表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
占い喫茶と神降ろしの絵  作者: 森戸玲有
第5幕 神の使者
67/67

「一ノ清さん、少し、お時間頂けませんか?」

「ええ。洗い物が終わったら、ちゃんと時間取りますから。少し待って……」

「待ちません」

「はっ?」 


 美聖が怯んで、蛇口を閉めたのを見届けた降沢は、美聖の手を強引に掴んだ。


「ちょっと、降沢さん?」


 動揺する美聖の声には、一言も返さず、更衣室代わりに使っている倉庫の中に連れ込む。


「…………一体、何を?」


 時間をもらえないか……と下手に出ていたくせして、その実、美聖の答えなど待っていない。


(まったく……この人は)


 しかも、降沢は引き戸を閉めて、内側から鍵をかけてしまった。

 普段、美聖のバックなどの貴重品置き場として使っているので、この倉庫だけは、内からも外からも、鍵がかかるようになっているのだ。

 外側から開ける場合は、キッチンの奥にかかっている鍵が必要となっている。


「…………降沢さん」


 なかば乱暴に、室内に放りこまれた美聖は、ときめきよりも先に動転していた。


「どうしたんです。急に……。ここに何があるのですか?」

「君と、誰にも邪魔されず、話がしたかったんですよ」

「話……ですか?」

「今日は、半分これが僕の目的でした」


 ――ということは、降沢は、別件で美聖に用があったということか?

 つまり、美聖が告白をしようとしていたことについては、気づいていない?


(セーフってこと。いやいや、この状態がもう……めちゃくちゃすぎて……)


 室内には、鞄置き場として使っている小さな棚が一つだけだ。

 椅子もテーブルも何もない。

 狭い空間に、二人で立ったまま……である。


(……一体、何で私、こんなことになっているんだろう?)


 ほんの少しの埃臭さと相俟って、降沢の呼吸を近くに感じる。

 それだけで、心臓が飛び出てしまいそうなくらい息苦しかった。


「実は……一ノ清さんに、お願いがあるんです」


 いつになく、真剣な眼差しに絡め取られて、美聖はごくりと息をのんでから、首を縦に振った。

 美聖が身構える隙を与えず、降沢は、今度は滑舌よく一言で伝えてきた。


「………絵のモデルに……なってくれませんか?」

「……………………えっ?」


 降沢は呆然としている美聖に「ええ、そうです」と頷いた。


「僕の絵のモデルですよ」

「…………私が……ですか?」


 暗がりで、美聖が目を見開く。

 ……と、同時に。


「ち……違いますよ!」


 言葉足らずなことに、降沢自身も気づいたらしい。

 矢継ぎ早に言葉を紡いだ。


「その……モデルっていうのは、君自身に何かがあるから描きたいわけじゃないんです。僕が描くことで、魂が抜けるとか、不幸になるとか、そんな絵が描きたいんじゃなくて。もっと純粋に……ただ君を、描きたいから……。それだけなんです」

「降沢さん。そんな……必死にならなくても」


 降沢のいつになく激しい口調がおかしくて仕様がない。


(お願いだなんて、変な想像しちゃったじゃないの)


 降沢らしい、可愛いお願いではないか……。


「いいですよ。そのくらい」

「本当ですか!?」


 過剰なくらい、降沢が瞳を爛々とさせている。

 まるきり、子供だ。


「もちろん。降沢さんには、色々お世話になっているのに、何もお返しすることが出来てないんですから、私でよろしければ、そのくらい、お安いご用ですって」

「ありがとうございます! 頑張って綺麗に描きますからね」

「……いや……なんか、綺麗に描くと先に宣言されると、複雑なんですけどね」 

「ああ、そうでした。一ノ清さんは、そのままでも、充分、お綺麗です」


 とってつけたように、誉められても嬉しくない。

 ……でも。


「良かった。断られるんじゃないかって、不安だったんで……」


 そんなことを安堵の息を吐きながら、降沢が言うので、美聖もどうでも良くなってしまうのだ。


「よろしくお願いします。一ノ清さん」

「はい。こちらこそ、よろしくお願いします」


 降沢が無邪気に、美聖の手を求めてきたので、素直に握手に応じた。

 そこに、下心なんて、微塵も感じなかったのだ。


(たまたま身近に、私がいたから、モデルにしたいんでしょうね……)


