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「ぶぎゃあ!」
突如ピッグマンが悲鳴をあげて倒れた。
白目を向いてピクピクと痙攣している。後頭部からは血が噴出しており完全に気絶している。何者かの奇襲を受けたのだ。
「チッ、崩紫の協力者だなぁ? どこだ! 姿を見せろ! さもねぇと崩紫の命はねぇぞ」
「ヒヒ」
ずっとそこにいたかのようにピッグマンの横に心紅が立っていた。手にはバールを持っている。その先端からは血が滴っている。
(なんで来たんだ!)
真冬は激昂したが動くことはできない。
「ほぅ、なるほどぅ、てめぇがそうやって姿を消したりして崩紫を匿ってたってわけかい、なにもんだ?」
「そんなことはどうでもいいわ。真冬の体から出ていきなさい!」
心紅は一連の流れを見ていたのだ。真冬が乗っ取られているという状況を理解している。
ピッグマンを攻撃したときに使用したバールを振り上げ崩紫(伝法)へと走り出した。
「きゃっ!」
コケた。二歩目で自分の足を蹴り、前のめりに倒れた。
「痛い!」
「カカカ! コイツは傑作だ。手ずから傷を作ってくれるなんてよぉ」
崩紫(伝法)は心紅の額にできた擦り傷を見る。
『憑依』の条件は満たされた。伝法は心紅に乗り移った。
真冬の体は糸が切れた人形のように倒れる。
(カカカ······あれ?)
伝法は心紅の声帯を使って笑おうとしたが思うだけに留る。ただならぬ違和感だ。
(動かせねぇ)
思念体は確実に心紅に憑依している。なのにおかしい。指一本として動かせない。
「言い忘れてたわ。私は魔女よ」
心紅は魂の中にいる伝法に肉声で喋りかける。
(ま、魔女だぁ?)
「魔女には『精神耐性』があるのよ。中でも私は特別でね。死んでもこの魂だけは残るんじゃないかってくらい強い魂を持っているのよ」
(なんだとお!)
「こんなとき貴方なら「掛かったな!」って言うのかしらね。今の私もそんな気持ちよ」
心紅は瞼を閉じている。伝法の思念体を精神内に幽閉するためだ。これで伝法は他の者に『憑依』することが出来ない。
「後は、真冬が起きて、能力だけを崩壊させればおしまいね」
(コケたのもワザとか)
「もちろんよ。私にドジっ子属性は無いわ」
(チッ、全部お見通しってわけかい。ちくしょう、こんな手があったとはな。ぬかったぜ)
「意外と冷静なのね、もっと取り乱すかと思ったわ。もしかして思念体が消えても本体は無傷とか?」
(本体なんて大昔に失ったさ)
「それは残念だったわね」
(それによぉ、俺はこの『三百年』の間、お前みたいな『天敵』たちとも、嫌ってほど殺り合ってきたんだぜ?)
「三百年……」
(おっと、話はここまでのようだ。聞こえねぇかい?)
じゃり。
誰かが起き上がろうとしている。心紅は目を閉じているので確認できない。
(さてさて起きたのはどっちかなぁ? 崩紫か、ピッグマンか? ピッグマンかもしれねぇなぁ。バールで殴られたぐらいじゃ、耐久力が売りの『獣人』の能力者は殺せねえからなぁ)
「甘いわね。真冬、返事をしなさい!」
(目を開けて確認しろや!)
「いいえ、目は開けないわ」
「ぶ、ぶひぃ。あ、頭が、い、いてぇ」
この声はピッグマンだ。
先に起きたのはピッグマンだ。
(よし! でかしたぞピッグマン! この女の目を開かせろ! 瞼をこじ開けろ!)
現在の伝法は声帯を使えないため思うだけに留まる。
内心で騒ぐ伝法をよそに心紅は騙った。
「ピッグマン、俺だ。この女に乗り移った」
心紅の演技である。
「ああ、久乗さんか。その女は誰です?」
「お前を襲ったやつだ。それよりこの女が他にも仲間を呼びやがった。すぐに増援が来る。急いで逃げるぞ」
「へい!」
ピッグマンは『武器召喚』を発動して新たな馬鍬を再召喚した。
「ところで久乗さん」
「なんだ?」
「なんで目を閉じてるんですか? もしかして『憑依』していないんじゃあないですか?」
「そんなわけないだろ、俺の能力は完璧よ。細目なんだよこの女、これ以上開かないんだよ」
暫しの沈黙。
(そんな嘘に騙されるな、ピッグマーー)
「そうなんですね。じゃあ俺がエスコートしますよ。ぐへへ」
伝法の思いは届かなかった。ピッグマンは女に弱いのだ。
(クソ豚があ! やっぱり養豚場に送っとくべきだったッ!)
