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お待たせして申し訳ありません。悠子
今日もいつものようにギルジーク邸に向かえば、屋敷の者がセシル様の不在を伝えてきた。なんでも、王宮での用事に思った以上の時間がかかってしまっているようだった。走馬からの伝言では先程王宮を出たらしいので、王宮から近いこの場所まであまり時間がかからないだろう。
しかし、私がくる時間には間に合わない、ということで。私はギルジーク公爵家の執事やメイドにつれられ今日のお茶会の場所である庭園まで案内されていた。
さすが公爵家というほど広々とした庭園に何度見ても圧倒される。我がセントフォーズ家の庭が徹底的に対照的に整えられている少し堅苦しく感じるものだが、こちらはこれぞ軍将家といえるほど一つ一つに重みがある。対照的ではないのに統一感がある。見るだけで背筋が伸びそうなほど力強さがあるのにどこか華やかで美しい。対象とする言葉が重なるのに、それさえも輝く。
ふと、私は視線を左右にふる。この間見たあの色の正体がわからないかな?あの日見たときは顔を出してくれなかったあのものが進むにつれて徐々に建物の陰から顔を出してくれた。
その頭が少し見えた時私の胸が、どくん、と高鳴る。
前を案内してくれている執事達の方向と少しずれて、その木に誘われるようにふらふらと足を進める。
全体像が見えた時、期待なのか戸惑いなのかわからない感情の波が一気に私を飲み込んだ。
「…さ、くら…?」
薄紅色をした花びらが風に呼ばれたようにふわふわ舞っている。一本の大きな木はまるでその庭園の女王のように、堂々と立っていた。
それは、あの日見た桜のようで。少し少年らしさを残した顔で意地悪く笑い私たちを急かす大好きなお父さん。そんなお父さんをもう、と呆れたようにみて私たちを穏やかに呼ぶ優しくて大好きなお母さん。駆け出したわたしの手を慌てて掴み一緒に走ってくれる大好きなお姉ちゃん。私たちが転けるのではないかと心配そうに眉を下げそしてお父さんに苦言を呈した頼もしくて大好きなお兄ちゃん。
もう昔のことだとわかっていてもあの時の景色はまだわたしの胸の中を焦がす。
気づけば一筋の雫が私の瞳から零れ落ちていた。雫は拭われることなく私の頬を撫でる。その冷たさでさえ、今の私にはただただ暖かい。
ぼおっとその木を眺めていれば後ろの方から草を踏み進む音がだんだん近づいてくる。はっとして頬をグシグシと拭おうと手を上に持って来たけれど、施した化粧が崩れるかもと、一瞬手を止め今度はゆっくりと拭う。
若いからと薄くしたとはいえ、強引に拭えば顔面崩壊になるのではないか、と考えてしまう私に心の中で苦笑して。
できるだけ優雅に振り返れば、なにかを探るようにこちらを見るセシル様とその後ろには先ほどまで私を先導してくれていた執事達がいた。私の姿を見つければホッとしたような顔をする彼らに、婚約者とはいえ勝手にいなくなった私に慌ててしまったのだろうと申し訳なく感じてしまう。
「ここにおられましたか、アリシア嬢」
「は、はい…。申し訳ございません、勝手にこちらへ行ってしまって…」
「いえ、私こそ貴女を待たせた身。謝るのは此方です…、この木が気になるので?」
「…何故だか少し懐かしく感じてしまい…、あの、この木はなんという名前でしょうか…?」
「ソメイヨシノというサクラの木ですよ。我がギルジーク家が倭国から来た商人から買い取り育てているのです。
…しかし、懐かしい…ですか。この木はこの国にはここにしかないのですが…」
「い、いえ!私も初めてみました!ただ、それが…、その…」
「いえ、お気になさらず。では今日は此方でお茶をしましょうか。」
慌てた私に片手を上げて止めたセシル様はチラリと後ろに視線を投げる。心得たというふうに頷いた執事はメイド達に指示をしてここにセットをしようと動く。
その行動に申し訳なさを感じるけれど、もう見れないのは惜しかったのでそれに甘える。
セシル様が私の隣に並ばれサクラの木を見上げ呟くように言われる。
「この木はこの季節しか咲かないのですよ。夏になれば緑の葉がなり秋には散り、冬には雪を被る。どういう原理でそうなっているのかはまだ解明されていないのですがね。」
「…研究されているのですか?」
「いえ、私ではなく王宮に所属する倭国研究の者達が調べているそうで。我が家は情報を提供しているだけにすぎません。」
「、倭国研究ですか…。あの、その部署は他にはどのようなことを研究されているのですか?」
「倭国の書物から文化や技術を研究しています。最近では《ひらがな》と呼ばれる文字を解明したとか・・・。」
「《ひらがな》ですか…、それを読めれば書物が読めるのですか?」
「いえ、それを読めても半分も読めないそうですよ。なにせ色々わからないことがあるそうなので。」
「その書物は手に入れることは可能なんでしょうか…」
倭国で解明された《ひらがな》は多分私が知っているあの50字ほどある文字のことだろう。なにせ幼く生涯を終えた私にはひらがなは読めても《漢字》は多分、半分も読めない。もうあの頃生きた年数よりも何年も多くこの世界で生きこの国で使われる文字を使用しているのだから、もはやあの頃に習ったであろう文字すらも忘れているかもしれない。
けれど。あの世界に戻ることができないとしても。その繋がりはもしかしたら消えていないのかもしれない。その書物を読み倭国の文化を知ることが出来たのなら、もしかしたらあの世界に近づけるかもしれない。
私があの世界で生きたという証が消えないかもしれない・・・・・・――――――。
「倭国に興味がおありですか?」
「…え、あ、いえ…その…!」
怪訝そうに眉をひそめ此方を伺うセシル様に、この国での女性のあり方を思い出す。
この国の女性、ことさら貴族階級に所属する女性は学問を学ぶより礼儀作法や刺繍などを学ぶのだから。
いくら階級が下でも当然のように学ぶそれにあろうことか公爵家の令嬢が。しかも自分の婚約者がそうとは、怪訝に思うに違いない…!