 新たな描き方を研究していると、降沢は話していたのだから、美聖で色々と試したいのだろう。

 美聖は暢気にそう思い込んでいた。


(まあ……相手は降沢さんだし、私らしく、ゆっくりいけばいいか……。別に今日じゃなくったって)


 少し緊張がほぐれてきて、降沢と自分らしいやりとりに、笑ってしまう。


「では、降沢さん。そういうことで、話もついたわけですし、私は洗い物のの続きを……」


 ――が、しかし。

 降沢は、美聖の手を離さなかった。


「降沢さん?」

「それで? 先ほどの君の話の続きなんですけど?」


 …………しれっと、当然のように、忘れようとしていた話題を捻じ込んできた。


「………………うっ」

「さっき、君は一体、何を言いかけていたんですか?」

「そ、それは…………その」

「君は……僕のことを、何だと言いたかったのですか?」

「そんなこと言いましたっけ?」

「あそこまで話しておいて、僕だから誤魔化せると思っていたのなら、さて……どうしてくれましょうか?」


 降沢が美聖の手を自分の口元に持って行った。

 意味ありげに口づけられる。


(ぎゃーー……!)


 たった今までの人畜無害な気配を何処に投げ捨ててきたのか……。

 美聖の心の中は、半狂乱状態だ。

 心の準備がまったく出来ていない。

 外は冷えているのに、体の奥が熱くて仕方ない。


(拷問だわ……こんなの)


 降沢がじっと見つめている。

 まるで、監視されているような状況下で、再び、告白なんて出来るはずがない。

 先程のように、助走をつけなければ、気弱な美聖には絶対に無理な話だ。


「まっ、また……今度にします。今日は、仕切り直しと決めたんです」

「仕切り直し……?」


 きっぱりと美聖が言うものの、降沢は訝しげな声で呟いたまま、依然、離れてくれなかった。


「……じゃあ、いつ話してくれるんですか?」

「そ、そうですね。……ああ、降沢さんの誕生日プレゼントが用意できたら、その時にでも……また」


 思いつきのその場しのぎで言い放ち、美聖は何とかして降沢の手から逃れようとするものの、背中が引き戸にぶつかってしまい、むしろ自分で自分の逃げ場を奪ってしまった。


「わ、私……洗い物が途中なんです」

「そんなことは、どうでもいいんです」 


 降沢が美聖を囲い込むように、前に立っていた。


「……一ノ清さん、ようやく、つけてくれたんですね。僕が渡した誕生日プレゼント。なかなかつけてくれないから、もっと高価なものが良かったんじゃないかって、いろいろ考えてしまったんですよ」


 降沢が美聖の胸元を見下ろしていた。


(気づいていたのなら、もっと早く言ってくれたらいいのに……)


 そういう人だということは分かっているけれど、今ここでそれを指摘するのは反則じゃないか。


「違います。その逆ですから……」


 そんなに、凝視しないでほしい。

 降沢の視線に耐えられず、美聖は横に顔を逸らしながら答えた。


「今まではなんか失くしてしまいそうで、つけるのが怖かったんです。でも、今日は……」

「……今日は、気合を入れてつけてくれたんですか」

「……………………ぐっ」


 ――バレている。

 完膚なきまでに、美聖の内心を見透かされている。


(気合って……?)


