#001 『 The Fateful Meeting That Sparked It All』
この世界には、太古より、選ばれし者のみが手にする「力」が存在する。
火、水、風――自然を操る力。
肉体を極限まで高める身体強化。
獣の感覚を得る異能。
精神、空間、因果に干渉する奇跡。
そのすべてを、人々はこう呼んだ。
――絶大な力。
この「力」は神の祝福か、悪魔の誘惑か。
それを得た者は、等しく世界の歯車となる。
そしてこの日。
その歯車は、静かに、しかし確実に噛み合い始めていた。
in.W.C.Dec.1991
エーデル連邦共和国ホルッシュ州・アーレンスブルク町
白亜の城が、朝陽を背に浮かび上がり、優美なルネサンス様式の塔楼。
幾何学模様の装飾。
磨き上げられた大理石の回廊。
それは、今なお失われぬ王権の証
――この町の象徴、アーレンスブルク城。
城の一室。
高い天井と大窓に囲まれた静謐の間で、一人の男が椅子に身を預けていた。
全身を包む、異様なほど純白の装束。
白磁のような肌。
妖しく光を宿す紫の瞳。
指先で弄ぶのは、チェスのクイーン。
「……粘るねぇ。実に」
くすり、と。
愉悦を含んだ微笑が、薄い唇に浮かぶ。
「でも――それがいい」
彼は、窓の外を見下ろした。
世界が、軋む。
運命が、歪む。
それを、ただ一人、愉しむ者。
その名は――サタン。
「さぁ……舞台は整った」
チェス盤の上、クイーンを倒す。
乾いた音が、静寂を裂いた。
ザルタ連邦共和国ハンゼン州――その州都、ハンゼン市。
陽光が石畳を照らし、港町は今日も喧噪に満ちていた。
商人の呼び声。
酒場の笑い声。
船の汽笛。
水面を叩く波音。
世界有数の港湾都市――ハンゼン。
だが、その裏路地では、少女の荒い息遣いが響いていた。
「……っ、はぁ……はぁ……!」
細い脚で、必死に走る。
振り返れば、二つの影。
「見失うな!」
「追えッ!」
追っ手の男たちの怒号が、背中に突き刺さる。
少女は角を曲がると同時に、積み上げられた木箱の影に滑り込んだ。
息を殺す。
足音が、左右へと分かれ――遠ざかる。
……静寂。
少女は、そっと空を仰いだ。
雲一つない蒼穹。
どこまでも澄んだ青。
「……今日の空……こんなに……」
知らず、涙が零れた。
この日、この場所で。
運命の歯車は、確かに回り始めた。
北の大地に広がるこの港町は、人口およそ180万。世界屈指の港湾都市として知られ、「水の都市」の異名を持つ。
街の中には、無数の運河と川が蜘蛛の巣のように張り巡らされ、石造りの建物と赤レンガの倉庫群が水面に影を落としている。その光景は、まるで巨大な迷宮のようだった。
ハンゼンを象徴するものは、3つ。
1つは、街のどこからでも見える「聖ミヒャエリ教会」。
天を突くようにそびえる尖塔は、古くから船乗りたちの道標となり、港町の希望の象徴として語り継がれてきた。
2つ目は、港湾地区に広がる赤レンガの倉庫街「シュライザーシュタット」。
運河沿いに連なる巨大な倉庫群は、物流の要であると同時に、歴史と美が融合したハンゼンの誇りでもある。
そして3つ目が、「ハンゼン港」。
“ザルタの門”と称されるこの港には、巨大な貨物船と無数の帆船がひしめき合い、昼夜を問わず人と物が行き交っている。
そのハンゼン港に、今、ひとつの危険な情報がもたらされようとしていた。
闇市場への出品を目的として、違法な人工フォース結晶が密かにハンゼンへ持ち込まれた――。
その情報を受け、正義軍大佐ラウル・クロード率いる精鋭部隊、「クロード隊」10名が即応出動。
空からの強襲奪還作戦を敢行すべく、軍事用航空機は雲海を切り裂き、目標地点へと向かった。
高度3万フィート。
緯度53.5511°N、経度9.9937°E――目標上空。
警告音とともにハッチが開き、氷の刃のような冷気が機内に吹き込む。