心紅の精神内で伝法の怒号が響き渡る。
「あ、そうだ。よいしょっと」
ピッグマンは馬鍬を振りかざす。
「待て、いま何をやっているの?」
「何って崩紫の腕を切り落とすんですよ、久乗さんが言ってたんじゃないですか。早くしないと増援が来てしまいますからね」
(よーッし! やっぱりできるヤツだと思ってたぞ!)
心紅の精神内が伝法の歓喜の声で包まれた。
「ば、馬鹿をいえ! そんな時間は無い! 早く逃げる――」
「一瞬ですって、いきますよー」
ピッグマンは馬鍬を振り下ろした。肉を裂く音がする。
「く、久乗さん!? 何してんですか!」
心紅は庇った。真冬に覆いかぶさってピッグマンの一撃を受けたのだ。馬鍬は心紅の胴体に深く刺さっている。
真冬は無事だ、傷一つついていない。
しかし正確に守るために心紅は目を開いてしまった。
その隙をついて伝法が真冬に『憑依』した。
「カカカ! バカめ目を開けたな! やっぱり善良と殺り合うときの俺の勝率は高いのだ!」
真冬(伝法)が言う。
それと同時に真冬の意識が強制的に引き戻される。
(こ、これは)
「真冬、ごめんなさい。助けられなーーごぶっ」
心紅は最後まで話せなかった。口から血を吐き。倒れた。
(うあああああああああああああああああ!!!!!)
真冬は叫ぶ。心紅に聞こえるわけがない。それでも精神内で叫びつづける。
「あー、うるせぇうるせぇ。そんなにこの女が大事か、よ!」
起き上がった真冬(伝法)は心紅を蹴り飛ばした。屈強な真冬の体なので強力な蹴りとなる。心紅の華奢な体がサッカーボールのようにコンクリートの壁に叩きつけられる。
「崩紫ぁ、よぉーーく見ておけぇ。裏切り者に加担した者の末路を! お前のこの手でこの女を『崩壊』させてくれる」
(なんで、なんでついてきたんだ!? 俺なんかのために! 会って一日の他人になんでそこまでしてくれるんだ!)
真冬の思いは届かない。
「裏切り者の処理は俺に限るぜ、他のヤツはこんなことできんからな。仲間の手で葬られろ。魔女さんよぉ」
伝法は真冬の能力『崩壊』を発動させる。瞬く間に暗緑色の不気味なオーラが両腕を包み込む。
そして—―—―
悲鳴が轟いた。
溢れんばかりの悲鳴が。
「ぎゃあああああああーーッ!! 俺の腕があッ!!」
真冬(伝法)の両腕がダランと垂れ下がっている。身を悶えさせる。
「久乗さん! どうしたんですか!」
ピッグマンの言葉に答える余裕すらない。ひたすらに暴れる。のたうちまわっている。
一体、真冬(伝法)に何が起きたのか、答えは簡単だ。
『崩壊』したのだ。
オーラに触れた思念体の腕が崩壊したのだ。指先から肩へと崩壊したため痛みが余すところなく伝法を襲ってきたのだ。
なぜ伝法のみが能力に曝されたのか。なぜ真冬の体が『崩壊』の影響を受けないのか、それは真冬には『崩壊耐性』が備わっているからだ。
能力者は能力と共にその能力に対する耐性を獲得している場合が多い。
それでも危険な『崩壊』だが、この程度の出力で真冬は崩壊しない。だが伝法は違う。崩壊に対する耐性なんて持っているわけがない。故に思念体の腕のみが崩壊したのだ。
「くそくそくそくそぉ! 滅茶苦茶いてぇ、う、腕が動かねぇ! 指一つ動かねぇ!!」
「久乗さん!」
「うるせぇ! クソ豚野郎が!黙ってやがれ! ぐああッ! あーー!! 痛ッてぇ!!!」
「久乗さん!!聞いてください!!」
「なんだ!!!」
「う、腕が動いてます!」
「な、なにぃ······ッ!?」
真冬(伝法)は青ざめた。戻っている、思念体から開放された腕の部分だけ、指先から肩にかけて、両腕の支配権が真冬に戻っている。
「む、ぐきゅ!?」
咄嗟に伝法は真冬を気絶させようとピッグマンに乗り移ろうとする、がしかし真冬の左手がそれを許さない。顔面を掴んだ。
「目ぎゃ!」
視界が遮られ真冬の体から逃げられない。
「久乗さん! いま助けます!」
「んんん(来るな)ッ!」
伝法の叫び虚しく、押さえ込もうとするピッグマンを真冬の右手が払う。ピッグマンの両手がオーラに触れてしまった。
「ぴぎゃああーー!!」
ピッグマンの絶叫。オーラが侵食する。手にヒビが入り崩壊が始まる。強烈な痛みに転がりのたうち回る。
(覚悟決めろよ)
真冬が精神内で言った。握り作られたゴツゴツの右拳は、真冬(伝法)の顔面に照準を定めている。
(待て! やめろ! わかった! 俺が悪かった! 俺も組織を抜けようと思ってたんだ! な? な?!)
