日本での思い出を少々
私が日本を出ようと思ったのは、一つには仕事に嫌気がさしていたから。
親族経営でのFC加盟店運営。
親族と言っても生まれた時から別居をしていた父親とずっと不倫をしていた相手が妻となって経営者に収まっている状況だったのだから、赤の他人に家族という名をあてはめたも同然だった。
座り心地の悪い椅子を高価で名の知れたデザイナーのものだからと使っているような、なんとも言えない毎日だった。
意見を言えば笑われ、提案は若輩者と貶されて、口を噤めば頭を使って言葉にしろと言われ、何でもかんでも察しろが通常の日々だった。
それを十何年も続けていくと、まるで私の身体を腐食していくような感覚に陥っていた。一種の化け物が憑りついているとでも言うような、気力を糧にしてそのものの生命力を保っていた。
そして、私の生命力も化け物が憑りついているからあったのだろうと思う。
まだ育つ過程の中で剥がれてがりがりだったものが、ごりごりと削られて数少ない休日でようやく回復し、またその繰り返し。
いつしか半分の形でしか維持できないままになったある日。
もう辞めよう、全ての生活から──リセットするには海外に行こう。
そうして経営者だった父親に辞表を叩きつけて背を向けた。それはもう一つの日本脱出計画の理由を一時的にも解消してくれるものにもなった。
関西の大都市のひとつに生まれ落ちた私は、ほどほどにと大切にとの中間で育まれた。
晴れ渡る空の下、眠たそうにして生まれたから付けられた名前──晴渡をもらって。
「男の子みたい」と同じ歳の同性異性問わず揶揄われて、対抗するように男の子の恰好に馴染みを覚えだした幼少期。
目の引くような容姿や麗しさのかけらもなく、ごくごく平均的な人間ではあったためによく赤の他人から声を掛けられやすさの目印にはなった。
「あそこのにいちゃんに聞いたら分かるやろ。人の良さそうな顔やし」と。
それくらい馬鹿親切な顔つきと雰囲気を醸し出しているのだと思う。何か秀でているわけでも、胸を張って自慢できることがあるわけでもない。そのことがコンプレックスだった時期もあったが、職質されるよりはマシかと割り切るようにもなった。
家族はバラバラで、顔を合わせても会話らしい会話をするでもなく、早々に各々の世界に閉じこもる。私が生に疑問を抱き、世界を斜めに見て、ドロップアウトすることがあたかも当然としてしまったとしても、誰も責められはしないと甘えてみる。
生きる意味が理解できない思春期。
名を売りたいと願う奮闘した十代最後の数年と二十代前半でついに見つけたのが、飲食店での仕事。
そこには笑顔が見られる、スポットライトにあたらないドラマがあると毎日が嬉しかった。
中規模居酒屋チェーンだったので、始発から終電という毎日ではなかったけれど、なかなかきつい日々ではあった。
それでも毎日が楽しかった。
一つ知らないことが増えて、それを覚えてはまあまあの評価でも貰おうとする。やる気のなかった思春期では考えられなかった自分に驚きと嬉しさがあった。
それが突如として変動した。
「まあ、あれやな。新入社員が増えたし、今期は大卒ばっからしいからおぜん立てのために地域型を回ってくれやってことやねん。まだ準社員やから勉強の一つやな」
統括部長に呼び出されて、評価実績からようやく昇格して正社員の辞令かと思っていた。
思い描いていたこととは違った内容にショックと悔しさが胸中を占めていた。
それでもこびりついた焦げが落ちないかのような笑顔はずっと浮かべていた。部長との会話でもごもごと口からは言葉が出ていたが、覚えていない。
地域型店というと、地域密着型店舗のようにも感じられるが、名前を売るために開店したようなもの。たしかに売り上げ予算を達成している店もある。
だが、大半は名前を憶えてもらえるように、大型店と称する──そこでは繁華街などの店をそう呼んでいた──店舗にいつでもどこでも足を運んでもらうためにあるようなものだった。
幹部のお気に入り以外の社員はそこで実績を上げて大型店に移動したり、新規開店の店長を任されるために奮闘する。
私は新規開店のオープニングアルバイトでこの統括部長に目をかけてもらい、必要とされていると実感する中で準社員になった。
いつだって中途半端でしかない、村井 晴渡だったのに。だからこそ、ショックは大きかった。
「やったら、自営業するから一緒に仕事するか」
そう父親が声を掛けてきた時、世界が少しだけ明るくなったような気分だった。
「おとんと? なんの?」
嬉しさなんてちっともありません。そんな顔を取り繕って、眉を少しだけ寄せてみせておいた。
「販売や。FC加盟店をしよう思うんや」
「FCって、ロイヤリティーとかめちゃんこ取られるんちゃうん」
聞きかじっただけの情報で、反論して大人の会話をしている自分に酔いしれてみせたりもした。父親は嬉しそうな表情があった。遠くにいった日々の中で、昨日のことのように思い出せる時間だった。