並ぶのは、最先端の特殊装備に身を包んだ10の影。
酸素供給装置、暗視ゴーグル、精密高度計、低騒音ブーツ、極寒と気圧変化に耐える降下スーツ。
そのすべてが、この瞬間のために存在していた。
沈黙の中、無線に低く澄んだ声が響く。
「――降下」
次の瞬間、10人の兵士は、一斉に蒼天へと身を躍らせた。
遥か眼下に広がる港湾都市ハンゼン。
夜と闇を切り裂く流星のように、正義軍の精鋭たちは、戦場へと落ちていく――。
――聖ミヒャエリ教会の鐘が、昼の空に高く鳴り響く。
その近く、石畳の裏通りに構える飲食店「ヴィント・フェー」は、昼間だというのに活気に満ちていた。
陽気な笑い声とビールジョッキのぶつかる音が店内に響き渡る。
カウンター席。その一角に、ひときわ目を引く男がいた。
黒髪に黒ズボン、白シャツの上には黒いフード付きマント──まるで影そのものが人の形を成したかのような装い。
その男、リオン・リーブスは無言でグラスの水を揺らしていた。
そんな彼に、ひときわ元気な声が飛んだ。
「やぁ、旅のお兄さん。見ない顔だね、どこから来たんだい?」
にこにこ顔の店主が、カウンター越しに話しかける。
リオンは軽く目を上げ、穏やかな声で答えた。
「ルーベルから来ました。少し用事がありまして」
「へぇ、西の国から!じゃあ、ハンゼンの街は初めてかい?」
「ええ。……随分と賑やかで、少し驚きました」
店主は愉快そうに笑う。
「ははっ、それはこの店のせいだな。昼間っから飲んだくれてる連中が多いもんでね!」
「なるほど……活気があるのは、悪くないですね」
「ところで、みんなが飲んでるのが気になるかい?」
「ええ。もしおすすめでしたら、一杯いただいても?」
「おっ、いいね!“アストラ・ウアティプ”だ。軽くて飲みやすいが、味は保証するよ」
「では、それをお願いします」
「はいよ!」
店主がジョッキを差し出す。
リオンは一口含み、静かに息を吐いた。
「……優しい苦味ですね。とても飲みやすい」
「だろ?この街の誇りみたいなもんさ」
「なるほど……旅の疲れが、少し癒えた気がします」
「で、兄さんは何しにハンゼンへ?」
リオンは苦笑し、視線を伏せる。
「さあ……ただの旅人、ということにしておいてください。詮索されるのは、少し苦手で」
「ははっ、こりゃ一本取られた」
ふと、教会の鐘が二人の間を切るように鳴り響いた。
カラン、カラン──
高く澄んだ音が、街の空気を静かに震わせる。
「……綺麗な音ですね」
「だろ?聖ミヒャエリ教会の鐘は、この街の象徴なんだ」
店主は少し声を落とし、語り始めた。
「この街には、昔から“風の妖精”の言い伝えがあってね」
「風の……妖精?」
「“ヴィント・フェー”っていうんだ。この店の名前も、そこから取った」
「素敵な由来ですね。それで……どんな存在なんですか?」
「港に白い服の女が現れる夜は、必ず海が荒れる。彼女を見た船乗りは、航海を取りやめる。
……海と風を司る、守り神であり、災いの象徴でもあるらしい」
「……人が、自然に敬意と畏怖を抱いていた証、というわけですね」
「兄さん、ずいぶん哲学的だな」
「いえ……ただ、そう感じただけです」
リオンは静かにジョッキを傾けながら、ふと視線を空へ向ける。
(……嫌な気配ですね)
空の一点に、微かな黒点が散らばっている。
(あの高度……空挺部隊? 数も多い……)
彼の表情が、ほんの一瞬だけ引き締まる。
「お兄さん?」
「……いえ。何でもありません。少し、空の様子が気になっただけです」
店主が皿を差し出す。
「はい、サービス。話を聞いてくれたお礼さ」
「え……頼んでいませんが」
「気にしないで。旅人には、優しくしろって亡くなった母親の教えでね」
「……それは、ありがたいです」
一口食べた瞬間、リオンの目がわずかに見開かれる。
「……とても、美味しい」