どうしよう、と焦る気持ちは行動にも表情にもでたのか、私の手は顔の前で振られ焦りを前面に出してしまう。それこそ令嬢にあるまじき行動。それすらもはっとして慌てて手を胸の前で握り込み顔をうつ向かせる。
やってしまった…!!どうしよう、どうしよう…!!!!
焦る私を見かねたのか、セシル様は瞳に呆れの色を乗せたものを隠さずに制される。
「いえ、別にそこまで焦らなくとも…」
「す、すみません…」
ああ、どうして今日はこんなになってしまったんだろう。いつもはちゃんと公爵令嬢としての振る舞いを出来ていたはずなのに。
しゃべる言葉は拙くとも、振る舞いは幼き頃から習った通り、呼吸をするように出来ていたというのに。
サクラの木に気を取られてとり作れなかった…。
「気になるなら貴方も調べたらいいだろう…」
「…え、」
「どうせ公爵令嬢が学ぶものではないと焦っているのでは?そんなものは古い慣習。知りたいのなら自分から調べたらいい。そのままにすることこそ馬鹿げたことだ。」
「…え、あの…セシル様…?」
なんかいつもの喋り方とは違うような…それに表情も呆れを隠さないものの気が…?
「なんだ、気にならないのか?」
「は、はい!気になりま…す、…?」
少し鋭くなった視線を向けられびくぅっ!と体が跳ね、伺うように覗き込んでいた体制をピンッと伸ばす。その衝動に駆られ咄嗟にでた返事も最後には疑問系になってしまったけれど。
…どうしよう…?怒らせてる…?いつもと違う雰囲気をまとったセシル様に私も取り繕えなくなりオドオドとしてしまう。
不意に視線をそらせたセシル様はその視線の先へ向かってしまう。慌てて私もそちらへ体を向けるとすでにセットされたテーブルとお茶たち。スタスタと進み座られたセシル様はこちらをチラリと見たのち用意された紅茶を飲まれている。
急いで向かいの席に座り同じく紅茶を飲む、けど。
態度が違いすぎることに戸惑いをかくせない…いつもなら私をエスコートしてくださるのに、今日は…というか先程から口調も態度もなんというか…フランクになられた気がする…?
戸惑いを隠せない私をみて、ひとこと。
「この国で行われている倭国の研究ははっきり言って人数不足だ。そして予算も不十分だから進歩も遅い。私の家も情報提供としてしかかかわりがない。そもそも我が国ではそれほど倭国研究が重要視されていないのも、進歩の遅れの原因だ。」
「・・・で、でしたら何故、セシル様のお家はサクラの木を・・・?」
「そもそも倭国研究を始めるきっかけがこの木だ。我が家が発信源であるから、何故、という疑問にはそもそも根本的に答えられない。」
「あ、もうしわけ・・・」
別人のように話されるセシル様に戸惑いを隠せない私なのに、何故かいつもより会話が続いている気がする。
「アリシア嬢は謝ってばかりだな。もっと堂々としてくれないか。」
「は、はい・・・すみませ、・・・あ、」
「・・・はぁ・・・。で、倭国のことだが、気になるのなら調べたら良いではないのか?王宮の書庫には倭国の資料も揃っているのだから。」
「で、ですが、その・・・、王宮に行ったことがないので・・・」
「なら連れて行こう。次会うときは私が迎えに行くので待っていてくれ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・え?」
今日は何回驚かせられるのだろうか。フランク?になった態度と口調、そして次は王宮に行く約束をしたこと。しかし、混乱の中でも、私が思ったのはただ一つ。
今のセシル様になんだか嬉しさを感じること。態度と口調が変わったことで距離が近くなったように感じたのかもしれない。でもそのことだけが頭に残り、とくん、と胸を少し鳴らした。なにかが私達の間で動き出した、そんなことを感じた気がした・・・・・・―――――――――――。