相手へ、もう一部は領主館へ」

 家令が目を見開いた。

「しかし、領内代筆官など今は」

「私がいます」

 言ってから、ミリアは少しだけ息を吸った。王都ではいつも、誰かの許可を待つように名前を小さくしていた。けれど今は、門前で止められた人々がこちらを見ている。

「仮婚約者としてではなく、代筆官として。聞き書き所を開かせてください」

 レオナールは一拍置き、静かに頷いた。

「必要な人員をつける。命令ではない。君の判断に任せる」

 その言葉で、胸の奥に残っていた霜が少し溶けた。


 昼までに、城の古い食堂は臨時の書簡所へ変わった。

 長卓の端ではパン屋の妻が、南村へ送る酵母の分け札を口述した。鍛冶屋の少年は、橋釘の本数を何度も数え直す。羊飼いの娘は、吹雪で遅れた祖母への手紙を、祭の灯に間に合うようにと頼んだ。

 ミリアは書き、読み返し、宛先を確かめ、控えを重ねた。

 領民たちは最初、貴族の婚約者に頼むことをためらった。だが彼女がインクで指先を汚し、聞き取れない訛りを何度でも尋ねると、少しずつ声が増えた。

「北崖の猟師道なら、橇が通れる」

「鐘楼から鐘楼へ、灯の数で合図できるわ」

「うちの甥は川の氷を読むのがうまい。薄い場所を避けて印を立てられる」

 止められていたのは紙だけではなかった。誰もが知っている小道や手順まで、王都の大きな封印に押し黙らされていたのだ。

 ミリアはその声を一つずつ台帳に写した。

「では、村ごとに三つの便を作ります。荷物は猟師道。急ぎの知らせは鐘楼。本文の控えは、巡回する代筆箱へ。誰が運んだか、必ず署名を残してください」

「署名があれば、後で王都に文句を言われても答えられるのかい」

 老人の問いに、ミリアは頷いた。

「はい。誰かの声をなかったことにさせないための署名です」

 その言葉を聞いた商人が、停止状を握り潰すのをやめ、代わりに自分の名を大きく書いた。


 夕方、城下の広場には小さな灯が並び始めた。

 まだ雪は深い。川の氷も固い。けれど各村へ向かう橇には、祭の飾りと種の引換札、そして二部ずつ控えを取った手紙が積まれている。

 レオナールは広場の端で、出発する領民を一人ずつ見送っていた。無口な侯爵に、今日は誰も怯えていない。彼の沈黙が、この場を守る壁になっていると知っているからだ。

 ミリアが最後の代筆箱に封をすると、家令が顔を曇らせて近づいてきた。

「臨時便は動きます。ですが、王室季節監査へ送る原本だけは別です。王都道も南の駅舎も検査で塞がれています」

 差し出された地図には、赤い印がいくつも付いていた。残る道は一つ。北の峡谷を渡る、冬の終わりだけ現れる氷橋だった。

 ミリアの喉がきゅっと縮む。そこは領民でさえ、夜明け前の短い時間にしか渡らない危うい道だ。

「原本が届かなければ、公開筆記は写しのまま扱われる」

 レオナールの声は低かった。

 広場では、子どもたちが雪の上に灯を置いている。小さな火は風に揺れながらも消えない。届けると決めた声が、いくつも北の夜へ伸びていく。

 ミリアは代筆箱の封蝋に手を添えた。

「止められた便の余白は、もう読みました。次は、止められない道を選ぶ番です」

 レオナールが彼女を見る。その瞳には、領主の決意と、彼女を案じる静かな熱が同じだけ宿っていた。

「明朝、氷橋を調べる」

「私も記録します」

 彼は止めなかった。ただ、手袋越しにミリアの指先を一度だけ包む。

 雪解け祭の最初の鐘が鳴った。王都に塞がれた春を待つのではなく、自分たちの手で迎えに行くための鐘だった。

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