「だろ?“フィッシュブレートヒェン”。この街じゃ定番さ」
「魚の旨味と、パンの香ばしさ……素晴らしい組み合わせですね」
「兄さん、ずいぶん素直に褒めるな」
「美味しいものは、美味しいですから。嘘はつけません」
「ははっ、気に入ったなら何よりだ」
ビールと神話、そして空から忍び寄る異変。
リオン・リーブスの“初日”は、静かに、しかし確実に運命の歯車を回し始めていた。
――シュライザーシュタット、工場区上空。
灰色の雲を背に、正義軍精鋭部隊は屋上に伏せていた。
「……クロード大佐の読み通りだな」
無線に、冷え切った声が走る。
ジェラート・ジュール軍曹。バイザー越しでもわかる、刃のような視線。整えられたプラチナブロンドと無駄のない動作が、彼の完璧主義を物語っていた。
アレンは小さく眉を寄せる。
実力は認めている。だが、あの冷たさだけは、どうにも苦手だった。
「罠に引っかかった、ってとこですかね」
穏やかな声で返すと、通信に軽薄な笑いが割り込む。
「ははっ、見事に踊ってくれてるな。闇組織ってやつも」
ディアス・ロックマン軍曹。
陽気な口調とは裏腹に、その目は獲物を狙う獣のそれだった。
スコープ越しに、工場の動きが加速する。
シャッターが開き、積荷を抱えたトラックが次々と発進準備に入る。
「……ターゲット確認。輸送開始」
「逃がすな」
ジェラートの声と同時に、空気が張り詰めた。
その隣で、コイル・マイルティ伍長が息を呑む。
アレン・ユーキ曹長はそっと肩を叩いた。
「深呼吸。大丈夫、君は優秀だ」
「……うん」
小さく頷く少年に、背後から雑な声が飛ぶ。
「終わったら奢れよ、天才坊や」
ラスティ・マクラー伍長が、にやりと笑った。
そして――
「……カウント、ゼロ」
ジェラートの宣告。
次の瞬間。
――ドォォン!!
工場区一帯を揺るがす爆発。
爆炎が連鎖し、衝撃波が建物を引き裂く。瓦礫と火花が雨のように降り注ぎ、街が一瞬で戦場へと変貌した。
同時に、港から突入した海上部隊が砲撃を開始。
ロケット弾が外壁を穿ち、トラックが次々と炎に包まれて爆散する。
悲鳴、轟音、警報。
混沌の中で、アレンは叫んだ。
「――今だ! 突入するぞ!」
赤き精鋭部隊が、一斉に屋上から飛び出す。
煙と火炎を切り裂き、闇の巣窟へ――
戦いの幕が、今、切って落とされた。
――シュライザー・シュタットの裏路地。
少女が、影のように駆けていた。
荒い息。軋む喉。背後から迫る、獣じみた怒号。
「待てぇ!」
「逃げられると思うな!」
追われる少女――クラリス。
足は鉛のように重く、心臓が限界を告げる。
――その時。
胸の奥で、かつての声が蘇る。
『クラリス。お前は、この世界の“光”だ』
(……私は、逃げない)
歯を食いしばった、その瞬間。
――ドンッ!
曲がり角で、誰かと激突した。
「きゃっ……!」
倒れ込むクラリスの視界に、黒いマントの男が映る。
「……大丈夫か?」
リオン・リーブス。
追っ手の男たちが、すぐ背後まで迫っていた。
「やっと捕まえたぞ、小娘!」
「さぁ、観念しろ!」
男の手が、乱暴にクラリスの腕を掴む。
「……助け――」
声は、最後まで出なかった。
「――離せ」
低く、鋭い声。
「……あ?」
次の瞬間。
ドカァン!!
閃光のような拳が、男を吹き飛ばした。
残った一人が、怯えながら叫ぶ。
「お、おい! サタン様に逆らう気か!」
「……サタン?」
リオンの瞳が、氷のように冷える。
ドカァン!!
二人目も地に沈んだ。
胸倉を掴み、リオンは低く告げる。
「望むところだ。……俺も、そいつに用があるんだよ」
男は恐怖に震え、何度も頷く。
やがて、闇へと逃げ去った。
静寂が戻る路地。
リオンは膝をつき、震えるクラリスにマントをかける。
「……無事でよかった」
クラリスは、かすかに笑った。
「……ありがとう」
その瞬間。
――ドォォン!!
