きっかけの晩餐──口ずさんだのは幼きころのお守り
和やかな雰囲気ではじまった晩餐は、これからの変化を表していると実感した。
あの日と同じ、日本出身のシェフの店。予約を一か月前以上からしないといけない店でのコース。
居並ぶ面々は、前回同様にグレイシーの姉、ケーラ夫妻とエイヴィリーにパトリツィオは変わらない。
そこにグレイシーのお母さまが増えたのだ。
私の祖母の話を聞くために時間を設けようと日々、連絡や直接訪問をしてきて、グレイシーのみならずキミコにも拗ねられている。
グレイシーが拗ねるところを見るのは、これまで両手で数えるくらいだったかもしれない。それほど私の交友関係は狭かった。
何も狭いことが悪いとはではなく、閉じた世界で、ただ漫然としていただけなのだ。
知らないことを知ろうとしているのに、与えられたものだけがすべてと思っていた。それ以外要らないと否定していた。
私が過去との変化に馳せている先ほどから、エイヴィリーとケーラにお母さまで何やら微笑み合って会話している。キラキラしているのに、不穏当な空気が流れているのは気のせいにするしかない。
グレイシーはニコラスKと呼んでいるケーラの夫と経営だとか政治に関して話している。この二人の会話はいつだってそうで、同席するといつも聞き取るのに必至だ。自分の意見なんて半分の半分も言えたら良しとなる。
「みて~? この料理、ニッポンのでしょ? ぼく、ネットで見たよ」
パトリツィオはよほど今日が楽しみだったのか、一品一品がどこの料理のものかを教えてくれる。コースを決めるにあたってのカウンセリングの賜物で、各々の思い出の品が出てきている。
「そうだよ。この料理は肉じゃがって言うんだよ」
「ニクじゃが、じゃないの?」
「今はその発音だけどね、私が馴染んだ発音と思い出の中で味わうのは肉じゃがなんだ」
私の発言が政治的にどういうものかは痛いほどに理解している。それでも失われたものを懐かしむことは目を瞑ってもらいたい。今日は身内だけの席で、会話を楽しみ、心もお腹も満たされたいと願ってのものだから。
「パトリツィオ。ハルは今と過去を知っている一番身近な人よ。大事に聞いておいて損はしないわ。
これからあなたたちが大きくなっていくと、あなたたちに群がる人々に目を閉じさせられ、耳を塞がられての情報しか集まらなくなるわ」
「でも、ハルはいるでしょ~」
無邪気に問うパトリツィオにどう答えればよいのか。
明日にはどこかの国の名前が変わるかもしれない。日本も例外ではないし、Ð国が主義を変える可能性も無きにしも非ず。
どこの国もいまだに直接的な武力に訴えていないだけで、いつかそうなるかもしれない。その時に群がる人々は出てくる。
「人と人は見えない砂時計を間に挟んでいるのよ。大きな砂時計も小さな砂時計もあったり……それをお互いに協力し合って残り僅かになったら反対にするのよ。できない時もあるわ。ハルとグレイシーが協力していてもあなたたちが難しくなる時もある。全員ができなくなる時も」
「おばあちゃま、むずかしい」
「とにかく──縁よ、わかる時がくるわ」
お母さまはそうにこやかに締めくくり、肉じゃがを優雅に堪能し、幸せそうな溜息を漏らした。
エイヴィリーはずっとなにやら考えていた。目が合った瞬間、逸らされてしまった。
あの日、空港に迎えに来てくれたものの、関係が目に見えてすごく良くなったわけではない。片足の指先分、話しても気まずさがなくなったことは、喜ばしい。
むしろ大変喜ばしくて、小踊りしたくらいだ。
「それにしてもニクじゃががこんなに美味しいとは思わなかったわ。スシ、ラーメンは食べたことはあるんだけれど。グレイシーはハルに作ってもらえるからいいわね」
日本食にはあまりいい思い出がなかったらしいケーラがグレイシーに言った。