 鳥肌が立ちそうなほど、背筋がぞくぞくしているのは、降沢の目がいつになく、ぎらぎらと輝いているからだろう。まるで、狙った獲物を屠る獣のようだった。


「……分かりましたよ。一ノ清さん」


 降沢は納得するような返事をして、美聖を一瞬安堵させた。

 ―――が。


「じゃあ、今、ここで僕の誕生日プレゼントを下さい」

「……はっ?」

「だったら、いいんでしょう。今すぐ、下さい」

「何を?」


 ちゃんと聞き返している余裕もなかった。

 刹那、美聖のおとがいに手をかけた降沢は、噛みつくように、美聖の唇をむさぼり奪った。


「……………………つっ」


 脳天が痺れる。目が回る。

 一切の思考を溶かしてしまいそうなほど、濃密に……。


 ――溺れていく。


 どのくらい、そうしていたのだろうか?

 美聖は、降沢の背中にしがみついたまま、足腰が立たなくなってしまった。

 降沢は、そんな美聖を支えるためだろうか、一旦、唇だけは放してくれたものの、濡れている美聖の唇をしきりに指先で撫でていた。


「一ノ清さん、ありがとうございます。僕にとって最高の誕生日プレゼントです」


 何とか肩で呼吸している美聖に、降沢は悠然と言い放った。


「……で? 君の話の続きは?」

「降沢さ……。そこまで……して、知りたいんですか?」

「ええ……。知りたくて仕方ありませんね。さっきは、先を越されると思って、ちょっと悔しかったんですから」


 どういう意味なのだろう。

 しかし、頭の芯がぼうっとして、美聖は考えることすらまともにできない。


「…………じゃあ、そんなふうに、見ないで下さいよ」


 鼻がつくほどの至近距離で覗きこまれたら、まともな話なんて出来やしない。

 それなのに、元々の苛め気質なのか……。

 降沢は艶やかに微笑するだけで、いっこうに離れる気配がなかった。

 むしろ、体を密着させてきて、全身で美聖の行く手を拒んでいるようでもあった。


「……降沢……さん」

「君の方こそ、そんな目で見ないで下さい。僕がおかしくなってしまうじゃないですか」

「……何ですか……それ」

「そういえば、絵のお礼がどうの……て、先日、言っていましたよね」


 降沢が美聖の耳朶に唇を寄せて囁く。


「そのお礼も、今ここでもらってもいいですか?」

「…………えっ」


 一応、疑問形だが、例によって、最初から美聖の意志など確認する気はないようだった。


(告白どころじゃなくて……これじゃあ……降沢さんの思うがまま状態だわ)


 でも……。


「美聖さん……」

「…………な、何?」

「ずっと、そう呼びたかったんです。これから、そう呼んでもいいですか?」


 まるで魔法にかかったように、美聖の頬は上気し、目元が潤んだ。

 密着した体から、降沢の速い鼓動が伝わってくる。 


(降沢さんも、私と同じ気持ち……)


 美聖の両手が意思を持って、降沢の背中の中心に回っていく。

 その行為から、すべて承諾したと取ったのだろう。

 降沢が口の中で陶然と美聖の名前を転がした。


「美聖さん」 


 そして、耐えられないとばかりに、降沢は再び美聖を、強引に顔を上向かせると、吸い寄せられるように、顔を近づけて…………。


 ――と。


「おーい! 降沢!! みっちゃんママ!! そこにいるんだろ。出て来いよ!」

「………………っ?」


 ぴたりと、降沢の手が止まる。

 例によって、円の元気な一声だった。

 微妙な空気を保ったまま、二人その場で硬直してしまった。


「………………無視しますか」

「何を、言っているんですか……」


 美聖が赤面しながら突っ込むと、苦笑いと溜息一つ零して、降沢は鍵を開けた。


「二人で、何してたの?」

「………………うーん。鬼ごっこ…………かな」


 降沢は平然と答える。


「あっ、降沢の兄ちゃんが鬼でしょ?」

「ええ。よく分かりましたね。僕が鬼です。美聖さんは食べられるほうで……」

「…………降沢さんっ」


 美聖が、おもいっきり咳払いをすると、降沢はへらへら笑いながら、円に手を引かれて行ってしまった。


「………………はあっ」


(夢じゃ……なかったんだよね……。だって、美聖って呼んでたし……)


 そっと唇を撫でれば、じんと甘い痛みを伴って、余韻が残っている。

 降沢の唇が触れた耳が燃えそうに熱い。

 これは、現実なのだ。


(私……あの人の傍にいて、身が持つのかしら?)