隣接するハンゼン港から、空気を引き裂く爆音。
地面が揺れ、遠くに黒煙が立ち上る。
リオンは、即座に港の方角へ視線を走らせた。
「……嫌な予感がする」
彼はクラリスを見て、静かに言う。
「安全な場所に避難して。すぐ戻る」
言い終えるより早く、リオンは爆音のした方角へ駆け出した。
背中を見送るクラリスの胸に、
得体の知れない鼓動が生まれる。
その出会いが、
やがて世界を揺るがす“運命”の始まりになることを、
この時、二人はまだ知らなかった。
――ハンゼン港・倉庫区域。
銃声と爆発が交錯し、港湾一帯は戦場と化していた。
まるで地獄の門が開いたかのような轟音が、昼の空を引き裂く。
迎撃に出た闇組織の装甲車両が、次々と爆散した。
――ドォォン!!
事前に仕掛けられた爆薬が誘爆。
鋼鉄の巨体が宙を舞い、炎と破片が港を覆い尽くす。
「……罠は、綺麗に決まったな」
瓦礫の雨を背に、正義軍潜入部隊が一斉に突入。
破壊されたゲートを突破し、工場の搬出口へ肉薄する。
そこには、横転した三台のトラック。
荷台に鎮座する、冷たく輝く結晶。
――人工フォース結晶。
今回の作戦、その核心。
敵兵が銃口を向けるより早く、乾いた狙撃音が鳴った。
――パンッ。
弾丸は正確に眉間を貫き、男は崩れ落ちる。
着地したジェラート軍曹が、即座に指示を飛ばす。
「施設と運搬不能な装備はすべて破壊。クリスタは五つ……この三つを確保。残り二つは内部だな?」
「俺とラスティで回収する!」
アレンが即答し、すでに駆け出していた。
「ジェラート、ここは任せる! トラック起動後、即離脱!」
「了解! 各班、乗車次第、自爆装置を解除!」
ディアスとコイルが運転席へ飛び乗り、ジェラートも一台に滑り込む。
爆煙を背に、トラックが動き出す。
その瞬間、アレンは踵を返し、炎と銃火の渦巻く倉庫内部へと突入した。
――残る《クリスタ》を奪還するために。
――同時刻。ハンゼン港沖。
重厚な軍事艦二隻が、海上に影のように浮かんでいた。
張り詰めた空気の中、片方の艦のデッキに二人の男が立つ。
「そんなに難しい顔をするな、アザール」
軽い口調とは裏腹に、その存在感は絶対的。
正義軍大佐――ラウル・クロード。
声をかけられた艦長アザールは、深く息を吐いた。
「……本部の指示を待ってからでも、遅くはなかったのでは?」
クロードは、海を見つめたまま首を横に振る。
「……遅いな。私の勘がそう告げている」
一言。それだけで、空気が変わった。
彼は懐から一枚の写真を取り出し、指で弾く。
紙片は風に乗り、アザールの手元へ滑り落ちた。
そこに写っていたのは、歪に輝く結晶――
人工フォース結晶。
「闇組織が造る“異能兵器”だ」
仮面の奥から、冷たい光が覗く。
「……あそこから運び出される前に、奪取する」
迷いはない。
そこにあるのは、戦場を支配する者の“決断”だけ。
アザールは、黙って敬礼した。
――ハンゼン倉庫区域・倉庫内。
銃声と閃光が交錯し、鋼鉄の迷宮は戦場と化していた。
硝煙と熱風の中、アレンとラスティが前線を切り裂く。
無駄のない射撃。
正確無比な制圧。
その動きは、もはや新人の域を超えていた。
「ラスティ! クリスタを持って帰還! ここは俺が抑える!」
「了解!」
ラスティが即座に反転し、闇へと消える。
――その瞬間。
天を裂く轟音。
ドォォォン!!
空から叩き込まれた火柱が、床を穿ち、倉庫全体を揺らした。
爆風が視界を奪い、土煙が空間を塗り潰す。
静寂。
そして――
煙の向こうに、ひとつの影。
「……この胸騒ぎの正体は、お前か」
低く、静かな声。
揺れる粉塵の中、二人の視線が交差する。
「……リオン?」
「……アレン?」
一瞬の沈黙。
しかし、その間に、無数の感情が交錯する。
再会なのか困惑なのか。
そして――決定的な“違和感”。
戦場の中心で、
運命は、二人を真正面から向かい合わせた。