精神内で許しを乞う伝法。だが。
どぐちゃ。ぷちゅっ。ボキャッ。
肉が骨と骨の間に挟まれる音。眼球が潰れる音。左手の骨が折れる音。痛々しい音が重なる。
顔面を掴む左手ごと、右手で殴ったのである。
と、同時に『崩壊』オーラが容赦なく注入される。
「ぎゃああああああーー······」
伝法の断末魔は長くは続かずに消えた。
真冬は徐々に肉体の支配権が戻ってくるのを感じた。
「心紅!」
たたらを踏むも真っ先に心紅の元に駆け寄る。肩を抱き上げる。
心紅がうっすら瞼を開いた。
「かひゅ。ま、ふゆ」
息も絶え絶えだ。苦しそうに呼吸している。傷が肺に達している。
「喋るな! 家に連れてってやる!」
「め、が、潰れて、るわ」
真冬の潰れた右目に触れる。
「平気だ、こんなの」
「おとこ、まえが、だいなし、だわ」
心紅に触れられたところが光り出す。目の傷が癒えていく。
「これで、よし」
「よくないよ! そんな能力があるなら自分に使えよ!」
「つかれ、たわ。あと、よろしく」
パタリと手が落ちる。
背後から目を血走らせたピッグマンが迫る。
「ぶひゃあ! 久乗さんの仇だ! 俺の手の仇だ! ぶち殺してやる! ぶおおおおお!」
ピッグマンは高さ3メートルはあろう巨大な豚の姿に変身した。
『獣人』の能力者の一部が使える『獣化』という能力だ。
その巨体が真冬目掛けて突進してくる。
真冬は心紅をゆっくり置く。
フラリと立ち上がる。その瞳には憤怒が宿る。明確な殺意だ。
右手で拳を作る。力の限り握る。握る。拳から血が滴る。滴る血は地面に到達する前に崩壊する。溢れる出る『崩壊』オーラが拳を包む。
「ぅオラああああああ!!」
ピッグマンの鼻っ柱目掛けて拳を放つ。
拳が通った空間に亀裂が走る。
ピシャピシャとガラスの割れたような、けたたましい音がする。
オーラがピッグマンの突進の勢いを『崩壊』させてピタリと止めさせる。しかしそれは一瞬で真冬の拳の衝撃がピッグマンを襲う。まるで雷の鞭で引っぱたいたような爆発音が鳴る。
真芯を捉えたホームランボールのようにカッ飛ぶ。廃ビルの分厚い壁を突き破る。
さらに4棟突き抜ける。河原に出る。土手にぶつかる。土手に当たった際にやや上に跳ね上がる。河原の中心、その真上に飛び出した。
数秒の滞空時間の後、ピッグマンの内部に打ち込まれたオーラが増幅、巨体がさらに二度三度と膨れ上がる。臨界に達する。爆発。それも立て続けに三回。
打ち上げ花火のような音が廃ビルからでも明確に聞き取れた。
断末魔は聞こえない。
これが『崩壊』の能力者。崩紫真冬の『崩壊の拳』である。