 美聖は、外の澄んだ空気をおもいっきり吸って、火照った頬を風で冷やした。

 そんな恥ずかしいところに、真っ赤なマフラーを首に巻いているトウコが声をかけてきた。


「美聖ちゃん!」


 正直、今までの降沢とのやりとりが、すべてバレたんじゃないかと、どきりとしたものの……。

 彼は二人で部屋から出てきたことをからかうでもなく、複雑な表情で、例の絵を指差していた。


「トウコさん?」


 ―――『慕情』。 

 トウコが無言で、見つめていた。

 白いユリの花が闇の中で、妖しく、艶やかに花を開いていた。

 過去に、降沢が沙夜子をイメージして描いた絵だ。


「ねえ! これって……降沢の兄ちゃんが描いたんだって。トウコさんが言ってたよ!」


 円の目的もこの絵のことだったらしい。

 色鉛筆を持ったまま、瞳を輝かせて降沢を仰いでいた。


「ああ。……そうですよ。僕の絵です」


 あっさりと頷いた降沢は、円の頭に軽く手を置いた。


「…………僕の……負っているものの一つです」

「降沢さん」


 その一言に集約された強い想いを、美聖は真摯に受け止めていた。


(この絵は、降沢さんの……一部……か)


 降沢の背中越しに『慕情』を眺めた。


「ちょっと、怖いけど、キレイな絵……だね? うん、キレイ……」


 何気なく円が放った一言は、降沢と美聖を驚愕させた。

 トウコは、知っていたのだろう。


「…………私、びっくりしちゃったのよね」


 大きく目を見開いて、円と、絵を見比べていた。


 ――同じだ。自分と……。


 美聖は、急いで円の隣に立った。

 円の隣には降沢がいる。


「……そんなふうに、思ったの。円」

「うん」

「そっか……」


 この絵を見て、普通じゃない……と。

 違和感を覚えたあの時……。

 美聖は、この店で働くことを、降沢に認められたのだ。


「私もね。円と同じことを思ったのよ……」

「そうなんだ」

「そう……。この絵がね……。すべての始まりだったの」


 春に、この絵を見てから、夏、秋、冬と……。


 巡る季節の中で、美聖は、この絵の下で、いろんな感情を抱いたものだった。

 今まで、この絵を直視することを、美聖は避けていた。


(綺麗だけど、怖くて。怖いけれど、綺麗で……)


 溺れるように、堕ちていく、常習的な麻薬のように、蠱惑的な絵。

 まるで、降沢のようだった。


 ――――だけど。


(ちゃんと、見なくちゃ)


 いつの日か、沙夜子と、きちんと向き合わなければならない日が来るかしもれない。

 もう、逃げる気はない。

 地に足をつけて、根を張って、揺らぎ続ける彼を、地上に縫いとめるのだ。


 美聖は、姿勢を正して絵を見上げた。

 そんな美聖の手を、降沢が黙って握りしめる。

 そして、更にその上に、円が力強く手を乗せてきた。


 冬の寒さに負けない、手の温もりが、心にじんわりと染みこんできた。


 ………………季節が巡る。

 占い喫茶『アルカナ』で、新しい年が始まろうとしていた。 




【 了 】







ようやく終了しました!

もう、正直終わらないかと思ったほどでした。

気が付けば、どの話より長くなっているという驚きです。

誰がそんなに書けといったのか……。


本当にぐだぐだと、不親切にすいません!!


今まで、このようなお目汚しなお話しにお付き合い頂いた方、もしくはちょっとした偶然で読んでちらりとでも読んで頂けた方など、ここを目にして下さった方々には感謝でございます。


ここに至るまでに長くかかってしまいましたが、本当にありがとうございました!!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