褒めつつも含みがあった。本人には悪気はないのだろう。ケーラはスペランツァ一族で一番の保守的な人で、グレイシーとは成人してから言い合うことが増えたと言っていた。
前回、ここで夕食会を開いた目的もケーラ夫妻、グレイシーの子どもたちと私が少しでも誤解のない関係で居てほしいからだった。
合う合わないは、人間関係なのだから仕方がないけれど、誤解したままでは悔しいと嘆いていた。その時は、受け身で居た私だった。それでは横に立っているのではなく、ただ従っている、囲われているようなものだ。何か私なりにできることはないのだろうか。
「今度、ご招待させて頂いてもよろしいでしょうか? ホームパーティーのような、でも、もっとこじんまりしたものになると思うんですが」
私は考えが煮詰まる前に口にしていた。祖母の笑顔が脳裏に浮かんだ。「それでこそ、おばあちゃんの孫や!」と言っているようだった。
「ハル──」
「ほんとう? 家庭料理を口にしてみたいわ! いつが良いかしら? 私だったらいつでも都合をつけるわ!」
心配して口を出そうとしたグレイシーの声にかぶさるようにお母さまは乙女のように声を上げた。ケーラはどう答えようか逡巡したままだったけれど、ニコラスKが大きく頷いていた。
「あたしたちもお母さまに合わせるわ。でも、ラーメンだけは止して欲しいの」
どうしても悪い思い出は繰り返したくないようだ。どんな味を口にしたのか気になる。京都系だったら膝を抱えたくなる。
「家庭料理のラーメンは、たぶん、ほとんどがインスタントなんで出さないようにしますね。おばあちゃんがよく作ってくれたレシピを皆さんの口に馴染んだ味とコラボしてみよかと思います」
自分で言っておいて、そこまでの技量が伴わないかもしれないと不安になってきた。でも、それも一つの思い出だと思うことにする。エイヴィリーやパトリツィオが笑える思い出にでもなれば、と捨て身の自爆芸。
こうしてグレイシーが苦心していた事項は、大当たりのフルーツにあたった時のように終わった。
ケーラ夫妻、お母さまとエイヴィリーにパトリツィオの三人を送り出して、二人で静かに微笑み合った。
「今日はありがとう」
グレイシーは穏やかな顔で身支度を整え終えて言った。
「こちらこそ、いつもありがとう。今日はなんだか、満たされ過ぎちゃった」
「あら、もうお腹いっぱいなの? ほんとうに?」
いたずらっ子の顔でグレイシーがほのめかしてくる。じわりと照れが広がる。
どう答えようかと視線を外してみせても、視界の端に見えるグレイシーはほとんどにやにや笑いだった。
「本日はご利用頂きまして、誠にありがとうございます。心安らぐひと時でしたら、スタッフ一同、嬉しく思います」
まるで救いの声が聞こえてきた。
純日本人! と言っても過言ではない、私と同じように日本列島でどこにでも見かける顔と平均身長の背。料理人であっても、ずっと没頭している趣味があるのだろうと窺い知れる指のタコを持っていた。
「こちらこそ家族の貴重な時間を和やかに演出してくれるお手伝いをしてくださってありがとう。また今度、二人で利用させて頂きます」
グレイシーが満ち足りた顔で言うと、シェフは目元も綻ばせて頷いた。お互いに今日の喜びを噛みしめるように、店内と店外へと足を向け合った。その背中にお礼のお辞儀をした。
見上げた空は見慣れない星々で煌めいていた。
見る暇があったのに、見ようともしなかった夜空があった。
グレイシーと手を繋いで、夕方によく唄った童謡を口ずさんだ。祖母が仕事から帰宅する時間になると迎えに行った時によくしたように、大きく手を揺すって。
不安に押し潰されてしまわないように、お守りを持った気分で。寄り添って、笑えるよう道を見つけられるようにと。




